こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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明日から4日、お休みします!

2010-03-30 22:52:59 | 日々のあれこれ
やっと晴れましたが、風がめっちゃ冷たいですね。
でも、桜は少しずつ開き始めています。
同じソメイヨシノでも、一分咲きのところと、7分くらいのところがありますが、今日訪問の途中見た桜は、もう7分咲き位でした。
冷たい風の中でも、青い空に向かってきれいな花を揺らしていました。

 
この辺は、日当たりがいいのかも・・・。 
 それでも、まだまだこれからですね。


ステーションに戻ると、今日はヘルパーさんの治療食試作日で、Oさんがおいしそうな減塩食を作っていてくれました。

事務のコウコちゃんレイアウトで、ちょっとした逸品に。
    
 いかがでしょうか?

メニューはみんなのリクエストにお応えして、レンコンのはさみ揚げ。
そして、もやしと三つ葉の梅肉あえ。

残った材料でスープも作ってくれました。
おいしかったです!
塩分は少なくても、酸味や薬味、ダシでおいしく食べられました。

たっぷり作ってくれたので、ちょっと食べすぎましたが・・・

今日は、昨日の続きの残務整理をしつつ、明日からの不在時の対応などをお願いし、早めに帰宅しました。

明日はちょっと暖かくなるのかな??せっかくの旅行、寒いと嫌だし・・。

そんなわけで、明日からしばらくブログは更新できません。

6日の夜には帰ってくる予定です。
帰ったら、香港旅行の御報告をします!

それで行ってきまーす。




顎がはずれて緊急訪問?

2010-03-29 22:35:54 | 訪問看護、緩和ケア
もう4月になるというのに、今日も雪が舞いました。
寒すぎます。
去年の今頃は、結構ポカポカの日が多くて、庭仕事をしたり菜の花を見に行ったりしました。

寒気が居座っているとか・・・

こういう日が続くと、患者さんも元気が出ませんよね。
お風呂だって、入りたくないっていう患者さんも多いです。

年度末に来て、何だかいろんかことがあってけっこう堪えている私には、結構辛い寒さです。
でも、でも、それも、明日まで。
明後日からは、待ちに待った香港旅行ですから、常春の国で一気に気晴らししたいと思っています。
たった3泊なので、たいして見れないけれど、とにかく子供たちと楽しんできます。

そのために、今週中にやっておかなければならない仕事が山のようにあって、あっちもこっちも中途半端に放り出してる仕事を、着実にかたずけなければならず、結構焦っています。

そして、いまだに頭を抱える退院患者さんの調整。
さらに、入院へ向けての調整。
週あけ予定の皮膚科と、耳鼻科の往診準備などなどに追われ、今日もあっという間に一日が終わりました。

病院も、退院調整に追われているようです。
何件も新患のご依頼がありましたが、退職者の患者さんを割り振った上に、退院の方の複数回訪問が一気にあり、お受けすることが出来ません。

信頼して頂いているのに、お断りするたびに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
何とか、ここを乗り越えて、いろんな業務整理や労使交渉が終わるといいのですが・・・



そう言えば、今日の朝カンファは、短い時間のなかで患者カンファのほかに、多系統萎縮症と脊髄小脳変性症の講義を聴いてきたスタッフからのミニレクチャーがあり、昨夜の緊急当番が真夜中に格闘した顎がはずれた場合の入れ方を教わった話で、勉強になりました。

神経難病の患者さんで、全身の筋力の低下の為か、あごが外れる患者さんがいます。
お一人は、息子さんが慣れていて、完全に外れる前に顎を押さえて何とかなっちゃうのですが、昨夜の方は、ご主人ではどうにもならず、痛みも強く訪問要請がありました。

顎がはずれて緊急訪問と言っても、私たちにはどうする事も出来ず、悩んだスタッフは情報センターから24時間対応の歯科医院を教えてもらい、そこに電話をかけました。

難病のため、簡単に連れていけるわけはなく、親切な歯科医が電話越しに指導する方法でトライしたそうですが、痛みが強いし関節を痛めてはまずいので、結局あきらめて救急搬送し、整形外科医に入れてもらったそうです。
今後、どう対応知ればいいのか、現在も模索中です。
どなたかいい案があったら、教えてください。

春まであと一歩。

2010-03-27 23:29:36 | 訪問看護、緩和ケア
せっかく晴れたのに、なぜか気温があがりませんね。
一分咲きのまま、ソメイヨシノも困ったように蕾を固くしています。

でも昨日、ケアプラン配布の帰り、裏の公団住宅で「つくし」を見つけてしまいました。

昔は、つくしなんて、その辺の空地にいくらでも頭を出していたのに、近年この辺では見たことなかったのですが、灯台もと暗し。

こんな近くにこんなにいっぱい、つんつん頭を出していました。

一本採って見ると、薄い緑色の胞子がいっぱい詰まっています。
指で頭をポンポン叩くと、ボワッと誇りみたいに胞子が広がります。
土筆って、これで増えるの?

