こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
看護師さんも募集中!!

看護師ブログのランキングです。ポチッってしてもらえると励みになります。(^^)/

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

母として妻として

2011-12-29 23:31:48 | 訪問看護、緩和ケア
先日、旅立たれた患者さんを振り返って、昨日スタッフと話していたのですが・・。

その方は60代の主婦で、妻として母として、祖母として現役の主婦でありました。

私たちのステーションのスタッフも、みな家に帰れば主婦でもあります。

ですから、現役の主婦として夫や子供を残して先立たなければならないと言う事を、すぐにわが身に変えて考えてしまいます。

わが身に置き換えれば、それこそ夫に申し送らなければならないことは山のようにありますし、片付けておかなければならないこともたくさんあります。
まして、子供たちの未来を見届けられないなんて、どれほどの悲しさなのかと思えば、胸が苦しくなってしまいます。

この方はとても強い方でした。
全部病気のことも、残された時間も知っていました。

スタッフとの会話の中でも、退院後まだ動けるうちに夫を伴って、近所に挨拶しながら回覧板を回した話などをしてくれたようです。
そして、通帳や保険や、細かい日常のいろいろを、夫に毎日教えながら日々を過ごしていました。

夫も、それをちゃんと受け止めて、妻の納得がいくようにしていたようです。

最後の日に、夫は衰弱しきった妻に、メモを見せたそうです。
「お母さん。今までどうもありがとう。もう、大丈夫だよ。」と書かれた紙を、妻がどんな思いで読んだのかは知る由もありません。

その話を聞いて、スタッフはみんな目を潤ませていました。

静かな別れの時間だったのでしょう。

スタッフとの話の中で、「やっぱり、ちゃんと自分の病気を知っていたから、ご主人やお子さんに伝えられたんだよね。知らなければ、伝えきれずに心が残るよね。」
「ちゃんと、子供や夫に伝えたり、身辺整理に時間が欲しいよね。」
「すごく強いお母さんだったね。素敵な奥さんだったね。」

告知は、いろんな意見があるけれど、私たちの関わってきた患者さんを振り返れば、やはり自分の残された時間を知っている方のほうが、知らない方よりもご自分の納得の行く形で過ごされているように思えます。

これから、私たちの身にも、何が起こるかわかりません。

自分だけは大丈夫なんて絶対にありえなし、病気に限らず、人生の転機にとんでもないアクシデントがあったり、家族が病気になったりと言う事も含めて、自分の人生どう生きるか考えておく必要があるんじゃないかと思います。


困った話と仕事納め (^^)/

2011-12-28 23:48:41 | 訪問看護、緩和ケア
今日、無事に1年の業務が終了しました。

座間にコストコがオープンしたので、午前中買い出しに行き、仕事納めの準備をしました。

座間のコストコ、道さえすいていればめっちゃ近いです。
国道246は混むので、裏道で行きましたが、それでも30分もかからず、帰りも20分足らずで帰ってこれました。
いままで、並木のシーサイド金沢八景店まで行っていたので、時間的にはかなり短縮です。

座間店は、規模として並木の店の3分の2くらいでこじんまりとしていて、そのせいか品ぞろえが、ちょっと少ない気がします。たまたまなのかもしれませんが・・。

今年の年末年始は、患者さんも落ち着いていて、緊急訪問も少ないと見込んでいます。

年末、排便などでどうしても訪問の必要な方のみ、担当者が手分けして31日に訪問しますが、それも例年より少ないようです。

先週までのバタバタがウソのように穏やかな年末年始になりそうです。

そんな中、連携に関する困った問題もありました。

神経系の疾患を持つAさんは、奥様も病気を持っていて、介護力がかなり不足されています。
お二人を、一緒にサポートしなければならない状況にあるのですが、どうも連携がうまくいかないようです。
担当のナースはずっと悩んでいて、いくらケアマネさんに今の問題をお伝えしても、なかなか動いてもらえず、転倒を繰り返したり、必要なサービスが後手後手になったりしています。
どうしても、うまく回らないことに、何度も目を潤ませて報告してくれます。

今日になって、妻から「4日前に転倒して頭を打ったのだけれど、傷の手当はどうしたらいいの?」と電話がありびっくり。
よく聴くと、箪笥の角に頭を打って、傷があるとのこと。
しかも、ヘルパーさんもケアマネさんも知っていて、訪問看護師にだけ連絡がなかったと言う事がわかりました。
なんで、連絡をくれないのだろう??

頭を打って、その時はなんでもなくても、実は頭の中でじわじわと出血して、時間や日が立ってから急に意識障害やけいれん等をおこし、最悪死に至るここともあるのです。
創が出来るほど頭を打ったのなら、その後の経過に十分な注意が必要なのに・・。
まして、奥様にはその観察は困難な状況なのです。
あわてて訪問すると、1センチほどの裂傷があり、カサブタになりかけているものの、まだジュクジュクしていたそうです。

どうしても、蚊帳の外に置かれてしまう感じにまた落ち込んでいる担当ナース。
若いからって、あまり重要視されていないことに、悔しさがにじみ出ます。

こういう時は私の出番なので、ケアマネさんに電話。
すると、「すみません。言い忘れていました。」と。
私「時間を置いて、頭の中に出血をして、急変することもあります。そういう情報はすぐ下さいね。」
ケアマネ「あ、あと土曜日に定期受診で病院に行って、そのこと話したら、先生がすぐにCT撮ってくれて、今のところ大丈夫そうだけれど、1か月位は様子を見ないといけないって言ってました。」と、また新しい情報を小出しに・・。
「あの・・。それも何でさっき担当ナースが確認した時に教えてくれないのです?先生が何故即CTとったと思いますか?私たち、何もしらなければ、観察もできないし、何かあった時に原因もわからないでしょう?」
「すいません。」

ベテランのケアマネさんのはずなんですが・・。

それなのに、夕方担当ナースにヘルパーさんから「頭の創の処置方法を教えて下さい。」と電話がありました。
ケアマネさんの会社の系列のヘルパーさんなわけで、そちらでは情報共有していたはずなのに、さっきまで頭を打ったことも知らされていない訪問看護師に、そこだけ聞いてくるの???

