こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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介護の苦しみ。

2010-04-30 22:41:02 | 訪問看護、緩和ケア
     

在宅介護に関しては、感動的だったり温かかったり、意外とよいことばかりが語られがちですが、実際は苦しいことや辛い事も多く、介護の長期化でますますその関係が難しくなる事もあります。

患者さんと家族の関係でこじれてくる場合、ほとんどが今に始まった事ではなく、元気なころからの確執であったり、親子関係の中で、生育環境に起因するものであったりします。

「三つ子の魂百までも」というように、愛情表現がうまくいかずに、愛されたい思いが残ってしまうと、さらに関係が難しくなります。

以前、学童保育でいろいろな子供たちと関わった時にも、幼小児の親の関わり方が、将来的に大きな影響力を持つ事を、実感してきましたので、看取りを前にして親子間が修復できない場面に出会うと、なんとも切ない思いにとらわれます。

子供が親の愛情に疑問を持つと言うのは、とても悲しい話ですし、その疑問の中で育ち大人になってしまった子供が、その親を介護する時の複雑な感情は、とても苦しいものなのでしょう。

それでも、子供(大人になっても)は親の愛情を求めます。
親の愛情をもらえなかった分を、取り返すかのように親を懸命に介護し、そこでまた返って来ない愛情に失望しながら、それでも親を追い求めるのです。

訪問看護をやっていると、そういう親子関係の中で介護をし、苦悩される方を何人も見てきました。

苦しみから投げかけられる言葉の応酬。
言ってしまったことへの後悔。
逃げたい思いと、放っておけない苦しみ。
やはり、いくつになっても子供は親を追い求めるのです。

悲しいことにこういうケースでは、ほとんどの場合子供が求めるほどに、親は自分しか見ていないのです。

そうして何十年も生きてきたのですから、自分中心の人生を歩んできたのですから、最後だから子供に愛情表現をして逝って下さいと言うのは、土台無理な話です。

どうしてあげたらいいのか、私たちもわかりません。
言えるのは、同情や励ましだけでは、何の解決にもならないと言う事だけです。

そんな苦しみの中で、自分を追い込んでしまっている御家族が、訪ねて来ることがあります。

「突然来ちゃった・・。ゴメンナサイ。忙しい時間なのに・・。でも、もう私ダメ・・・」

小さな子供を連れて、玄関で彼女は立っていました。

硬い表情で、呆然と。

献身的な介護の末に、全否定され続けた彼女の心は、悲鳴を上げているようでした。

ゆっくりと、時間をかけて話を聞きました。
途中訪問中に、その一部始終を見ていた看護師も加わり、1時間ほどお話しをしました。

ネグレクトに近かった幼少時からの関わりと、否定しかされない現状。

話を聴いているうちに、それでも少しずつ笑顔が見られるようになりました。

「今の状況を知っている人に、聞いてもらいたい。」

「心療内科のカウセリングに行っても、結局この現状から抜け出せるわけではないので、知っている人に聴いていほしいし、支えてほしい。」

そんな思いに、少しだけでも答えられたかどうかはわかりません。
それでも、帰りには笑顔もありました。

ゴールはまもなくそこにあります。

今は苦しくても、逃げてしまえばもっと苦しむことになるとわかっています。
私たちも、先生も応援することを約束しました。

患者さん自身の想いに沿う。
それとともにご家族も支えられなければ、在宅療養は苦痛でしかないのです。


四季の森公園

2010-04-29 22:05:19 | 草、花、収穫
午後からやっとすっきり晴れて、娘と買い物ついでに「四季の森公園」に行ってきました。

四季の森公園は緑区になりますが、瀬谷からは下川井インターから中原街道を一本道で、30分もかかりません。
ズ―ラシアのちょっと先になります。

今日は光が丘団地の入口から入りました。
森の中の階段を下りて行くと、小さな小川が流れています。

岩から湧き出た水が所々で水たまりとなり、覗き込むと木陰の下あたりにオタマジャクシがいっぱいいます。


ウワ~、ニョロモがいっぱい。結構大きなオタマなので親も大きいのでしょうか?
周囲には、ずっと蛙の合唱が聞こえています。

もう少し下ると、面白いものが・・・

水に浮いた煎餅が何故かくるくる回っています。
「なに?!」

煎餅の周りにもオタマがいっぱいくっついています。

 

そのうちどんどん煎餅の上までオタマが乗ってきます。
その間も、煎餅は周囲に食いついたオタマに押されて、くるくるくるる・・・

煎餅投げてはいけません。が、面白かったですよ~。

やがて、木陰から小川は木漏れ日の森の中を流れていきます。





小さな小川が徐々に集まって、湿地帯になっていきます。


うぐいすかずら?よくわかりませんがきれいなピンクの花が咲いていました。




その先には、葦の生い茂る湿地帯となります。

周囲の林の中には、
 

いちりんそうが一面に咲いていました。

かなりりピンボケですが浦島草もあちこちに・・


これは「えびね」ですか・・
 

湿地帯の先には池が・・ 

 

温かな陽ざしが、すべてを包みます。

その先は正面入り口  鯉のぼりがはためいています。

そこから西を目指して歩いて行くと、人がたくさんのイベント広場が・・
その先には、子供たちの遊び場「ジャブジャブ池」


さらに喧騒を逃れて田んぼのある奥まった場所へ行き、娘と二人でお弁当を食べました。
ここまでくると、蛙の声と鳥の声と、風のざわめきだけになります。


そして今度は、何段もの長い階段を登り、帰途につきました。

途中こんな不思議な花を見つけました。
残念ながらこれもピンボケに・・

帰って調べましたが、「あまどころ」か「ほうちゃくそう」かどちらかだと思います。

もしかしたら見られるかもと思っていた「かたくりのはな」も「やぶれがさ」も見れませんでした。
きっと終わってしまったのだと思います。

鳥達も、声はすれども姿は見えず・・・

でも、十分森のパワーを頂きました。
「ありがとうございました。」とお礼を言って帰りました。
今度はどこへパワーをもらいに行こうかな?