昔たくさん摘んできて、お母さんに「お浸し」作ってもらった思い出があります。
たしか、ほろ苦かったような。
蕗のとうもそうですが、春の野草ってちょっとほろ苦いのかも知れませんね。

風はまだまだ冷たいけれど、「つくし」のつんつん頭を見ていてすごくうれしくなりました。


夜になって、家に帰ると玄関に楽天BOOKSの包装紙がありました。

頼んでいおいた本です。

こんなすごい本があるの、私知らなかったんですよ~。

独居の患者さんの看取りで、「これでよかったのか」と言う思いにとらわれたときに、「緩和ケア医の日々所感」と言うブログのコメントをを通して、教えていただいた本です。

でも、今読んでよかった。
今、読むべき本だったと実感しました。

私の感想を述べる事は差し控えます。
もし、「死」というもの、それにかかわる人との価値観に思い悩んでいる方、まだ読んでいなければ是非お勧めします。

「納棺夫日誌」も、感銘を受けましたが、もっとダイレクトなメッセージを受ける事が出来ます。
ただ、その受け止め方にも価値観の違いはあると思いますが・・・

また、「緩和ケア医の日々所感」のなかの「ハイジの隠れた話」も御一読ください。
(この前から、リンク貼ろうとしても、貼れなくなっちゃったんです。飛べなくてごめんなさい。なんでだろー??)

どうどうめぐりの・・・

2010-03-26 23:59:37 | 訪問看護、緩和ケア
重度の慢性疾患で、合併症から重度の感染症に至った患者さん。
もう退院は難しいだろうと思っていましたが、無事に帰宅されることになりました。

退院は、みなさん結構突然に決まるようで、この二日で3人の患者さんの退院が決まりました。
3人とも、かなりの重症で入院されたので、今度の退院は体力的にもかなり低下している事が予測され、みんなであわてて日程調整に追われました。

療養が長くなるにつれ、いろいろな問題が噴出してきます。
患者さんを支えるためには、家族も支えなくてはなりません。
患者さんの希望に沿いながら、家族の希望もかなえることが出来れば一番いいのですが、そんなにうまくいく事ばかりではないのが在宅です。

一生懸命、添おうとすればするほど、八方ふさがりになってしまう事もありますし、私たちが考える解決策が受け入れられるとも限りません。
じゃあ、どうするか。
腹を決めるか、選択するかしかないのに、それすらできない場合はどうするのか。

『患者さんは家にいたい。好き勝手にしていたい。好き勝手にしてると死ぬかもしれない。でも死にたくない。
家族は、介護に限界。好き勝手なので腹が立つ。もうヒステリー状況。でも入院はさせたくない。でも言う事を聴けないし、我がままなので怒鳴ってしまう。あやまられるとかわいそう。家に置きたい。でも辛い。子供にまであたってしまう。でも、子供には介護する姿を見せたい。』


どうどうめぐり。

まあ、いろいろ提案しました。
小規模多機能でのお泊まりや、いろいろなかけひきの方法から、お互いがどこで譲歩できるかなどなど・・あらゆる方向から、ケアマネさんと一緒に話し合いましたが、2時間半近くかかっても、この訴えは一つも譲歩出来ることなく、どれ一つ欠けることも歩み寄る事もできないまま話を終わりにしました。

在宅療養をされているみなさんの多くが、迷いながらも選択し、一つ取ったら一つ我慢したり、ちょっと誰かに委ねたり・・
だから、やさしくなれるし、感謝もできるんですが、全部を望んで何一つ残らない状況にはまりこんでしまった場合は、さすがに言葉をなくします。

これも、本人たちが選んだ道なのだと思うと、実はそうではなく「選べないし、どれも捨てられない。」そして助けてコールを受けて話し合っても、どうどうめぐり。

結局、流れに任せるしかないのだと、こちらが腹をくくるしかないみたいです。

援助と一言でいうけれど、なんでもかんでも受け入れる事が思いに添う事でもないし、こちらの価値観があまりにかけ離れていたりすると、どうしていいのか悩んでしまいます。

よくあるケースでは、「助けて!辛い!」といいつつ、解決策などを検討すると「うるさい。ほっといて。」「何かしてくれとたのんだ覚えはない。」と返ってきたりして、要するにウンウンと聴いているだけ、それが一番満足だったりする事があります。

表面的に求めている事と、実は裏腹に求めている事が違う事あったりで、援助者のプロとして向き合っていくのは、本当に難しいなと思います。

こういう場合、病状の重さが問題ではなくて、長年の家族関係であたったり、双方のパーソナリティーから起因することもあるので、どこまで介入してもいいのかは、悩むところです。





笑うかどには・・・

2010-03-25 23:20:22 | 訪問看護、緩和ケア
先週から今日まで、仙台から単身訪問看護研修にきていたHさんが、研修を終えて帰って行きました。
明日には、仙台に戻るとか・・・

同行訪問から、毎回笑顔で帰ってきては、何の違和感もなくスタッフに溶け込んでいましたので、なんだかスタッフと間違ってしまいそうで、明日から来ないのが、とてもさみしいです。

訪問看護は一人で行くので、みんな最初は「不安」を口にしますが、訪問看護は、実は一人ではないんです。

いつもその後ろには、私も、ほかのスタッフも先生たちも、ちゃんと一緒にいるんです。
不安なら電話一本いつでも助っ人に行きますし、実際やってみるとちゃんと出来ちゃうのがあら不思議。
そのための朝のショートカンファがあるし、いつでもスタッフ捕まえて、みんな今日の出来事を報告し合ったり、助言し合ったり、だからみんな仲がいいんですよね。

できれば、ここに戻ってきてくれればうれしいけれど、自分の人生なので、納得いくような形で、再スタートを切ってくれればうれしいなと思いました。

このところ、患者さんがいっぱいで新患さんがとれないので、逆にちょっと余裕が出来て、スタッフとのおもしろ話に、花が咲いたりしています。

お弁当食べながら、排便コントロールの話やら、腐乱死体の解剖の話やらと、普通の職場では考えられない話で盛り上がり、患者さんとのおもろ会話などの話で、なんだか気持がほわっとしました。

