最後に更新してから4週間近くたっていることにびっくり。
いろんなことが同時進行していて、自分自身がいっぱいいっぱいで、ブログをお休み宣言していたことをいい事に、自分のブログを確認することさえしないでいました。
だから、久しぶりに開いて、まだ私のブログを訪れてくれる人がいることに、本当にびっくりしたし、すごく嬉しかった。
10月に入って、訪問リハビリも遅ればせながら開始して、その広報活動やら挨拶回りやらをやりつつ、日々の訪問もバタバタと激しく出入りして、毎日が飛ぶように過ぎていき・・。
反面、自分自身のプライベートでは、未だ混沌として落ち着かない中で、気持ちはどんどん沈んで行きました。
眠れない夜も増えて、だるくて何もかも嫌になることもあって、「もしかしてこれってやばいかな?」なんて自分の精神状態が不安になったりもしています。
でも、基本私はポジティブ人間のはずなので、きっとそのうち抜け出すとは思います。
そう、私はいま自分の人生の物語の中で「苦しみと波乱の章」にいるだけ。
きっと次の章に移れば、そこからはいだして、苦悩を踏み台にもっと前向きな人生を歩んでいるはずなのだから。
人の一生は「ナラティブ(物語)」
最近、医療や看護、心理学や社会学のなかで、ナラティブアプローチという心理的アプローチが注目されいます。
でも、私自身ずっと前から、自分の仕事は「患者さんひとりひとり、その人の人生の中では主人公」なのだと思っていたし、だからこそ病にあって、その物語の終焉に向けて、少しでも素敵な物語を完結できるような支援がしたいと思ってきました。
今は、自分の人生の谷間にいて、人の人生の終末をなんとかしようなんて、おこがましいのかもしれないけれど、やっぱり私の居場所はここなんだろうなぁと思ったりして。
でも、一方では隙あらば逃げ出したい思いもあったりして(^_^;)。
まだまだだなぁ・・。
先日、長いお付き合いの患者さんが亡くなりました。
患者さんというか、私の中ではとても大切な人でした。
私がこの職場に入植した時には、すでにうちの患者さんだった方です。
正確には、患者さんのお義母さんだったのですが、寄る年波で数年前からお義母さんにも訪問看護が開始されたというわけなのです。
もともと、私が訪問していた患者さんの介護者だったお義母さんは、体が不自由になった義理の息子のために、就労中の娘に変わって、数十年にわたって本当の息子のように介護をしてきた人です。
そして、彼女は私たち訪問看護師にとっても、大切な存在に変わっていきました。
元気な頃から、よく冗談を言ったり、時には心配してくれたり、叱ってくれたりしましたし、口癖は「もう、あなたたちは親戚のようなもの。」でした。
彼女の体調が悪くなってからは、訪問看護も始まりましたが、なかなかの頑固者で、人の世話になることをだれよりも美とせず、時々担当の看護師を困らせたりもしました。
それでも、彼女がそこにいることは当たり前で、母を亡くしてからの私にとっては、どこかで第2の母のような存在になっていたのです。
ただ、そこにいることが分かっているだけで、安心出来る人・・。
かれこれ15年の歳月のなかで、看護師としても大先輩であり、無償の愛を義理の息子に捧げた彼女は、女性としても尊敬に値する人でした。
それが、あっという間に逝ってしまったのです。
呼吸器の病気のを患っていましたが、いつも凛としている人でした。
たくさんの患者さんを見送ってきました。
みんな忘れえぬ人です。
けれど、その中で私自身の成長を見守ってくれてきた彼女は、やはり特別な存在でした。
彼女の訃報を聞いた私は言葉を失い、その日呆然とするしかありませんでした。
夕方、会いにいくと娘さんたちが待っていてくれました。
彼女は、美しくきりりとした眉と、透き通るような綺麗な肌をして、静かに眠っていました。
大切な人が、またひとり逝ってしまったのです。
私は、落ち着く場所のない不安定な心を抱えたままで、日々の仕事に追われ、それでも誰かの為に働き続けることで自分を保ち続けています。
今の通信大学をあと1年で卒業できて、認定心理士の資格をもらえたら、漠然とですがグリーフカウンセラーに挑戦するのもいいかな・・。
漠然とですが、そんなことを思うようになりました。
悲嘆も喪失も経験した私だから、もしかしたらそこに向かうことで、私自身も救われるかもしれないと思ったりもします。
どうなるかはわかりませんが、そんな目標があってもいいんじゃないかと、ちょっとだけ思いました。
久しぶりだというのに、なんでこんな陰気な文章書いているんだろうかと、嫌になりますが、それも今の私の本当の姿です。
時々、こんなことを書くことで、また頑張れるのです。
というわけで、また時間が出来たら書き込みますね。