家には、ソフラチュールガーゼなどの処方があったそうで、いつもなら患者さんの処置を嫌がる事業所なのに、昨日まではどうしていたんだろうかと、それも不思議です。

で、今後の事、経済的な事、サービスの事、ご家庭としての支援についてなどを、年明けに区の担当者も含めてカンファを持つことを強くお願いしました。

そんなこともありましたが、気持ちを切り替え仕事納めです。

今年は二人のヘルパーさんが子供も連れての参加となりました。



ちなみに、今年のお勧めはこれです。



コストコのオリジナル カークランドのビール。

先日コストコ商品の評価をしていた雑誌で、見事ソムリエからお墨付きを頂いていた瓶ビール。
4種類のかなり本格的なビールが、4種類24本入って約3800円位かな。
トロットして苦みとコクのある黒ビール系から、あっさりとしたビールまで、瓶ごとぐい飲み出来る感じがいいですよ~。

うちのビール大好きナースSが、最後まで瓶を抱えていたことは、言うまでもありません。

デザートは、コストコの巨大チーズケーキ。

            

瀬谷の名店寿司竹の寿司に、サラダにパスタにプルコギビーフにと、目いっぱいお腹パンパン状態となりました。

そして、恒例くじ引きでは、私は5000円の商品券をゲットし、みんなそれぞれ大量にお土産を持って帰りました。

ちなみに、連携先の「ひとはな」のケアマネさん二人が、差し入れをもって挨拶に来てくれて、プルコギビーフを口に押し込み去っていきました。
来年は、一緒にやろうねって話で盛り上がりました。


そんなこんなで、8時過ぎにはみんなすっかり出来上がり、早めの解散となりました。

また、来年も頑張る元気が出てきました!!
仲良くワイワイできるのが、一番ですね。


時代を超えて生きる。

2011-12-26 22:42:30 | 読書、漫画、TVなど
まもなく2011年も終わろうとしています。
ステーションも、28日が仕事納めとなり、年末の休暇に入ります。

11月頃からバタバタとしていたステーションも徐々に落ち着きを見せてきました。

そして今日また一人、ご家族のもとから、あちらに旅立たれました。
強い浮腫みや、お腹の張り、通過障害などかなり苦しかったのではないかと思いますが、けっして弱音を吐かない方でした。
仕事や学校に行っているご家族を、なにより気にかけて、私たちにも気を使われる、そんな優しいお母さんでした。
本当は、まだまだ見届けたいものや、手をかけたいものがたくさんあったはずです。
もっともっと、家族のために働きたかったと思います。
ここ数日は、ずっつご家族が交代で見守られていました。
心からご冥福をお祈りいたします。

人は、皆それぞれの人生の物語を生きて、去っていくのですね。

でも、こんなふうに、思いのほか早く旅立たなければならないなんて、誰が予想していたでしょうか・・。

だからこそ、私たちも今を一生懸命生きるしかないのですね。
私が伝えたいものを、残せるように。


心が荒れたり、気持ちが落ちているときは、よい本を読むと救われます。

「風花病棟」
帚木 蓬生氏の新刊です。
10篇の短編小説集です。
心の底から、静かな感動を覚えるような、そんな小説です。

風花病棟 (新潮文庫)
帚木 蓬生
新潮社


この短編集は、皆医師が主人公です。
時に、患者にもなり、時に息子であり、時に精神科医であり、時に耳鼻科医である・・。

そして看護師も出てきます。

いづれも、医師として、看護師として凛としてまっすぐに、そして人として限りなく優しい目で人と接しています。
逃避や嫌悪などの感情を持ちつつ、あるきっかけで、気持ちがほどけていく経過が、とても優しいのです。

このなかで、「チチジマ」と言う作品と「震える月」と言う作品があります。
いずれも、戦争中の軍医であった「自分」や「父親」の体験を中心に描かれており、当時の激しい戦闘や兵隊の置かれている悲惨な描写と共に、現代に戻ってからの回想シーンなどで胸を打つ作品です。

驚いたのは、この二つの作品のなかで描かれている状況を、私は患者さんから何度も話して聞かされていたのです。

以前何度か私のブログ記事にした患者さんの戦争の話と、びっくりするぐらい酷似していたのです。
ああ・・
本当にSさんは、すごい戦争体験者なのだなと、そして数少ない生き証人なのだなと思いました。
Sさんは97才ですから、お仲間の多くはすでに他界されていて、こういう話を直接聞くことが出来る私は幸せだし、こういう話は絶対に後世に残さないといけないなと、強く思いました。
われながら、何年かブログをやっていて、いつSさんの記事を書いたかは覚えていません。
(今探すのも面倒なので・・)
ただ、彼の満州での出来事や、トラック島で終戦を迎えた時の話を記事にしたとき、私の意に反して右翼関係の方なのかわかりませんが、勝手に日章旗で囲まれたブログに転載されていたことがあり、激しい怒りと衝撃を覚えたことがあります。

Sさんは、今でも「あの戦争は、若者の60%を餓死させた。戦争は絶対にしてはいけない。二度と、武器を持ってはいけない。」と言います。
それを、捻じ曲げられた気がして、しばらく憤然として過ごしたことがあるのです。

小説の舞台はチチジマでしたが、当時Sさんはトラック島にいました。
一個中隊で、彼は軍曹だったようです。
48人中28人の部下を、トラック島で失った悔しさを、彼は忘れてはいません。
島の周囲を米軍艦隊に囲まれ、兵糧攻めの状況で睨み合っていたそうです。
でも、日本軍にはもう何もない。
食べるものはなく、じゃんけんで負けたものが、雑草を食べなんでもなければ皆が食べる。
そんななかで、早朝そーっと魚を捕りに入り江に入ろうものなら、どこからか一斉に射撃されるという状況だったそうです。
そして、重度の栄養失調で部下が死んでいく。
しっかりしろと、残り少ないコメを炊いて食べさせようとすると、あるものは口に押し込み、「これで地獄にい行けます。」と死んでいき、あるものは「私はいいから、仲間に・・」と言って死んでいったと言います。

やがて、日本が敗戦し、島に米軍が上陸してきたとき、Sさんはびっくりしたそうです。
突然米兵が「もう、戦争は終わった。私たちは仲間だ。」と言って手を差し出したと言います。

この話を、私はSさんから何度も聞かされていました。

ですから、この小説のいたるところに、同じような場面を見て、なんだか映画を見ているような臨場感があったのです。

人が生きることも、死ぬことも、偶然のいたずらで変わることがあり、そのために子々孫々の運命まで変える可能性もあるということ。
その中で、何を感じ何を学び、何に生かすのか。