このところ忙しすぎたので、時にはどうでもいいような、おばか話で盛り上がるのもいいものです。
そういう意味でも、研修のHさんは、新風を吹き込んでくれたようです。

今日も、やけに冷たい雨が降っていましたが、明日からは少し晴れるのかな?
来週の今頃は、香港です!
買い物して、おいしいもの食べて、パーっと遊んできますね。

そうか、そうなんだ。

2010-03-24 23:24:44 | 訪問看護、緩和ケア
この前から、ずっと「これでよかったんだろうか?」という思いにずっととらわれてきました。
私が、いつも勉強させていただいているブログ「緩和ケア医の日々所感」の「ハイジの隠された話」に寄せた私のコメントに答えてくださった有賀先生の言葉に、とても納得しましました。

そうか、そうなんだと。

先生は、「モリ―先生の火曜日」という本を紹介したうえで、
《これでよかったのだろうかという疑問は、ケアギバーの解釈であり、推論の域を越えないものだと思えるようになり、人が自ら決めたことを歩んでいくということは、私達の価値観を越えたその人の価値の中にあるのだと思います。≫
と答えてくださいました。

そうです。彼が決めて選んだ形です。
それがよかったのかどうかは、私のなかで解決するものではなく、彼の価値観のなかで判断されるものなのですよね。

「一人で死ぬのは孤独である」と感じるのは私の価値観であり、決して彼の価値観ではない。
確かにそこで失われていく命に、感情移入していたように思えます。

感性は豊かであるべきですが、やはり感情にまかせて、測りえない人の思いに疑問を持つのは違うのだと納得しました。
今日、「モリ―先生との火曜日」を発注しました。

私の悪いところは、今も昔も感情移入しすぎるところです。

自分では、客観的なつもりでも、いつのまにか自分の気持ちの中で、沈み込んでしまう事があります。
自分のではわかりようもない人の価値観。推論で考えてわかるはずのない事。
これは看護の上だけでなく、生きていく上でとても大切な事だと感じました。

これまで見送った人たちの中で、何度か同じ思いを抱いて、苦しいと感じた事があります。
けれど、それはその患者さんが選んだ道であったわけで、それがよかったのか、悪かったのかは彼らの中にしかないのだとわかって、とても救われました。


この事を考える事で、また気持ちが少し上に向きました。
単純なのかな~?私ってば・・・

ところで、話が変わりますが今日うちのスタッフが「びっくりしたんですよー!」と言って帰ってきました。
入浴介助の後、記録をしていた彼女が、何かの気配にふと炬燵に座っている患者さんを見ると、大きなカメが患者さんの身体を横切って、首をのばしながら風呂場の方へ去って行ったそうです。
「えぇ~!?カメ?!」
お家の人は意も介さずに「そうそう、放し飼いにしているの、こたつの中にもあと3匹いるわよ。みる?」と言ったとか。

どうやら陸ガメのようですが・・・炬燵で逢うんだ・・・・
ウンチとかどうするんだろう・・?
と後で話題にはなりましたが、いろんなペットいるんですね。

そう言えば、娘の友達はイタチを飼っていて、フェレットみたいに品種改良されていないので、ものすごく臭くて動物園の匂いがしたそうです。
ちなみに、フェレットやお猿さんを飼っている方は意外に多いようですね。

爬虫類は、ちょっと苦手ですが、かえるならいいかも・・
うちには、巨大な黒いウーパールーパーが2匹今年も冬をこえました。
あと、玄関のあたりにヤモリがよく出没します。
奴は超かわいいですよ。指の先が丸くて目がくるくるしてて。

こういう話は、悪気なくて面白くて、素直に笑えるので癒されます。

もっと、面白い話ないかなー?

時には弱音もはきます。

2010-03-23 22:28:14 | 訪問看護、緩和ケア
は~・・^_^;
いろんな事がありすぎます・・・

訪問看護ステーションと言っても、気がつけば居宅もヘルパーも併設する大規模訪問看護ステーションになっていました。
在宅のニーズから、少しずつ人が増えました。

そして、来る人もあれば、去る人もいます。

頑張らばないと、置いていかれる。
頑張ると、頑張りすぎだと言われる。

ビルゲイツ氏のように、ずっと働いて行こうと言うモチベーションは、目指すものがあるからですよね。

私の目指すところは、一人ではいけません。

心のカップが、MAXにならないうちに、だれかソーサーを下さい。

見送る・・・

2010-03-22 23:33:11 | 訪問看護、緩和ケア
あまりにも痩せて、白い布に包まれた彼の身体は、本当はそこにいないのではないかと思わせるほどに、軽々とストレッチャーに乗せられました。

部屋のなかは、先ほどまでヘルパーさんや看護師がかたずけてくれていましたが、今はもう私しか残っていません。

ヘルパーさんは、本当によく見てくれました。
食べられないのに、食材を買ってきてほしいと言われれば、買ってきていつでも食べられるようにセッティングしてくれていましたし、トイレに行きたいと言えば、抱えて連れて行ってくれました。もう喉を通るはずのないお酒も、苦しくて吸えるはずのない煙草も、見えるところに置いてくれていました。
独り身の彼のベランダには、いつも洗濯物がヒラヒラと揺れていましたね。