あー、疲れた~。

2010-04-28 23:07:48 | 訪問看護、緩和ケア
今日は朝から、あっちこっこと移動をしていて、疲れました~。

天気が悪いので、よけいにテンションあがりません。

そんななか、めぐみ在宅クリニックからお声をかけて頂いて、今日から始まったY子先生の「認知症」の勉強会。
よかったです。
まったりとしながらも、「あ、そういうことか!」という事がたくさんありました。
ゆうくりゆっくり、月に1回くらいずつ進めて行ってくれるとのことで、とても楽しみです。

レジメのあいだに登場する、もやしもんの絵もかわいかったし。(まったりと、かもされたい。)

そして、K病院へ退院前訪問。
何だか、退院するのはだいぶ先みたいでした。
まだまだ、これから調整が始まるようです。あまり早すぎる退院前訪問は、顔合わせぐらいにしかならないので、時期をもうちょっと考えればよかったと反省。

でも、この病棟には去年私がお世話になったんだっけ。
おかげさまで、先週のCFでも異常ありませんでした。

さらに2年ぶりの天使君への訪問。
お母さんが賢くて、私たちがお手伝いできるのは、お話しを聴くことくらいだけれど、それでも月に一度でいいから来て下さいと言って下さるので、伺っています。
担当だったスタッフが退職したので、私がひさしぶりに伺いました。

もう4歳になった天使君。
やっぱりめっちゃかわいかったです~。
もう、デレデレになってしまって、2年前まだベビーちゃんだった時も、「こんなにかわいいベビーは見たことない!」と思ったけれど、今でもめちゃめちゃかわいくて、やっぱり私の天使君でした。

ゆっくりとだけれど、確実に成長していて、気管切開はしているものの、ご飯も食べられるようになりました。
伝い歩きだけれど、足も一生懸命突っ張ります。
なにより、かわいらしい笑顔、豊かな表情、ときおり手話を交えて自己主張もします。
知的な発達はかなりです。
御母さんは決してあせらず、誰とも比較せず、ゆっくりとした成長にゆったりと構えています。
おばあちゃんも、「かわいい、かわいい」と頬ずりをしています。
お兄ちゃんたちも、かわいがるみたい。
かわいがられた子供は、表情が豊かですね。愛されている天使君。

でも御多分にもれず、通園できる保育園は無いそうです。
気切はここでも大きなハードルです。
頑張って歩けるようになって、小学校に行きたいのだけれど・・・
日本はもっと、頑張らないとだめですね。

あと3件、居宅やら導尿やらをまわって、なんだか疲れました~。


そんなわけで、夕方まで明日祝日だったこと忘れていました。

明日は休み!ってことで、寝坊しまーす。
緊急電話が鳴らない事を、祈って・・・。

悪徳業者の手口?

2010-04-27 21:16:15 | 訪問看護、緩和ケア
いつも笑顔でおおらかなYさん。

とてもお元気で、毎日せっせと出かけては同じものを何度も買ってきたり、いろんなものをお部屋の中にため込んで、涼しい顔をしています。

以前はおしゃれで室内のレイアウトにも気を使っていて、お料理もちゃんと作っていたそうですが、今では掃除も料理もほとんどしなくなり、一人暮らしの家の中はどこも荷物であふれかえっています。

仕事をしながら、毎日食事を届けていた娘さんも、さすがに参っていしまって、職場の人からの御紹介で、私のところへ相談のご連絡を頂きました。

Yさんは、おしゃべりも大好きで、初めて伺った時もきれいにお化粧をして、御挨拶も応対も自然で、一見しては特に問題はないようにおもえます。
・・が、お話しをしているうちに、やはりいろんな事がわからなくなっているようで、それを取り繕うためにまた妙な言い訳をしたりしていました。

特に困っている事の中に、通販でもいろんなものを買ってしまい、それを忘れてしまったり、またお金を払うのを忘れてしまったりすると言う事でした。

一人で暮らしているので、いつどんな形で購入しているのかがわからず、気がつけば御家族が返品したりもしたそうですが、なかなか追いつかない状況でした。

そんなYさんの娘さんから今日電話がありました。

「ちょっとまた、困ったことが起きてしまって。どうしましょう?!」
わけを聴くと、初めてのデイサービスに送り出した後、室内をかたずけていたいたら、一本の電話が。

「3月の30日に発送した本の料金が振り込まれていません。早く振りこんで下さい。」と言うものでした。

娘さんはびっくりして、その本を探したそうですが、いくら探してもありません。
業者の言うシリアルナンバーの付いた箱の中には、同じ皇室関係の写真集があったそうですが、それはすでに払い込まれているものだそうです。

そこで私に連絡をしてきたのです。

私もいろいろ調べました。

その会社Tの名前でネット検索をしていたら、同じ名前で高級会員クラブはあるものの、通販はやっていません。

が、同じ名前で全くの別会社があることがわかりました。
どなたかのブログでしたが「T社は、一人ぐらしの老人に勝手に商品を送りつけて、お金を巻き上げる詐欺商法の会社である。」と書いてあり「架空の住所まで書いてあり、そこには会社は実在しない。」というものでした。

「これだ!」とおもい娘さんに電話し、その会社の住所を確認すると、やはり同じでした。
ネットで検索すると「該当する住所はありません。」と出ます。

最初の電話勧誘の時、「Yさんの恩師の○○さんの御紹介でお電話しました。」と言われたそうです。
うまく会話の中から誘導されたのだと思います。

そこで、美智子妃殿下の写真集を買ったのでしょう。

次に届いた本は、ご本人が「買った覚えがないのよ。」と言って自分で梱包し、送り返したそうです。
今回はたぶん、最初から物は贈らずにお金だけ請求してきたものと思われます。

あまりに悪質です。

娘さんには、その会社の名前で他にも被害がないか消費者センターへ連絡するように言いました。

娘さんは早速消費者センターへ連絡したのですが、なんと「個人情報があるので、その会社で被害があったかどうかを教えられません。今後は周囲で気を付けてください。」といわれたとか・・・

消費者センターってそんなもん??

