こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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26年度後半 めぐみ在宅 <追想の集い>

2014-10-15 00:19:59 | めぐみ在宅緩和ケア関連
先日1年に2回開催されるめぐみ在宅クリニックの追想の集いに行ってきました。

第一回から献杯の音頭を取らせて頂いている関係で、ずっと参加させてもらっています。

私たちがお看取りのお手伝いをさせて頂いた患者さんのなかで、お二人のご遺族も参加され、お元気な姿を見て、嬉しいやら懐かしいやらで、歓声を上げて再会を喜びました。

とはいえ、最愛のご家族をなくされまだ1年です。

いまだ癒えぬ悲しみは、言葉の一つ一つから感じられて、1年前ご自宅で過ごされていた患者さんの、笑顔や静かな横顔など、まるで昨日のことのように身近に感じることができました。

まるで、その方の息遣いが聞こえるような、ご家族の言葉や回想は尽きることなく、悲しくも楽しい時間を持つことができました。

頑固で亭主関白、そのくせ奥さんがいないと少しもいられないようなOさん。
当初熊のように大きな声で「俺は騙されないぞー!」と吠えていたOさんは、すぐに私たちを受け入れてくれて、帰り際にはいつも、さらっとした温かい手で、握手をして「また来週。」と言って別れました。
本当は、「一緒に散歩しようね。」っていう約束をしていたのに、結局それはかないませんでした。

そんなOさんの言うことなら、なんでも「はい。はい。」と言ってよく動いていた奥様は、私の顔を見るなり「会いたかったー。」と言って涙ぐんでくれました。
「ずっと、頼ってばかりで・・。本当にありがたかったの。」って。
いえいえ、あなたの優しさと穏やかさが、あの頑固なお父さんを、好々爺へと変えて、穏やかな時間を大好きな自宅ですごせたのですよ。

そして、日本の妻代表のような、凛とした美しさを最後まで守り通したKさん。
多くは語らず、胸に秘めた思いはたくさんあったであろう妻をずっと見守り、そして見送った夫は、今も妻の写真に話しかけながら、毎日を過ごしているようでした。

天国のKさん、あなたの旦那様は、誰よりもあなたを愛し、あなたと過ごした時間を抱きしめて、時折さみしさで押しつぶされそうな自分を、時にはお酒の力を借りて、奮い立たせて生きています。
この上なく優しくて、時には酔っぱらいのダメおやじになっても(ごめんなさい(^_^;))いつもいつでもあなたのことを思って、あなたに恥ずかしくないように生きようとしています。
みんなの前で、夜通し考えたというあなたへの手紙は、そんな思いが悲しいほど溢れていて、私たちは皆、涙を流し目を閉じて聞いていましたよ。

そして、同じテーブルでずっと黙って座っていたご婦人は、当初「別に、やることは全てやったので、話すことなどありません。」と硬い表情で言っていたけれど、最後にはご主人との馴れ初めから最期の時までを、まるでのろけるように、慈しむようにお話してくれました。
話すきっかけが出来て良かったと、Kさんのご主人もホッとしていました。

出席されたご家族には、それぞれの物語があります。

みなそれぞれに人生の中で、主人公として生きてきたのです。

その人生の最後のひと時に寄り添えたことに感謝して、残されたご家族と再会した時には、お互いを懐かしんだりたたえ合ったりできるような関係を続けられたらと、心から思う時間でした。

めぐみ在宅緩和ケア研究会「ショートでの看取り」

2013-04-16 21:46:09 | めぐみ在宅緩和ケア関連
最近めっきりご無沙汰している<めぐみ在宅緩和ケア研究会>。
今回は、「多死時代を迎えるにあたり、絶対的に必要になってくるショートステイでの看取りについて、コメントして欲しい。」と言われ、久しぶりに出席しました。

プレゼンターは、入所者の看取りに力を入れている泉区の特養の施設長小山さん。
そして訪問看護代表として私と、小規模多機能事業所代表として中野さんにも声がかかったのです。

各立場から、ショートステイでの看取りについての現状と問題点、これからの課題を話しました。
そのあとには、5つのグループに分かれてのグループワークもあり、かなり突っ込んだ意見がたくさん出ました。

毎回、この研究会には他職種の人が参加します。
今日も、訪問看護ステーションはもとより、施設系の人、患者家族、薬学部の学生、研修医、ボランティア、訪問入浴スタッフ、ケアマネ、などなどいろんな立場からの意見が出ました。

一般的には、まだまだ老人ホームでの看取りも少ない現状で、何故ショートステイにそれを求めるのか、本来看取りを想定して作られていないショートステイにそれを求めるのは無理なのではないか、という意見もありました。
では何故あえてなのか、といえば「多死時代を地域で連携して乗り越えるために。」ということになります。

今までも、うちの関わった患者さんでも、特定の特養ではショート中の看取りは何回かありました。

先日は、30年の在宅療養をしてきた患者さんが、いよいよ状態の悪化に伴い、疲弊したご家族のレスパイトをかねて、定期ショートを利用しました。
状態的には、日の単位の予後は確実でしたが、信頼関係の上に気持ちよくショートを受け入れてくれました。
そして、動かすなら今しかないというタイミングで帰宅し、翌日ご家族に看取られて亡くなりました。

ショート先には往診医が訪問し、帰宅時期の見極めをした上で、家族の希望で速やかに帰ってきたのです。
退所当日から訪問看護が再開し、看取りの体制が整った中での看取りでした。
ご家族は、30年の長い介護生活を、後悔することなく卒業され、本当に感謝してくださいました。
こういう連携ができる施設は本当に少ないですが、施設側がその気にさえなれば、可能なのです。
この施設は、デイサービスでの看取りもかつて行ってくれました。

不思議なことに、こういう問題を(医療ニードの高い患者さんの受け入れに関しても)向き合おうとするのは、老健ではなく特養がほとんどです。
本来医療ニードの高い方でも受け入れられるはずの老健は、年々面倒な患者さんの受け入れを、なんだかんだと拒否してきますから。

プレゼンターの方の施設では、最後まで関わることで職員のモチベーションを上げ、施設全体で看取りへの意識付けを行ってきたようです。
彼は言います。「在宅での見取りを支えるために、ショートでの看取りが今後必要になってくると考え、取り組みを始めました。」と。
この施設では、本入所者への看取りは当たり前に行われていて、ショート中の看取りを模索中のようです。

ここで問題となるのは、
・退所日が不明でベットの確保が難しい。
・家族との関係性がないままでの看取りに対するスタッフの不安。
・在宅ではないアウェイでの戦いになる可能性。クレームなどへの不安も含めて。

また、最初から見取りありきでのショートではなく、レスパイトとしての利用中に起こりうる急変・急死の対策も必要です。

空きベットの確保に関しては、本入所者の死亡や入院などのベットもフルに活用するなど、かなり四苦八苦しながら行っているようです。
家族に対しては、施設側の姿勢・方針・起こりうることへの対応方法を十分説明し、納得した上での受け入れとすること。
看取りに関するスタッフへの勉強会や、実際に行っていくことで、達成感を感じてもらい、抵抗感をなくしていくという既成事実を作っていく、などの対策をこうじている様です。

また、施設によっては「嘱託医の病院へ最後はみんな入院させることになっている。」という話もあり、トップの経営方針をどう転換させるかも課題となるようです。

現状での施設側のリスクはまだまだ高く、環境が整わないで「はいどうぞ。」というわけにも行きません。
施設側も守っていかなければならないし、本有所での「看取り加算」をショートでも適応して欲しいという意見は、その他の意見とともに、小澤先生が国に挙げると言っていました。

ほかにも沢山熱い議論がなされましたが、多くの施設からの参加者は、「検討課題として持ち帰りたい。」という意見が多く、なかなか効果的な啓蒙活動だったのではないでしょうか。

めぐみ在宅「第8回追走の集い」

2013-04-13 23:16:33 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、連携先であるめぐみ在宅クリニックの追走の集いでした。

昨日の硬膜外ブロックがめっちゃ効いて、嘘みたいに動けるようになっていたので、支障もなく出かけることができました。

恒例の「献杯」の音頭を取らせていただき、そのあとは以前お見取りをさせていただいたご家族とゆっくりといろんなお話をしました。

ご挨拶のあと、当時のことやご家族の話をする中で、Fさんの可愛がっていた柴犬のたろー君のその後の話を聞きました。

Fさんは、ご自分の予後も告知されていて、ご自宅での療養を選択され、自室の音響装置に凝って、好きな音楽を聴くことを趣味とされていました。
そして、そのそばにはいつも愛犬のたろー君が寄り添っていました。

