こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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年末最後の訪問

2010-12-31 23:14:32 | 訪問看護、緩和ケア
昨日今日と手分けをして、排便や処置など、どうしても訪問が必要な方を回ってきました。

世の中は、年末だ正月だと言っても、患者さんたちには、あまり関係ないのは言うまでもありません。
特に、排泄援助に関しては、1週間我慢してというわけにはいきませんので。

今年は、それでも皆さん状態が安定していて、緊急訪問は今のところありません。

私の訪問は、今日は3件。

秋ごろから急激に廃用症候群がすすみ、年末に何度も生死をさまよったM さんも、今日はいい笑顔を見せてくれました。

ストマとウロストミーと、瘻孔が仙骨と恥骨上縁にあるKさんは、瘻孔からの出血が昨日まであったようですが、今日は何とか止まっています。

そして、箱根旅行から戻ってきたばかりのSおばあちゃんも、たっぷりうんちが出てすっきり(^O^)でした。

スタッフの回った患者さんも、みんな落ち着いています。

これで、今日は安心して年末特番を楽しめそうです。


年末年始は、見たい特番が山盛りで、ビデオもフル回転です。

年越しそばも食べたし、今はダイナマイト観戦中。

この放送が終わって、除夜の鐘の番組が始まったら、家族で近所の神社に初詣に行く予定です。

お兄ちゃんが大学に入れたので、そのお礼もかねて、地元の氏神様にお参りします。

でも・・・寒そうだな~。

今年もいろいろなことがありました。
たくさんの出会いやたくさんのお別れ・・・。
いろんなことを教えていただきました。

来年も、たくさんの出会いや感動に出会えますように。

そして、家族全員健康でいつもの生活が続けられますように。

皆様も、良い年をお迎えくださいませ。

22年の仕事納め

2010-12-28 23:26:31 | 日々のあれこれ
あまり実感はありませんが、もう平成22年も終わろうとしています。
今日は、職場も仕事納めでした。

今年も、ぎりぎりまでバタバタとしましたが、去年よりはやや落ち着いているような気がします。

5時からの予定ではありますが、すぐにみんなが揃うわけもなく、私は30分ほど前から、賄のおばさんと化して準備を始めました。

今日は、お子様7人も参加。

久しぶりに、子供を中心のにぎやかな仕事納めとなりました。




お子様用に作ったフルーツポンチ。
イチゴとパイナップルたっぷりです。

いつものメンバーが、今日も酔っぱらいのおばちゃんらしく、大騒ぎをしていましたし、2歳児が二人かわいらしくて、みんなすごく和みました。

来年も、みんな仲良くいいお仕事をしたいとおもいます。

宴の最中も、かわるがわる電話がありましたが、緊急出動することもなく、無事仕事納めも終わりました。

そして、恒例のくじ引きによるお土産を持って、みんな元気に帰っていきました。

来年は、どんな年になるのかな?


だから、お役所仕事って・・・

2010-12-27 23:09:31 | 訪問看護、緩和ケア
このところ区役所の、とある課のお仕事に疑問が・・・

ご利用者さんによっては、医療券や介護券と呼ばれるものを、区役所から訪問看護ステーションや居宅介護事務所などに送ってもらわなければならないのですが・・・。

まず、ご利用開始とともに、区の担当者にご連絡し、医療券や介護券を送ってもらうようにお願いするのですが、これがなかなか送られてきません。

サービスを提供しても、国保連と呼ばれる国の請求先に請求することができません。
もちろん、居宅介護事業所が請求を出せないと、各サービス事業所も請求が通らないので、みんなが困ってしまいます。

なので再度お願いし、それでも待てど暮らせど来ないので、またお願いし・・・

すでに患者さんが亡くなられても来なくて、今日はとうとうちょっと怒りモードで電話をかけました。
「もう何度もお願いして、とっくに亡くなられているんですよ!もう今年も終わりますよね。どうして頂けないんですか?!」

電話に出てくれた方は、担当者ではなくて、すごく申し訳ながってくれて、代行で今日即手続きを取ってくれました。

・・今すぐできるの?
じゃあ、なんで今まで出来ないの??

毎月毎月請求しては払戻(差し戻し)される患者さんもいて、この方は毎月忘れられるんですよね。その都度、ケアマネさんに連絡して、ケアマネさんからまた電話かけてもらって・・

今年になって、何度私も電話をしたかわかりません。

おかしいですよね。

忙しいから」とか「数が多いから」って、民間企業ではまったく通用しません。もしこれが民間企業なら・・・クビ、もしくは移動ですね。

まして、この不景気な日本で唯一、十分な賃金と昇給を保障され、時間きっちり退社できる部署にいて、何度電話しても同じことを繰り返す事に対して、何にも感じなのでしょうか??

たとえば、そういう単純な事務手続きに関しての、チェックリストなり、チエック機能なりはないのでしょうか?

それでもできないのなら、業務の見直しをするべきではないでしょうか?

このところすごく多くて、以前はこんなに多くはなかったような気がしますが・・。

でも、あまりそれが悪いこととは、当の係りの方は思っていないらしく、忙しいからしょうがない位にしか、考えてないようですね。

サービスをいくつも使っている方の場合は、その全部の事業所に、ケアマネの事業所が頭を下げて待ってもらわなきゃならいないこと、そのためにそれぞれの請求が滞って、場合によっては決算に間に合わないこともある・・なんてことは、全く考えていないのでしょうね。

一般の会社では、取引先に迷惑がかかったら大変なことですし、場合によっては死活問題ですが、そういう事は関係ない世界なのでしょうか?

今日はちょっと怒りモードです。
こういう事だから、「お役所仕事」って言われちゃうんですよね。

こんなことで、一生懸命頑張っているお役所の人まで、同じように思われちゃうこと、少し考えてほしいなぁと、あえて言わせてもらいます。

ちゃんとしようよね。
お仕事なんだから。

さすがにお掃除。

2010-12-25 22:10:12 | 日々のあれこれ
いよいよ今年最後の土日です。

さすがに少しお掃除し始めないと、まずいでしょ?