そういう事教えてくれないのは、被害が拡大するんじゃないの??

でも、まああきらかに詐欺商法である事がわかったので、お金は払わないように言いました。
そして、また電話がかかったら「消費者センターと警察に連絡しましたので、相談中です。」と言うように伝えました。

御本人にも、実はそういう事だったと伝えると、さすがに怖がって、「もう二度と通販を勝手にしない。」と約束してくれたそうです。

結局そういう名簿が出回っているわけなので、電話番後も取り換える事になり、地域包括センターと区の高齢担当にも連絡しました。

地域ケアプラのスタッフが、消費者センターの人と会う予定があるので、消費者センターの対応についても話を聴いてもらうことになりました。

こういう話は、本当に頭にきますね。
時々耳にしますが、お年寄りは「皇室」と言う言葉にとても弱いです。

そういう時代に育ってきていますから、それらしく進められれば、買ってしまうかもしれません。

気がついた時には、クーリングオフの時を過ぎていたり、返金を希望しても、いちいち面倒くさく認知症の証明が必要だったりしますし、この会社のように住所もわからなければどうにもなりません。

きっと、泣き寝入りしてしまう人もたくさんいるんでしょうね。
何とか、こういう業者を摘発できないものでしょうか。

さっそくうちのおじいちゃんにも、気を付けるようにいいました。
皆様も、周りのお年寄りが、変なもの買わされていないか注意して下さいね。





春の小川

2010-04-25 21:21:46 | 草、花、収穫
 やっとやっと、春の小川にやってまいりました。
いままで、寒かったり雨だたり忙しかったりで、ちょこっと通りすがるくらいで、ゆっくり深呼吸もできませんでしたが・・・

今年も、このあたりはとても美しく、命のきらめきに満ち溢れていました!

ここに来ると、思わずこの詩を思い出します。

    時は春
    日は朝(あした)
    朝(あした)は7時
    片岡に露満ちて 
    あげヒバリ名のりいで
    かたつむり 枝にはひ
    神 空にしろしめす
    すべて世は 事もなし   (ブラウニング 上田 敏訳)

泉川 東山の水辺から関ヶ原の水辺です。 


 

泉川の水も、年年きれいになっているようです。
水は澄んで、小魚がいっぱい群れています。

そのためか、カモやサギなども飛んできます。


カメラを持っってぶらぶらしていると、散歩中のおじさんが結構声をかけてくれます。

「鯉がいっぱいいるよ。」

「今、カワセミ見た?!きれいな緑色でぴゅーって飛んで行ったよ!」
「えー?!ほんとですか?みたい!!」
「あっちあっち、あっちの方!」

残念ながら、カワセミはみられませんでしたが、森の中からはずっと、ウグイスやヒバリやいろいろな野鳥が澄んだ歌声を聴かせてくれました。

この小川は、護岸をなるべく自然の形に補強してあります。
なので、川の端や真ん中にも木が生えていたり、自然の中洲が出来ていたり、ゆるやかにカーブを描いて、浅かったりちょっと深かったりと変化があります。
この茂みに隠れて、ザリガニやら小魚やらカエルやらが育ちます。


野バラが枝を伸ばしています。
中洲にも渡れますよ。

 

キンポウゲ?
  げんのしょうこ

かわいい紫の花、なんでしょう? 調べたらカキドオシって書いてありました。

白いタンポポ まるはすみれ?

これって、猫柳・・だと思います。

オキザリス?

この木なんの木でしょうか・・。 うつぎ?にしては、黄色っぽい感じ・・。

 川に沿って遊歩道になっています。

この辺りは、私にとってのパワースポットです。
道行く人も、笑顔で挨拶です。

対岸のムラサキハナナ。その向こうは、森です。
水面がキラキラと輝いて、さらさらと音を立てて流れて行きます。

「そろそろおにぎり食べようか!」遠くで孫を呼ぶおじいちゃんの声が聞こえます。

こんなポカポカ陽気が、明日も続くといいのにな~。

献体のこと・・・

2010-04-24 22:56:45 | 訪問看護、緩和ケア
献体とは:概要-歴史-関連項目-参考文献
献体(けんたい)とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)

とあります。

その献体をご希望される患者さんが、何人かいらっっしゃいます。

なかなか自分の身体や、家族の身体を献体すると言う気持ちになれる人は少ないとおもいますが・・・

さだまさしの「眉山」も、お母さんの献体後の慰霊祭の場面から始まりますが・・・

献体を希望されると、亡くなられると同時に、登録してあるセンターからお迎えが来て、すべてが終わる数ヶ月間は、葬儀もされないようです。

間もなくお別れの患者さんの奥様から、ご夫婦で「献体」を登録されていると聞き、少なからずショックを受けました。

病院に対して、かなりの不信感や嫌悪感を持たれている方でしたので、余計びっくりしたのですが、「なんだかんだと、いろいろお世話になったから・・・」と言う事でした。
多くを語らない方ですので、真意はわかりませんが、とても大きな決断だと思います。

本に囲まれて人生を送られ、ボランティア活動にも尽力し、お母様もお看取りされた方です。
きっと、いろいろな思いがあっての事なのでしょうね。

私自身は、医療関係の仕事をしてはきましたが、やはり「献体」は考えた事もありません。

看護学生時代、大学病院でしたので法医学教室で電話番のアルバイトをしていたことがあります。
古い、ツタの絡まる法医学教室で、昼なお薄暗く、ひんやりとした部屋でした。

日曜の昼間一人で電話を待っているのが仕事です。

時々、ギィ~・・と軋んだ音をたててドアが開いたりすると、飛び上がるほど怖かったのを覚えています。

ですから、警察から電話がかかってくると、人がたくさん集まるのですごくホッとしたものです。
何で人が来るか・・・って、港町の事ですから結構水死体や事件性のある御遺体がみつかるのです。
法医解剖のために監察医務室にには、その後遺体と法医学教室の先生と、警察の方が数人集まり、解剖となります。
先生が、「今日は見ない方がいいよ、すごすぎる。」と言われる以外は、見学をしていてもいいので、何回かは見学をしましたが・・・