たろー君は、今年還暦(犬の還暦は10歳位だそうです。)柴犬で、誰が来ても吠えたり唸ったりすることもなく、最初はちょっと遠慮して離れてウトウトしているのですが、お父さんのケアが始まると、いつの間にかその足元にちょこんと座っていたり、丸くなっていたりするワンコでした。

とにかくお父さんが大好きで、お父さんもたろー君との散歩のひと時を大切にしていたようです。

奥さんに、その後のたろー君の話を聞きました。

お父さんが自宅で亡くなってからひと月ほどは、夕方7時ころになるとたろー君はそわそわし始め、お父さんの部屋をくるくる回って、時には窓から外を眺めたりと、明らかにお父さんを探すのだそうです。
今までは、夜7時にはお父さんのベットにぴょんと飛び乗って、その足元で朝まで眠ったタロー君でした。

毎日、お父さんとお父さんのベットを探して、最後は諦めて誰もいないお父さんの部屋で眠ったたろー君。

お母さんは「たろーは、お父さんの子だから、私じゃダメなのよ。よほどのことがないと、私の寝る2階の部屋には来ないの。お父さんの子だから・・」と目を赤くしてお話してくれました。
たろー君は、今でもお父さんのいた部屋で、一匹だけで夜を過ごすのだそうです。

なんだか、悲しくて切なくて、あの大人しいたろー君が、今は居るはずのないお父さんを探している姿を思うと、胸が締め付けられるような気持ちになりました。 

帰ってから、うららを無理やり抱きしめて、夜には私に撫でられたまま眠る顔を見て、ワンコってすごいなと、改めて思いました。

たろー君、お母さんとも寝てあげてほしいな。
お母さんも、待ってると思うんだけど。

Sさんは、99歳でお義母さんを亡くされた方です。
ご夫婦で献身的に介護をされて、最初は入院するかどうかを迷っていましたが、在宅療養の実際を知ることで、お見取りを決意されました。
あと数カ月で100歳というところでしたが、ご家族に愛され、大事にされての大往生であったっと思います。
「あれから1年経ったから、きっとおばあちゃんも許してくれると思って・・」
そう言って、ご夫婦で夏に海外での登山をする計画をお話してくれました。

偶然にもFさんも登山が大好きだったといことで、お二人での登山や旅行談義も弾みました。
晴れやかな笑顔のSさんは、やはり99歳という大往生で見送れたことの達成感もあるのだと思います。

道半ばで逝かなければならい人、大往生で旅立っていく人・・

どんな形であれ、それがどの時期であれ、生きとし生けるもの全てに、必ず死はやって来ます。

逝ってしまった人を思う時間を大切にしつつ、また明日を生きる自分も大切にして欲しいと思います。
悲しみの時間から、優しい記憶へと変われる様に、いつか、笑って思い出話ができるようになりますように。
そう願わずにはいられません。

「たったひとりでも旅立つ」

2013-02-10 21:39:52 | めぐみ在宅緩和ケア関連
病み上がりで、とにかく眠くて眠くて・・
ちょこっとコタツに寝転がると、いつの間にかウトウトしてしまいます。
肩こりもひどくて、首から頭までガンガンします。
幸い3連休も重なって、ゆっくり休むことができたので、昨日からとりあえず活動を開始しました。

めぐみ在宅で行われた「おひとり様の終活と看取り  今からでも早すぎることはない.自分らしい最後を迎える準備」のシンポジストととして、完全防備の上出席してきました。

参加者は、40名くらいでしたが、近隣のお年寄りは20名もいなかったでしょうか。
あとは緩和ケアを勉強中の学生さんや、福祉関係の方が目立ちました。

この企画をされたのはNPO「いのちと心」で、色々な理由から現在おひとり様(50才から)の、人生設計・デザインをエンディングノートを用いて支援をする団体のようでした。
私も初めてお目にかかりましたが、代表の出口明子さんは、そりゃあパワフルな方でした。
ちなみに、瀬谷にもそういう人たちの支援をさせたらどこまでもやっちゃう「わくわく」の中野さんもいて、もちろん当日もいろんなアドバイスをして頂きました。
ウルトラパワーのお二人からの話は、現実問題遺言や自分が死んだあとの事後処理のことまで、それはそれはたくさんの情報提供をしていただきました。
自分がこれからどういう人生の最終章を歩むかどうかはわかりませんが、法的なことをしっかりわかっていないと、思いもよらないことになってしまいます。

そんな時の、つよーい見方というわけですね。

内容は小澤先生ののいつもの基調講演のあと、私は「たった一人で旅立つ ~こんな形もあるということ~」という内容で、本当に身寄りのない状態の中で、強い意思をもって旅立った患者さんの事例をお話しました。
その事例をもとに、いつ誰に、どのように自分の意思を伝えるか。
そこから、在宅へつながり、自分の意志でプランニングするには、どうしたらいいかなどを中心に話しました。
また、これから迎えるといわれている多死時代に向けて、国がすすめる介護サービスの形なども訪問看護を中心に少しお伝えしました。

みなさん、本当に真剣な表情でメモを取ったり頷いたりされていました。

また、葬儀をしないで遺体を荼毘に付し、最寄りのお墓まで納骨するのに、私の事例では30万円かかったことをお話すると、「うちでは25万円でやっています。」というような現実的な話もありました。

私のあとにはケアマネジャーの視点から、やはり一人で旅立った事例を通して「ケアマネジャーって何する人?」「どんなふうにサービスにつながるの?」などを介護支援センター「人・花」の青木さんが優しくお話してくれました。

質疑応答などもたくさんあって、私たちもとても勉強になりました。

終活として考えるとき、自分がしっかりしているうちに、自分がもし病気になって判断能力がなくなった時、そして死んでしまった後に、どうして欲しいかをちゃんと伝えておくことが必要だという話に終始しました。

自分が残したお金が、ありえない相手に渡ってしまうことだってありますし、自分が望む治療を受けられないこともあります。
また、最後の場所を自分が意図しない場所にされてしまうことだってあるわけです。
ひどい時には、お金だけ持って行かれて、分からにのをいいことに、とんでもない生活を強いいられる事だってあるわけです。

自分がこれからどうしたいのか、
どこで過ごし、どんなケアを受け、誰に何を残しl誰に残したくないか。

任意後見人とはなにか。
きちんと公正証書を書いて、自分のプランの執行人を指定する。そこまでを誰に依頼するのか。

法的な問題がたくさんあって、自分たちには難しい内容も、ちゃんとサポートしてくれます。

今回の主催者NPO「いのちと心」もそういうお手伝いをされているそうです。

瀬谷区では、区役所からのお便りにも特集を組むと言っていました。
また、<ワーカーズわくわく>でも、毎週一回無料相談会をやっているそうですよ。
<NPO絆の会>も同様です。(絆の会は、経済状況により費用が変わると、以前言っていました。)

この手の相談やサポート内容などは、各個人がどこまでやってくれるのか、そして費用はいくらかかるのかをきちんと納得して、選択していったほうがいいですね。
安ければいいわけでもないですし、バカ高いのも心配ですよね。
後見人に関しては、以前弁護士会が一番高くて社会福祉士とか司法書士とかは比較的安いと聞いたことがあります。

どちらにしても、自分の意思をまず、周囲の家族や関係者に伝えて、理解してもらうことから始めないと難しいことですから、なるべく早く始めたほうがいいということです。

そのために、自分のエンディングノートをつける必要があるわけですね。

・・て、私も50を過ぎていますから、人ごとじゃあないですヮ。(^_^;)

さてさて、どうしますかね・・。

63回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2012-10-16 22:14:37 | めぐみ在宅緩和ケア関連
このところ、忙しくて出席できなかった「めぐみ在宅地域緩和ケア研究会」。
今日は、「在宅ホスピスで求められる症状緩和」というテーマだというので、久々に出席しました。

要は、在宅での緩和ケアに必要な薬剤の話ですが、おもに介護職の人に対して、麻薬を理解してもらおうという狙いがあったようです。
もちろん訪問ナースやその他の職種、学生さんなどもいて、よい復習の機会となりました。


在宅での看取りが、これからますます増えていくことが予測されています。
在宅では、医師や看護師がいつも近くにいるわけではなく、投薬に関しても手伝っていただく場面がままあるからです。