だから私も先生も、なるべくならヘルパーさんを第一発見者にはしたくなかったのですが・・・

それでも、一緒にかたずけものをしてくれて、ゴミもまとめ、冷蔵庫の中もきれいにかたずけてくれていました。
死亡確認も、一緒に聴いてくれました。
ここのヘルパーさんには、こういうケースばかりをお願いして、申し訳ないと思いつつ、安心してお任せできるので、いつも無理を言ってお願いをしてしまいます。

隣のおばさんの、数回会っただけの近所の人もお顔を見に来てくれました。

先生がお別れのあいさつを言って帰られてからも、一緒に身辺整理をしてくれてから、名残惜しそうに帰って行かれました。

葬儀社の方が二人、暖かな春先の小道をストレッチャーで運びます。

紺色のバンの後部ドアをバタンと閉めました。

「独居の方、多いんです。」葬儀社の方が言います。
「でも、こんなにいろんな方が関わってくれて、お幸せだったと思いますよ。本当に誰にも気ずかれない方もたくさんいらしゃいますから。そうしたら、まず警察が入りますし、監察医務室ですから・・。あとは、責任もって私たちが納骨までいたします。ありがとうございました。」

私は、その小道の真ん中で頭を下げ、こん色の車が角を曲がって見えなくなるまで、立っていました。

私が、最後まで、ちゃんと、見送らなければ、イケナイ。

そう思っていました。
彼は、旅立ったのです。
砂利道が、妙に白く明るく見えました。

ドアを閉める時・・・

2010-03-21 22:32:14 | 訪問看護、緩和ケア
こんな物語り・・・聴いて下さい。

たった一人で死の宣告を受け、たった一人で死んでいこうと決めた人が、自宅に帰って10日ほどたちました・・・

「自分でできる事は自分でさせてください。」

そう言っていた彼の目は、すでに遠くをぼんやりと見つめたまま、しろく濁り始めていました。
「こんばんわ!○○さん!」2度ほど玄関で大きく声をけると、「はい・・」と、一度はわずかに返事がありましたが、それからは何も語らず、なにも聴こえないようでした。


前夜、8時過ぎに3度目の訪問をすると、たくさんの人の気配が・・・
ドアを開けると、先生、二人のヘルパーさん、そして初めてお会いした隣のおばさんに囲まれて、しっかりと目を開けてお話をするKさんが、とても穏やかなお顔でそこにいました。

夕方来た時は、痰がうまく出しきれずにずいぶん苦しんで、吸引をしたりうがいをしたりしながら、やっと多量の痰を出せて横になっただ時には、肩で荒い息をしていました。
血圧も80ほどしかなく、酸素を3ℓまで上げ、しばらくすると眠りにはいって行きました。

呼吸は、先ほどのゴロゴロは無くなり、静かに穏やかになっていたものの、そこに忍び寄る死の影は濃く、夜8時のヘルパーさんが来るまでの無事を祈って静かにドアを閉めました。

O先生に報告をすると、夜には往診してくれると言ってくれました。

どうやら、ちょうどみんな一緒になってしまったようです。
ヘルパーさんは、時間をだいぶ過ぎても、そこにいてあれこれと手を貸してくれていて、いつも暗い部屋は、暖かな光に包まれてました。

ちょっとお酒が入った隣のおばさんは、それでも涙を流しながら、「先生、何とかしてやって下さいよ。」と詰め寄りました。
「頑張んなよ。ほら、お酒も用意してあるよ。あたしがちゃんと見てやるから、頑張んなよ」と言ったり、手をさすったりしてくれました。

「誰もいません。」
「友達もいません。」

そう言っていたKさんにも、私たち以外に涙を流してくれる人がいた。

それがお隣りの酔っ払いおばさんでも、Kさんんはどれほどうれしい事か。
ヘルパーさんたちも、あれこれとお世話をしてくれます。
足の踏み場もないすさんだ部屋は、今ではKさんの布団を何人かで囲めるほど整頓されています。
酸素のブクブクという泡の音。
人の気配。
心配する人のまなざしが、どんなふうにKさんには感じられるのか・・・

先生は、「お酒、もちろん飲んでいいですよ。みんなで、同じ方向を見てKさんの苦しみを取る事を最優先に考えて行きましょう。」

そして、そこでヘルパーさんと先生と、明日の予定を確認しました。

先生が帰ってっから、Kさんはどうしても自分でトイレに行くといい、ヘルパーさんと二人で抱えて連れて行きました。
トイレが終わると、また苦しくはなりましたが、寝る前に座薬を入れて酸素を横に置くとうとうとと眠りに入りました。
最後に彼が言った言葉は、「ヘルパーさん・・明日の朝は何時に来るの?」
「9時には必ずきますから、それまでゆっくり休みましょう。お休みなさい。」
そして、静かな寝息を聴いてドアを閉めました。

今日は、朝昼とヘルパーさん、午後から先生が訪問し、夕方私が尋ねました。
けれど、彼はもう何も語らず、なにも見ていませんでした。

何度も声をかけましたが、わずかに動く瞼以外に反応はなく、けれど彼には私の声かけが届いているのではないかと、そんな気がしました。
昨日の夜「明日の朝は何時に来るの?」と聴いた彼は、どんな思いで朝を待ったのでしょうか?
何故、そうまでして一人を選んだのでしょうか?