海堂 尊氏の「螺鈿迷宮」だったか、その克明な描写があったとおもいます。

献体での解剖は、それとは全く別物ですが、やはり長期におよんで、ばらばらにされていくイメージは自身には置き換えられず、もちろん家族もですが、その意思決定には感服せずには居られません。

ただ、親鸞の教義などのように、宗教的な死体に対する考え方によっては、まったく違和感を持たないこともあるのかもしれません。

考えようによっては、「荼毘に伏す」という日本のやりかたに、拒否感をもつ人達もいるでしょうし、そういう亡骸の存在にたいする考え方はいろいろあるのでしょうから、未来の為に献体をするというのは、一番崇高であり、かつ合理的な考え方なのかもしれません。

これは、個々の死生観によるものなので、なんとも言えませんが、少なからず周囲への影響はあると思いました。

この仕事、いろんなことを考えさせられます。

排尿障害

2010-04-23 22:44:59 | 訪問看護、緩和ケア
突然おしっこが出なくなることがあります。

おなかが張って、尿意はすごくあるのにどんなに頑張ってもおしっこが出ないのです。

これはすごく苦しことです。
私も術後に経験がありますが、悶絶します。

原因はいろいろあります。
私の場合は、寝たきり状態での排尿に慣れていないために、尿器での排尿に対して抵抗感が強かったためではないかと思います。
結局、導尿をお願いして、尿が出始めたときは本当にホッとしました。
こうなると、恥ずかしいなんて言っていられません。

バルンカテ―テルも入れた事があります。
出産時と子宮筋腫の手術の時と、半月板損傷の手術の時です。
これは、意識が無い時に入れられたので、挿入時の痛みはわかりませんが、覚醒時の違和感は若干ありました。

いずれも短期間だし、留置の目的がはっきりしていたので、必要なものとして特に抵抗はありませんでした。

療養中の患者さんでも、それは突然起こってきます。

おなかが張って苦しいのだけれど・・・
と言われておなかを見ると下腹部がパンパンに張っており、導尿すると500ccとか時には1リットル近くたまっている事もあります。

認知のある方など、意外と気がつかない事があり、注意が必要です。

多くは、神経に起因する障害で、間歇的な導尿かバルンカテーテルの留置となります。

間歇的な導尿と言っても、若くて自己導尿が可能な人は、在宅ではそうそういないので、管理しやすいバルンカテーテルを入れる事が多いのが現状です。

本来は、尿路感染や自立性の低下を招くためになるべく避けるべきなのでしょうが、世の中教科書どうりにはそうそういかず、介護負担や本人のストレスを考えると、留置もやむなしということです。

でも、その受け止めはやはりいろいろです。

よく「自分でトイレに行けなくなったら死んだ方がまし。」とか「おむつになったら、家族に迷惑がかかるからどこかに入れてほしい。」などと言われる方もいます。

人間にとって、排せつは最も自立したいものです。

脊髄への転移などで、突然下半身に麻痺が出現することがありますが、やはり平行して排尿や排便の障害が起きてきます。
神経難病などでも、進行とともに出現してきます。

「どの位たまっているか導尿してみましょうね。」
やはりかなりの量がたまっているとしても、人によってはとても抵抗感を持ちます。

「進行がこんなに早いとはね・・・。でも、もう一回頑張ってみたい。2日前までシャ―って気持ちよく出たのよ。」

もうたぶん、無理なことはわかっていても夜間でない限り御本人の意思に沿います。

「そうですね。納得しないとね。夕方までにお水たくさん飲んで、頑張って見てください。そして、それでもでなければ、管を入れましょうね。夜辛くて眠れなくなるし・・ね。水腎症になっちゃても困りますから。

半日後にもう一度頑張っても出なければ、納得もできます。

何で嫌なのか?

もちろん、人として当たり前の機能だし、プライドがあります。

あとひとつは、人の目です。

おしっこの袋をぶら下げている。
以外に平気な人もいる中、気にする人はかなり気にします。

かわいい袋に尿のバックを入れて、車いすに吊るしたり、見えないように膝かけの下に入れたりと御家族が色々考えてくれることもあります。

もっと目立たないのが、レッグバックです。
あしに、バンドで細長い尿バックを貼りつけて、その上からズボンをはいてしまうと、まったくわからなくなります。

ただ、蓄尿量が少ないので、2~3時間ごとにトイレに行って尿を破棄しないといけませんが、トイレが近い人と変わらないので、人の目は気にしなくてもいいわけです。

管が一本増えると、それだけで動きが封じられてしまいます。

どうしたら、本人が納得できる形にできるのかは、医師も含めよく話し合って、出来れば納得できるまでちょっと待つことも必要だと思います。

ちなみに、膀胱障害は直腸障害も一緒に起こってくることが多いので、排便の方も十分観察や配慮が必要です。

親の想い。

2010-04-22 22:45:47 | 訪問看護、緩和ケア
今日ニュースで「自殺未遂をして、人工呼吸器を付けている息子を、母親が殺した。」事件の判決があったそうです。
職場で自殺未遂をした息子は、人工呼吸器を付けほぼ脳死状態でしたが、自殺未遂のため保険が適応されず、全額自費負担で1日10万、1か月で500万円かかると言われたそうです。
幼い子供を抱えた息子の妻が、「私が呼吸器をはずします!」と泣いている姿を見て、「母親の責任で私がやらなければならない。」と決意し、その日息子との思い出の写真を胸に、包丁を隠し持って病院を訪れ、胸を刺して殺しました。
その時、母親には息子の「母さん、頼む。」と言う言葉が聞こえたそうです。

法廷で、嫁は「義母がやらなければ、私がやっていました。どうか母を自由にして下さい。」と懇願したそうです。
検察官が母親に「ほかに方法がなかったんですか?」と聞くと母は「あったら教えてください。」と言ったそうです。

検察官は、きっとこの質問を一生後悔するのではないでしょうか・・・?