しかし、まだまだ法的なハードルが高く、たとえ独居の方でも「手を添えて座薬を挿入するお手伝いをしました。」なんてまどろっこしい表現をしなくてはならないのです。

でも、そんなことを言ってられない時代がそこまで来ているのですよね。

在宅ホスピスでは、やはり予測指示が必須だと思うのですが、実はこれは法的には認められていないのが実情です。

現状痛くもないのに、痛みどめを出したり、吐き気止めを出したりは、どうやらだめらしいのですが、これはもう絶対に必要なので、実力行使ってとこなのでしょうか。

たしかに、この予測指示のおかげで痛みや吐き気など、つらい症状を我慢せずに過ごせた患者さんは数知れず・・。

先週末初回訪問した患者さんは、すでに腹膜播種もあり腹水もたまってた状況で、しかも独居でありながら何も薬が出ていませんでした。
その方は、前回の受診以降ひどい吐き気で食事がほとんど取れてませんでした。
その為にかなり体力も消耗しており、2週間以上先の受診まで我慢するつもりだったようです。
あまりの吐き気に「もう少し頑張ろうと思ったけど、こんな辛いならもういいかって思った。」とのこと。
結局週末だったので、その日のうちに病院に連絡し、緊急受診をしていただきました。
週明けに確認すると、お薬を飲んだらすっかり良くなったと喜んでいましたので、ずいぶんとしなくていい我慢をしていたことになります。

そのほかモルヒネ換算やオピオイドローテーションの説明などもあり、在宅で一般に使われるお薬について、それぞれの立場で理解を深められたのではないでしょうか。

というわけで、帰宅したのが20時半。
遅くなったのでうーちゃんのお散歩は今日はお休みです。

ステーションでは本日もわっさわっさといろんなことがありちょっとぐったりなので、これくらいで終わりにします。

あ~。
ラグーンが見たい。
どこか遠いところで、海を見てボーっとしたいなぁ・・。
大滝詠一のイメージです。「カナリア諸島にて」とか・・
って、今では水着を切れない体になってしまったので、山にするか~。

めぐみ在宅/第7回追想の集い

2012-10-13 22:57:28 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日はめぐみ在宅クリニックで、昨年の半年間に亡くなられた患者さんの、ご家族を集めての「追想の集い」がありました。

亡くなられた患者さんのご家族にお声掛けをして、そのうち24家族が参加され、連携していたコメディカルからのボランティアも参加しての追悼会となりました。

私は、毎回献杯の音頭を取らせていただいていて、今年も何とかお役目を果たすことが出来ました。

また、今回は席を指定された着席タイプで行われ、お茶とお菓子でのお茶会のような形式をとっていました。




みんなが座れるので、楽と言えば楽でっすが、お話の相手がずっと同じなので、いろんな方とお話をして回ることができず、会話が苦手な方には2時間の会話がちょっと長く感じられたかもしれません。

私と、うちのケアマネ下田の間には、昨年の夏の初めに奥様を見送られたTさんが座り、久しぶりの再会に随分と話がはずみました。
それでも、1時間半を過ぎると、「なんだかずっと座っていてお尻も痛いし、このまま4時までなのかな?」と時計を見ながらちょっと飽きてきた様子もあり、お話だけでの時間にしてはちょっと長すぎる気がしました。
今までは、その間に楽器の演奏や、みんなで追想のための歌があり、数人のご家族からのお話もありと、メリハリがあっただけに、ちょっとさみしいような気がしました。
次回は、時間の配分と、もう少しアレンジがあった方がいいような気がします。

そうはいっても、各テーブル関わりのあったスタッフなどと盛り上がり、涙あり笑いありの時間を過ごせたようです。

Tさんも「いやー、張り合いがなくてね。」と、やはり寂しそうです。
でも、「友達もよく誘ってくれるんだよ。あちこち行ってカラオケ行ったりしているよ。」と最近の事や、奥さんとの思い出をたくさん話してくれました。

私の前の女性は、やはり昨年ご主人を亡くされたそうですが、まだまだ悲しみの中で暮らされているようでしたが、Tさんの話を聞いて「勇気づけられました。私も頑張ろうって思いました。今日、来てよかったです!」と明るく話されていました。

そしてご家族の中から、お一人だけですが、これまでのお話をしてくださいました。

とても気丈で、強い意志のもとに、夫を病院から連れて帰ってきた方です。
恋人時代を入れて60年連れ添った夫の闘病や、最後の数か月を、独特の死生観や人生観でお話してくださいました。

音楽を一生の仕事とし、一時代にはその歌声で、日本中の人の心を和ませてくれたであろうその方との最後の時間が、長年住み慣れた自宅であったこと、そしてそこから見送れたことに「悔いはないです。」ときっぱり言っていました。

予定を15分ほど過ぎて、今回の追想の集いは終わりました。

めぐみでは、今後毎月「苦しみを分かち合えるように。」と、グリーフケアの一環として、時間と場所を提供するようです。
そして、お互いルールのもとに、苦しみを分かち合い、気持ちを解き放てるような支援をしていくようです。

ずっと寂しさを我慢し続け、誰にも言えずに心を病んでしまうことがないよう、これからもずっと逃げ込める場所があることは、とても意義のあることですね。

ただ、もしかしたらこういう場所に(追想の集いも含め)来れる方、行こうと思う方よりも、何も発信でずにいらっしゃる方のほうが心配なのかもしれません。
だれかが、どこかで声をかけられたいいのに。
それも、これからの課題ですね。

さて、私はそろそろ眠くなってしまいました。

誰もが、きっとどんなに笑顔の人でさえも、それぞれの苦しみを抱えているのだと思います。
誰にも、どうしようもない苦しみでも、いつか希望の光がさすのだと、そう信じられるといいのに。
みんな、がんばろうね。

24年度めぐみ在宅クリニック 追想の集い

2012-04-14 23:42:12 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、午後2時からめぐみ在宅クリニックの「追想の集い』がありました。

でも、昨日からうちではおばあちゃんが、肺炎で寝込んでいます。

午前中に、おばあちゃんの病状観察をしつつ、ロセフィンとヴィーンDを点滴し、食事をとらせ、家族の夕飯の準備もしつつ、自分のしたくもするために、バタバタとしていました。

おばあちゃんは、朝から調子が悪くぜーぜーとしていて、熱も上がっていました。
SPO2も90%あるかないかで、すごく心配です。
とにかく薬を飲ませるために、焼き立てのパンで一口大のジャムのサンドイッチ、温めた牛乳を持っていくと、食べることが出来ました。
薬を飲ませ、1時間後には点滴をしましたが、昼近くなるとまた具合が悪くなってきました。
トイレに動いた後からは、SPO2が下がったままで、努力呼吸でヒューヒューと気管の狭窄音がします。

小澤先生に連絡して、コカールの追加と気管支拡張剤を処方してもらいましたが、SPO2は85%から90%と低く、かなり苦しそうです。
病院へ行こうといっても、おばあちゃんは「大丈夫。行きたくない。寝れば治るから、病院は嫌だ。」といいます。
おじいちゃんも、「いいよここで。大丈夫だよ。」と楽観的・・。

それならばと、半ば強引にHOTをお願いしました。

私が出かけるギリギリに、フクダ電子から酸素濃縮器が届き、2.5Lでやっと92~93%でした。

その後、私は追想の集いに参加し、夫から定期的にメールでSPO2の値が送られてきました。
小澤先生も、年だしやはり入院がいいのではと言われましたが、何と言っても本人断固拒否なので、夜になってもその意思は変わらず、義姉や義妹もそれでいいと言う事のなので、このまま家で看ていくことになりました。

でも、帰宅後には薬で解熱したこともあり、SPO2は95%となり、おしゃべりもするようになったので、ちょっととホッとしました。
ただ、肺はまだバリバリ音がしますし、薬が切れればまた熱が出るとおもうので、まだまだ心配は続きます。

「追想の集い」は、今年初めてめぐみ在宅クリニック内で行われ、今まではお酒も出されましたが、今年は、コーヒー、紅茶、お茶とケーキとサンドイッチになりました。
・・が、このケータリングがあまりにひどくて、会の進行にも影響が出るし、あまりの不手際にみんな唖然としていました。
「これなら、みんなで料理も作って、会場も作ったほうがよかったよね~」という話で盛り上がったくらいです。

