こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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窓の灯り

2008-11-30 01:59:40 | 訪問看護、緩和ケア
この狭い町で、ずいぶんたくさんの家を訪問しました。
もう、逝ってしまった方の家の前を、今でもよく通ります。
ただ一人強い意志で、自宅でなくなった老人の家は、もうありません。
セピアカラーの壁も数十年前のノートも、何もない広い庭も、今は新しい建売住宅が、窮屈そうに何棟も立っています。
陽気で優しかったMおじいちゃんの家は、ずっとそのままそこにあります。
でも、今は誰も住んでいません。たくさんいた金魚も鯉も、娘さんが川に返しました。

わたしにとって、忘れられないNさんの家の前も、時折通ります。
Nさんは、とてもきれいな奥様でした。
すっかり痩せてしまった身体を、薄いピンクのガウンに包んで、いつもベットに重ねたクッションにもたれて、待っていてくれました。
大きな家の二階の角の部屋。いつも厚いカーテンが閉まっていました。
なにかから逃れるように、誰からもきずかれないように・・

優しいだんな様がいて、お姑さんと、息子さんも住んでいました。
あとわずかの命と知って、夫は仕事を減らして、よく介護されていましたが、奥様の表情には、いつも影がありました。
ある日、私に何もしないで話を聴いてほしいと言いました。

いろんな話をしてくれました。
家のこと、会社の事、おばあちゃんの事、子供の事、本当は、病気にならなければ、離婚していたであろう事。自分の記憶をたどりながら、聞き取るのに耳をそばだてなければならないほど小さな声で。
一度は憎んで、別れようとした夫を、ある事がきっかけで許す事が出来た事。
今は夫がとても優しくしてくれるけれど、まだ全部をゆだねられない事。
癌がもうどうにもならないくらい進行していて、在宅で死を待つ事を決心したこと。
「私ね、今はとても、穏やかなの。だからこのままそっと、ここで待つの。」
「お友達は、お断りしているの。私が在宅で最後を過ごすと決めた事を、何人かに話したの。でも、わかってもらえなかった。何であきらめるのかとか、もっといい病院を紹介するとか、入院して治療しなきとだめだとか・・さんざん考えて、たくさん話し合って決めた事。後は、穏やかに静かにここで過ごしたいだけなのに、いろんなことを言うの。わかってほしかったけど、無駄みたい。でも、今は静か。
今はとっても穏やか。」

やがて、衰弱していく中で、夫にもゆだねられるようになり、息子さんの誕生パーティを、ベットサイドでやった翌日に、静かに息を引き取りました。

静謐といえるような、彼女の部屋は、しばらく真っ暗なままでしたが、最近は夕方から、灯りがもれる様になりました。

私は、窓を見上げて、たしかにあの部屋で暮らしていたMさんの姿を見たような錯覚にとらわれながら、通りすぎていくのです。


今日は、木曜日です!

2008-11-28 00:00:08 | 訪問看護、緩和ケア
木曜日と言えば、「風のガーデン」です。
今日の、緒方 拳さんは、とてもお身体辛そうでした。
命がけで演じる姿は、緒方さんではなくて、白鳥医師なんですよね。
この作品は、緒方拳さんの遺作であり、中井貴一さんの代表作であるとともに、私たち在宅現場の代表作でもあると思います。
私たちもよく、夜中に往診医と星空仰いで励ましあう事があります。
患者さんにとって、一番穏やかなお別れはどうしたらいいのか、残されたご家族にとって、一番後悔しないお別れはどうすればよいかを考えながら、毎日家々を回っています。三沢のおじいちゃんの旅立ちのシーンは、それをたくさんの人に教えてくれたと思います。
痛くなく、苦しくなく、穏やかに、愛する家族に見守られて旅立つことが、在宅でも可能な事を、ちゃんと伝えてくれました。
まだまだ、ドラマの中の事と思っている人も、いるかもしれないけど、ああいう場面は在宅では普通に見られることなんですよね。