執行猶予の判決に、15kgも痩せた母は、何度も「ありがとうございました。」と頭を下げたそうです。
陪審員も、ともに苦悩した裁判だったようです。


どれほど息子を愛していたか、こんなニュースの断片を聴いただけでも、胸が苦しくなるほどわかります。

こんな、悲しい報道を何回聞いたでしょうか?

愛する家族を、殺さなければならない。
考えたくもないことだけれど、この社会の中で法や規則から外れてしまえば、現実に起こってくることですよね。

親は、命がけで子供を守りもしますが、親の責任で見送らなければならない事もあるんですよね・・・。


以前担当していた、障害をもつ娘さんのお母さんがよく言っていました。

「この子より先に私は死ねない。この子を見送るのが私の役目なんです。私がいない世界にこの子を置いていくわけにはいかないんです。」

娘さんは30歳と言う短い命を、お母さんがずっと頬ずりしながら終えましたが、その後1年ほどそのお母さんは抑うつ状態になってしまいました。
周りのフォローもあって、今では元気に過ごされていますが、先に見送る覚悟をしながらも、失った後の喪失感は耐えがたいものだったのでしょう。

まして、その苦しみを救うために自分で手をかけてしまったら、生涯立ち直ることは難しかったかもしれません。(いっそ一緒に死にたいと、何ども言っていましたから・・・)

ただ、状況は違っても、ギリギリまで追い込まれながらも、ふんばっている人達も多くいるはずです。
出来ることなら、何かのサインをキャッチして、なんとか手を差し伸べることができればいいと思います。
こんな悲しい報道は、もう聞きたくありません。

大往生って・・・

2010-04-21 22:47:42 | 訪問看護、緩和ケア
昔から、老衰で苦痛なく、家族のもとで死ねると「大往生でしたね。」といいます。
御高齢なので、天寿全うと言う事でお葬式も明るく、生前の思い出話に花がさいたりして、涙と笑いとごちゃまぜで、それは、決して不謹慎なものではなくて、温かいものだったりします。
でも、老衰っていったい何を指すのだろう・・??

「生体が老化し、全器官・組織に老人性退行性変化が進んで衰弱した状態をいう。」

もちろん高齢になれば、老化は起こってくるけれど、衰弱の過程にはすごく個人差があって、70代でも老衰で亡くなる人がいれば、100歳でもまだまだ元気な人もいます。

取り立てて、どこかがすごく悪いわけではなくても、ちょっと転んだことが原因で寝ついてしまって、あっという間に全身拘縮し、食事がとれなくなり、反応も鈍く寝てばかりいるようになる・・・
そして、ほんの数日でひどい褥創が出来たりするのだけれど、この過程はびっくり位のスピードで進んでいく。そういう事をよく聞きます。


ある日、デイサービスから一本の電話が・・
「○○様、デイサービスにて御逝去されました。」
「ええー?!」

朝、いつものように食事を取って、お迎えの車に車いすごと乗せられて、車からおろされ朝の健康チェックをするために看護師がバイタルを測ろうとしたらすでに呼吸が止まっていたそうです。
「大往生ですねー!」
って、思わず言ってしまいました。

まだ80才そこそこではありましたが、急激に全身の衰弱が進んでいるかたです。
御家族もよく介護されていましたが、お仕事もありかなりギリギリの線でデイサービスも受け入れてくれていましたから、本当に自然な形だったとおもいます。

本来「大往生でした。」は、見送られる御家族が言うべき言葉で、私たちから発する言葉ではないのかもしれませんが、ほとんど苦痛の表情もなく、日常の延長線上で気が付いたら亡くなっていたというのは、もしかしたら御本人も気がつかないで逝ってしまわれたのかもしれません。

老いる事イコール老衰ではありませんが、そのスピードの早さには本当に個人差があると感じています。


そういえば、デイサービスも最近は随分医療ニードの高い患者さんを受け入れてくれるようになりました。
施設によって、かなりの差はありますが、ターミナル期にあっても積極的に受け入れようとして下さる所もあり、これは本当にうれしいことですね。
反面、ショートステイで医療処置があると拒否されたり、グタグタ文句言われたりするところもあり、この辺のモチベーションの差はどこからくるのでしょうか?

リスクのある状態で預かるのは、たしかに大変でしょうし、訴訟社会で「権利」ばかりを振りかざすモンスターファミリーもいるので、いたしかたない事なのでしょうか?

もちろん、何かあってはいけませんが、不可抗力でおこる急変や誤飲などに関して、書面での確認などをすることも必要だと思いますし、「事故だ!何をしている、報告しなさい!」と騒ぎたてる行政の指導方法も問題だと思います。


ところで、昨日はめぐみ在宅クリニックの「36回在宅緩和ケア研究会」でした。

重い障害を持ちながらなお不治の病にかかり、父母に愛され20数年の短い生涯をとじた患者さんの事例を通して「苦しみ」「支え」「支えをより強くするためには?」
をディスカッションしました。
さらに村田理論から、「時間」「関係」「自律」について考えると言う事を、毎回行っています。

このなかで、ギリギリまで通所施設に通いたかった患者さん。
通わせたかった両親や主治医や訪問看護師。
通所する事が本人の支えであり、その本人の笑顔を見ることとが両親の支えでもあったわけです。
しかし、通所施設の看護師は不安が強く、カンファレンスではその不安を御家族や主治医に何度も訴えていたそうです。
そのために、「この子が行くことで、施設の迷惑になるのではないか?」と御両親はとても悩んだそうです。
医療者として、まず病状を理解し、不安を前面に出すのではなく、医師や両親と必要な医療情報を交換することが求められると思いました。