今日は、いらないものをだいぶ捨てて、トイレと洗面台の周囲を磨き、天井や壁のすす払いをしました。

途中、任侠ヘルパーの再放送を見て泣き、やおら夕飯支度に取り掛かるという、珍しく>主婦らしい一日を過ごしました。


そういえば高1の娘が、今日から郵便局のアルバイトが始まり、なんと初日から残業だったと、夜7時過ぎに帰ってきました。

あの郵便局のアルバイトは、結構人気があるらしく、面接にはかなりの学生や大人も交じって行われたそうです。

結果、金髪・派手な茶髪、ヤンキー風・イケイケ風・チャラ男風などは、全員落とされていたようです。
毎年アルバイトの配達で、面倒になって捨てちゃったり隠しちゃったりと言う事件があるため、その辺の配慮もあるようですね。
アルバイト全員きつーく、くぎを刺されたそうです。

ちなみに娘は区分けのバイトで、ずっと立ちっぱなしなのが、きつかったと申しておりました。
自給820円。

驚いたのが、同じ郵便局でも場所によって自給が違うんですよ。
瀬谷は、一番安いみたいです。

娘にとっては、実質初めてのバイトなので、働くと言う事を初めて体感するわけです。

短い間ですが、精いっぱい頑張ってこい!って感じですね。


せめて、あと一人・・・

2010-12-24 23:41:38 | 訪問看護、緩和ケア
11月からスタッフととなったSさん。
すっかり慣れて、頑張ってくれています。

最近になって「自分はすごい人見知りで、前に職場に人にも新しいところで馴染めないのじゃないかと心配された。」と打ち明けてくれました。
どうりで、最初は表情も硬くて実はちょっと心配していたのですが、「でも、ここは全然大丈夫です!私根性はあるんで、頑張ります!」って言ってくれました。

まだお子さんが小さくて、いろんな制限はありますが、子供はいやでも大きくなっていきますから、きっとこれからは力を十分発揮していけると思います。

そして、12月から扶養を外してくれたYさん。
相変わらず元気に、少々の事はいつも笑い飛ばしながら訪問にまわってくれています。

みんないいキャラだな~。

ステーションでのやり取りは活気があって、本当に元気が出ます。

それにしても、なんでまだまだいっぱいなんだろう??

お別れもたくさんありましたし、入院された方もいます。

ちょっと空きができたと思うとあっという間に黒くなり、そういう時に限って、入院中の患者さんが急に退院になったり、複数回訪問になったりするので、ここにきてまた余裕がなくなりました。

去年ぐらいまでは、それでもなんでも依頼があればお断りできなくて、無理に入れてずっと私が回ったりしていましたが、このところで考えが変わりました。
(断ることに、いまだにすごく罪悪感があるんです・・。

この夏から秋にかけ、退職者と退職予定者が出たことで、3か月近く新患さんを極力取らなかった時期があります。
それでも、みんなは手一杯だったのですが、何とかそこを乗り越えることができました。

幸い瀬谷区内は、いつも情報交換をしていて、どんな患者さんでも、安心してご紹介できるステーションがいくつかあります。
みんな24時間対応で、一生懸命なステーションです。

うちでうけられなくても、ちゃんと受け入れてくれるステーションがあるんですよ。

10月に入って、新患さん受け入れOKと言ったとたん、どっと患者さんが増え、そして2か月ほどでその方たちの半分以上が旅立たれました。

そして今また、スケジュールはいっぱいです。

年末は例年、病院から退院を余儀なくされるかたが、たくさんいらっしゃいます。
病院も大変なのでしょうが、休日体制での在宅はさらに大変なことになります。

それでもできる限り受けてきましたが、今年はもう新患さんは受けられません。

来年、中旬以降の方のみ、お受けしています。

「お断りする勇気」と言ったら変でしょうか??

間もなく4年目に入る頼りない管理者ですが、新患依頼を断るのは、本当に怖かったんですよ。

ちょこっとでも話を聴いてしまうと、なんとかしたくなってしまって、聴いているうちに今更断れなくなっちゃう・・。
そんなことしたら、もう信用してもらえないかもしれないし、期待を裏切るようなことはできないとか思ったりして・・。

でも、そうして患者さんが膨らんだ3年前は、みんなヘトヘトに疲弊していました。
夜昼関係なくかかってくる緊急電話に、丁寧に対応しながら、毎日のびっしりのスケジュールもこなすのは、体力的にも気力的にも大変です。
特に常勤のスタッフは本当に頑張ってくれました。

今は無理せず、余裕のある仲間のステーションにお願いして、私たちも適正な人数をお受けしたいと思っています。

よく、小澤先生が「一つのところに何でもかんでも患者さんをお願いして、クオリティーを下げたくないんですよ。だから、指示書は分散していろんなステーションにお願いするようにしています。」と言っていました。

うちのスタッフは、患者さんのところで、手を抜いたりはしないので、きつくなって来れば当然その反動は体にきますし、そうすれば精神的にも追い詰められます。
それは、ともすればステーション内の空気を不穏にしたりすることにつながるわけで、決して無理していいことはないですね。

そんなことで、ケアがおろそかになったら、うちでお受けした意味が在りませんよね。

そんなことを考えつつも、今なお、みんなのスケジュールがいつになってもいっぱいです。

せめて、あと一人・・・。

「5年後には絶対行きます!」っていう素敵なナースもいるのですが、今もう一人来てくれないかなぁ・・・と思います。

美味しいおやつ山ほどあるし、意地悪な人全くいません。
訪問は、手取り足取り・・。最初は同行訪問から。

訪問看護の経験は問いませんし、子育ても応援します。

ちょこっとやってみないかなぁ??
結構はまると思うんだけど・・。

リハビリ、リハビリって言うけれど・・・

2010-12-23 23:36:46 | 訪問看護、緩和ケア
リハビリ、リハビリってよく言いますが・・・。
時々、「リハビリをすることが、果たして良いのだろうか?」と思うことがあります。