乾ききった口を閉めらせ、閉じた瞳に目薬をさし、かすかに震える肩をくるんで、しばらくそばにいました。
このまま置いて行きたくない思いが胸を締め付けます。
どんな人生を送ってきたとしても、どうしてこんな最後を選ばなければいけなかったのか。

いつも帰る時は、電気を全部消して下さいと言っていました。

でも、今日は消せませんでした。

暗闇に、置きたくなかった。

「お休みなさい。また、来ますから。」
そしてドアを閉めました。

どうしてこんなに悲しいのだろうと、涙が止まりませんでした。

2時間後には、今度はヘルパーさんが来ます。
ヘルパーさんもまた、特別な思いでドアを閉めるのでしょう。

今夜も、彼はたった一人で夜を過ごすのです。

それが、彼が選んだ最後の過ごし方なのですから・・・





フェンス越しのタンポポ

2010-03-21 16:30:49 | 日々のあれこれ
今日は、中区の山元町にある、嫁ぎ先のお墓参りです。
すごく高台にあって、かなり見晴らしがいいのですが、今日は天気が良いと言うのに、黄砂で視界がぼやけています。
早咲きの寒桜の無効に、ランドマークタワーがかすんでみえます。



反対側は、根岸の森林公園が見えます。 昔の競馬場跡が、なんともしぶいです。

そして、ここは横浜。
フェンスの向こうはアメリカです。

柳ジョージがその昔歌ったように、「フェンスの向こうのアメリカ」は今でもそこにあります。


フェンス越しのたんぽぽ 

ちなみに、柳ジョージの「青い瞳のステラ」もいいですよ。

このあたりは、そんな歌が懐かしい場所です。

トイレにいきたい。

2010-03-19 23:58:25 | 訪問看護、緩和ケア
どんな病気になっても、どうしても自分でしたい事。
それはトイレじゃないかと・・

尿に関しては、それでもまだ妥協できるかもしれませんが、便はトイレでしたいですよね。

第一、寝ていて「う○こ」は出るものじゃないでしょう?

重力に逆らって排せつをするのは、辛いですね。

排尿だって、なかなか出ません。
昔、「おむつで寝ておしっこをする」という体験をしてみましたが、やはり出ませんでした。
去年、直腸の手術をしたあとも、ベットの上で尿器を当てられましたが、どんなに頑張ってもどうしても尿器に排尿する事が出来ず、最後には導尿をお願いしました。

まして力む事もできないので、寝たままでの排便は、本当に難しいと思います。

療養中の患者さんも、認知症がすすんでいたり、寝たきりの方以外は、排せつへのこだわりはとても強いものです。

意識がはっきりしていればなおのこと、トイレには行きたい、身体は辛いで、苦しむ方がたくさんいらっしゃいますね。

以前見学した、横浜市民病院の緩和ケア病棟は、そういう思いを尊重して、室内のトイレの境をアコーデオンカーテンにしてあって、ベットごと横ずけできるようになっていました。

昔O先生も、患者さんがトイレに行く事が支えならば、ベットをトイレそばに異動させましょうと言ってましたが・・

ですから、訪問の時に衰弱が進んでいても、どうしてもトイレに行きたい人を、むりやりベット上でさせる事は極力避けています。

(人にお手伝いをゆだねられるまで、待つ事も必要なので。)

ベット上で浣腸まではしても、結局トイレ行きたい思いが強いほどうまく出ませんので、そういうときは、なるべくトイレに連れて行きます。
そしてトイレでたっぷり出たときの解放感は、何よりの薬になりますよね。

(和式トイレも、すっぽり被せて洋式トイレに簡単に変身させるものも、福祉用具で買えますから、和式の人も座ってすることができます)。

訪問看護の仕事の内容で、実は一番多いのが、排便コントロールかもしれません。
できる事なら自然に出したいし、食生活に注意したり、おなかの調子を整えるお薬を飲んだりしてもらったりしますが、病状が進み、体力が落ちてくるとそれが困難になってきます。
これって、なかなか人に言えない苦しさで、食事量の低下も、ひどい便秘のせいだったりすることがあります。

ですから、私たちもバックの底には、そっと浣腸とゴム手袋は忍ばせてあるんですよ。
いよいよ辛くなって、ヘルプが出たときには、即対応できるように。

ただし、寝たきりの年寄りや認知の方に関しては、自分で訴える事が出来ないので、必ず直腸内を確認します。

よく、初回訪問で「便は出ていますか?」と聞くと、「毎日ちょこちょこと出ています」とか、「おしりふくたびに便がついています。」という答えが返ってきます。
ほとんどの場合、直腸の中は便でパンパン、ひどい時には肛門が膨らんでいると言う事もあります。便は直腸にたまっているのに、腹圧がかれられず、上から押し出された分だけちびちびと出るのです。
そのために、いつもお尻は便が附着していたり、モゾモゾとしたり、場合によっては自分でお尻をいじって便だらけになったりするんです。

この場合は、主治医との連携がとれていれば、速やかに浣腸を使ったり摘便をしたりします。
そして、てんこ盛りの便を前に、ご家族もびっくりということで排便コントロールが始まります。
普段はきれいさっぱり、看護師さんが来た時はたっぷり排便。

それがご家族にも本人にも楽だったりします。




今日の学習~死にまつわる最終費用~

2010-03-18 23:15:57 | 訪問看護、緩和ケア
身寄りのない、独居の方のケアマネをすることになった時、いろいろ調べておかなければならない事がいっぱいあります。