よく施設の看護師から「やったことがない。よくわからない。責任が持てない。」と言う言葉を聴きます。


在宅を地域で支えるためには、施設系のスタッフとも、もっと情報交換をしなければならないし、地域で支えるためには施設の看護師も、もっとこういう場に出てきてほしいとおもおいました。
リスクを負うことに対する、対処方法もともに考え、お互いを守る方法も見つけていかなければなりません。
実際には、いくつかの施設は頑張っていますが、まだまだ数が少ないのが現状です。

施設の門戸をもっと広げて、チーム連携の仲間として、積極的に加わってほしいと思いました。

2年の月日

2010-04-19 22:57:52 | 訪問看護、緩和ケア
今日は2年ぶりの患者さんへ訪問しました。
うちのステーションでは、管理者の私が初回訪問をして、契約などの手はずを整えると、スタッフに担当してもらいます。
スタッフが担当した後は、落ち着いていれば私が訪問することは、ほとんどなくなります。

この方、Yさんは当初今後の方針が定まらず、いつも御家族がパニックを起こしては何度も訪問し、連携室のナースとも何度もやり取りをし、それでも落ち着かずに外来での医師のムンテラにも同行し、3カ月ほどかかってようやく安定した在宅に落ち着いた方です。

2年前、本人は歩くことも話す事もままならず、奥様もストマの処置も胃瘻の管理もぐちゃぐちゃで、半固形化の胃瘻注入に2時間近くもかけ、パウチ交換では便だらけになってしまう状況でした。

さらに、指導された半固形化栄養剤は一回につき1000円近くかかり、月額10万円ちかくかかるものでした。
さらに治療方針でも家族内でもめて、電話が毎日のように掛かってきては、長い時間をかけて話し合いました。

そして、病院との話し合いの結果、再度の教育入院を経て、ご家族も納得する形で在宅が送れるようになって、2年たちました。
「お久しぶりです。お元気ですか?」
奥様が満面の笑みでお出迎え下さいました。
「おかげさまで、こんなに元気になりました。いまでは少しですが口からも食べる事ができるんです!」
御本人は、杖を使って安定した歩行でトイレに行くことができます。
表情も明るくニコニコしていました。

シャワー浴介助の合間にも、単語が結構出てきます。
「お話し、ずいぶんされるようになりましたね。」
「そうなんです。いろんなことを自分から訴えるようになりました。」

片麻痺があって、嚥下機能も構音機能も悪く、2年前は「あー」とか「おー」などで訴えていた方です。
今日は、「寒い」「もういいよ。」などと嫌な事もはっきり言えます。

着替えと処置が終わると「お父さん、歌を歌ってみたら?」と妻。
「いいよ。」と言いながらも妻が「北国の春」というと大きな声で、まったく間違えずに歌ってくれました。

「しらかば~ あおぞぉら みぃな~みぃかぁぜ~」
こぶしまでコロコロと回します。

すごい!歌が上手と聞いてはいましたが、ここまではっきり上手に歌えるとは思ってもみませんでした。
結局3曲も歌ってくれました。

2年の月日を、こんなに穏やか過ごされてきたんだと思うと、本当にうれしかったです。

これから先、まだまだいろんな事があると思うけれど、ささやかだけどこんな幸せな時間がずっと続きますようにと、心から思いました。



       ~訪問の道すがら~

お風呂とマッサージ

2010-04-18 21:27:00 | 日々のあれこれ
緊急電話も持たない休日は、気持ちも休めていいんです。

昨日は、庭仕事をしたり、家族でおばあちゃんを見舞ったり、買い物をしたりと結構忙しく、たまには温泉に行こうと言うことになり、夕飯のあと瀬谷のはずれにある「ここち湯」に行きました。

スーパー銭湯「ここち湯」は、天然温泉かけ流しと炭酸風呂が売りの、もちろん食事もマッサージもある銭湯で、娘も夫もお気に入りです。

昨日は、「マッサージしてくれば?待ってるよ。」と言ってくれたので、入浴前に予約をしておいて、足裏マッサージをしてもらうことにしました。
いや~。
お風呂上がりのぽかぽかの身体に、膝から下のマッサージと足の裏のつぼ刺激・・・
そりゃあ、気持ちいいですよ~。

家に帰って、ゴロンとしながらテレビを見ていましたが、猛烈な睡魔が襲ってきました。
眠くて眠くて、引きずりこまれる感じです。

いつもは、少しうとうとすると後はまた眼が覚めて、ブログの更新とかできるのですが、昨日はだめでした。
結局いつもより早く布団にもぐりこみ朝まで爆睡しました。

デトックス効果??

今の私には、マッサージがなによりのストレス発散、元気の素です。
その位、許されますよねー?

で、今日は一日庭仕事に精を出しました。

ちなみに、1回目の庭の蕗の収穫をしました。



これはすごくおいしいんです。

折りながらすじを取って、熱湯でさっとゆでてから料理します。
鮮やかな緑になったらざるにあげ、鍋に油をひきます。
軽く炒めてから、酒、みりん、しょうゆ、ダシ汁でコトコト煮れば出来上がりです。

タカの爪も入れると、ちょっとピリッとしてさらにおいしいです。

今の時期、結構あちこちに生えてるし、八百屋で売っている大きな水蕗よりも、香りが強くておいしいので、ぜひお試しください。

ちなみに、葉っぱも何度か水にさらしてから、味噌と砂糖で甘めに炒め煮にすると、ほろ苦くておいしいです。

来週もう一度収穫できそうなので、楽しみです。

昼はぽかぽかで、モッコウバラも開き始めましたが、夕方から風が急に冷たくなりましたね。

なかなか春になりきれない感じで、ちょっともどかしい毎日ですが、それでも花のつぼみは少しずつ膨らんでいます。
また、明日から一週間頑張りましょう!