例えば、骨折の手術後や脳梗塞の片麻痺麻痺などで、社会復帰や家庭復帰のために頑張るのはもっともな話ですが、何でもかんでもリハビリすればいいってわけではないと思うのです。

神経難病の一つで、脊髄小脳変性症と言う病気があります。
小脳や脳幹から脊髄にかけての神経細胞が少しずつ壊れていく病気で、運動機能に障害が出てきます。
特に運動失調(体が思うように動かない。思ったところに体が動いてくれない。)や構音障害、膀胱直腸障害などが進行性に出現します。

いろいろな治療法がみつかり、進行はだいぶ遅くなってきたようですが、それでも症状は進んでいきます。
「1リットルの涙」の少女もこの病気でした。

自分の体が、少しずつ動かなくなっていく。
言葉がうまく話せなくなり、食事がうまく摂れなくなり・・・。

そんな恐怖と、毎日必死で戦いながらリハビリを続けなければならない・・。

この病気はリハビリがとても大切とされていて、ADLの低下を少しでも予防するための筋力トレーニングや、バランスを取るリハビリ、嚥下機能を維持するリハビリなど初期のうちからみんなリハビリを頑張っています。

それでも、病気は意地悪く進んでいくこともあります。

Aさんは、本当にリハビリを頑張っていましたし、ご主人も協力してよく介護をしていました。

訪問リハビリ(ST)も週1回、通所リハビリも行っています。

食事は必ず車椅子に移動して、台所まで行ってたべますし、トイレも排便時はポータブルに移動していました。
でも病状は進み、今年に入ってポータブル移動が困難となり、端座位も厳しくなってきました。

食事を食べる時も、スプーンを口まで持っていくのも大変です。
むせやすく、食事形態も刻み食となり、最近ではまぐまぐを使ってストローで水分を吸う事も出来なくなりました。

通所リハビリに行った後は、激しい疲労で食事も食べられなくなってしまいました。

リハビリ後の疲労があまりにひどいため、通所リハを週2回から1回に減らし、移動の工夫や食事形態の工夫など、ケアマネさんたちとも話し合いながら、病魔への恐怖に精神的に追い詰められていくAさんを、担当者たちは支えてきました。

でも、通院するといつも主治医から帰ってくる言葉は「リハビリが足りない。もっと頑張らないとだめだ。」と言う言葉。

担当者は、彼女が精いっぱい頑張ってきたことを知っているし、頑張りすぎて食事も喉を通らないことも知っています。

このところの病状の悪化は著しく、夫一人での介護にも限界が見えてきていました。

出来ればお子さんも同席して、医師と今後の事を話し合ってほしいとお願いして、やっとそれがかなってご家族へのムンテラが実現したのですが・・・。

同席してくれた外来の連携室ナースから連絡がありました。

今日のAさんは体調が良くて、指さしでの会話もスムーズで、とてもよい表情だったとか。
そりゃあ、久しぶりにお子さんが一緒に来てくれたのですから、当たり前です。

そして先生は「なんで、通所リハビリを2回から1回に減らしたの?リハビリやらないからどんどん悪くなるんです。
ご主人が甘やかして、Aさんをすぐに休ませたり、リハビリを減らしたりするんだったら、施設とかに入って少し二人の距離を置いたらどうかな?」
と言われたそうです。

その報告を受けて、担当ナースは落胆しました。

神経内科の先生ですから、一番病気の事はわかっているのでしょうが、在宅でどれほど努力して頑張ってきたかなんて、きっとわかろうともしないんでしょうね。
昨日できていたことが、今日出来なくなっていく恐怖の中で、どこまで頑張ればゆるしてもらえるんでしょうか?
もう、食事を食べる気力もなくしかけているというのに。

彼女は、胃瘻も気管切開も望んでいません。
食べられることが、唯一残った希望なのに、疲れ切って食べられないことが何を意味するのか・・・。
他に、かける言葉はないんでしょうか?
今でも、必ず車椅子の時間を取っているし、日常の自分でできることは一生懸命しているのに、デイケアを増やせばそれでいいんでしょうか?

私は看護師ですから、神経難病へのリハビリに関して、専門医に意見を出来る立場ではありませんが、なんだか違う気がします。
生きる意欲は、リハビリだけでは引き出せないと思うのですが・・。

 
>瀬谷区と泉区の間、ヤマダ電機に向かう途中の畑から見えた富士山。

タウンニュースの取材

2010-12-22 23:03:44 | 訪問看護、緩和ケア
2か月位前に、この地域のタウン誌「瀬谷区タウンニュース」の取材があり、「今、この地域の在宅介護や医療に関して、どういう活動がされていますか?また、何か地域に伝えていきたいことなどはありますか?」というインタビューを受けました。

取材者側も、介護の現場をよくわからない状態で、どこを切り口にしてよいかはっきり決まっていないようでした。

その時に、在宅サービスの横の連携が、この地域ではスムーズになっていて、チームとして在宅療養をサポートできる体制が、この地域なりに出来ていることをお伝えしました。

そこには、お互いを信頼しある事業所同士がうまく連携して、たとえ独居であってもご本人の強い意志があれば、最後まで家で過ごすことも可能であることもお話しました。
特にこの数年在宅支援診療所もいくつかでき、地域ぐるみで「在宅での看取り」に取り組んできており、在宅で看取り件数が飛躍的に増えていることもお伝えしました。

この地域は、近隣に聖マリアンナ横浜西部病院、神奈川県立がんセンター、旭中央病院、国際親善病院、大和市立病院などがあり、瀬谷区内には横浜甦生病院のホスピスがあるなど、重度の疾患を治療できる施設があるとともに、緩和ケアに早期から対応している病院があるという背景もあるとおもいます。

さらに、そのホスピスから在宅専門の緩和ケア医が開業し、在宅緩和ケアの可能な地域として、認識されるようになりました。
在宅専門のクリニックも1カ所増えていますし、もともと地域のホームドクターとして往診に回ってくれている先生方もいらっしゃるので、比較的恵まれた地域と言えると思います。
そのため、夫を看取るために転居されてきた方もいらしゃいました。