ほかにも、アルコール中毒の患者と、その主治医の物語も涙が止まりませんでした。

年末年始、簡単に読める一冊です。
一押しですので、ぜひご一読してくださればうれしいです。

小舟

2011-12-25 19:25:39 | 日々のあれこれ
ここ数日、更新をさぼってしまいました。
やっぱり、気持ちの上で文を書くことに集中が出来ません。

仕事の上のことなら、それも話題になるのだけれど、個人的なことでのもろもろが、まだ自分なりにうまく受け止められないでいます。

相手の言葉に一喜一憂している私は、浪間の小舟です。

「大きな壁であれ。何があっても、受け止められる壁であれ。」
 どこかで叱咤激励する声が聞こえます。


私は、いつも周囲の人々に救われて生きてきました。

だからこそ、人も救いたいと願っています。

仕事は、その想いを叶えてくれる場所です。
出会いも、別れも、悔しさも、悲しさも、みな大切な宝物です。

だから、一生懸命仕事をする。

でも、一人の母に戻った時に、私は波に翻弄される、ただの弱い人間となってしまいます。

この苦しみが、いつか大きな喜びに変わりますように。

この悲しみが、いつか誰かのために生かされますように。

それまで、私は強く、大きな壁になろうとおもいます。

踏ん張って、濁流も受け止めて、その壁の中にゆっくりと吸収できるように・・。

それが出来たら、私たちの苦しみは、きっともっとたくさんの人の苦しみに、近づけるのかもしれません。


なので・・・

これからも、心のままに、無理をせずに、出来るときに更新します。

今は、長いトンネルの中に迷い込んでしまいました。

でも、ずっとずっと先に、小さな光が見えるのです。
明るい春が、待ち遠しいです。

苦しくても、逃げない。
きっと・・。




お看取りをして。

2011-12-21 23:29:23 | 訪問看護、緩和ケア
ステーションは、相変わらずバタバタとしています。
昨日も、お一人ご家族に囲まれて旅立たれました。

今年の5月から、うちに就職したナースが訪問中の出来事でした。

ケア中に呼吸状態がさらに悪化して、やがてご家族の見守る中での呼吸停止となったようです。

それから、担当ナースやドクターにも連絡し、ステルベンケアまでを一生懸命やり遂げた新人ナースS。
ステーションに帰ってから元気がありません。

「どうしたの?よく頑張ったね。」というと、うるうる。

自分がケアをしている最中に、患者さんの呼吸が抑制された事。
そのために、お孫さんが一人間に合わなかったことを、気にかけているようです。
病状から言って、ケア中に呼吸が抑制されるのは予測できたのに、初めにそのことをご家族に伝えるべきだったのに・・と後悔していました。
でも・・
ご家族はよくわかっていたのです。
そして、とても感謝してくださっていて、特にご高齢の奥様は「もしかして、ケア中に亡くなったこと、気にやんでいませんか?それなら心配いりませんよ。こんなにきれいにして下さって、ずっとやさしくしてもらって、本当に感謝しています。」と声をかけてくださったとか。
新人ナースSは、「患者さんのご家族に、そんな気まで使わすなんて、私・・」と相当凹んでいます。

でも、こういう事にすぐ気が付いて、そんな風に反省できるなんて、彼女はすごく素敵な看護師さんだなと感心しました。

だって、こういう事も全然気が付かない人、たくさんいると思うのです。

たしかに予測的なお話しは、しておいた方が良かったと思いますが、反省の上、これからの訪問に生かして行ければ良いと思います。
だからといって、この旅立ちは自然な経過であることも理解してほしいのです。
生活の中で旅立つと言う事は、そういう事もあるのだと言う事を、受け止めなければならないのですから。

一生懸命で、真面目でとても優しく患者さんと接することのできる彼女は、とても素敵なナースです。
これからは、そこにとっさの判断力と強さも持ってほしいし、自分で抱え込みすぎたり、自分を責めたりしないで、大らかな看護感も持ってほしいなと思います。

一緒にステルベンケアをしたベテランナースSも、叱咤激励したりご家族の気持ちを伝えたり、一緒に気持ちを持ち上げるように接してくれていました。

ここに来てから、いきなり終末期の患者さんに接するようになり、出会いと別れを繰り返してきたなかで、随分といろんなことを経験して吸収してきました。

一人一人とじっくり関わるのが、うちのステーションの方針です。
ですから、彼女のように真剣に患者さんお声に耳を貸し、なんとか力になろうとする気持ちはとても大切なのです。

これでまた一つ、成長できたというものです。

うーん。強い見方がスタッフに加わったな~。感謝。

バルン交換がネック

2011-12-20 20:49:16 | 訪問看護、緩和ケア
バルンカテーテルに関しては、いろいろなハードルがあります。
在宅ではバルンカテを使用している患者さんが多い割に、このおかげで色々なトラブルが起こってきます。

バルンカテーテルと言っても、在宅でいうバルンカテは膀胱用のものです。

何らかの障害や全身管理の目的で、膀胱に管を留置するもので、その管が抜けないように膀胱の中で風船を膨らませて固定します。

このバルンカテの管理は、男性は医師が入れ替え、女性は看護師が入れ替えるのが通常ですが、在宅では医師の指示があれば、男性のバルンカテ交換を看護師が行う事もあります。

交換の目安は、ラテックス性のカテーテルでは2週間ごと、シリコン製では1か月ごとが一般的です。

ちなみに、尿は貯留バックに貯められますが(バックの形態もたくさんあります。)一日1回は定時に破棄します。
尿量や性状を観察しやすく、オムツ交換は便のみの管理なので、家族としては「楽です。」と言う言葉もよく耳にします。
でも、実際膀胱に異物が入っているわけで、カテーテルなど入れないに越したことはありませんが、総合的な判断での使用が必要です。
管の交換は、医師か看護師しか行えないものですが、長く使っているといろんな問題が起きてきます。

一番問題なのは、尿路感染。
本来無菌的な膀胱に、外界とつながる管が入っているので、時にバイ菌が入って、膀胱炎や酷ければ腎炎なども起こすリスクがあります。
ですから、陰部の清潔を保ち、管の管理も十分注意が必要です。

そして、よくあるトラブルとしては、自然抜去とそれにともなう裂傷や損創でしょうか。
何年も前ですが、半年ほどバルンカテを入れ、寝たきり状態の患者さんの訪問で、びっくりしたことがあります。
なんと、管の挿入してあるペニスの先端からペニスの付け根まで、見事に裂けてたのです。
長い時間の中で、少しづつ開いていったと、妻は言っていましたが、これは尋常じゃないですよね。
いわゆる魚の開きの様相を呈していたわけですが、ご本人は痛みもなく平気な顔をしていました。
確か尿路感染がなかなか改善しなかった記憶があります。

そこまで行かなくても、挿入部に潰瘍が出来たり膿がたまったりすることも時々あります。

動きの多い方は、どうしても引っ張ってしまうので、固定の仕方に工夫が必要です。

それから、女性に多いのが自然抜去です。
特に何もしていないのに、管がスルッと抜けてしまう。
先端は、きれいにバルンが膨れたまま・・。

女性は尿道が短いうえ、長期の使用で、尿道の括約筋が弱ってしまい、抜けやすくなってしまう方がいらっしゃいます。

最近、ある女性の患者さんが、時々抜けるようになってしまいました。

先日は、デイサービスで抜けてしまい、ご家族から「入れに行ってください。」と電話が来ました。
でも、残念ながら介護保険で利用している施設には、介護保険で入っている訪問看護が行って活動するわけにはいきません。
その日は、デイサービスが泣く形で、途中から自宅に帰り訪問看護の緊急訪問での入れ替えとなりました。