フットケアとアロマ。

2010-04-16 23:55:32 | 訪問看護、緩和ケア
今日の月例カンファは、かねてより準備をしていた「フットケア」の勉強会がメインでした。
「フットケア」の研修会に参加したスタッフが、おもにアロマオイルを使ってのケアを紹介してくれました。
実際に、アロマオイルを入れた足浴をしたり、マッサージをしたりして、いい香りに包まれての勉強会でした

おかげで、アロマオイルがたっぷりしみこんだ私の手は、いつもはガサガサなのに、今はしっとりです。


ここで使うアロマオイルは、交じりっ気なしの100%のもので、混ぜ物がしてあるものはだめなのだそうです。

ハーブウォーターは、ハーブを蒸留した水で、粘膜に使ってもよいそうです。

実際に基剤となる蜜ろうなどに、身体にあったハーブオイルを混ぜたクリームを作ったり、石鹸を作ったりすることも出来る事を知りました。
スタッフ手作りのハーブのクリームはとてもよい香りでした。

実際、これを使って患者さんのケアをしたいと思いますが、オイルも基剤も結構なお値段なんですよね・・・・
もう少し安ければいいのですが、天然成分100%の安全なものを使うとなると、やはりかなり高価なものになってしまいます。

また、リンパマッサージなどをするときに使うクリームは、保湿性が高く安全なものを使いますが、一般的に夏場はキュレル、冬場はニベアなどを掌に500円硬貨大位だし、両手でよくすり合わせてから塗布することでよりよくなじむそうです。

足浴や入浴介助の後など、保湿剤を塗る時は、このクリームをたっぷりと使い、ゆっくりと丁寧にリンパの流れに沿って塗りますが、最後は手のひらが吸いつくように、クリームが吸収するまで塗りこむことが大切なのだそうです。

ヒエ~、アロマテラピーもフットケアも奥が深そうです。


ミニ勉強会の後は、新しい仲間の歓迎会でした。



今日は、駅に近くてリーズナブルな宴会となりましたが、おなかいっぱい食べて飲んで、楽しいひと時を過ごしました。

去っていく仲間もいれば、新しく加わる仲間もいます。

これも出会いです。

末永く、楽しい仲間でいてほしいなと思いました。

家族の医療処置

2010-04-15 22:59:28 | 訪問看護、緩和ケア
最近は、医療的な処置があっても、どんどん帰されてしまうので、在宅IVHやバルンカテーテル、人工呼吸器やPTCDなどなど、訪問看護師もいろんなことに対応して行かないといけません。

でも、頻回な訪問は経済的に負担をかけますし、緊急訪問はマンパワー的にも不足しがちです。

一番よいのは、余計なものはなるべく付けない事ですが、必要に迫られて管やら何やらが付いてくるわけですから、やるしかないのです。

で、ご家族の出番となるわけです。

退院に向けては、ある適度の事は、病院で指導を受けてきます。
ですが、退院すると「やっぱり無理です。できません。」と言う事もままあります。

家庭環境や負担の大きさ、また理解や技術的な習得が可能か、精神的な余裕があるかどうかなどを見ながら、可能な場合は御家族にも覚えていただくようにしています。

在宅IVHのポンプの操作や、それに伴う輸液剤の扱い、薬剤の混入、輸液剤の交換、アラーム時の対処方法などは、ほとんどの場合病院で何度も練習してきます。
でも、アラームが鳴るとみなさんびっくりするらしく、不安で緊急要請をされる事が多いように思えます。

在宅用にレンタルされる輸液ポンプ(カフティポンプが圧倒的に多いですが・・)で、アラームが鳴るのは輸液剤交換時の気泡が原因の事が多いようです。

冬場は特に、廊下など家の隅の寒いところに輸液を置いておいて、交換のため暖かい室内に持ってきて、薬剤を混和すると、にさらに泡が立ちます。
それをすぐに追加交換すると、輸液材に溶け込んだ細かな気泡が、ルートを通っていくうちに暖かい室内で膨張して、センサーに感知されることがあります。

一軒家は特に部屋ごとの温度差が大きいので、こんなこともよく起こってきます。
ですから、輸液を混和してからしばらく室内でつるしておいて、微小な気泡が全部なくなってからそうっと交換すると、殆ど気胞は入りません。

ルート交換や針交換も、全部できる御家族と、最初から看護師に依頼される場合がありますが、後者の方が多いような気がします。

でも、ポンプを止めて、針を抜くまでを覚えていただければ、ある程度繋がれない自由な時間を持つことが出来ますよね。
抜いている時間に入浴したり、散歩をしたり。

今、PTCDの流れが悪くなる方がいらっしゃって、何度か緊急訪問をしました。
でも、ゆっくりと生食を注入すると、自然によく流れるようになるため、これからしっかり者のお嫁さんに、PTCDの洗浄を覚えていただこうかと思っています。

ちなみに、PTCDとは、詰まってしまった胆管に管を入れて、胆汁を体の外に出すための管です。
胆汁が詰まって出ないと、どんどん黄疸がひどくなり、やがて肝性昏睡を引き起こします。

病院では、感染を起こすと大変なので、洗浄は医師が行いますが、在宅ではそんなこと言っていられないので、頻繁に詰まるようなら御家族にへの指導も在りです。

たいがい、この手の管には三方活栓と言うものがついていて、コックをひねってその向きで薬を入れたり、排液したり、流れを止めたり、流れっぱなしにしたりします。

この操作は、やはり若くてしっかりした御家族でないと、ちょっと怖いです。
コックの向きで、閉塞しちゃいますから。
で、今日はあす御家族へ指導できるように、絵を描いてパンフを作ってみました。

これは、PTCDだけじゃなくても、いろいろな場面で利用できるので、自分的には気に行ってパソコンに取り込んでみました。

何かあったらすぐ行くのは当然ですが、出来る事は御家族が対処できるようにすることも、訪問看護では重要なことだと思います。
緊急訪問、ないほうがいいですからね。(お互いのために

ただし、老老介護や御家族にその余裕がなければ、こちらで担うのは当然です。


昨日のデスカンファ

2010-04-14 22:54:00 | 訪問看護、緩和ケア
昨日のめぐみ在宅でのデスカンファの事例は、先月私がケアマネでお見送りをした独居の方でした。
一緒に頑張ってくれたヘルパー事業所のサービス担当責任者の方も来てくれました。

今後、増えて行くであろう天涯孤独、独居での看取りをするにあたって、どのようにしていったらいいのか、何が課題なのか、また生活そのものを支えるヘルパーさんから見た問題点はなにか、などに焦点をあてて話し合いました。

冒頭、小澤先生が『「デスケースカンファレンス」ではなく「メモリアルカンファレンス」と呼んでいるところもあるますが、どっちがいいんでしょうね。』とぼそっと呟きました。

確かに、「デス」は死そのものでダイレクトですが、「メモリアル」・・・
すぐ近くにそういう名前の葬儀社があって、なんか抵抗が・・・

ほかの人たちも「・・・」って感じで、そのまま次の話題に行ってしまいましたが、どうなんでしょうね?