そして、地域の中で連携を意識して活動しているのが、
瀬谷区と聖マリアンナ西部病院との訪問看護ステーション連絡会です。
ここには、区内の実質活動できるステーションが所属し、聖マリ西部病院ホームケア(連携室)の強力なバックアップのもと、瀬谷区役所高齢福祉課、瀬谷区ケアマネットのメンバーも入り、各月での会議と年一回の地域の在宅関係者対象(おもにケアマネさん)に大きなセミナーを開催しています。
そして、これとリンクする形で、区役所主催の「在宅高齢者サポートネットワーク」があり、ここで各病院の連携室、包括支援センターの主任ケアマネ、医師、歯科医師、薬剤師、ケアマネット、訪問看護師が集まり、区として今後の老人福祉の在り方を模索しています。

また、個人としてめぐみ在宅クリニックの「地域在宅緩和ケア研究会」があり、かなり多職種の方や医学、看護、心理、社会など専攻している学生さん、地域のサービス事業所の方、さらには遠距離からの参加者も多数いて、在宅緩和ケアについて学んでいます。
ここでの勉強は、疼痛管理や病状管理そのものではなく、スピリチュアルなものに関するキャッチの手法であったり、対話の手法であったりを主に学び、事例をどうしてのグループディスカッションが盛んにおこなわれています。

このことをヒントに、取材者もあちこち取材されたようで、先日の「瀬谷まるカフェ」でも精力的に取材をしていました。

そして今回、区役所の後押しもあり、NPO[ワーカーズわくわく」の理事長 中野さんと、阿久和ケアプラザ包括支援センターの渡辺さん、そして私、の3人同時の対談形式の取材となりました。

話す内容は一貫しています。
「地域をよくすること。今目の前の人を助ける。」ために私たちはどう支援したらよいのか、そこのマインドを高めることで、スキルもついてくるのだということ。

目をそむけない、逃げないこと。

そして、どうすればこの問題を解決できるかを、考える力をつけること。

モチベーションを高めて、お互いを尊敬できるチームを作ること。

もう一つ、中野さんが言っていたこと「あちこちで、『こういう事をやりたーい!』って叫んでいると、そのうちじゃあこれだけ支援しますからたってみませんか?」と言ってくれる人が出てくる
と言っていました。
だから、制度の事でも現場に人間が「ここはおかしいー!!」って、みんなで騒いだりつぶやいたりしていたら、その声はいつかとどくんじゃないでしょうか?
みんなで、騒ぐ。みんなで発信する。」

そんな話で盛り上がりました。

包括支援センタモーも、介護保険以前の問題を抱えた方がたくさんいて、とにかく縁の下の力持ちとして、大変なお仕事をしています。

このメンバーは、もちろんいつも何かしらのかかわりがあるメンバーですので、話は尽きませんが、取材の方もさぞやまとめるのに苦労されることと思います。

正月開けて2回目の号に、かなりのスペースを割いていただけるようなので、ぜひ地域の方に読んでもらいたいと思いました。
最後に地域の方には、「連れて帰りたいけど、病院に止められた。」「家に帰りたがっている家族を、ちゃんと看れるのか不安で悩んでいる。」などと言う方に、いつでもご相談ください。と、必ず入れてくださいねとお願いしました、。

なんだか、朦朧としていてまとまりのない文ですみません・・・。

とにかく、みんなで声を上げていきましょうよ。
きっと大きな声になる!

今日も遅くなりました。

2010-12-21 23:55:32 | 旅行・グルメ
今日は、横浜市訪問看護連絡協議会の役員会。

そして、夜の8時30分からは役員の忘年会となりました。(今日は、飲めた~!!)



高島屋8階の難しい名前の台湾料理屋さん。

小龍包から始まって、食べた食べた。食べ過ぎました。

で、横浜駅からタバコと誇りにまみれた相鉄に乗っていると、なぜか途中の駅で止まったきり動かず・・・。
これ急行なはずなのに?

と思っていたら、病人が出て最寄りの駅で下されたらしい。

年末、冷たい雨の夜のホームで、一人おろされどこに連れて行かれたのかな~?

電車を降りれば、ざんざん降りの雨。
しかも冷たいのなんの・・。

この時間、寝ている夫を起こすのはさすがにかわいそうなので、タクシーを待つことしばし・・。

みんな震えて、寡黙になっていました。

そんなわけで、今日の更新はこれだけです。

すみません。

たらいまわし?

2010-12-20 22:59:28 | 訪問看護、緩和ケア
今日、突然連携先のクリニックから電話が・・。

1年前に訪問していて、病状の悪化から入院し、その後施設入所されたはずの患者さんが、昨日突然帰ってきたという話でした。


1年前の時点で、廃用症候群が進行し、さらに夏場の脱水などが進み、著しい衰弱がみられての入院だったはず・・・。
あれから1年以上、ご存命だったことにもびっくり。

聴けば、すでに血圧も下がっており、呼吸状態も不安定だとか・・。
それなのになんで今在宅に戻られたのか・・?

たまたま当時の担当ナースが、すぐに訪問することができたため緊急に訪問してくれました。

そこで聞いたこと。

病院から老健へ、再度病院に入院して、そこから新しくできたばかりの老健に入所されていたそうです。

まだ新しくて、スタッフもそろっていなかったのか、褥瘡ができたり手や足はあざだらけで、対応もちょっと…と言う感じだったそうです。
それでも、「まだまだちゃんと看れますから、入所していていいですよ。」と言う話だったそうですが、ここへきて急激に衰弱され「看取り」目前となったとたんに「看取りなんてできません。早く迎えに来てください!」といわれて、昨日連れて帰ってきたのだそうです。

在宅医は、何度か相談を受けて、その老健に足を運んだりしてたそうで、状況もわかっておりすぐに往診を開始し、訪問看護の連絡も即いただけました。

でも・・。

なんだかすっきりしないですよね。

以前ほかの老健でも、ショート中に騒いだからと言って「30分以内にむかえにきてくださ!」と怒りの電話を家族にして、強引に引き取りを要求した施設がありましたが、在宅での介護を分かっていれば『即刻退所』なんて言葉は出ないと思うのですが・・・。