家族も本人も、「ありがとう」と伝えられる時間を作れて、皆で見送れて、静かに旅立てるようお手伝いをする事。そんな仕事もある事を、こんな素敵なドラマで普及してもらえて、本当にうれしいです。
あと何回あるのかな・・。次回が最大の山場になるかも・・。

ちなみに、今年植えたカンパニュラは来年には、たくさん咲いてくれると思います。

トリアージ研修に行ってきました。

2008-11-27 00:08:44 | 訪問看護、緩和ケア
神奈川県災害時医療救護活動トリアージ研修にいてきました。
前回、10月に総論みたいなのがあって、今回は事例を見ながらトリアージの練習をしました。
トリアージには、スタート法とケアフライト法と言うのがあって、神奈川県では、現場の混乱具合によって使い分けるようです。
テレビドラマの「救命病棟24時」とか、「ドクターヘリコードブルー」とかにも、そういう場面が良く出ていましたよね。
実際、勉強してみて、トリアージというのがいかにシビアなものかヨークわかりました。
歩けたら、とにかく後回しです。頭から出血してようが、手が取れてようが、骨折してようが・・・です。
あとで出血によるショックが予測されたとしても、今は緑タグをつけられ、一番後回しコースになります。
そして、歩けなくても意識があるか、脈はどうか、呼吸はどうか、CRTは何秒かにより黄色、赤に選別されます。
気道確保しても、呼吸がなければ「黒」で安置所行きになります。
なんか、後でうらまれそうで、どこまで割り切ってできるのか、怖いものがあります。あとで、「あの時見てくれていれば、何とかなったかかも」て言われそうで。
でも、事故現場の修羅場で、数多くのけが人を、一人でも多く助けるには、この方法しかないとも思います。
人員さえ確保できれば、緑タグをつけられても、2次的にトリアージをしてもらえるので、それを信じて振り分けていく必要があります。
医師は、治療にあたり、看護師や、救急救命士、一般の方でも出来るような方法でより分けていきます。
間に脳漿飛び出したご遺体のアップやら、包丁お腹に刺さったまま、座ってるおじさんの写真だとか、下あごが首までバックリ割れちゃってる青年のアップだとか、講師のコレクション(?)まで披露していただいて、なんといってよいのやら・・
私の場合、阪神淡路大震災の時は、大阪の吹田市にいて、娘は生後2ヶ月だったので、ほんとに怖い思いをしました。
あれだけ、震源地から離れていても、すごい室内になっていたので、これが東京近郊で起こったら、とんでもない事になりますよね。
救護班ったって、私が生きてるかもわからないし、家族だって心配だし、いったいどうなるんでしょうかねー。
自分のステーションの患者さんも、安否確認できるか心配ですし。