そして昨日、今度はショートステイを利用中です。
夕方、特養からご家族連絡が入り、ご家族から緊急連絡がありました。
「ショート先でバルンが抜けたので、訪問看護師さんに入れに来てくれるよう言われました。」と・・。

こちらからショート先に連絡すると、特養の看護師が「うちでは入れられないことになっていますので、訪問看護師さん、入れに来てください。」とのこと。

介護保険サービスでは、それは出来ませんから、ショートで看護師さんがいるならそちらでお願いします。と言いました。
「え~?出来ないんですか?」「だって、介護保険重複して使用は出来ないことになっていますよ。どちらかは、請求できなくなりますよ。」
結局すったもんだの上、施設での入れ替えをお願いしました。

実際、法的には主治医からの指示があれば、施設のナースがやっていいことになっています。

ですが、現実は・・

①老健では看護師が常駐しているが、特養では看護師が定時でいなくなってしまう。
②看護師はいるのに、施設の方針で施設の看護師は処置をしてはいけない事になっている。
③もし抜けた場合、家族対応で病院へ搬送し、そこで入れ替えてから施設に戻る。

でも、在宅医しかかかっていなければ、最寄りの病院はなく、かといって男性の医師にバルン交換は双方困るかも・・・(そんなこと言ってる場合じゃないですが、心情としてはお互いそんなものです。)

それに、在宅支援診療所ならまだしも、そうでない往診医は時間外につかまらないことだって多いのです。

最悪、訪問看護師が保険外の10割自己負担で訪問するか、もっと危ない橋を渡るか・・って。
そういう事は、出来る限りしたくないですね。

とにかく、バルンをちょこっと入れ替えるだけで、やたら面倒なことになってくるのです。

今回、固定液を5ccから10ccのものに、変えて頂けるよう交渉中で、主治医もそれを探してくれています。
在宅支援の先生なので「ショート中はこちらでの対応がスジなので、こちらで何とかします!
」と言ってくれてますが、こういうのってなんとかならないのでしょうかね・・。
どうして、施設の看護師がこんな簡単な処置をしてはいけないのか・・?

医療事故が万が一起った場合の保険料の問題とか、看護師のスキルの格差の問題とか人手不足の問題とか、いろいろな理由があるのでしょうね。
でも、これからもっともっと医療ニードの高い方が増えるわけで、そういう受け皿を増やす意味で施設の乱立を許可しているのなら、そのへんのフォローが出来るような体制を指導してもらわないと、在宅は進歩できないと思うのですが・・。

死出の準備

2011-12-18 15:14:02 | 訪問看護、緩和ケア
間もなく23年も終わろうとしています。

この一年のなかでも、たくさんの患者さんやそのご家族と出会い、お別れをしていました。

うちの事業所は、在宅緩和ケアを必要とする方が多く、死への需要が大きな課題となります。

ほとんどの患者さんは、診断と同時に、病名の告知を受けられています。

そして、抗がん剤や放射線治療、手術など積極的に戦う方や、自分はもう一切積極的な治療はせず、民間療法などの自然療法をしたいと願う方など、ご自分の意思でご自分の治療法を選ぶようになってきました。

ですから、聴いたことのないような民間療法や、高額な免疫療法から、食事療法や何もしないでいつもの日常を過ごされた方も含め、次はどこでどのような旅立ちをするかを自分たちで決めていただくことになります。
戦い方は多種多様ですし、戦わない道も多種多様と言う事です。

緩和ケアは、その最終段階といえるケアとなりますが、緩和ケアを受けながらも戦う意思のある方多くいらっしゃいます。
現在の、ホスピスの多くは、何故だか「告知されていること。積極的治療はしない事。延命はしない事。」という条件が付いて回ります。

でも、なんだかそれでは緩和ケアって、一部の人しか受けられないような気がします。

「腎瘻やPTCDなどのチューブが入っている患者さんが、ホスピスを希望した時に、チューブトラブルがあっても入れ替えは出来ません。
重度の貧血があっても、輸血はしません。
緩和目的としかいいようのない抗がん剤でも、使用はできません。
何が何でも、告知は必要です。」


みたいな縛りがあるところが多くて、ホスピスでの穏やかな最期を希望しても、入れない方が実は多くいるのです。

今年も、腎瘻の交換をしてくれるホスピスを探して、やっと見つかりましたが、高齢のご家族が見舞いに通われるのには、金銭的にも体力的にもかなり大変でした。
とはいえ、この方はそのホスピスで本当に良いケアを提供して頂き、穏やかに旅立つことが出来ましたから、それでも幸運だったと思います。

そういう理由も手伝ってか、この地域では連携室の力もあり、在宅緩和ケアに繋がる方が多いのです。

それでも退院時は、いつかはホスピスか緩和ケアを希望されるかたが多くなってきています。
理由の一つは、家族への負担をかけたくない。というご本人の思い。
次は、ご家族の「最後までみる自信がない。」「苦しむのではないか」という不安。
もう一つは、ご本人の医療者が常いいるという安心感。
でしょうか。

そういう気持ちは、最初に確認させていただき、在宅療養の開始と同時にホスピスの面談もお勧めします。
そして、実際療養が始まり、訪問診療や訪問看護、福祉用具やいろいろなサービスがうまく回り始めると、「こんなに在宅療養が充実しているとは思いませんでした。これならば、最後まで見送ることが出来ると思います。」という言葉が聴かれるようになります。

状況の説明をタイムリーのお伝えすることと、近い将来の予測をお伝えすることで、ご家族も冷静に対応することが出来るようになるのです。
もちろん、苦痛は最小限に留めるよう、緩和ケアのお薬はきちんと処方されますし、予測指示のおかげで、無駄に苦しむ必要もないのです。

このお薬は、麻薬や非麻薬の鎮痛剤、それに神経系に作用するお薬などで、いろんな形態がありますので、その方に利用可能な形で処方して頂きます。

ただ、麻薬に関してはご本人、家族共にきちんと理解ができないと、使用方法を間違ったり、苦痛が取れないなどの弊害もあり、病状説明と共に開始と同時に説明がなされます。

多くの方が、麻薬に対して怖いと思ったり、「これを使うようになったら、お終いだ。」と思ったりしていますので、かえって苦痛なく過ごすことで良い時間を長く過ごせることをお伝えします。