私の縁戚のおばあさんが入所していた老健も「うちは何年でもいていいんですよ~。最後までいられますよ~。」と言う話だったのに、2回目に入院した時には「入退院されるんだったら、うちは無理です。入院中に次の施設を探して退所してください!」と言われてしまい、現在は療養型の病院で特養の入所待ちしています。

確かにベットを開けておくのは経営上問題だと思いますが、全くベット代を取っていないわけじゃないと思いますし、老健はもともと医療的なケアの必要な方が多いわけで、入退院の2回や3回は
当たり前なんじゃないかと・・。

そんなわけですから、老健→病院→違う老健→違う病院→違う施設・・なんていう「たらいまわし」は、結構あるようですね。

本当にご家族も大変です。

結局今回は日の単位のご病状との判断で、ご家族で看ようと言う事になったようです。

老健の定義が昔とは変わってきていますよね。
3か月から半年、在宅復帰のためのリハビリや中間施設としての老健だったはずですが、今や全室ユニットで利益優先の有料老人ホームみたいになってきています。

たらいまわしは、病院だけじゃないってことですね。


年末いろいろ

2010-12-19 23:41:13 | 旅行・グルメ
金曜日は、ステーションの月例カンファのあと、新人さんの歓迎会兼忘年会があり、久しぶりに南台にある「ビストロ モラツール」に行きました。


緊急当番の私はこれ。寂しい・・・・

でもまあ、気分は乾杯ということで。

お料理の最初は、ナスのお料理。
冷やしたナスの緑色が鮮やかで、トリュフがひらひら、ゴルゴンゾーラのクリームソースが絶妙でした。
気が付いたら、完食でしたので写真はありません。
これは、三重県からお取り寄せのサザエのガーリックバターソース焼き。

エスカルゴのソースみたいな感じ。
巨大サザエの苦みが大人のお味ですね。
サザエ、食べられない人が前に座って、中に入っているキノコとサザエを分別していました。
もちろん、はじき出されたサザエは私が頂きました。

ちなみに、今年の新人ナースも好き嫌いが激しいそうで、お隣の新人ケアマネがせっせと頂いていました。

お魚もお肉も美味しくいただき、最後のデザートは洋ナシのコンポート。

                かなりボリュームがありましたが、完食。

久しぶりのモラツール。
この人数だと貸切なので、落ち着いておしゃべりが出きますし、とてもアットホームなおもてなしと、季節のお料理が美味しいお店です。

ちなみに個人的には、アルコールフリーはキリンよりサントリーの「オールフリー」が好きです。
サントリー オールフリー (ノンアルコール) 350ML × 24缶
サントリービア&スピリッツ 株式会社
サントリービア&スピリッツ 株式会社


私的に、こっちのほうが水っぽさが少ないような気がします。
さらに0カロリーなので、メタボの私は超安心。

帰宅後は、眠さに負けてブログ更新ならずでした。

昨日はと言えば、娘と一緒につきみ野の「ツルカメ」にお買い物に行って、おもしろい野菜を見つけて買ってみました。

これ、ロマネスクと言う野菜です。
ブロッコリーとカリフラワーの中間??
とにかく自然の造形美ってやつでしょうか?
見事な浅緑と、このらせん形の房に心奪われました。
そしてどこかで見た形・・・カメレオンにこんなのいませんでしたっけ??

夕飯のサラダ代わりに、小房に分けて茹でて、ハムとハーブミックスと、オリーブオイル、ビネガーでマリネにしていただきました。
味は、カリフラワーでした。
今度は、クリームスープにしてみたいと思いました。

夕飯を早めに作り、家族に食べさせてからは、学童保育所の忘年会に途中参加。

朝からご招待の電話やメールを頂いたので、顔出しに・・・。
もちろん、アルコールフリー持参で。

相変わらずの熱気にくらくらしながら、楽しい時間を過ごせました。

偶然と言うか、世界は狭いというか、以前のご利用者さんのご家族が参加されていて、現ご利用者のご家族である主任指導員とともに、いろんな話をすることができました。

親を看取ると言う事、親を介護すると言う事、親から子へ何を託すのか、そこを超えてこれから自分は子供にどう向き合っていくのか・・・

2時会では、何人かが親との関係で悩んだことなどをカミングアウトして、自分を振り返る良い時間を持てました。

みんな親になって思う事、親になって気が付くことがあり、さらに年を取ってわかることがあります。
だれしも、心にトラウマを持っていて、苦しんでいたり逃げていたり・・。
こんな偶然の出会いで、心の奥の扉が少しでも開かれて、ひも解かれていくのは、とても不思議なきがしますし、逆に出会うべきして出会ったような気もします。

そんな親たちの話を、端っこで聞いていた娘も、どうやら思うところはあったようです。

親は子供を守りたいし、大切なものを渡したいんだよ。
大人だって、結構苦しいこともあるんだよ。

そんなことがなんとなく伝われば、私はそれでうれしいかな。

そんな年の瀬の休日でした。

今日は、お一人お別れがあったようですが、担当のスタッフ二人でお見送りしてくれました。
とてもいろんなことを教えてくださった方ですし、穏やかな笑顔や周囲への気使いが素敵な方でした。
ご家族も、ご本人の思い通り、ご家族みんなで賑やかに送られたとか・・。