とはいえ、会自体はいつものようにそれぞれの家族の死を悼み、思いを馳せ、皆同じ痛みを持つ者同士の、独特の空気感の中で、進んでいきました。

今年も、3人のご家族がお話をしてくださいましたが、やはり愛する家族を失ったものの苦しみや、助けてあげられなかった悔しさなど、話されて胸に迫るものがありました。
病院で何度苦痛を訴えても、「何でもない。」と言われ1年半後に末期癌だと言われた妻の、最後の言葉が「誰も、恨まないで。」という言葉であったと話された方がいました。
その方は、「私の妻は、ぎりぎりまでとても元気で、はつらつとして、誰も病気だなんて思わないほどでした。私は何をしても妻にはかなわなかった。妻を本当に愛していました。」と言いました。
そして、「今日、その妻の病気で倒れる少し前の写真を持ってきました。本当に元気できれいな妻を、皆さんどうか見てください。」と言いました。
あとで見せて頂いた写真には、本当に美しくて、幸福そうな、はつらつとして奥様が写っていました。
本当に、心から愛していたのだと思います。

会の間中涙をぬぐう方、隣の人とお互いの家族の話を真剣にされる方、毎年繰り返される悼む時間であり、癒しの時間です。
最後に、ご家族のなかからお母さんと小学生の娘さんのピアノの連弾があり、一緒にみんなで合唱して終了となりました。
ピアノは、とても美しく旋律を奏でます。
「川の流れのように」「上を向いて歩こう」
その歌詞は、会場にいるみんなの心に、それぞれの思いでをよみがえらせるものでした。
歌を聴きながら、目をつぶりずっと大粒の涙を、ぽとぽとと落としていた女性・・。
お母さんの写真をずっと胸に抱いて歌っている女性・・
みんなの声は、静かに、とても美しく、それぞれの思いを載せて天に昇って行くように思えました。

私の友人夫妻も、お母さんを見送った家族として出席していました。
「うん。来てよかった。」そう言って帰っていきました。

参加された、ご家族の悲しみが、少しでも癒されることを、祈るばかりです。

57回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会・統合失調症と緩和ケア

2012-02-21 22:44:52 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日の研究会。
統合失調症をもつ末期癌のかたを、自主退院から自宅で亡くなるまでの、7日間の支援の振り返りとなりました。

担当の地域包括支援センターのケアマネ、病棟看護師とMSW、めぐみ在宅クリニックのK先生からのケース紹介から始まりました。
残念ながら、訪問看護ステーションは出席できなかったようですが、経過はプリントされ配られました。

実は、精神疾患を持っていても、ギリギリのところで自立生活をされていて、病院にも受診歴がなく、診断も受けていない方はたくさんいらっしゃいます。
統合失調症や気分障害、また人格障害や発達障害などを疑うものの、特に自傷他傷がなければ、強制的に受診させるわけにはいきません。
たぶんそうであろうことを想定して、関わらなければならないことは、よくあることです。


この事例では、入院後に精神症状が悪化し「統合失調症」の診断を受けましたが、妄想から病院への不信感を募らせ、飛び出す形で在宅療養が始まったようです。
ここに至るまでに、病院ナースの必死の関わりもあり、退院時には行政や包括支援センターも介入し、在宅支援診療所と訪問看護が導入されたそうです。

そして、わずか7日間で旅立つまでに、在宅チームとしての関わりや、信頼関係を持つことが出来た理由など、グループワークを行いました。

あるグループから、「本人の苦痛を取る為や、病気の改善のためには、ウソをついて薬を飲ませる事も、必要ではないか?」という意見が出て、話し合ったそうです。
それに関しては、訪問看護師も含め、担当医や小澤先生は「あくまで、その場しのぎのウソはつかない。事実を事実として伝え、真摯に向き合う事をしていきたい。ウソをつけば、あとで信頼関係を損なうことにもなる。」と話しています。
私もそう思います。
ウソをつくと、ウソをつくためのウソが重ねられますし、これは告知もそうですが、患者さんが方向を見失う可能性があると思うからです。

私たちのグループで話し合われたことは、「統合失調症」の治療をどう考えるか、でした。
今回は、自傷、他傷の恐れがないことから、統合失調症の治療を行わなかった。
しかし、そもそも統合失調症の治療をきちんとしていれば、妄想で主治医を拒否する事もなく、病状もうけとめられて、もっと早期に治療が出来て、もしかしたら改善していたのではないだろうか?
でも、発症時期や通過障害を考えうると、もし何らかの理由で措置入院になったら、薬ずけになってご本人の喜びだった、昔を振り返る会話が出来ないままだったのではないか?

これも、実際の判断はかなり難しい状況であったようです。
実際、どちらが良いのかなど、最初からわかるはずもなく、難しい問題で答えは出ませんでした。

そんな形ですっかり時間も超過して、20時半を回ってしまいました。

ここでは、新しい出会いもあり、いろんな情報も獲れるので、勉強会だけではない地域の交流スペースにもなっています。
新規参入の事業所さんは、一度は顔を出すといいかもしれません。


ところで、話は変わりますが、昨日ずっと気になっていたラーメン屋さんに行ってみました。
先日の「野永や」がすごく美味しかったので、もう一つ昔から評判の良いラーメン屋を尋ねました。

ここは、中原街道沿いにある何の変哲もないラーメンショップですが、昔からトラックやタクシーの運転手さん、仕事中のサラリーマンや、工事現場のおじさんたちがひっきりなしにやってきます。
うちの娘も、ここの岩のりラーメンが美味しい!と言っていましたので、訪問で遅くなった帰りに寄ってみました。

私は、葱とチャーシュウが絡み合ったものを想像して「ネギチャーシュウ!」と頼んだのですが、出てきたラーメンの量にビックリ。

わー!!なんつうチャーシュウ。こんなにいらない!!
しかも、厚さがとんでもないし・・。

でも、美味しかったです。
スープはややこってり醤油スープで臭みがなくて、短冊のネギもシャキシャキでうまし!

ただ、チャーシュウは食べきれず、3枚を丼の底に隠してご馳走様をいたしました。

もしも食べるなら、普通のネギラーメンで十分お腹いっぱいになります。
肉体派のかたは、お勧めです。



56回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2012-01-17 23:06:24 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、職場の健康診断で半日健診センターで過ごしました。

横浜駅東口から5分くらいにある、ヘルチェックセンターは、レディス専用のめっちゃきれいな健診センターです。
医師もスタッフも全員女性で、利用者もみなピンクの検診着で、優雅に検査を受けていきます。

色々検査を受けるのですが、一番つらいのは胃の造影検査。

発泡剤を少量の水で飲み干す時に蒸せ、辛いのなんのって。

むせてげっぷをしてしまったので、もう一包飲む羽目になり、その上からさらにバリウムを飲み込んだあげく、台の上を何度も回され逆さにされて、これは高齢者には出来ない検査だな~と実感。
来年は、造影はパスして内視鏡を受けようと心に誓いました。^_^;

で、夜は56回の在宅緩和ケア研究会に参加しました。

今日は、いつもと違って映画鑑賞会となりました。

うまれる

                

めぐみ在宅の院長である小澤先生が、この映画の監督の奥様と知り合いになったことがきっかけで上映会を開くことになったようです。

つるの剛士がナレーションで、人が生まれると言う事はどういうことか、人はどこから来たのか、命をどう育んでいくのか、たくさんのメッセージが伝わる作品でした。

内容は、4組の夫婦のドキュメンタリーで構成されています。

両親が不仲な過程で育った夫と、母に虐待された経験を持つ妻。
その二人が結婚し、妻が妊娠しました。
子どもに愛情が持てるのだろうか?
自分も虐待をしてしまわないだろうか?
そんな不安のなかで、二人は子供を持つ事の意味を何度も話し合い、出産を心待ちにします。
まるで子供のおままごとのような夫婦。
とまどいながらも、ひょうきんでまっすぐな夫には、会場からも笑いが起こっていて、何ともほのぼのとしました。
この家族の笑顔に、とても救われた思いがしました。

それとは対照的に、出産予定日に死産してしまった夫婦の、子どもへの想いの深さを追っていきます。
出産予定日に、突然わが子の心臓が胎内で止まってしまった悲しみ。
もう、死んでしまったわが子を出産し、泣く事の無かったわが子を夫婦で抱いて取った写真。
出産の喜びに満ちた笑顔と、胸に抱きしめる死んでしまった赤ちゃん。
そこから、この夫婦が本当に笑顔を取り戻すまでの軌跡が、とても心を震わせます。