それでは。
いろんなことが同時進行していて、自分自身がいっぱいいっぱいで、ブログをお休み宣言していたことをいい事に、自分のブログを確認することさえしないでいました。
だから、久しぶりに開いて、まだ私のブログを訪れてくれる人がいることに、本当にびっくりしたし、すごく嬉しかった。
10月に入って、訪問リハビリも遅ればせながら開始して、その広報活動やら挨拶回りやらをやりつつ、日々の訪問もバタバタと激しく出入りして、毎日が飛ぶように過ぎていき・・。
反面、自分自身のプライベートでは、未だ混沌として落ち着かない中で、気持ちはどんどん沈んで行きました。
眠れない夜も増えて、だるくて何もかも嫌になることもあって、「もしかしてこれってやばいかな?」なんて自分の精神状態が不安になったりもしています。
でも、基本私はポジティブ人間のはずなので、きっとそのうち抜け出すとは思います。
そう、私はいま自分の人生の物語の中で「苦しみと波乱の章」にいるだけ。
きっと次の章に移れば、そこからはいだして、苦悩を踏み台にもっと前向きな人生を歩んでいるはずなのだから。
人の一生は「ナラティブ(物語)」
最近、医療や看護、心理学や社会学のなかで、ナラティブアプローチという心理的アプローチが注目されいます。
でも、私自身ずっと前から、自分の仕事は「患者さんひとりひとり、その人の人生の中では主人公」なのだと思っていたし、だからこそ病にあって、その物語の終焉に向けて、少しでも素敵な物語を完結できるような支援がしたいと思ってきました。
今は、自分の人生の谷間にいて、人の人生の終末をなんとかしようなんて、おこがましいのかもしれないけれど、やっぱり私の居場所はここなんだろうなぁと思ったりして。
でも、一方では隙あらば逃げ出したい思いもあったりして(^_^;)。
まだまだだなぁ・・。
先日、長いお付き合いの患者さんが亡くなりました。
患者さんというか、私の中ではとても大切な人でした。
私がこの職場に入植した時には、すでにうちの患者さんだった方です。
正確には、患者さんのお義母さんだったのですが、寄る年波で数年前からお義母さんにも訪問看護が開始されたというわけなのです。
もともと、私が訪問していた患者さんの介護者だったお義母さんは、体が不自由になった義理の息子のために、就労中の娘に変わって、数十年にわたって本当の息子のように介護をしてきた人です。
そして、彼女は私たち訪問看護師にとっても、大切な存在に変わっていきました。
元気な頃から、よく冗談を言ったり、時には心配してくれたり、叱ってくれたりしましたし、口癖は「もう、あなたたちは親戚のようなもの。」でした。
彼女の体調が悪くなってからは、訪問看護も始まりましたが、なかなかの頑固者で、人の世話になることをだれよりも美とせず、時々担当の看護師を困らせたりもしました。
それでも、彼女がそこにいることは当たり前で、母を亡くしてからの私にとっては、どこかで第2の母のような存在になっていたのです。
ただ、そこにいることが分かっているだけで、安心出来る人・・。
かれこれ15年の歳月のなかで、看護師としても大先輩であり、無償の愛を義理の息子に捧げた彼女は、女性としても尊敬に値する人でした。
それが、あっという間に逝ってしまったのです。
呼吸器の病気のを患っていましたが、いつも凛としている人でした。
たくさんの患者さんを見送ってきました。
みんな忘れえぬ人です。
けれど、その中で私自身の成長を見守ってくれてきた彼女は、やはり特別な存在でした。
彼女の訃報を聞いた私は言葉を失い、その日呆然とするしかありませんでした。
夕方、会いにいくと娘さんたちが待っていてくれました。
彼女は、美しくきりりとした眉と、透き通るような綺麗な肌をして、静かに眠っていました。
大切な人が、またひとり逝ってしまったのです。
私は、落ち着く場所のない不安定な心を抱えたままで、日々の仕事に追われ、それでも誰かの為に働き続けることで自分を保ち続けています。
今の通信大学をあと1年で卒業できて、認定心理士の資格をもらえたら、漠然とですがグリーフカウンセラーに挑戦するのもいいかな・・。
漠然とですが、そんなことを思うようになりました。
悲嘆も喪失も経験した私だから、もしかしたらそこに向かうことで、私自身も救われるかもしれないと思ったりもします。
どうなるかはわかりませんが、そんな目標があってもいいんじゃないかと、ちょっとだけ思いました。
久しぶりだというのに、なんでこんな陰気な文章書いているんだろうかと、嫌になりますが、それも今の私の本当の姿です。
時々、こんなことを書くことで、また頑張れるのです。
というわけで、また時間が出来たら書き込みますね。
それでは。