これからも、きっとこのご家族を見守ってくれることだと思います。



西部・瀬谷ステーション連絡会&瀬谷まるカフェ

2010-12-17 00:22:14 | 訪問看護、緩和ケア
このところ、毎日のように経過の長かった患者さんの病状が安定せず、落ち着かない日々です。

そんななか、今日は聖マリアンナ横浜西部病院のホームケアと瀬谷区の訪問看護ステーションの連絡会がありました。

今日はいつもと場所を変え、瀬谷区役所1階会議室で行うことになりました。

なぜかと言えば連絡会の後、区役所主催の「瀬谷まるカフェ」が行われるので、そのまま継続して参加の要請にお応えするためです。

連絡会では毎年開催するケアマネや事業所対象の「在宅医療セミナー」の準備が遅れて、かなりみんな焦っています。

今年は年明けて2月4日の金曜日。夜19時からの開催となります。

今年のテーマは、ケアマネさんが知りたいこと、知っていてほしいことの中から絞り、「在宅IVH」にすることになりました。

今年の事例担当は、「らふぁ訪問看護ステーション」です。
でも、内容はみんなで考えたり検討したりします。

IVHの患者さんが、在宅に帰ってきたときの支援についてプレゼンテーションし、さらに西部病院医師からのレクチャー、そしてグループワーク、出来ればトラブルシューティングなども提供できればと検討中です。
でも、ちょっとスタートが遅すぎて、大丈夫かな・・・??って感じですが。
まあ、人間追い詰められないとやらないからね・・・。

またはっきりしたらご報告しますので、興味のある方はぜひ参加してくださいね。
ちなみに、清まり西部病院、瀬谷区役所、ケアマネット、瀬谷区医師会の強力なバックアップあっての開催です。

そして、そのあとの「瀬谷まるカフェ」。
ワールドカフェ方式でのディスカッションです。
11職種があつまり、3例の事例から興味のあるテーブルで、意見交換をしました。


私は、瀬谷の菩薩ことわくわくの中野さんの事例を検討するテーブルにつきました。

それは、1年前のクリスマスイブに旅立った40代の女性の話だったからです。

私にとっても忘れられない患者さんでしたから、中野さんの発表を聴きながら、あの時の事がフラッシュバックしてきました。

娘さんと食べる約束の、クリスマスケーキ。
一晩声をかけ続け、膝を抱えて泣いていた高校生の御嬢さん・・・。

明日食べようねと眠りについたきり、目覚めることのなかったクリスマスイブ。


同じグループには、できないことから話して契約することで有名なヘルパー事業所の方から、老健の看護師、訪問入浴やヘルパー事業所の管理者、歯科医師会長、ケアマネ、ケアプラザ、病院連携室などなど。
 

私が声を大にしたことは、こうして話し合うのもいいけど、ちゃんとその結果を形にしてほしいこと。
連携連携と言うけれど、出来ないことを並べ立てるなかりで、どうしたら不可能を可能にできるかを一緒に考えられないような事業所とは、連携したくないということ。
顔が見えても、中身がなければ意味がない。(これは小澤先生のは発言)
顔は見なくても、一緒に考えることはできる。
顔が見えるとか、情報共有ができるとか、きれいな言葉を並べたてて、私たちは活動してます、
だけじゃ、何にも進まないでしょう!と言う事。


ヘルパーの法的な縛りをどう、国に訴えていくのか、グレーを黒とみるのか白とみるのかで、変わることともある。
まず向き合って、策を一緒に練れなけりゃ、同志じゃないよね。(中野さんと二人の意見)

だからまず、在宅を支える介護職の底上げを、区役所主導でやりましょうよ!

散々吠えて、結構虚脱感です。

そういうわけで、もう真夜中になってしまいました。
吠えつかれちゃった・・・。

なので、今日はおやすみなさいです。

移動用シート

2010-12-15 23:11:54 | 医療機器・介護用品
わーい、たった今「黄金の豚」見終わりました。
面白かった~。
水戸黄門的勧善懲悪は見ていてすっきりしますね。
ストレス解消!!

で、話は大きく変わりますが・・・


大きな患者さんをベット上で移動するとき、力ずくで抱えようとするとすごく大変ですよね。

訪問すると、ギャッチアップしたベットの下のほうにずれ落ちたご主人を、小さな奥様がどうにもできずに待っていることもありますよね。

今年の、潜在看護師向け訪問看護セミナーでも、看護技術として指導していました。
その時は、たぶんビニール袋を敷いての授業だったと思います。

実際、何もないご家庭でビニール袋を敷いての体のずりアゲはすごく助かります。

でも、これもちょっとコツがいりますし、この場合ビニールの上を体がスルスルっと動く感じとなります。

で、今回はこの「移座えもんシート」をご紹介します。

これ、すべすべしていて、円筒形をしています。



これをずり落ちた患者さんの体の下に入れ、腕を組んでもらいますそして、膝をしっかりと立てます。



体側に沿って、介助者は足元から頭に向けて座り、両方の坐骨の下に手を入れて、矢印の方向にほぼ水平に押します。

すると、おもしろいほどスルスルっと体が上に上がります。
無理に力を入れようとするとダメなので、お尻をスッと押すだけです。
この場合、ビニールと違うのは、円筒形の筒が体と同時に、回転しながら上がるわけで、より簡単に上に上がります。
勢い余って、ベットの上からはみ出ることもあります。

また、褥瘡は身体のずれでできやすく、ポケット形成をしたりするので、身体そのものをずらすより、シートの回転でずらす方が、リスクは減るように思えます。


だいたい定価で2500円くらい。

介護用品のお店や、福祉用具の業者さん、あとネットでの通販もありますね。

アマゾンでも売っていました。
移座えもんシート
モリトー
モリトー


ちょっと高いかも・・。

ちなみに、身体とシートの下にバスタオルを縦に敷いて、サイドに引けばベット手前に体が来ます。
そして、バスタオルをもって(肩と腰のあたりのナスタオルを両手で体側に近いところで持ちます)向こう側に持ち上げる横向きに簡単になります。

バスタオルを敷く方法は、べつにシートを使わなくても、介助者が二人いれば簡単に移動させる事ができます。

横浜リハセンターでもこの手の介助シートで、家族指導をしていました。

ちなみに、介護保険でレンタルも可能ですが、500単位もするので、安い店で買っちゃったほうがお得かもしれません。


そうそう、今日患者さんの言葉に妙に納得しました。
96歳で毎日散歩を欠かさず、いつも薄着のおじいさんが言いました。
「わしわねー、いつ死んでもいいと思ってるから、気が楽なんだよ~あっはっはhっは」って。

この年齢で、この明るさだから、なんだか妙に納得しちゃいました。
「わが人生に悔いなし」的な感覚でしょうか??