そして、13トリソミーという先天性の疾患があることを知って出産した夫婦。
愛くるしい表情で、懸命に生きるわが子を、慈しみあくまでも前向きに育てる夫婦。
愛して、愛して、どれほど愛しているか。
命の長さではない、愛する想いの深さが胸を打ちます。
父の撮る数えきれないほどの写真が、本当に素敵で、光に満ち溢れていて、涙が出ます。

4組目の夫婦は、長い不妊治療の末妊娠をあきらめ、違う形で人を育ててみようと決意した妻と、それを見守る夫の生き方です。
彼女は、とにかくかっこいい。
悲しみを乗り越えてきた人がも持つ、美しさだと思いました。

この4組の夫婦の生き方を、とても上手に組み合わせ、それぞれの生活を追いながら、産科医の話も織り交ぜ、比較的淡々と追っていきます。
ドキュメンタリーなので、それぞれ受け止め方は違うと思いますし、言葉に出来なくても、きっと何かのメッセージは受け止められるのではないでしょうか。

なかなか良かったですよ。とても温かくなりました。

自主上映会を有料で請け負い、そのお金を基金として、全国の学校などで無料上映ヲするという趣旨のようですね。

どこかで、機会があったらぜひご覧ください。
出来たら、親子で見るのがいいかもしれません。


54回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2011-11-15 23:16:39 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日の研究会は、最近うちのステーションでお看取りをした患者さんの事例の検討会でした。

担当看護師は、5月から常勤で頑張っているRさんです。

施設の看護師だった彼女が、訪問看護師となって最初の2か月は、怖くて不安でどうしたらよいかわからなくて・・・と、毎日おろおろするばかり。
見ている私たちも「これはもしかしたら続かないかも・・」と思っていましたが、その後一転度胸が据わってからというもの、まっすぐにひたむきに、訪問看護のお仕事に向き合えるようになりました。
その彼女が、一人で在宅でのターミナルケアを受け持つのは、はじめてに近いかもしれません。

独居でのお看取り。

担当した当初は、まだまだお元気に庭の手入れなどもされ、たくさんのお話しをして下さった患者さん。

けれど、病魔は急激に進み、あっというまに旅立って行ってしまいました。

その間、主担当としてよく気を配り頑張ったRさんの、初めての緩和ケアでの事例発表です。

かなり緊張していましたが、最後までしっかりと発言もして、自分の意見も言っていましたので、私としてはそれが何よりうれしかったです。

今回のテーマは「告知」。
いつもは、事例から「苦しみ」「支え」「どういう私たちであれば支えを強めることが出来るのか」と言う事を、グループ分けして抽出し、ディスカッションするのですが、今日は趣向を変え、めぐみスタッフAさんと担当だった非常勤医師M先生の司会進行により、違う切り口で進行されました。

ずっと同じパターンで研究会が行われてきたのですが、今日はなれない中でも一生懸命みんなで考えようと二人は汗だくで司会をしてくれました。

今回キーパーソンであった娘さんの強い意向で、病名告知も予後告知もせずに、最後まで自宅で過ごされたIさん。

独居ではありましたが、訪問看護とヘルパーと往診医がローテーションし、最後の一週間は娘さんもお嫁さんも交代で泊まり込んでのお見送りができました。

しかし、何も告知しないことで、当のIさんとの会話はいつも「俺はいったい何の病気なのかなぁ?もしかしたら、まだ発見されていないような未知の病気なのかも知れないなあ。」
「でも、たぶんそんなに持たないと思うんだよ。誕生日まで生きられるかなぁ?」
そんな会話が多くありました。

訪問看護師も、担当医も、何も告知しないことに疑問がありました。
けれど、ご家族は「お母さんの時もそうだった。きっとあと少ししか生きられないと知ったら、生きることをあきらめてしまうと思います。もうあと少ししかないのに、今さらあえてそんなことを言う必要はないと思うのです。絶対に告知はしないでください。」と断言されたのです。

その時、私から言えたのは「ご家族の強い希望であれば致し方ないと思いますが、やはりウソを重ねていくのは医療者としては出来ません。もし、ご本人から『自分はもうすぐ逝くと思う。』とか『俺の病気は癌だと思っている。』と言われたら、それを否定はしません。」というものでした。
ご家族は、「それでいいです。それで自分なりにわかったとしたら、それはそれで了解します。」言う事でした。

結果、ご本人は死を受け入れながらも、何も知らされないまま、静かに眠る時間が増えていき、最後はご家族に囲まれて穏やかに旅立っていくことが出来ました。

もちろん、ご家族もそうすることが出来て、とても満足されていましたし、とっても感謝してくださいましたが、それでも私たちの心のどこかで、「未告知」という事実が引っかかっていたのです。

最近では、ほとんどの病院で最初の段階で病名告知は行われます。
アメリカでは、告知しないと罰せられるのだそうですが、日本でも治療方針を決めるのは、患者さんの選択となってきましたから、まず告知されることがほとんどです。

今回のようなケースは、気が付いたらもう手が付けられないくらい進んでいて、余命もわずかしかないという場合でしたので、病院での告知のタイミングがずれた形なのだと思います。

ちなみに、告知をしたことで「鬱」や「自殺企図」などの精神症状を発症する確率は、告知しなかった場合と比べても、ほとんど変わりないというデーターがあります。

また、自分は告知してほしいが、家族にはしたくないという、一見矛盾した回答がかなり多い事もわかりました。

ただ今回の勉強会でわかったことは、「告知」が良い・悪いという視点ではなく、やはり患者さんの苦しみを理解し、支えを強めることが、結果として良い援助が出来たと言う事になると言う事です。

参加者の中で訪問入浴のスタッフが言っていた言葉が印象的でした。
「私たちは、普段辛い病気と向き合っている患者さんに、いかに良い気持ちでお風呂に入って頂けるかを考えて援助しています。告知されていても、されていなくてもそれは変わりませんし、あえて私たちがそれに触れる必要もありません。たぶん、逆にそういう話は避けて、気持ちの良いお風呂で楽しんでいただくだけです。」と。

たしかに、このひと時を切り取れば、それは「きれいになりたい」「気持ちよくすごしたい。」という支えを強める最高の援助となります。

ご本人の希望を支えるために、何が必要か。そこが問題なのです。

でも、やはり病名や予後の告知は、患者さんには知る権利があります。
そして、これからどうしたいか、どこで過ごしたいか、何を残したいか・・
それらを考え、選択するのは、ご本人なのです。

まあ、ケースバイケースと言えばそれまでなのでしょうが、今日は違った角度から「告知」を考えさせられたいい勉強会となりました。

52回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2011-09-21 22:20:03 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨夜は、緩和ケア研究会で、うちのスタッフの事例発表がありました。

         

事例の患者さんは、老老介護で介護負担を軽減するため、小規模多機能を利用しながら、ご自宅でお見送りした方でした。

担当のYナースも、小規模多機能のスタッフも、往診の先生も、ずっと同じ方向で支援し、ユニークなキャラの夫の支援をすることで、認知症を持つ妻の在宅療養を最後までサポートすることが出来ました。

当初、病院の連携室よりこのご夫婦の相談があった時、まだ余命が半年以上と予測されていました。
しかし、婦人科癌であり、認知症の進んだ患者さんと、自らもHOTの生活をされている高齢の夫の生活を考えた時、まず生活の安定と介護負担の軽減が必要だと感じました。
さらに、夫の不安が強くパニックになりやすいという情報もあり、このケースでは小規模多機能でショートステイやデイサービスを利用しつつ、夫の可能な範囲まで在宅を続け、最終的にはホスピスに繋げられるように支援しようと言う提案をしました。
このため、終末期の患者さんとご家族をきちんと支援できる実績を持つ「小規模多機能事業所w」に、まず依頼することをお勧めしました。
訪問看護は、その次で間に合うと思ったからです。