生活保護の場合は、一番面倒なお金の管理をやってくれますので、あまり困ることはありません。

でも、多少なりとも貯蓄などがあると、そのお金を管理して下さる人が必要になてきます。

本人が、いくら天外孤独と言っても、実は縁を切ったものの兄弟がいたりすると、行政的にはそこに依頼しないとだめらしいんです。
そのためには、本籍から親族探しをするのですが、個人情報のやりとりになるので、全部郵送で行うのだそうです。
そこで、足取りを掴んだ親族へさらに郵送でお伺いを立てるわけですから、悠長な話になります。
そんなことをしている間に、病状は悪化していくわけですし、安心センターに繋ぐにも、意識のあるうちに契約しないと手遅れになります。
それも後手にまわりそうなときは、最終手段で行政のワーカーが、キャッシュで預かるということになります。
これも、本人の意識のあるうちに了解を得て、銀行から引き出さないと、後で面倒なことになります。

各サービスの料金引き落としは、月遅れになりますし、現金処理しないといけないものもたくさんあります。
ですから、それをきちんと計算して振り分けておかないといけませ。

近所の葬儀屋さんにお聞きしました。
御自宅で亡くなってから、御遺体を荼毘に伏すまでの一連の手続きを、全部お願いしたらおいくらですか?と。
会社によって違うのでしょうが、そこは30万とのことでした。

では、そこから本人が希望するお墓に納骨するまでは?
と聞くと、お寺か墓地かによっても違うそうです。
つまり、お墓の名義人が亡くなった場合、そのお墓を相続する人がいないと、多少の永代供養量を払っても嫌がられるのだそうです。
誰もいなければ、お墓の毎年の管理料も払えませんし、どのみち何十年かすれば、無縁仏扱いになるので、高額の永代供養量を払ってまでお墓に入るより、最初から共同墓地みたいなところに入れてもらった方がいい場合もあるのだとか・・・
でも、もしお墓に入ることが出来れば、お墓のあるお寺などと連絡を取り合って、納骨まで取り行ってくれるそうです。
料金は、場所などにもよるようですが、そんなにはしないようです。

もうひとつは、後かたずけです。
住人のいなくなった部屋の荷物を、誰がかたずけるのか。
これも、ちゃんとやってくれるところがあるそうです。
一番お金がかかるのが、大型の家財道具や家電で、できれば事前に見積もりがあった方がよいようです。
ゴミまで持って行ってくれるようです。
通常10万~荷物の多さに比例してウン10万だそうです。

あとは、お金の管理をしてくれている人に、各サービス業者が請求をするわけです。
残ったお金は、法定相続人に行くんでしょうね。
いなければ、お国のものですか・・?

ですから、事前に家賃なども含めて、これらのお金を計算して、本人の目の前で振り分けて
了解を取っておく必要がありますよね。

こういう事も、全部自分できちんと始末している方もいるのでしょうが、多くの場合は、ケアマネや行政や地域の世話役などが何とかするしかないですよね。

もし、自分が死ぬとき一人だったら、どこまで手配していけるだろうかと考えてしまいます。

そして、病の床についてから、赤の他人に自分のわずかな貯蓄を振り分けられる気持ちは、いかばかりかと考えてしまいます。

スタッフが言うには、家族がいても遠方で墓の管理が出来ないので、「永代供養料を払ってお墓の管理をお願いしたら300万かかった人がいた。」とのこと。

そういえば、お墓に入る時はほとんどの宗派が戒名に高額な料金を払っていますよね。
お金であの世の地位を買うっていうんでしょうか??
浄土真宗大谷派と言う宗派は、戒名に位なんかつけず、金額も安いし理解しやすいから改宗しようかな~と、おじいちゃんが言っていた事があったのを思い出しました。
いつか患者さんにお線香をあげに行ったとき、そこのおばあちゃんが「うちのおじいさんには、ウンといい位の立派な戒名を付けてもらから見て行って。」と言われた事がありました。数百万の単位だったと思いますが、複雑な思いで「御立派ですね。」と言うしかなかったですが・・・
でもまあ、おばあさんが、満足していたのでいいのかなと。お金もちだったし。

でも今回のような場合に、そんな法外な戒名つけられたら、何もはらえなくなっちゃいますよね。戒名いりません。って言うわけにはいかないんでしょうか??

まあ、こういう一連の作業は、誤解を招かないようにワーカーさんを交えて、ご本人の意思確認をしながらやっていくしかないですね。

でも、これが急変とかで何も準備が出来ていなかったら大変でしょうねー。
ケアマネって、いったいどこまで動くんでしょうね?



凹んだ気持ちが上がる時。

2010-03-17 22:22:17 | 訪問看護、緩和ケア
実はこの数か月、いろんな意味で自分の立場や、お上との価値観の違いで、凹むことが多かったのです。
その上今日は、朝から崖から突き落とされるようなメールをお上から頂き、かなりやばい精神状態だったんですよね。
一生懸命やればやればやるほど、理解されない事への苛立ちは、中間管理職の経験者なら誰もが経験するんでしょうが、特にわかってくれる筈と、信じていた人に分かってもらえなかったという悲しさは、さすがの私もこたえました。

でも「私は誰のために頑張ってきたのかな」と考えたとき、もちろんステーションのためであり、スタッフを守るためでもあるのですが、やっぱり関わる患者さんの為なんだと、今日すごく感じる事がありました。
私たちは、患者さんやそのご家族の笑顔や、ホッとした顔や、うれしそうな顔が見たくて頑張っているんじゃないかと・・。

ケアマネとして3カ月ほど関わっていいた、呼吸疾患の利用者さんが、急速に病状が悪化していきました。
主治医の先生には、その辛さは上手く伝わらず、彼の中には悪化していく恐怖と、身捨てられているような不安におびえていました。
「もう、通院することも辛い。」
連携室の看護師さんとも相談して、往診医のお話をしてみました。
短い間にそれが実現できました。
月曜日に「水曜日に往診して下さる呼吸器の先生が来てくれることになりましたよ。とてもよくお話を聴いてくれる先生だから、安心して待っていてくださいね。」
と伝えると、電話の向こうで奥さん「ありがとうございます!こんない苦しんでいるのに、そばにいても何もしてあげられないのが辛くて・・」と泣いていました。