そういう中で、きちんと告知をされた方は、最初の悲嘆の時期を過ぎれば、次に自分がなすべき事に、集中して動かれることが多いようです。

余命のなかで、身辺整理の時間を作りたいと、ほとんどの方は訴えます。

数年前、私が直腸腫瘍の手術を受けた時も、組織結果が出るまでの間、子供たちに何を残せばいいのかを真剣に考えましたから、やはりそれは皆考えることなのでしょうね。

「身辺整理の時間をください。」
それは今年になって、何度も聞いた言葉です。

やがて、それが終わるとほっとした顔で「これで、思い残すことはありません。後は、苦しまないようにお願いします。」と言われたりします。

そのなかで、今年夏に旅立たれた若いお父さんの事が忘れられません。
もう、あと数日と聞いた父は、娘と妻と母を呼んで、一人一人に別れの言葉をつげ、そして一人一人に自分の心臓の音を聴かせました。
父は生きてここにいた事。これからの人生を、まっすぐに生きて行ってほしいこと。
そして、妻に「愛しているよ。」と。

日本人は、あまり言葉に出して感謝や愛情を表現することが苦手です。

今まで言えなかった言葉を伝えること。

死出の準備は、残される者たちへの、永遠のメッセージを告げることなのかもしれません。




生きている限り・・

2011-12-17 23:59:38 | 日々のあれこれ
思えば、この年までいろいろなことがあったなと思います。
昭和30年代なので、平和な時代を生きてきたのだとは思いますが、我が家はどちらかというと貧しい家庭だったと思います。
何しろ、父親はちゃぶ台返しをやっていた人なので、母がそれは苦労して私たちを育ててくれました。

子どもの頃の私は、優しい父親がいて、文化的な生活のなかで、パパとかママとか言ってかわいい洋服を着て暮らすことが憧れでした。
そうは言っても、昭和30年代はどの家庭もそんなに大きな違いはなくて、近所の家でいつの間にかご飯食べているのが当たり前の時代ですから、もしかしたらいい時代だったのかもしれません。

父親の傍若無人な振る舞い以外は、母のおかげで結構たくましく育ったのだとおもいます。

高校卒業と同時に寮生活となり、そこからは一人で何でも決めて、親に頼らないで暮らせることが出来るようになりました。
横浜の看護学校で、アルバイトと奨学金をもらって寮生活をしながら、青春時代を過ごしました。
若かったので今思えば無茶もしたし、よくもあんな危ないことをして無事だったなと感心することもありました。
そして、恋をして失恋をして、また恋をして・・
失恋は本当に苦しくて、泣いて泣いて、じっと時間が過ぎるのを待っていたような気がします。

いろんなことがあって、たくさんの人と出会って、たくさんの人と別れて・・

だから今、私はここにいるわけで、この家族を持つことが出来て、この仕事についています。

思い起こせば、すごく苦しかったこと、すごく辛かったことを、とにかく耐えて乗り越えてきたことが、今の自分にすごく生かせているのだと思います。

だから、今苦しんでいることは、きっとこの先の私の人生に必要な事なのだと思うようにしています。

今の苦しみに出会ってから、私自身のなかで全く知らなかった世界が広がりました。
そうだったのか・・・
何でこんなことが、わからなかったのかと・・


そして、それは今いっしょに苦しんでいる娘にも当てはまることだと思うのです。

絶対に、今の苦しみの先に素敵な未来が待っていると。

今の苦しみは、きっとたくさんの経験をさせてくれるし、心の糧となり人としての糧となり、将来の人生のなかで、今度は誰かのために役に立つと思うのです。

今日、買い物へ行く車の中で、娘がpodで聴いていた歌。
一緒に口ずさむ歌の中で、私の大好きな歌があります。

娘が歌っているその歌詞を聴きながら、やっぱり涙が止まらなくなってしまいました。

私は、こうして言葉にして想い綴ることで、自分の心を整理しています。
表現するということは、自分を振り返ったり、自分を理解するのに一番有効な手段だと、最近つくづく思います。

我が家の子供たちは、どうも自己表現が苦手なようです。

もう少し自分自身の思いを、上手に表現できたら、抱えている苦しみもずっと楽なるだろうと思います。

歌は、人の心の代弁者なのだと思います。

だから、人は自分の心に歌の歌詞を重ねて、涙を流すのでしょうね。









年末はいつも。

2011-12-16 23:55:18 | 訪問看護、緩和ケア
師走の冷たい風の中、毎年押し出されるように退院される方がいます。

そして、急激な寒さの到来もあってか、年末年始に旅立たれる方も多いように思います。

ずっと生死をさまよっていた患者さんも、今朝がたスッと旅立たれました。

随分長いこと危篤状態が続き、ご家族もかなり疲れていはいましたが、長年本当によく介護されてきたことで、悲しみと同時に、しっかりと親を見送ったという達成感をもたれていました。
「やれるだけにことはやったし本人も十分頑張ったから、涙はもう出ないです。」
と、落ち着いて話されていました。

小さくなってしまったお体に、昔よく着ていたという小豆色のモダンな着物を着せましたが、これがなかなか難しくて、タオルを巻いたりしながら、着せ終えた時には汗だくでした。
それでも、娘さんが半襟も付け、すぐに着付けられるように準備していて下さったので、とてもありがたかったです。

約束どうりケアマネさんも早朝電話を入れたら、頑張ってきてくれて、一緒に手伝ってくれました。

福祉系のケアマネさんですが、何でも笑い飛ばしながら困難事例でも前向きに体当たりしているケアマネさんです。
実際、ケアマネさんで時間外に亡くなられたときに駆けつけるケアマネさんは、意外に少ないものです。

深夜、早朝のステルベンケアで、一緒に出てくれるケアマネさんは、W事業所のケアマネさん以来始めてのような気がします。

彼曰く「いやー、ケアマネとして一度は経験しておかないと、ご利用者さんにちゃんと説明できないしね~。でも、ここ数日のドキドキ感は何とも言えなかったですよ。いつ電話が来るかって。今回のことで、訪問看護師さんの大変さもよくわかりました。いや~すごいっすね!!」とのこと。

何だか、わかってもらって私も嬉しかったです。

夕方定例カンファがあったのですが、NSTの勉強会に参加したスタッフからのミニ伝達講習から始まりました。
これもすごく面白かったです。
栄養に関しての最新知識を伝達してもらいました。
そのあとは、大塚製薬のかたから「OSワン」のミニレクチャーがありました。
これも、改めて聞くとなるほどと思う事が多くて、よかったですよ。
サンプルの「オーエスワン」以前飲んだ時はしょっぱいし変な味!!まずっ!!という感じでしたが、今日は何だか美味しく感じます。
塩気もそんなに強く感じないし・・