とはいえ、トリアージの初歩をお勉強できて、良かったです。
なるべくなら、使うことなく、平和な毎日が続来ますように。


母も写経をやってみた・・・・

2008-11-24 23:51:49 | 家族のこと
昨日、興魂太鼓の練習を見に、行ってきました。
途中、先生にご挨拶したとき、写経について教えていただきました。
爆裂娘が、まだ頑張って写経を続けていることをとても喜んで下さって、そのあとどうすれば良いかを細かく教えてくださいました。
(先生は、神官の免許も持っているそうです。)
16枚書いた写経を6枚ずつ3つに分けること。
まず、自分の住所の氏神様におまいりして、氏名を名乗り写経を処分する事をお願いする事。もちろん、これからの事もお願いする。
次に、3つに分けた1つは自宅の敷地内で、燃やす。
もう一つは、庭に塩をまいてから埋める。
もう一つは、なるべく近くの川に流す。
まずは、きちんとそれをやって、その後は、書き溜めてからでも良いとの事。
地道に向き合って300枚くらい書くと、すごく落ち着いてきて、いろんなことにちゃんと向き合えるようになるとの事。
先生は、たくさんの子供たちをこの太鼓で育ててきて、理屈ではなくていい結果をもたらす事を実感しているそうです。
「あの子は、本当にいい子ですよ。でも、学校に一歩入ったとたんまるで人が変わってしまったようになる。もしかしたら、あの子はいろんなものを、たとえば家の事なんかも全部しょっていて、そうさせられているのかもしれない。
自分が悪い事は、よーくわかっています。でも、学校に行くとうまく出来ない。
あの子が落ち着けば、周りもきっと良くなる。友達も、家族の中のうまくいかないことも。
出来たら、お母さんも少しでいいから一緒に書いてみてください。それで、あまり写経についてうるさいことを言わず、だまってやらせてみてください。その始末だけは一緒にやってみてくださいね。」
娘の事、本当に心配してくれていました。
きっと、ちゃんと落ち着いて、前を向ければ将来は人の役に立つ仕事に就けるはず、と。今、苦しんでいる事は、決して無駄にはなりません。
それが、将来、苦しんでいる人を助ける事になる。とも言って下さいました。
なんか、すごくありがたかったです。本当にうれしかったです。
うちは、特別強い信仰はなく、苦しいときの神頼みばかりでしたが、日本古来から、人々が受け継いできた写経には、やはりそれなりのものがあるのだと思いました。
漠然といつも思っていた事は、うちの子供たちは、いつも誰かに守られているな・・と言う事。
出来が良い訳でもなく、ボーっとしていて、ちょっと秋葉系の息子も、中学に入ってから突然爆裂した娘も、困ったときには誰かしら手を差し伸べてくれます。
私で支えきれない部分を、私の知らないところで、そっと支えてくれています。
小学校6年まで、お世話になった学童の指導員も、中学に入ってから知り合った興魂の先生も、学校で忍耐強くかかわってくれている先生方も、みんなで守ってくれています。
これは、きっと死んだばあちゃん(私の母)か、ご先祖様か、人知を超えた何かの導きかも・・・・。と、三輪明宏さんが大好きな私は思ってしまうのです。

そんなわけで、娘にも勧められ、写経に挑戦してみました。
うーん。難しかったです。手が震える。漢字が良くわからない。書き順だってかなり怪しい。でも、なんか一字一字丁寧に書いていくと、すごく神聖な気分です。
背筋を伸ばしていないと、ちゃんとかけないし、筆も立てて書かないと細かい線がかけません。バランスが悪いと気分も悪いので、丁寧に丁寧に・・・
2枚書くのにテレビも見ないで、必死でした。
娘は、すでに22枚、あれから地道にやっています。
文句言いながら、きっと自分の中の何かに突き動かされているのかも知れません。
今日は昼に娘と近くの諏訪神社にお参りしました。
「どうか、娘が穏やかに、前を向いて進めますように。写経をこの土地に返させてください。この子をお守りください」と。
それから、雨の中泉川にも、紙を流しに行きました。
それから玄関先で、6枚を燃やし、土砂降りになったので、埋めるのは来週にしました。
子供たちの笑顔が宝物です。きっと、いい方向に向かうと母は信じています。

訪問看護師の腕の見せ所?!