この数週間で寝たきりになってしまったAさんの家で待っていると、お願いしていたY先生が来てくれました。
長い時間をかけて、診察をしながらいろんな話をしました。

私は、今の呼吸器の疾患のことしか、考えていなかったのですが、既往歴の中で糖尿病があったことがわかりました。
急激なるいそう(やせ)、水分をやたら欲しがっていて、身体が思うように動かない。
先生がBSチェックをすると食後4時間も立つのに300以上。

呼吸状態の悪化とばかり思っていたのは、糖尿病の悪化のためでもあったのですね。
思ったほどの呼吸状態の悪化はなく、これなら今は乗りきれそう。

先生も診療補助のKさんも私も、ホットしました。

先生からは、呼吸の病気の事も、糖尿病の事もちゃんとお話ししていただいて、お薬もすぐに出してもらえました。
2週間後には、また必ず来る事もお約束して、どれほど奥さんがほっとしたことか。そして、今後の呼吸の病気の事や、最後は苦しくない終わり方をしたいと言う御本人の言葉も聞かれて、奥さんも泣きながらも覚悟をされたようです。

「大丈夫。」の言葉、「これからちゃんと自分が診ていくから。」の言葉に妻は「もっと早くお願いすればよかった!」と。

「よかった」と、本当によかったと思いました。
光が、見えた気がしました。
これなんだな~と、思いました。

大きな病院のお医者さんでも、ちゃんと患者の話を聞かなければ、なにも見えてこない。
検査をお願いしても「ほかの科でやってもらって。」
ちゃんと聞いてくれれば、とっくに高血糖の状態にあることはわかっただろうに・・・
聴けないDrと聴けるDr。

そんな時に、私が関わっている事で、少しでも早くY先生に繋げられたことも、あんなにおびえていた奥さんに笑顔が戻ったことも、Aさん自身が自分の意思でこれからの選択を出来たことも、私が嬉しかったんです。

何のために、頑張るのか。
私のため。
スタッフのため。
ステ―ションのため。
そして、なにより患者さんのため。

ちょっと元気が出ました。
まだまだ思うところはあるけれど、やっぱり私は頑張らないといけない。
待っていてくれる人たちのためにも、自分のためにも。

35回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2010-03-16 22:47:12 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日の緩和ケア研究会は、再びうちの訪問看護ステーションからの事例検討となりました。
今日から、うちで訪問看護の研修を始めたHさんも一緒です。

今日の事例は、波乱の人生を歩み、高学歴で高い地位もありながらも自由奔放に生き、あくまでも自分のスタイルで人生を全うしたTさんの振り返りでした。

番カラ学生のまま年を重ねたような・・というケアマネさんの言う通り、着飾ることもせず人生を好きなように濶歩してきたTさんは、家庭に戻ることなく、晩年をこの瀬谷の街に住み、自分の余命を悟ってなお、一人で自分の部屋で逝くことを決めた方です。

当初は、どのサービスも拒否、聞く耳持たず・・ケアマネさんもあの手この手で、在宅環境を整えるのに、とても苦労をしたようです。
気に入らなければ怒鳴るし、先生でさえ家に入れてもらえないことだってあったようですが、不思議とTさんにかかわるみんな、ヘルパーさんも看護師も、ケアマネさんも先生たちも、Tさんが気がかりで、最初は遠巻きながら、少しずつTさんに近ずいていきました。

そして、なるべくTさんの希望に沿って、Tさんが選ぶ形で在宅を支えるチームを作っていきました。
煙草だって、OKです。コーヒーだって毎日入れます。
汚くたっていいんです。
多少怪しい食べ物だって、本人がよければありです。
お風呂は嫌いでもいいです。

でも、足湯は待っていてくれました。
マッサージも大好きになりました。

やがて病魔の進行とともに、Tさんの体の自由は奪われましたが、ケアマネさんも先生もヘルパーさんも看護師も、薬剤師も、Tさんは受け入れてくれるようになりました。

そこには、Tさんの心をゆさぶる歌であったり、遠い昔の話であったり、Tさんの幼少期の写真であったり・・・そう言うアクセサリーがTさんの心を開いていったのだと思います。
強制しない。
なるべく彼のスタイルに沿う。

その約束を、みんなで守っていきました。

今日、あらためて振り返った事。

医療者や介護する側(医師や看護師やケアマネは特に)は、対象者を管理したがります。

自分勝手に、「この人は、こうしたほうが良いにきまっている。」
と思って押しつけてしまう。

でも、誰も家にいてまで管理なんてされたくないはずです。

集合住宅で煙草をやたら吸う方に、煙草をやみくもに取り上げても、信頼関係は生まれない。
でも、危険です。火が出たら本人だけの被害ではすみません。
じゃあどうするか。
ヘルパーや看護師や誰かがいるときには吸って頂く。好きなだけ。
でも、帰り際灰皿をからにして、なにげなくライターを隠します。
煙草は、安心のため見えるところに置いておく。
Tさんは、認知もあり最初は、うまく行かない事もありましたが、傾眠がちだったのも手伝ってけっこううまくいきました。
横の連携でクリアできることは、いっぱいありますよね。
服薬管理も、麻薬を使っていましたが、薬剤師の管理指導とヘルパー、看護師が確認していきました。