そして、そこから約1年の在宅療養が開始となったのです。

当初環境の変化や、思うように自分の身体が動かなかったり、いろんなことがわからなくなっている自分にとまどっていた患者さんも、小規模多機能になれていきました。

小規模多機能事業所に訪問看護が訪問するためには、医療保険でなければ入れません。
そのため、指示書はターミナルとしての指示書を、最初から頂きました。

訪問看護は、この辺の振りわけがいまひとつファジーで、これがいいような悪いようなことが良くあります。

以前、単位がぎりぎりで、訪問看護をターミナルで医療保険で出してくださいとお願いした患者さんのご家族に、「まだ、もう少し時間がありそうだからダメ。介護保険でしか書かない!」と却下したドクターがいました。
実際は、十分ターミナルケアの範囲だったのですが、生活環境を整えるためにもとお願いしても、全く聞く耳を持ってくれず、泣く泣く主治医を変えることを選択された患者さんがいました・・。

ここでは、そんなバカなことはありえないので、ベストな環境を作っていくことが出来ました。
デイサービスに慣れた頃、夫の夜間負担がまし、お泊りも開始になりました。
訪問看護や往診医は、自宅にも小規模多機能にも行くことが出来ますから、バルントラブルなどにもすぐに対応が出来ました。
なにより、認知症が進んでいたので、痛みや苦しさなどの辛い症状はほとんど表出されることはなく、いつもニコニコと穏やかな表情で過ごされました。

周囲の支援がうまくいくことで、夫は最後まで家で過ごさせたい、自分が看取りたいと強く思うようになります。

いつもの暮らしの中で、家族の思い出の中で、自分のすぐそばで逝かせたい。
それはきっと、自然な事だったのだと思います。
お互いが思いあいながら、愛おしい時間が流れていきました。

じつを言えば、文句やさんでかなりの毒舌夫ではありましたが、それもどこかユーモラスで、何を言われてもどこか憎めず、毒舌がないと寂しかったりして、長い目で見ても夫への関わりが重要だったことは、関わった人たちみんなの共通する意見でした。

私たちに出来ること。

お二人の話をよく聴くこと。
現在の状況をきちんと伝えること。
そのうえで、夫がこれからのことを選べるような情報を提供すること。
夫のできない部分を、チームでカバーすること。
苦痛の無い日常を提供すること。

夫は最終的にかなり痩せてしまいましたが、それでもしっかりと妻を見送ることができました。

事例に関しては、ケアマネからの報告もあり、グループワークでも意見交換がたくさん出来ました。
           

小規模多機能事業所にかんしての質問がかなり多く、どこの事業所でも同じようにやってもらえるのかという質問もありました。
これに対して、wの中野さんより「残念ながら、各事業所によってそれは違います。実際、今回のようにデイやショートが困難になり、在宅でヘルパーを頻回に派遣するためには、コミコミの収益の中では、かなりの持ち出しになってしまうからです。私どもは、この地域で少しでも在宅で過ごすお手伝いが出来ないかと考え、ここまで行いましたが、それぞれ考え方がありますから、もしかしたらこの地域ならではの援助であったかもしれません。」
という話がありました。

相変わらず、介護保険のヘンテコな制度やくくりが現場を混乱させています。

そのなかでも、どうしたらご本人の、またはご家族の思いを実現できるのか・・。

最初から、「もう無理ですね。施設を考えましょう。」ではない方法を、柔軟に考えられる地域でありたいと、改めて思いました。


日本死の臨床研究会/第5回ホスピス・緩和ケアの集いIN横浜

2011-08-20 23:59:07 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨日は、日本死の臨床研究会主催「学生のための第5回ホスピス・緩和ケアの集い」が、連携先のめぐみ在宅クリニックで開催されました。

           

分科会のファシリテーターという大役を請け負ってしまい、ちょっと緊張しましたが、なんだか和気あいあいの雰囲気で、楽しくディスカッションをすることが出来ました。

「学生のための」と付いていますが、実際は現役の看護師やケアマネ、施設関係者、医師、ボランティアなどが多かったです。

私の分科会は、医学生、薬科大学の学生、緩和ケア病棟看護師、看護学生、看護大学院生、訪問看護師を養成しているかたなどが参加してくれました。
みなさん緩和ケアには熱い思いがあって、看護学生さんと言っても、実際はNSWとしての実務経験から看護学校に入りなおした方だったり、訪問看護の経験者であったりしました。

今回は、薬科大学の学生さんが、ゼミの先生と共にたくさん参加してくれていました。

7つの分科会のファシリテーターは、敏腕ケアマネ二人、薬剤師、小澤先生、大学で闘病記から緩和ケアの授業をされている先生、病院で緩和ケア認定看護師をされている方、そして私の7人です。

今回私は「地域の中の緩和ケア」ということで、病院と地域医療との連携についてや、患者さんから多く聴く言葉をお話しして、実際に私たちはどう向き合っていけばよいのかなどをディスカッションしました。

前回私のブログでも記事にしたあるケースについて、みなそれぞれの意見を出してくれました。

「ターミナル期にあって、外出がしたいと希望した患者さん。それを叶えようと手配しましたが、患者さんは『車椅子では絶対に行かない。歩けるようになってから行くので、歩けるようになるリハビリをしてほしい。』と。
けれど、支援者はその患者さんの予後は短く、外出できるチャンスは今車椅子でしかかなえられそうにないことを知っています。」

これに対して、みなさんはどんな言葉をかけますか?

みんな悩んで言葉を探して、それぞれ違う思いを語ってくれました。

「自分なら、全部教えてほしい。そのうえで、車椅子でしかしか行けないのなら、それを選ぶかもしれない。」
「あまり考え込む前に、とりあえず外に連れ出しちゃう。そこから、喜びにつながるかもしれない。」
「希望を失わせるより、外出を目標にリハビリをすることを支援する。」
「やはり、正しい情報をきちんと伝えた方がよい。」
「そもそも、今外出させたいというのは、医療者側の希望なのではないか。現在の状況を知らない本人にとっては、そこまでの思いはないのではないか。」

などなどでした。
こういう患者さんの希望と、医療的な現実の間に開きがあって、どう伝えるべきか、どう対応するべきか苦悩することは、緩和ケア病棟でもよく直面する問題です。
と緩和ケア病棟の看護師さん。

分科会の後の報告会で、このグループからこの話の内容を報告しました。

小澤先生からのアドバイスは「外に出たい。車椅子は嫌。これが希望であり、歩けないと言う事が苦しみ。リハビリをする、ということは支えになる。
この時、反復のあともし(if)という言葉を入れてみます。
『もし、リハビリをしても歩けるようにならなかったとしたら、あなたはどうしたいですか?』と聞いてみたいですね。
もう歩けるようにはなりません。もうあなたの余命はそれほど残ってはいません。とあえて言う必要はないでしょう。」
というものでした。

こういう会話に関しては、その人その人のパーソナリティによって違うと思いますし、知りたい人、知りたくない人あるとおもいます。
けれど、「もし」という言葉であれば、どちらにしても使って見れるかもしれませんね。

それぞれの分科会から、参加者の発表があり、盛況のうちに会を終わることが出来ました。


今回も、いろんな人との出会いがあり、いろんな職種の方とお話をすることが出来ました。

こういう集まりは、自分の気持ち次第なわけですが、出れば出ただけのことはあるなぁ、といつも思います。
今回も、いい出会いをさせて頂いたので感謝です。

このあと、近くで懇親会もあり25人くらいの参加がありました。

びっくりしたのは、いつも私のブログにコメントをくれるマメタロウさんが、参加されていたことです。
「こんにちは!」遅れて行った私の席に、元気な声であいさつに来てくれました。
なんだか、とっても嬉しいですね。
同じ分科会に参加してくださった方からも、「いつもブログを読んでします。」という言葉を頂きました。
有り難いことですが、これじゃブログの亢進もあまりサボれませんね・・・。(~_~;)

とりあえず、私の役は無事終了。
また明日から、次の目標に向けて頑張ります!。

第5回追想の集い

2011-04-23 22:40:19 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、連携先である『めぐみ在宅クリニック・追想の集い』がありました。

今までは年一回でしたが、年々めぐみ在宅で亡くなられる方が増え、去年は午前・午後で行いましたが、今年は、半年ごとで行うことになりました。

うちのステーションからは、私とSナース、ほかに3つのステーションとケアマネが二人、そして訪問薬剤担当のH君も参加しています。

今回は、昨年7月から半年の間に亡くなられた患者さんのご家族をお呼びし、その中で私たちが関わらせていただいた患者さんのご家族は6家族でした。
ただ悲しみのなかで、こういう会自体がまだまだ辛くて、参加されない方や、ご都合ののつかない方も多く、グリーフケアとしてはお会いできない方々に対するケアも今後の課題のように思えます。