医療者側からいえば、まぎれもない「デスケース」なのでしょうが、時に御家族もお招きしての、ここでの振りかえりに、ご家族は抵抗感を持たないのでしょうか?
なんでも横文字じゃなくて、亡くなられた方への関わりを、振り返るためのこのカンファを、もっときれいに表現できないものかな?と思ったりして・・

とはいえ、ボキャブラリーの少ない私では、思い当たる言葉もなく、やはりデスカンファになってしまうんでしょうが・・

で、今回ヘルパーさん側からの反省や今後の課題などを話してもらいました。

ひとつは、頻回な終末期の訪問にあたって、ヘルパーのレベルに個人差がある事が問題と感じたそうです。
ターミナルの患者さんに接する機会があって、きちんと向き合えて接せられる人と、経験が不足していて、どう対応したらいいかよくわからない人がいるという格差に、事前に全員で「準備」をする必要性を感じたというのです。

今どのような状態で、これからどう変わっていくのかがわからず、自分たちとしては「まだ、もう少し時間がるのではないか。」と思っていたのに、あっという間に病状が急変してしまった事に、とてもびっくりしたと言いました。

連絡ノートや、訪問先での接点では、看護師から病状経過を伝え、なにかあればいつでも連絡を取れる状況にはなっていましたが、末期癌の場合、多くはかなりギリギリまで、自立されているため、歩けなくなってからのスピードに戸惑っていたようでした。

病気や年齢などにもよって、個人差はありますが、ヘルパーさんたちが意識的に接し、経験値をあげて学んでいくことが大切だと思いました。
そのためには、事業所自体が意識的に、モチベーションを高くもっていかないと、ただただ「怖い。」とか「不安」とか「あれもできません。これもだめです」と言うことになり、ひどい時はとなりのおばちゃん状態になってしまいます。

今回、以前も一緒に独居の方をお見送りしたこの事業所をお願いして正解でした。

新人さんにはちゃんと経験値の高い方がついていましたし、ケアもよくやってくれました。

自律の強い方でしたので、ぎりぎりまで自分でなんでもしていました。
ふらふらの状態でも買い物に行き、一口も喉を通らなくても、自分で野菜を煮込んでいました。
トイレも、亡くなる2日前まで抱えられながらも行っていました。

常に、枕元にお酒の瓶と煙草を置いて、一口も飲みこめない状態でも、「燗をしておいてください」と言った人です。

それに対しても、否定をせず、本人から「もう出来なくなったので、お願いします。」と言う言葉を待って、ご希望に沿って行ってくれました。

「思いに沿う。」ことと好き勝手にさせる事は違います。

「清拭も、料理もさせてくれないので困ります。」と言う話は、この場面では通じません。

その空気を読めないと、サービス業者はプロではないですよね。

もう一つは、こんな過酷で負担の大きい仕事を、夜間まで誰がするのか、と言う事です。
当然人材確保は難しく、この事業所も先日夜間の対応が困難になりました。という通知を出したばかりです。

訪問看護の24時間も同じです。

人の善意だけでは、継続は無理です。
それなりの経費と人材育成がなされなければ、3Kだ5Kだと言われるこの仕事を、受け継いでいく人なんかごくわずかですよね・・・
それだって、どこまで、身体が持つのか…使い捨てじゃあ困ります。

ここをどうするのか、ここは国のレベルで考えてもらいたいですね。

それから、家はあるけれど最低年金程度で、生活保護には至らないが、サービスを必要なだけ使えるほどの余裕がない場合は、どうすればいいのか・・・

「家を担保にお金を借りる。」事も出来るのだそうですが、本人がそう簡単に同意するのか??
安心センターは手続きばかり大変で、ハードルも高くて、時間もやたらかかるので、身寄りがない、または絶縁状態の場合は、行政書士さんにお願いして後見人などのサポートをしてもらう。と言う話もでました。

このケースは、区の担当者がいまだに縁戚を探しては、残ったお金の管理をお願いすべく、交渉中です。
こういう場合(絶縁中の親族がいる場合)すみやかに後見人などをつけるには、何が一番イイか、どなたか教えてください。

・・と、長くなってしまいました。

明日はまた、寒いそうです.
皆様お気をつけて。


また時間が・・!

2010-04-13 23:59:27 | 日々のあれこれ
あああ今日こそは、今日のデスケースの話題をアップしようとしたのですが、先週末から3夜連続の三谷ドラマ「我が家の歴史」をビデオに撮っておいては、遅くなってから見る事ということをやっていたので、昨夜も今日も深夜になってしまいました。

普通の人たちの人生の中に、たくさんのドラマを封じ込めて、日本人が日本人だったころの、懐かしくて切ないような話に引き込まれてしまいました。

とはいっても、なんでもあり設定で、チョイ役にすごい役者さんを並べ、主人公一家以外が、歴史に残る人々っていう、とんでもない話ではありましたが、不思議と違和感もなく、胸が暖かくなるドラマでした。

そして、大泉 洋扮する『つるちゃん』

たまらないキャラクターですね。

そういうわけで、今夜はもう寝ます。
明日は、真面目に更新しまーす。