北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

イレーネの死

2010-03-03 11:11:22 | エッセイ
一通の訃報メールが届いた。

スウェーデンの友達イレーネの死だ。50歳だった。
私たちがスウェーデンに住む前に日本で知り合って
スウェーデンでも親しく付き合って、
そして、昨年夏、日本を家族で訪問してくれた。

そうした意味で、十数年来の友達だ。

めったに合わないけれど、大好きな友達というのがいる。
イレーネは私にとって、まさにそんな存在だった。

明るくて賢くて気取らなくて思いやりがあって、そして、きりっとしている。

昨夏、突然、日本訪問の連絡があった。
わたしは、彼女の依頼に基づいて、各地のお勧めの宿を手配した。

二人の子供たちは、日本で生まれていた。
成長した二人も両親と一緒に日本の地を踏んだ。

久しぶりに会った子どもたちは、ずいぶん成長して、
かつての面影はほとんど残っていない。
こんな記事も書いた。

その時、彼女からこんな話を聞いた。
「私の癌が10年ぶりに再発して、もう骨まで転移している。
娘は、私のことが心配で、友達と遊ぶことなく私のそばにばかりいて
暗い子になってしまった。それがすごく心配なんだ。
化学療法中だけれど、日本に来る間は、治療をやめているので
からだが楽だ」

闘病中には見えないほど、彼女は元気だった。
いつものように、よく笑いよく話した。

ひとつだけ気になったのは、京都へ向かう新幹線のホームまで
見送りに行った時に、
ベルの音がなっているにもかかわらず、
なかなか乗り込もうとしなかったことだった。

話していた私が気が気でなく、無理やり中に押し込んだ。
その瞬間ドアが閉まった。

ドアの向こうで手を振りながら遠ざかる。
それが、私の記憶に残る彼女の最後の姿だった。

「とてもよかった」
と帰国してからメールがきた。
各地のエピソードをそれぞれ書いてくれた長いメールだった。

忙しさと英語力を理由に
「それはよかった」
と短いメールを返した。

それが、最後のやりとりだった。

いつかは来る予感がしていた。
彼女の訃報。
それが、こんなに早いとは。

残された時間に限りがあると知った家族が、
もう一度みんなで旅行しようとした先が
日本だったのだ。

彼女の夫からのメールに
「あの旅行は、ハイライトだった。
彼女ともその話をよくした。
僕の人生は本当に幸せだった。彼女と一緒に過ごすことができて」

離婚の多いスウェーデンでは珍しいと言ってもいい初婚どうしの夫婦だった。

彼女の人生最後のビックイベントに
関わらせてもらえたことをとても誇りに思う。

私は、彼女の人生に少しは、明るさを加えただろうか。

イレーネ。
あなたの夫はこんなメールも送ってくれたよ
「エルビラ(娘)のことは心配ない
彼女は強い子だ。イレーネの死も、きちんと受け入れたようだ」

あなたの娘だもの。

イレーネ。
短かったけれど、あなたもあの笑顔できっと言うだろう。
「幸せな人生だった。後悔はないよ」

さびしいのは私。後悔するのも私。
命に限りがあると知っていたのに、なぜもっと・・・

明日が彼女の告別式だ

瓦そば

2010-03-02 13:13:08 | 観光

食べ物つながりで、閑話休題。

福岡の知人が「かわらそば」というのを
食べに連れて行ってくれました。
Yさん、その節はありがとう。

かわら煎餅とか、瓦を模したものだと思ったら
本当に
「瓦」でした。

有名らしいです。

でも、なんで、瓦??