2008-11-22 01:38:23 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護師としてのプライドにかけて、腕の見せ所と言ったら、やっぱり「褥瘡」は、はずせませんよね。
病院に勤務していた頃は、あまり意識していなかったような・・
(じょくそう:一般的に床ずれ。圧迫やズレ、汚れや、低栄養などの悪条件がそろうと、あっという間に、皮膚が崩れてきます)
もちろん「褥瘡」は、「看護師の恥」と教わった時代ですが、今の管理方法とはかなり違った概念で処置していました。
医療では良くある事ですが、昔の当たり前は、今の禁忌だったりして、「褥瘡」についての考え方も、だいぶ変わりました。
エアマットだって、格段の進歩です。介護保険で安く借りれるし。
一番の違いは、清潔の保持で、昔は傷があるとお風呂は入れさせてもらえなかったですよね。でも、今はなるべく入浴を勧めます。
お尻に、骨が見えるほど大きな穴が開いていても、ノープロブレムです。
訪問入浴やら、足浴やら、局所的には、がんがん洗浄します。
石鹸泡立てて創の周りをきれいに洗って、お湯でどんどん流します。
あ~。なんてきれいな創。とか思いながら・・・
それから、消毒はしません。かえって肉芽の形成を阻害するので。
なので、お年よりはびっくりします。下手をすると、お医者さんまでが、入浴禁止とか言っている場合もあります。(高齢の先生に、たまーにいます)
あと、ドーナツ枕。
昔は、仙骨部の褥瘡に、穴の開いたドーナツ型の枕を入れてましたよね。
かかとの下にも小さなドーナツ入れたりして。
あれは、禁です。ドーナツのところでうっ血して、円の中心が虚血しやすくなり、かえって悪化することがありますので・・
どうしても入れたいのなら、時間で抜いたり位置を変えたりが必要です。
諸説いろいろありますが、在宅の場合、ラップ療法はかなり効果的です。
(これは、鳥谷部先生と言う方が長年研究された、サランラップなどを利用して、創をウエットに保ちつつ、摩擦をさけ、自分自身の治癒力を利用するというもので、DVDや本 などを参考に取り入れています。)
水切り用のポリ袋に、サルバの紙おむつを切って入れたものを、ガーゼの代わりに使っていきます。
これの、最大の利点は、誰でもできることです。ヘルパーさんは、ガーゼ交換と言うと絶対にやってくれません。
で、おむつ交換として、お願い出来るのです。(だって、サルバはオムツですから。)おむつ交換のとき、きれいにお尻と一緒に流してもらって、おむつのように、パットも交換してもらえばいいんですから。
もちろん、理解してくださる皮膚科の往診医がいるので、なおさらやりやすいのですが、かなり効果を挙げています。
これで治った後の皮膚は、以前にもまして、ツルッツルになるので、ついつい「きれいになったねー」とかいいながら撫でさすってしまいます。
そんな私たちですが、久しぶりに大きな褥創を作って退院になった患者さんが来たため、腕を鳴らしている今日この頃です。

めぐみ在宅クリニック・緩和ケア研究会で思う事・・・

2008-11-19 00:19:18 | めぐみ在宅緩和ケア関連
毎回、めぐみ在宅クリニックの緩和ケア研究会に出席していますが、意識して患者さんと対話すると言うのは、本当に難しい事だと感じます。
緩和ケアでの対話の手法は、村田先生というかたの手法で、反復をしながら、対話を深めていくと言う方法です。
たとえば、「病気になってしまって、家族に迷惑をかけているのが辛いんです」と、患者さんが言ったら、「病気になって、家族に迷惑をかけるのが辛いのですね。」と反復します。すると、患者さんは「そうなんです。何度も夜中に起こしてしまって、本当に申し訳ないと思っているのです」などと話が掘り下げられていくと言うわけです。
この、対話ケアの実際の場面を記録に残して、出席者が「この場面の反復はおかしい」とか、「ここは、もう少し言葉を待つべきだ」とか討論するわけです。
私は、連携施設として毎回出ていますが、ボーっとしているときに「大嶽さん、どう思いますか?」と振られると思わず浅はかな返事をしてしまう事があって、毎回ひやひやしています。だいたい、私とわくわくの中野さんが、さくらのように指されるので、構えてはいますが、時々ちょっと気を許していると、あわてる事になってしまいます。そんな、緊張感のある緩和ケア研究会ですが、実際に自分が患者さんと向き合うときに、そんなにうまくはいきません。
反復も繰り返していくのは、かなり勇気のあることで、へたをするとただの「オウム返し」になりかねませんので、まだまだ修行は必要です。
それでも、患者さんと向き合うときの姿勢や、聴こうとする思い、寄り添いたいと願う気持ちは、すごく強くもてるようになりました。
よく、患者さんの言葉に「すごいなー」と思う事があります。
死を目前に、毅然として向かい合う方や、穏やかな笑顔でいられる方。