実は、今日参加されると聞いていて、とてもお会いできるのを楽しみにしていた患者さんのご家族がいらっしゃいました。

たくさんのご家族をお迎えしながら、長い間お母様を献身的に介護されていたMさんの姿を探していましたが、なかなか来られないなぁと思っていました。
Sナースがめぐみのスタッフに確認したところ、「奥様が突然急死され、来れなくなったと連絡がありました。」とのこと。

ショックでした。

お母さんを献身的に介護していたのは息子さんですが、その息子さんの妻として、いい距離感を保ちながら後方支援に回っていた奥さんです。
いつも担当の看護師がケアを終わって1階に降りてくると、嬉しそうに待ち構えていて、覚えたての手品を見せてくれたそうです。
ご主人に「看護師さんは忙しいんだから迷惑だよ。いい加減にしなさい。」と叱られても、「ちょっとだけ」と言って、種明かしをしてその手品を教えてくれたそうです。
担当の看護師も、忙しいとはいえそれで結構癒されてたようで、笑いながらよく手品の話をしてくれました。

あの奥さんが突然亡くなられたとは・・
今日はお二人に会えると信じて疑いませんでしたから・・。

長い介護生活が終わり、これからやっと二人で楽しんでほしいと思っていました。
あの生真面目で、心穏やかな息子さんが一人残されてしまったなんて、本当に残念でなりません。
担当だったスタッフにさっき電話で伝えたところ、やはりとてもショックを受けていました。
「落ち着いた頃、電話してみます。一人になっちゃったんですねぇ・・。」と寂しそうにつぶやいていました。

それでも、ほかのご家族とは久しぶりに対面できて、本当に嬉しかったです。

支えたい思い」「納得のいくまで」でも書いたOさんの奥さん。
あちらの方から、とても賑やかなオーラを発しつつ、私たちを見つけると満面の笑顔で手を振ってやってきました。
「一人だから、地震が怖くて~。」
「だからね、あの時みたいに、またテーブルの下で布団を敷いて寝ているのよ。」とのこと。
「私ね、主人が亡くなってから、もうどうでもいいや、死んじゃってもいいやって思ったりしたのよ。でも、あの地震の時真っ先にテーブルの下に入っちゃたの。あはは、それでね、死にたくないんだってわかったの。生きたいのよね!」
「今はね、まだ主人のこと思いださないようにしているの。主人のものを見ても、なるべく考えないようにしているの。考えると、まだ駄目だから。でも、ちゃんと働いてるのよ。大丈夫!」
そうして、ずっと笑顔でお話をしてくれました。
奥様を亡くされたHさんのご主人は、やはり笑顔で「大丈夫だよ。ご飯も作るし掃除もするよ。猫の面倒もちゃんと見ているよ。息子も時々顔見せるし。」と言ってくれました。
私をはさんで、OさんとHさん、しばし歓談していました。

そして、ご主人を亡くされたAさんと、その娘さんも・・。
奥さんは、腰が悪く歩くのもやっとです。
それでも、頑張ってきてくれました。
ただ、最初から最後まで、涙がポロポロ止まりません。
何を言っても泣いてしまいいます。
娘さんも「もう、優しい言葉をかけてくれるとだめなのよ。あ、大嶽さんまた泣かした~。」などと言いながら、やはり泣いています。
まだまだ深い悲しみの中にいるようでした。
それでも孫と暮らしていること、孫が帰ってくると淋しさが忘れられることなどをお話ししてくれました。
頑固で絶対的存在だったお父さんは、今でもこのご家族の心の中では絶対なのだと思います。
帰りは笑顔も出て、ゆっくりと帰っていきました。

懐かしい顔をみて、懐かしい話をして、「あんなこともあったね。こんなこともあったね。」そんな話をしながら、時間は過ぎていきます。
ハンカチで目頭を押さえながら、隣り合ったご家族とお話しするかたや、先生に抱き着かんばかりにお話しするご家族、一人瞑想をするように過ごされるご家族。
この短い時間のなかで、すこしでも悲しみが癒え、同じ苦しみを抱えた人たちが、気持ちを通わせることが出来ればいいなと、心から願わずにはいられませんでした。

お二人のご家族のご挨拶があり、そのあと飛び入りでお話をしてくださった方がいます。

訪問看護ステーションは入るに至らず、退院を目前に奥様を亡くされた方です。

病状の進んだある日、奥様が「きれいな空と海が見たい。」と言ったため、車椅子で沖縄に連れて行ったのだそうです。
奥様はとても喜んで帰りの空港で「またここに来たい。」と言い「うん、また来ようね。」とご主人は答えたそうです。
お二人には、それがかなわいことはわかっていましたが、そう約束したのだそうです。

その奥様が、退院をまたずに亡くなられ、ご主人はどれほどの深い悲しみのなかにあったのか・・。

奥様との約束を果たすように、西表島の海に散骨をされ、その時に詠んだ短歌を披露してくれました。

全部は覚えていませんが「妻の骨・・」から始まるその歌は、その時の悲しみの深さを物語っていました。
真っ白な妻の骨が、青い青い海の底にゆっくりと吸い込まれていく情景が、映像として見えた気がしました。
そのゆらゆらと沈んでいく、最愛の妻の骨を見つめるご主人の目線で、私もそれを見たような錯覚に襲われました。
もうだめです。涙腺は決壊しました。
静かに、とつとつと語るその方の語り口に完敗でした。

その後、その方にご挨拶に行きました。
ウルウルしてしまって言葉にならない私に、奥様の写真も見せてくださいました。
「いつもね、あの短歌と妻の写真は持っているんですよ。いつも妻と一緒なんです。今日も一緒にここにいるんですよ。」背広の肩をポンポンと叩いて、穏やかに微笑んでいました。
「実はね、さっき言わなかったんですが、後日談があってね・・」
「妻はね、真紅のバラの花が大好きだったんですよ。だから棺の中、真紅のバラで囲んであげたんですよ。そうしたらね、焼いて出てきた骨の一部がね、ピンク色に染まっていたんですよ。
真っ白な骨の中に、ピンクの骨がいくつかあってね、僕はこれは砕けなかった・・。
だから、散骨するのとは別に、ピンクの骨を別に分けて、僕が持っているんです。」

もう、70歳位はとうに過ぎていられるのでしょうが、かくしゃくとしてダンディなその方は、実はご自分も癌宣告をされており、めぐみ在宅にも通院されているそうでした。
「まためぐみ在宅に行けばお会いできるのかな?」そう言っていただきましたが、めぐみの職員ではないことをお伝えしました。
でも、きっとこの出会いはどこかでつながるのだと思います。

人はみんなどこかでつながっていますから。

追想の集いは、グリーフケアでありながら、実は関わる私たちにとっての心のケアでもあると思います。

この仕事をしていて、本当によかったと心から思える場所でもあるのですから。

47回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2011-04-19 23:22:29 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、めぐみ在宅クリニック在宅緩和ケア研究会が、久々に行われました。
3月は、震災により中止となり、2か月ぶりといことでしょうか。
前回は、めぐみ在宅奥の間での担当者カンファレンスで、緩和ケア研究会にはほとんど出れませんでしたので、私は3か月ぶりの出席となります。

今日は未告知で、最後まで『生きたい』と強く願った患者さんとの対話からの検討でした。
今日は、いつもより参加者も少なめで、10人ぐらい4グループに分かれてのグループワークで、私もファシリテーターを務めました。

今日の事例の患者さんは、うちで担当した方で、今日初めてうちのケアマネも参加しました。

病院入院中の段階で、なぜ告知をしなかったのかは、よくわかりません。
ただ、ご家族がそうするべきと判断したのでしょう。
訪問開始の時には「告知はしていません。開いて閉じただけの手術でしたが、手術で潰瘍を取ったと言ってあります。」とのことでした。

そうはいっても、すでに末期状態でしたし、どんどん病状は悪化していきます。

当然、患者さんは「なぜ?どうして?」「なぜ、治療をしてくれないのか?」という思いに駆られます。
そして「本当は、もう助からないのだろうか?」と考えます。

「自分はいろんなことをやってきた。これからだってやり残したことはいっぱいあるんだ。」と。

訪問診療と訪問看護がほぼ同時に入り、患者さんの疑問は当然医療者に向けられます。
家族は、当たり障りなく会話を避けるし、思うように動かなくなる身体に困惑しながら、なお『そんなはずはない。治ったはずだ。』とおもいつつ。