脱水気味だったり、風邪などで具合が悪い時などは、美味しく感じるとのことで、夕方お茶も飲まずにカンファが始まったため、みんな疲れていたんで法ね。
「あれ!意外と飲める。」という声が半分以上聞こえました。

ポカリと違うのは、塩分や電解質の量が多いこと。塩分はポカリの2倍強あります。
逆に糖分、カロリーは低いです。

ソリタT3とほぼ同じ組成とか。
脱水や発熱、下痢などの場合、点滴を安易にする前に、1本ゆっくり飲ませてみようと思います。

ただし、塩分量が多いので、高血圧・心臓病・腎臓病など塩分制限がある場合は飲ませません。

また、身体組成にちかく、吸収して取り込まれやすいのでゆっくり100MLを10分の目安で飲めば、ほとんど無駄にならず身体に取り込めるのだそうです。

水や薄いポカリなどでは、おしっこに出てしまって元の木阿弥ですが、オーエスワンはおしっこにならず体にキープされるらしいです。

というわけで、今日も盛りだくさんの色々がありましたが、もう睡魔が来りて笛を吹いています。
それではおやすみなさい。

す・・・すごい生命力

2011-12-15 22:32:51 | 訪問看護、緩和ケア
ご高齢で、ずっと介護をされてきて、いよいよなにも受け付けなくなったとき、一切の延命治療をやめて、自然なかたちでお看取りをすることは良くあります。

在宅では、いわゆる老衰の患者さんに関しては、多くの方が介護の経過の中で、そうすることを望まれます。

私たちも、そうすることが一番体にご負担の無い、穏やかなお見送りとなることを経験していますので、その間は、ご家族が静かに見守ることが出来るように支援します。

たとえば、同じ状態で点滴をずっとされている方よりも、何も余分なものを入れない方とでは、何もしない方のほうが、穏やかな表情をキープされますし、どちらかというと長くご存命されると感じています。

ですから、老衰の方で延命を希望されるのなら、逆に何もしないほうが良いのではないかと思ったりもします。

今数人のかたが、いつ旅立たれてもおかしくない状態にあります。

おかげで、緊急当番の私は、毎夜いつ呼ばれるかわからない、落ち着かない夜を過ごしています。

今日も早朝の電話が鳴った時、私の担当の方で、すでに何もいれずに1週間以上頑張っている患者さんかと思いました。

でも、電話の相手は違う患者さんのご家族でした。
早朝に、ご家族の傍で、静かに息を引き取られたようです。
この方も、同じくらいに状態が悪化していた方ですが、昨日までお話しもしていたし、一口ずつでもスープなどを口にされていた方です。
もう余命がわずかしかないことを知り、ご家族が病院から連れて戻られました。
家に帰れたことを、とても喜んでいたかたです。

担当ナースが、エンゼルケアに訪問してくれたので、私は自分の患者さんからの連絡を待っていました。

その方は、前日すでに血圧も80を切っていましたし、何より無呼吸が頻発し、足にはチアノーゼも出ていましたから、医師の見解でも一両日のお別れとしていました。
でもその見解は、1週間前から同じで、毎日「今日か明日・・」と、ずっと寄り添っていたご家族はかなり疲弊されてます。

血圧は70~80の触診だし、SPO2も70~90台と幅があります。
意識はすでに全くなく、ただ休み休み呼吸をしています。
その状態で1週間。でも、そのかなり前から衰弱があり、水分もろくに入っていませんでしたから、予備力は全くない状態です。

もともと小さな身体は、ますます小さくなってご家族も「もう頑張らなくていいよ。」と声をかけています。

今朝も、ご家族から「呼吸を休む時間はまた長くなったけれど、ほかは変わりありません。今日は一人で見ていられます。」との連絡。


ウーン。さすがにその生命力にびっくりです。
主治医も「こんなに頑張る人は、珍しいね。」と言うほどで、ここまで頑張れる力は何なのだろうかと考え込んでしまいます。

ご家族も「何か思い残すことがあるのかしら??みんなにも逢えたし・・。何か分かればいいのだけれど・・」と、寝不足で腫れてしまった顔をひねっていました。

若い人がこの状況なら、もうとっくにダメかもしれません。

驚異の低燃費と、循環器系の強さ??

さすがに、かわいそうなほどですが、それでも命の灯は一所懸命消えないように頑張っています。

今夜も、まだ連絡がありません。
もしかしたらまた明日も頑張って生き抜くのかもしれないと、半信半疑で思っています。

実は今日も、もうお一人かなり危険な状況になってきていますので、そろそろ寝ないと、夜中に起きるのが辛いので寝ます。
ちなみに、ケアマネさんが一緒にステルベンケアをすることを志願していますので、ちょっとかわいそうだけれど、夜中に電話があれば、起こしちゃいます。
「僕が手伝います!起こしてください!」と言っていましたので。

少しは、24時間対応の訪問看護師の苦労を分かって頂けるかもしれませんね・・。

地域連携としてのリンパ浮腫のケア

2011-12-13 22:39:12 | 訪問看護、緩和ケア
先日の勉強会「リンパ浮腫のケア」で、治療をお願いしていた患者さん。
一度のリンパドレナージュとバンテージの使用、そして生活指導と特別のマットで、一時は浮腫が全く消えてしまい驚きました。
しかし、その後バルントラブルやらなんやらで、再び下肢がパンパンになってしまいました。

もちろん、自宅でのケアとバンテージ、五本指ソックスは継続中でしたが、ご本人も奥様もちょっとお疲れモードです。

今日は、かねてよりのお約束で、担当ナースと私がリンパ浮腫外来に同行し、リンパドレナージュとケアを実際に教えていただき、在宅で継続するための手技指導を受けてきました。

病院の奥にひっそりとある看護師の外来「リンパ浮腫外来」

Mさんは、奥様と二人で来ていました。

外来に入ると、まずズボンを脱いでパンツ1丁になります。
そして、写真を撮り前回との変化を観察し、浮腫の状態を診断して頂きます。

それから、施術の診察台に乗り、下肢を圧力マットに拳上する形で横になり、バスタオルをかけて開始になります。今回もニベアをたっぷり使用します。

施術をしながら、毎日の生活の状況などを聴き、アドバイスをしながら行っていきます。

まずは、背部の浮腫の状況も確認し、肩回し、腋下のマッサージ、側腹部。

それから、大腿部の揉みほぐしの手技。
皮膚だけを動かしながら、徐々に膝へ、下腿へ、足指へと移動します。

途中、何度もうちの担当ナースの手を取って、力の入れ具合や圧力のかけかたも熱心に指導して頂きました。
私は、患者さんの許可を頂いて、ビデオを撮りながら復習をしていました。