口腔内の腫瘍から出血して止まらなくなっても、まったく動じず、口のなかに指を突っ込んで、あごを押さえている私の腕をきずかって、そっと手を添えてくれたおばあちゃん。血まみれの中、断続的に襲う痛みにもじっと耐えて、「大丈夫」と言って小澤先生が来るまで、横になろうともしませんでした。
「すごいなー」「格好いいねー。」「さすがだねー。」
次の日の朝カンファは皆で感心しまくりました。

ある主婦の方は、「痛くなく、苦しくなく、ここで目を閉じさせてください」
とお話しました。
「家族がじたばたしないように」と・・
私なら、言えるでしょうか?きっと、私がじたばたします。
でも、でも、次の日彼女は言いました。
「薬を使うと眠くなってしまう。眠くなって、目を閉じるのが怖い・・」と。
そうなんですよね。やっぱり怖いんですよね。
強くいようとする心と、逝かなければならない恐怖や悲しみ。理不尽な思いで戦っているんですよね。

私たちは、何も出来ないけれど、その言葉を一つ一つ丁寧に聴かなければいけないと学習しました。
聴く事、そばにいることから始まるのですから。
失敗もありますが、失敗は反省して繰り返さないように頑張るしかないし、とにかく「逃げない事」。
それが一番大切なのです。

爆裂娘、写経に励む。

2008-11-18 00:14:21 | 家族のこと
14歳爆裂娘は、いつもとっぴな行動に出ます。
思いつきで、周りを振り回す事もたびたびで、ずいぶんと周囲の人たち(主に先生方)に迷惑をかけています。
噛み付いたり、なついたりで扱いも大変なやつですが、唯一素直に言うことを聴く人が、二人います。
一人は、小学校の6年間を通してお世話になった「三ツ境なかよし学童保育所」の指導員、通称ごっちゃん。
もう一人は、地域の和太鼓サークル「興魂太鼓」の代表ももこ先生です。
お二人には、かげながら何かと気にかけてもらっていて、大切に見守ってもらっています。
昨日、誰にも言われないのに、部屋の大掃除をしたのもびっくりしましたが、今日はなんと「写経」をしていました。
硯で墨まですって、あの般若心経を筆で一文字ずつ、それもかなり丁寧に・・・
天変地異の前触れ!?
昨日、興魂太鼓の本番のあと、大好きなお兄さんたち(太鼓の先輩)も昔やったと言う事で、ももこ先生に教わって、一式借りてきたのだそうです。
18枚写さなければいけないそうで、途中「飽きたー」「もうやだー」とかいって散々騒いでいたので、放り投げて寝ちゃったのかと思ったら、現在も5枚目写経中でした。
周りに影響されやすいと言う事もあるのでしょうが、こういうことは、大歓迎です。これで少しは集中力を養って、落ち着いて生活できるようになってくれれば・・・。と、はかない願いをかけつつ、「背筋を伸ばせ!」「筆の持ち方が悪い!!」と途中激を飛ばしています。(以外に、そんなからみも本人は嬉しいようでしたが)
とはいえ、その文字を見ていて、「こういう時間の持ち方もいいかなー」と私も思ったりして・・・。
いつか時間ができたら、心静かに私もやってみようかと思ったりもしています。
(その前に、ちゃんと写経の意味や、但しい向き合い方、般若心経の意味なんかを勉強しなくちゃだめですよね。)