緩和ケアの手法に反復という方法があります。

もし、患者さんが「私は、がんでもうだめなんじゃないかと思うのです。」と言ったら、「私はもう、癌でダメなんじゃないかとおもうのですね?」
と反復していきます。
一見おうむ返しのようですが、そこから「そうなんです。・・実は・・」と、会話が膨らんでいきます。
ここで、その場限りの否定や励ましをすることは、患者さんの疑問や不安にこたえられないばかりか、「うわべだけで、私の本当の不安を理解してくれない人。」と感じさせてしまいます。

その反復をしながら、主治医と患者さんの会話が進んでいきます。

数十分の会話は、名前を変えて事例として、回収資料のかたちで手渡されます。

今回、終始患者さんのなかには、『生きたい』という強い思いが込められ、しかし、それがどうしてもかなわないのなら、「とにかく楽に穏やかに逝かせてほしい。」というものでした。
しかし、それは最後まで「助けてほしい。助けると言ってくれ!」という思いと表裏一体のものでした。

病状告知もしていない状況でのターミナル。
毎回の訪問で、どんなに先生とはなしても、いい方の肯定はしてくれません。

本当は「大丈夫、私に任せてください。治る方法はありますよ。」と言ってほしかった。

担当した若いナースも、その答えに毎回窮して悩んでいました。

そして、誰も「大丈夫、治ります。」と言ってはくれない日々の中で、あきらめに似た「死」を受け止めざる得なくなっていきます。

彼は、かなり衰弱したある日私に言いました。

「もう、私の病気は、治らいのですね?」
「もう、治らないと思うのですか?」
「もう、治らないのなら、ここで穏やかに、静かに逝きたい・・。」そういって涙を流しました。
「ここで、穏やかに過ごせるように、お手伝いをしますよ。」

目を閉じて涙を流している患者さんの手を、しばらく握っていました。


そういう会話は、もちろん先生とも、もっと長い時間をかけてありました。

やはり、誰も「そんなことはない!大丈夫だから頑張って。」とは言ってくれない絶望感は、如何ばかりなのか。

会場の発言のなかで、あるケアマネが昔言われた言葉を話してくれました。
「ずっと昔、怒られたことがあるんです。人の命は、神にしか決められない。もう死ぬと言われた人間だって、土壇場で奇跡が起こるかもしれないんだ。だから、死ぬこと前提に話をしないでくれ!」と。

彼女は言いました。
「ですから、告知をしないで、もしかしたら生きられる可能性もあるという、希望が支えとなることもあると思います。」

確かに、事例の患者さんは、「先生との会話はとても辛かった。俺に任せろ。大丈夫と一言も言ってはいくれない。」とあとで言っています。

こういう場面はつねに避けられ、医療者も家族もごまかしてしまいがちになります。

それでは、肯定すればいいのか??

それはわかりません。
ドンと肯定してしまう事も有なのかも知れない。
でも、違うかもしれない。

それでも、振り返り、深く掘り下げ、どうしたらよかったのか、考える機会は必要です。

人の心の中は、わかりません。
どうやっても、ダメなことがあるように、どう考えても見つからない答えもあるのだと・・・。

難治性腹水症に対する腹水ろ過濃縮再静注法・CARTについて

2011-01-18 22:29:34 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、めぐみ在宅緩和ケア研究会でしたが、今回は事例検討とともに画期的な緩和治療の報告もありました。

今回の事例は、膵臓・肝臓転移による難治性腹水に苦しむ患者さんでした。

歩きたい、トイレに行きたい、外に出たい。
そして、負けたくない!生きたい!そんな強い思いで、ご家族もご本人も頑張っていたそうです。
しかし、腹水の貯留が増強し、やがて呼吸困難や体動困難となり、麻薬でもとりきれない苦しみが襲います。

しかし、非常勤医師の新しい情報とスタッフ全員の熱意により、CARTという緩和治療が導入されることになりました。

今日は、研究会で紹介され、現在めぐみ在宅でも導入されたCARTについて御紹介します。

この治療法は、実は1984年には保険適応されていたのですが、実際それが普及し、さらに在宅に普及するのは大分後になったようです。

腹水は、肝臓疾患などで水分を血管に引き込む役割を果たすタンパク質・アルブミンを作る機能が低下したり、門脈圧が亢進したり、腹膜に癌が散らばったりして、血管から血液成分や水分がお腹の中に沁みだして起こります。

通常腹水穿刺と言って、針をお腹にさしてこの水を抜く治療が行われていますが、この腹水の中には、大事な血中成分のアルブミンや免疫機能にかかわるグロブリンなどもたくさん含まれているので、あまり腹水を抜くとこれらもなくなってしまい、体力も奪われてしまいます。
また、そのことで腹水が溜まりやすくなるという現象も起きてきます。

そのため、腹水を頻回に抜くことは、医療者はあまりすすめません。

でも、お腹がパンパンに膨らんだ患者さんは、苦しくて苦しくて、何とかこれを抜いてほしいと訴え、それを見ているご家族もとても辛い思いをします。

CARTは、この腹水を3時間ほどで4~5ℓ抜き、その腹水を特殊なろ過装置でろ過し、癌細胞や細菌や余分な水分を抜いて、再び点滴として体に戻すというものです。

自分のアルブミンやグロブリンを戻すので、未知の病原体の混入の恐れもありません。

このろ過装置は、旭化成クラレメディカルのもので、今回そのプレゼンも聞くことができました。

二つのろ過装置を使って、一つはがん細胞や細菌をろ過し、その後除水を行いパックするものです。
ここで、さらに画期的なのが最初のろ過装置で、従来のものは血性腹水やがん細胞などが、すぐにフィルターに詰まってろ過できなくなってしまったのですが、逆式と言われるろ過装置を使う事で、詰まったものを洗浄して取り除きながら、ろ過できるというものです。
このため、大幅に適応範囲が広がりました。

在宅でCARTをしているところは、全国でもまだ10数箇所、さらに逆式を使用しているところは数カ所しかないそうです。

この方法をとりいれ、冒頭の事例の患者さんに行ったところ、一時は寝たきりで衰弱していた患者さんが、再び歩くことができ、食事もとれるようになったそうです。
とはいえ、これで治るわけではなく、病気は進行しますが、何よりつらい腹部の圧迫による呼吸困難は大幅に緩和されます。

この方は、計4回のCARTを行ったのち、ご家族の愛情に包まれ、しずかにご自宅で永眠されたそうです。

思い起こせば、私たちの記憶の中にも、CARTがあればどんなに楽になっただろうかと思う患者さんはたくさんいます。

でも、もうあの苦しみならば、楽にしてあげられるのだと分かったことが、なにより私たちの気持ちも楽にしてくれました。

とはいえ、病状によっては腹水を抜くだけでショックを起こしてしまう可能性もありますし、ろ過した液を注入するときに、発熱や悪寒、頭痛、血圧上昇などの副作用が出る事もあるそうです。
適応は、あくまでもご本人、ご家族の選択のもと、主治医が判断することとなります。

保険適応は月に2回までで、ろ過装置や処置料込で100,000円弱なので、1割負担のかたで1回1万円弱と言う事になりますね。
3割の方でも3万弱。あの苦痛を考えれば、希望される方は多いのではないでしょうか?

めぐみ在宅クリニックでも、一度にたくさんの患者さんは無理だそうで、今は3名の方がCARTを楽しみに療養されているそうです。
一人の患者さんに、クリニックのナースが3時間付きっ切りで穿刺中の観察を行い、その後1時間かけろ過をするので、労力としてはかなりなものですね。

今後は、私たちもそのお手伝いをすることとなりますので、すごく楽しみです。

そのクリニックの担当ナースが言うには、「化学療法をあきらめざる得なかった患者さんにとっては、これは治療ととらえているみたい。これをすることで、穿刺でただ水を抜かれるより、力を注入されるみたいと言っていました。だから、一時的とはいえ、みるみる元気になるのが、すごくうれしい。」とのことでした。

旭化成と言えば、サンダーバード人形みたいなおじさんの「イヒ!」を思い出しますが、こんなこともやってるんだ~。
すごいですねぇ。

在宅医療も、どんどん進んでいるんだなと、感心しています。

患者さんの思いに耳を傾け、苦しみを知り、どうしたら支えることができるかをともに考え、出来る道を一緒に探して、あきらめないで向き合う。

在宅支援だって、探せば何とかなる道もあるはず。

ちょっと、未来が明るくなりました。