Mさんは、もう眠そうにしています。

そして、今までのバンテージとは違う、もう少し圧力のあるバンテージを、リンパ浮腫の強い足にはかせます。
その上から、さらに収縮力が強めの、厚手の包帯?を巻いていきます。
さらに弾性包帯を巻き、その上からもう少し幅広の弾性包帯を重ねて、5本指ソックスもはかせて終了です。
この時の、力の入れ具合や包帯の巻き方、締め具合もしっかりと体で覚えていきます。

このかなりぐるぐる巻きの右足で、なるべく動くことが伝えられました。
この状態で出来れは明日まで、辛ければ今日ほどいても良いのだそうです。

これをほどくと、かなり浮腫の軽減するし、すごく気持ちがいいのよ、とのとこ。

これでかれこれ1時間びっしりの施術となりました。

出来れば、この手技がOKならば訪問看護で継続して、その後評価の上ストッキングに移行の予定です。

この病院では、外来での施術自体はなんと無料です。
普通医療リンパセラピストに1時間も施術してもらったら、1万円位かかっちゃうかも・・。

でも、ここはバンテージや弾性包帯などの実費だけです。

有り難いのだけれど、なにせこの病院におかかりの患者さんだけなので、これはもう技術を覚えて行くいかない状況です。
それでも、アドバイスは頂けますので、本当にありがたいことです。

今日撮ったビデオと、先日購入したセラピスト近藤さんの本とDVDをみながら、ステーションでの伝達講習と練習を行います。
この包帯法は、担当ナースが週に2回継続して、1月に評価をして頂けることになっています。

とにかく実際頑張ってやってみるしかないですね。
担当ナースの腕の見せ所となります。

私は、このあとも地域連携室で相談予定の担当ナースを残し、今度は嚥下機能・栄養評価の担当者会議に出席しました。
医師、歯科医師、ヘルパーサ責、ケアマネ、福祉用具、訪問入浴、私たち、クリニックナース、そして主治医が送迎のご本人そろっての会議でした。
残念ながら、担当の管理栄養士さんは、講義のために欠席でしたが、今回はCV抜去にむけての熱い討議となりました。

他にもなんだかんだと、忙しい一日ではありましたが、少しづつでもいろんなことが進んでいくのなら、それはすごくうれしいことだな、と思います。

なんでも積極的に関わりながら、自分たちも成長して、患者さんも良い方に向けると一番いいですね。


看取りの医者って・・

2011-12-13 00:04:04 | 訪問看護、緩和ケア
今日、テレビドラマで「看取りの医者」って言うのをやっていました。

大竹しのぶが主演なので、結構期待してみちゃいました。

4年ほど前でしょうか、めぐみ在宅クリニックの小澤先生をNHKスペシャルがドキュメントで追っていて、その時のナレーターが大竹 しのぶさんでした。

このなかで、私がケアマネをしてうちのスタッフが担当し、1月元旦に旅立ったおばあちゃんの、看取りの瞬間のときのときの何とも言えない間が忘れられません。
あの時のおばあちゃんのお孫さんは、いまだにメールをくれます。

しかも、彼女は実際ご主人を癌で亡くされていますよね。

話は、なんだかバラバラした感じで始まって、現実的なようで??と思うところも多かったのですが、言わんとしているところは、やっぱり同じだなと感じました。

実際は、在宅でのお看取りは、もっといろんな人が関わることが多いですし、ドクターだけでは難しいのが現実です。

せっかくすごくいい俳優使っているのだから、脚本もうちょっと深く出来れ良かったかなと・・。

だって「風のガーデン」すごかったから・・・。
もう、何度もうなずいちゃいましたよ、リアルな場面が多いし、心の機微がすごかったですから。

今回も、息子さんをなくすシーンでの大竹しのぶさんは、やっぱりすごいなと思いました。
回想シーンのなかで、危篤状態の息子を「おうちへかえろう」と泣きすがる姿は、胸が痛くなるような場面でした。


それにしても、なぜ今「看取り」のドラマ?
って言うのが率直な感想です。

だって、これまでほとんど知らない世界で、まったく相手人されなかったと思うのですが・・・


ここまでやったら、訪問看護師さんの活躍するドラマも作ってほしいなと思います。
ちゃんと、リアルに、在宅現場の問題点を解決できるドラマが出来れば、世の中の人にもめっちゃいい情報提供になると思います。。。

ところで、緩和ケアと言えば「告知」を論議せずにはいられませんね。

以前の私の記事「54回めぐみ在宅クリニック」のコメントに、なかなか厳しい意見がありました。

緩和ケアを始めるに当たり、私たちは病気に対して、どうあるべきかをぜひコメント欄をご一読くださいね。

緊急当番中です。

2011-12-11 20:35:49 | 訪問看護、緩和ケア
終末から緊急当番ですが、うそみたいに電話が鳴りません。

かかってきたのは一度だけ、それも緊急訪問には至らず、電話対応だけで済みました。

でも、木曜と金曜に私が急遽お休みをいただいた間に、状態が悪化している患者さんがいます。

月に一回だけですが、私が訪問している患者さんです。

電話をかけてみると、小康状態ながらすでに意識もなく、酸素とお薬で眠っているとのこと。
ご家族のご希望で、今日訪問しました。

娘さんは、だいぶ泣かれたのでしょうか。
瞼が腫れて「泣いてばかりいるから、こんなになっちゃった。」と寂しげに笑っていました。

もう、長いこと介護をされてきました。

ほとんど寝たきりでしたが、細やかに丁寧に介護されてきました。

若いころは、親子関係で悩んだこともあったようです。
でも、今は生活の中で介護をすることが生きがいのようになっていました。

ずっと介護抵抗があって、手足をばたつかせたり、介護者の手をひっかいたり振り払ったり・・・
そのうえ、自分の身体を掻きむしってしまうので、両手を抑制するしかない状況でしたが、いまやっと抑制もほどくことが出来て、穏やかに寝息をたてていました。

娘さんは、介護にはこだわりがあって、お母さんのお部屋はこだわりの物品やレイアウトがされていて、サービスも納得いくまで探しました。

最初は私もすごい介護抵抗にあいましたが、このところはずっと私の訪問には拒否もなく、穏やかで手のひらを撫でているとすやすや眠ってしまいます。

私には、表情が穏やかとか、怒っていないな、とか今日は機嫌が悪いな、位しかわかりませんが、娘さんはちょっとした表情で会話が出来ていたそうです。


そのお母さんが、数日前ふと目を開けて「ありがとう。」と言ったのだそうです。
ちゃんと「ありがとう」と。
そして眠りについてから、ずっと眠っていると。

「それだけは言っておきたかったのね。」そういうと、娘さんは涙ぐんで頷いていました。

この方は胃瘻からの栄養でしたが、滴下での管理では注入直後からゼロゼロするようになったため、半固形化栄養をお勧めして、ずっと呼吸状態も落ち着いていました。
けれど、廃用症候群が進みここ1年で少しずつ栄養の量も減らすようになりました。