このご夫婦、奥様も90歳(には見えませんが・・)若干認認ご夫妻ではありますが、ヘルパーさんと素敵なケアマネさんの支援で、まだまだ二人で頑張っています。

今日クリスマスカードにチョコレート二つ貼り付けて持っていったら、すごく喜んでくれてさっそく神棚に飾ると言ってくれました

このところ、今まで穏やかに過ごされていた、長いお付き合いの患者さんが、何人か病状が悪化しています。

もうすぐクリスマスとお正月・・・。
家族で穏やかに過ごしてくれたらいいなと思っています。

介護抵抗

2010-12-13 23:55:53 | 訪問看護、緩和ケア
先日退院された患者さん。
退院前から、入院先の病院より「高次脳機能障害で、介護抵抗が強くて大変ですよ。」との情報。
妻も、『すぐに大きな声で「バカヤロー」というし、暴れるので困っています。』と訴えていました。

でも妻は何とかご主人を連れて帰ろうと必死で頑張っていました。

出来るだけサービスをつかって、自分の負担も軽くしつつ在宅で夫を介護したい。

明確な希望がありましたので、うちのケアマネも相談されていた看護師も、あちこち手配をして、妻にもあちこちのデイに見学に行ってもらって、往診医も決めて、あれこれ試行錯誤の上にいよいよ退院となりました。

訪問するとやはり「ばかやろー」と興奮中。

でも、担当のケアマネと看護師が初回訪問で挨拶をすると、ちゃんと目を見てうなずきました。

彼は失語症があり、今のところ「バカヤロー」と言う言葉しか聞けていません。

途中に妻が言葉をはさんで、夫の代わりに答えていると、再び興奮して手足をバタバタと振り回し「バカヤロー」の嵐。
妻が話すのをやめて、看護師たちが自分と向き合うと落ち着いてきます。

そのうち彼は妻に何か身振りで訴えるようにしだしたそうです。
「??何?お父さん?」

どうやら、テーブルの上にあるお菓子を、ケアマネと看護師に勧めろと言っているらしいと言う事がわかりました。

そして、再び妻が夫の介護で大変なことを話し始めると、また怒り出す・・・。

そうなんです。
彼はちゃんとわかっている。
訴えたいことはたくさんあるし、ちゃんと自分の事を分かってもらいたいだけ。

妻は介護に一生懸命で、全部自分で決めてきました。
でも、彼にとっては自分で決めたいこともあったはず。

自分の大変なところばかり言ってほしくなかったのかもしれません。
今、自分が話しているのに、邪魔をされたくなかったのかもしれません。

そして、看護師やケアマネが自分のために訪問してくれていることもわかっていて、すごく気を使っていたんです。

週末に便秘状態だったため、担当看護師は拒否を覚悟で「排便のお手伝いさてもらっていいですか?」と聞いたそうです。
彼はあっさり首を縦に振り、何の抵抗もなくGE,摘便をさせてくれたそうです。

そしてデイサービス。

ワーワー暴れている時にたまたま契約にきたA老健。
「これじゃあ無理かもしれませんね。」と・・・。

でも、そういう状況も全部お話してあるB特養のデイは、「大丈夫です。頑張ります。」と。

いろんな情報やその場の状況だけで、彼にはわからないだろうとか、暴れるから迷惑になるとか、介護抵抗が強いとか、どうもかってに周りが解釈してしまっているのじゃないかと思います。

ちゃんと説明をして、本人が納得してからのケアは、とてもスムーズなことがわかりました。

前のリハビリ病院では、どんなふうに接していたのか、暴れたり怒ったりする原因はなんなのか
少しずつひも解いて聞こうかと思います。

きっと、これから少しずつ落ち着いた在宅生活が送れると思います。

お国訛りと担当看護師

2010-12-12 23:20:09 | 訪問看護、緩和ケア
うちは、横浜にある訪問看護ステーションですが、言うまでもなく患者さんもスタッフも出身地はあちこちです。

特にご高齢の患者さんやご家族は、故郷に特別の思いを持っていることが多いですね。

初回訪問の時に、ご出身を聴いて初めて故郷のわかる方から、最初の一言で東北の方とか関西の方とかわかることもよくあります。

東北と言っても、私にはあまり違いは分からないのですが、それぞれの地域で全然違うのだそうですね。

何十年こちらに住んでいても、全然訛りが抜けない方も多くて、うちにも茨城弁が抜けないスタッフがいます。
本人は、全く標準語をしゃべっているつもりですが、いやいやイントネーションが全く違います。

一家で青森弁の患者さんと、病院で初めて会った時には、上京して介護されている長女さんの言葉に聞きほれてしまいました。

もちろんこちらに在住のご両親も青森弁でした。

私は、なるべく同じ郷里の人に担当看護師をお願いしています。

でも、今現在青森県人はいないので、青森と言っても秋田よりと聞いたので、秋田県の大館出身者に担当をお願いしました。もちろん患者さんは、大喜びしてくれました。

だいぶ以前、東北弁バリバリの患者さんの奥さんがいました。
彼女は、いろんなサービスを受けいれずに、一人で末期の夫を抱えており、時に攻撃的な言葉も聞かれる方でしたが、前任の管理者(秋田出身)が東北弁で話しかけたところ、急に受け入れがよくなって驚いたことがあります。
この時の奥さんの言い分は「東北人に悪い人はいない!」と言うものでした。
一度、私も前管理者と一緒に訪問しましたが、会話についていけるはずもなく・・・。
「東北人でなければだめだ!」と言われてしまいました。

うちには福島県人もいるので、その時は秋田県人の管理者と福島県人のSナースで、最後までお看取りをしました。

これは極端な例ですが、やはり同郷のよしみっていうのはあるようです。

九州では福岡県人がいます。
やはり以前、福岡から娘さんの家にひきとられ、あまりご家族に心の内を言えない方がいらっしゃいましたが、彼女が訪問の時は、福岡弁で本音をポロリと言う事も多かったそうです。