要は、自分で動けるうちは好きにしていただき、遠まきに注意しておき、いざというときには御本人に選んでもらう。
または、安全のためにちょっとだまされて頂く。

もうひとつ、家族介護のこと。

特にTさんは、奔放な方だったので、ご家族との関係も微妙でした。
最初は、「一人で死ぬ!」と断言するお父さんとの価値観の違いや、仕事の忙しさもあって、訪問されることが難しい状況でもありました。

病院だと、なにかあればすぐ「御家族の方、いらしてください。付き添ってもらわないと困ります!」みたいになることもしばしばですが、ケアマネNさんは「どうか無理はなさらないでください。こちらでの生活は私たちが支えますから、ご指示をいただけばいいですよ。」という言葉で接していきました。
ポイントポイントで、現状をお伝えはしますが、うるさくない程度に、確認を取りつつ。

「子供なのだから、もっと介護に入ってください。介護の役割を担うべきです。」
ではなかった・・・。

ケースバイケースで、担って頂いた方がいいケースもありますが、今回はこれがベストだったと思います。

たまに来てもお父さんの体に触れなかったお子さんたちが、スタッフたちとの触れ合いを見る中で、ご自分たちから近ずいてこられるようになり、最後はお父さんをお子さんたち全員でお見送りすることが出来ました。
御本人もあれだけプライドが高く高圧的だったのに、最後の1週間はずっと「ありがとう」を言い続けていましたので、御家族もチームスタッフもとても幸せな気持ちにしていただきました。

御家族と御本人の微妙な関わりであったり、子供のころからのトラウマであったり、ライフレビューのなかから、どういうスタンスで関わりを持っていくかを、きちんと判断する力、それが介護職、医療職の大事な資質なんじゃないかと思います。

今回も、グループワークでいろんな職種の方とお話ししました。
中には「患者家族です。」という方や、傾聴ボランティアのかたなども毎回来ていて、いろんな意見を聴くことができて勉強になります。
傾聴ボランティアの男性二人は、年齢的にも私たちよりはTさんに近く、男性としてもいろいろ思うところが多かったようで、とても感慨深いようでした。

実際全部を載せるわけにはいきませんので、キーワードや心の扉の向こう側の話なども、真剣に話し合われ、今の私自身の置かれている現状を見直すいい機会にもなりました。
人生の大きなうねりの中を、人がどう生き抜いていくかを、見せていただく機会でっもあったとおもいます。

緩和ケア・・・オピオイドの使い方の勉強もいいけれど、心の扉のノックの仕方も大事です。

庭の様子と、中華街&木村信至バンドライブ

2010-03-14 23:49:00 | 草、花、収穫
今週は終末もスケジュール一杯でした。
火曜日の夜にある、めぐみ在宅緩和ケア研究会でも事例発表の原稿作りや、審査会の原稿確認、それからヤマダ電機まで買い物、グリーンファームにによって花の苗と分け葱の球根を買って、庭仕事・・
ちなみに、昨日今日と久々の春めいた庭を眺めました。
サクラソウは、真冬のうちから全開です。
 ミモザとラベンダーでリースを作りました。このままドライフラワーに。
ノースポールミニ水仙

こうぞみつまた・・・漢字分からず。
 全開の福寿草
地味な割に匂いの言い沈丁花

そして私の大好きな、梅母ユリ 

少しずつ、少しずつ暖かい日が増えていきますね。
もうすぐ、春全開になりますね。

昼から、ベイスターズの試合を見に行っている、夫と娘に合流するために、4時過ぎに家を出ました。

中華街で待ち合わせをして、店をひやかしてから、揚州飯店で夕食を取りました。
中華料理は、やっぱボリューム満点です。
日曜夜の中華街は賑わっていて、異国情緒たっぷりです。
特に一歩裏に入ると本当の街の顔がのぞけます。

関帝廟は、華僑の人たちにとって、大切な信仰の場です。
いつもお線香のにおいが満ちていて、夜はライトアップされていてきれいですよー。


 ちなみに、関帝廟の斜め前位にある凸凹堂は、パワーストンやガラス玉などを使ったかわいいアクセサリーがすごーく安く売っています。
自分でビーズ細工を作る方にも参考になるかも。
かわいいペンダントトップもあるので、ぜひ寄ってみてくださいね。

そしてそのあとは、待ちに待った木村信至バンドのライブです。
夫を先に帰して、スタジアムの前にある老舗のライブハウスセブンスアベニューへ。
子供たちは初めてのライブハウス体験でした。

いつも白衣のしのぶ先生しかしらない子供たちは、そのド迫力にびっくり。
かっこいいっす!!
ちょっと、就職のお手伝いをした、ベースの塩沢君もめっちゃカッコよくって、アンコールのあとお花を渡したら、後であいさつに来てくれました。
キムシノ先生と話したいって、娘が騒いでましたが、忙しそうなのでお邪魔しました。
しのぶ先生の歌唱力には、度肝を抜かれます。
パワフルで、ハートがあって、しびれます。
インディーズで3位までいったんですよ。
とても元気をくれるので、耳鼻科の往診を待ちわびている患者さんもたくさんいます。
ビートルズの大ファンで、「夕暮れレノン」と言う歌も出しています。

機会があればぜひ一度聞いてみてくださいね。(できればライブで)

明日は、ちょっと大変なお仕事が控えていますが、前向きに、前向きに頑張らないとね。
クリアしなけりゃ前には進めないんだから。