半固形化でも逆流するようになったのです。

身体はとても小さくて、基礎代謝もかなり少ないと思われ、800Kcalから徐々に減らし、600Kcalでもゼロゼロするようになりました。

これ以上減らせば、栄養は取れなくなります。
ご家族はかなり悩みました。

一度はご希望で点滴を入れたり、胃瘻からポカリを入れたりしましたが、それでもゼロゼロが出てきます。
胃瘻につなぐと、本人は苦しげに手で振り払おうとし、注入が始まると苦しげに呻吟するというのです。

この段階まで何度も話し合いました。
主治医とも、私たちとも・・。

そして、娘さんは決心したのです。
もう、点滴も胃瘻もやめようと。

それでも「今日は、少し楽みたいでしょう?これならもう一度栄養を入れたら元気になるかな?」と私に質問します。

気持ちは、いつでも大きく揺れます。
もしかしたら、もしかしたら、と。

本当はわかっているのですよ。
娘さんだって、どうすれば一番穏やかでいられるのかを。

帰り際「週末お休みって聞いたから、もうお母さんに逢ってもらえないでお別れかと思ったけど、今日来てくれてすごくうれしかった。」と言ってくれました。

私も、今日会えてとてもうれしかった。
もう、娘さんは心が決まったようです。

どうか、静かに穏やかに、娘さんの見守る中で旅立ってくれますように。



更新するのも・・・

2011-12-10 17:19:45 | 日々のあれこれ
このところ、プライベートにいろんな事がありすぎて、なかなかブログ記事を書くに至らず・・・
ちょこちょことお休みしていますが、もともと自分の思いをぶっちゃけたり、在宅を知ってもらおうと思ってのブログなんだから、無理して書くのも変だなと・・。

書きたい時に書く、というスタンスに戻って、ゆっくり更新していきますね。

自分もそうだったけれど、子供たちも成長の中で、いろんなことに苦しんでいて、苦しんでいるのに、どうにも助けてあげられない自分も情けなくて、かなり自分自身も消耗しています。

昨日は、そんな気持ちをお互い抱えながら、娘と海を見ていました。

  

夕暮れの冷たい風に吹かれて、ただ陽が傾くのを見ました。

波は、寄せては引きながら、じりじりと私たちの足元にせまります。
この冷たい海に、娘を持っていかれはしまいかと、そんな恐怖さえ感じながら・・・。

朝方霙交じりの雨が降った後で、砂浜は冷たく濡れていましたが、夕日は驚くほどきれいで、行き場のない悲しみや、それでも希望を繋ごうとする気持ちとの間に揺れながら、ただ黙ってみているしかなかったのです。

                       

暖房のきいた温かい車に戻ると、もう夕暮れがすぐそこに来ていました。

それでも、私は強くあらねばならないのです。

私には、課せられたものが大きく、向かわなければならないものがあります。

帰宅後に、運営委員として関わっている学童保育の運営委員会に出席したものの、心ここにあらずで自分としては最低の失言もあって、なんだかとても疲れました。

随分と陰気な話をしてしまいました。
誰だって、人には言えない苦しみがあるのですよね。
みんな、それでもがんばっている。

大丈夫。
まだまだ、頑張れます。
時々、こうしてつぶやくだけでも、私は救われます。

さて、昨日から緊急当番です。
今は、かなり状態の悪い方が多くて、気は抜けません。
明日こそ、先延ばしにしていたレポートに手を付けたいと思っています。

今日も元気だ。裸で高笑い。

2011-12-07 22:26:51 | 訪問看護、緩和ケア
毎日、終末期の患者さんや問題を抱えた患者さんの対応に追われていますが、そんななかでもほっとしたり、ほっこり出来たりするおうちもあるのです。

大分前にも書いたことがあるご夫婦。

お尻の座り胼胝から褥瘡になり訪問看護が入りました。
毎回訪問するたびに、自己紹介。
すぐに思い出してくれて、戦争のお話しをしたり、冗談を連発したりと、とても楽しいおうちです。
そして、もうかれこれ1年くらいたつでしょうか。
やっと私の顔と訪問の日時は覚えてくれました。

お尻の創はと言えば、治ります・・が。
また剥けます。の繰り返し。

でもGさんは言うんです。
「いいんだよ~。だって治ったらもう見てもらえなくなっちゃうでしょう?治らなくていいからずっと来てね~」って。

ご夫婦は、お子さんがいらっしゃらないので、日々の生活はヘルパーさんが支えてくれます。

とてもなかよしなお二人の楽しみは、庭にやってくる鳩の夫婦に餌をやること。
鳩が食べた後は、スズメが待っています。

庭の自転車のかごには、鳥用の「ササニシキ」が入っていて、毎日1合近くを鳩や小鳥に与えています。
天気が良い日は、玄関の前のデッキチェアに座って、日がな餌を食べにくる鳥を眺めています。

お父さんは毎日超薄着で、私が訪問すると、ストーブはあるとはいえ97歳にしてサッパリとパジャマの上を脱ぎ捨てます。
私が処置するのはお尻なので、上着を脱ぐ必要はないのですが、必ず脱ぎます。

処置の後は、ソファに座ってバイタルを測るのですが、この前は手の上になにかのっけて食べ始めました。
「これ、美味しいんだよ。上品な甘さで何とも言えない。あなたも食べて行きなさい。」と、シャリシャリ音を立てながら私に勧めてくれます。

「これこれ」って、3本渡そうとするんです。
コーヒーシュガーのスティック5g入りのもの。

いや、Gさん。これは食べるものじゃなくって・・。

「なーに。うまいんだから、食べてみなって。これね、餡パンにかけて食べるともっとうまいんだよ~」

満面の笑顔で進めるお父さんですが、それは丁重にご辞退申し上げ、ご挨拶をして家をでると、奥さんは玄関の外まで送ってくれます。
家の外で車に乗ると、庭を回って塀の上から顔を出して、お父さんが大きく手を振ってくれるのです。
「ばいば~い。」バックミラーに手を振るGさんを見ながら、ひとしきり幸せな気分に包まれるのです。

疲れていても、心が弱っていても、日々の中で起こるほんの小さなことが、人の心に小さな灯をともすのだとおもいます。

そんな小さな灯に、私もなりたい。