他には広島、静岡、新潟、京都(舞鶴方面)、そのほかはこの近辺の人になりますね。

全く同じ県ではないにしても、近い場所だったりすると、すごく話も弾むみたいです。
私は、この辺の人間なので、そういう故郷を持っている人がすごくうらやましいです。

岩手弁のおばあちゃんのところに行って、何か言われているのだけれど、全然聞きとれないこともあって、申し訳ない思いでした。
この方の場合、娘さんも「方言きつくて、私にもわからないことがある。」とのことで、何度か聞き直したりして許してもらっています。

めぐみ在宅クリニックのO先生は、山形県でしばらく働いていたことがあり、僻地医療もされていたそうで、奥様は山形県人です。
そのためか、東北弁を聴くとなぜかハイテンション気味となり、山形弁で話しかけています。

「大嶽さん!末っ子の事を東北弁でバチッコと言うんですよ。知っていますか?」などと、往診中も時々振り返って教えてくれますが、全部が全部そうなのかは知る由もありません・・。

そういえば、青森県人でも津軽弁はわからないそうですね。
子供の頃、青函連絡船に乗ったことがあって(年がわかりますね・・・)その時意味不明な日本語が飛び交っていたのを思い出します。
そしてたった今、私が船酔いをして、船のトイレでゲロゲロしていた時に、「これを飲めば楽になる」みたいなことを言って、「護符」と書かれた紙に入った赤い粉末をくれた事を思い出しました。
なんだかすごくあったかい、遠い遠い記憶の一コマですね。
そういえば看護学校の時、鹿児島の奥のほうの友人が、郷里に電話をかけているのを聴いたとき、全く意味が分からなかったのも思いだしました。
おそるべし、お国ことば。

そんなわけで、故郷の匂いを運んで行けるのも、訪問看護の良さなのかもしれませんね。

それにしても、私は語尾に「じゃん」を付ける程度の方言しかありません。
もう少し、他の地域の言葉がしゃべれるといいのになぁ・・。

私の支え

2010-12-11 23:16:44 | 日々のあれこれ
年末です。
毎日がせわしなくなっていますね。
昨夜は、三ツ境なかよし学童所の運営委員として、運営委員会に行ってきました。

娘が小学校卒業と同時に、なかよし学童を卒所してもう4年もたちます。
(なかよし学童は、縦割り保育で6年生までいられるんです。)
うちは、息子も娘もなかよし学童で育ててもらったようなもので、子供たちにとっても第2我が家になっています。
そのお礼の意味もあって、今は学童存続のため運営委員をひきうけています。
久しぶりの学童は、運営委員や各小学校の校長先生に見せるための大きな紙芝居や、けん玉を持った子供たちですごい熱気。

今日の夕飯は、お母さんたちと指導員の先生たちで作った親子丼です。

学童中にいいにおいが立ち込めて、私のおなかもキュ~と鳴ります。

おかずは大根の皮とじゃこのきんぴら、大根の甘酢ずけ柚子風味。
大根の葉っぱの浅ずけ。と言う大根ずくし。

この素朴なメニューも懐かしいです。

早めに着いた私もお相伴にあずかり、美味しかったです~。

学童名物巨大紙芝居も、あいかわらずマニアックな感じでよかったです。

そして、やはり学童名物「けん玉」。

次々と子供たちが入れ替わって、技を披露してくれます。
飛行機や鍛冶屋や、灯台や世界一周、ヨーロッパ一周などなど・・。

一年生から6年生まで、みんな上手です。

最後はなぜかフィンガー5の「恋のダイヤル6700」を最後まで歌って「ハローダーリン」とか言いながらけん玉を見せてくれました。
それがかわいいのなんの・・。
なんで今どきの子供が、そんな歌全部歌えるんだ???
とおもいつつ、やっぱりここはいいなあと思いました。

なんか、子供が子供でいられる場所ですね。
上が下を見るのが当たり前で、おやつにイナゴとか平気で食べちゃう学童です。
それも、自分たちで取りにったり、つくだ煮にしたり・・。

私は、絶対に食べられません。虫だけは、勘弁してください。
昔(子供の頃ですが)、蜂の子の刺さったご飯見て、気が遠くなったことがありましたし・・。

長野とか、海から遠い地域のかたは、海がないので昆虫は貴重なタンパク源だったんですよね。
ザザ虫とか、蚕の蛹とか、ご馳走だったと聞きましたが・・。
カマキりも食べると聞いたことがありますが、本当でしょうか???

とにかく、そんな懐かしい時間のあとは、昔の親仲間と美味しいお酒が飲めました。

こういうのも息抜きですね。
普段は、ほとんど老人や重症の患者さんと接しているので、元気な子供のエネルギーはすごくパワーをもらえます。

長年、この学童保育の主任指導員をやっているG先生は、子供にストロー刺してエネルギーを吸っているから、あんなに元気なのだという噂があるくらいで、いわばパワースポットと言っても過言ではないですよ。

そして、なによりここで子育てを手伝ってもらえて、子供とのかかわり方や、いろんな行事を知ることができました。

私は、毎日仕事で生死にかかわっているし、社会の隙間の溝を探っているような生活をしていますが、そんな私の支えがここだったんだなぁと思います。

「委ねられる場所がある。」

安心して仕事に専念できて、でも子供の事ちゃんと見ててくれる人がいて、いつでも相談に乗ってもらえて、そんな仲間もたくさんいて、時に大人も子供も一緒に遊んでいた、そんな場所でした。

自分で選んだ子育て方法、
安心して委ねられる場所。

ここは私の自律を支える場所だったんですよ。

子供の事、仕事の事、家族の事、誰にも言えなくて、追い詰められて一家心中なんてこともよく聴きます。
仕事ができるって、ありがたいな~と思います。
生活のためだけでなくて、そこからいろんなものが広がっていくでしょう?
いろんなものを見て、多くの事を学べますから。

その子供たちも、今ではあまり手もかからなくなりました。

仕事はまだまだ忙しいけど、私を待っていてくれる人に応えられるように、時々子供のエキスを吸いに行こうと思っています。怖・・・