とにかく、そろそろ落ち着いた中学生になってほしいと願う、親心のおはなしでした。

「風のガーデン」見ています。

2008-11-13 23:21:00 | 訪問看護、緩和ケア
毎週、「風のガーデン」見ています。
やっぱり、倉本聡さんの脚本はすごいですよね。
在宅医療や、終末期医療など、きっとすごく勉強されたんだと思います。
なかなか、マニアックな作品だと思います。
ちょっとした、エピソードが現場でよく経験する事です。
普段は介護に手を出さないものの、いよいよ病状が悪くなると、現れて「病院に入れて治療しろ。ちゃんと治療もしないなんて許せない!」と騒ぐ家族。
ずっと一生懸命介護をしてきた家族や、本人の意思をわかろうともしない。
心配していると言う体裁?ここにも家族がいるというパフォーマンス?
在宅を選択すると言う事は、みんな考えた末の結果です。
特に、看取りを前提とした在宅介護は、一大決心だと思います。
今、何が一番必要なのか、どうしたらその人らしい最後を迎えられるのか。
穏やかで、苦痛のない、やすらかな最後は、本人と一番そばにいる人が決めるべきだと思います。
本人が、戦う事を良しとし、入院や最後まで積極的な治療を望めば、そうするべきだし、その選択の時をちゃんと示してあげるのは、主治医の役目だと思います。
そういう1シーンのなかで、緒方拳扮する在宅医が、東京から来た息子に語りかけるシーンが印象的でした。
私たちも、在宅での看取りを、ご家族が決心する場面によく同席します。
めぐみ在宅クリニックの小澤先生は、よく「腹をくくりましょう」といいます。
まさに、腹をくくる場面だと思います。
もちろん、私たちがバックアップ出来る事をお伝えしますが、そこで「腹をくくれた」ご家族は、みんさん立派に看取りをされています。
そして、ほとんどの場合、一様に「家で看取れて本当に良かった」と言います。
毎日「死ぬ時」を意識して、仕事をしているので、自分自身の「死」もつい考えてしまいます。考えると怖くて怖くて、情けない有様ですが、今も、死を目前に毅然として、穏やかに時を待つ患者さんたちに、恥ずかしくない死に方をしないとな・・なんて考えたりもします。それから、やっぱり一番は、残していくであろう子供達に何かを残さないと、と言う思いは強くあります。
そんな思いで、ドラマを見ていると、さんざんほったらかしにした我が子に、何とか接触しようとしたり、自分が一番輝いていた時期をすごした故郷に、戻ってきた主人公の想いが、少しはわかるような気がします。

そんな、おもーい展開の最後に、平原 綾香の「ノクターン」が・・・・
なんて効果的なエンディング曲。
ちなみに、息子に頼んで「ノクターン」を、メールの着信音にしてもらいました。



情報公表制度って、なんなのよ!!

2008-11-12 00:16:29 | 日々のあれこれ
今日、居宅支援の公表調査がありました。
これって、いったいなんなのよ!!と思ってしまいます。
今年で3年目ですが、毎年重箱の隅を、針先でつつくように、バージョンアップしていますね。
これって、誰もが事業所の事業内容や、サービス内容を知る事ができ、よりニーズにあったサービスが受けられるように作られた制度らしいのですが・・・
インターネット上に、すべての介護保険事業所の情報がわかるように公表されているのですが、昨年一年間を通してでも、公表制度を見ましたといって、訪問依頼があった事は、一度もありませんでした。
だいたい、介護保険そのものを知らない一般の方々がまだたくさんいらっしゃるのに、公表制度なんて知る由もないですよね。
後は、ケアマネとかが見るのかな??参考にはなるかもしれませんが、ほとんどの場合、地域で頑張っている事業所のなかで、自然に連携のネットワークが出来ていて、十分その事業所の良し悪しもわかっているところに依頼していますよね。
あとは、ホームページや、ブログや口コミですね。地域の皆さんには、ちゃんと評価してもらっているので、ありがたいと思っています。
だいたい、「認知症の研修をやっていますか?」「個人情報についての研修をやっていますか?」とか「それはいつ、どのように、全員が出席したかを出しなさい」
とか・・・どう思います?
毎年毎年、同じ研修はしません。私たちはもっと前へ進んでいますので、そういう基本はわかった上での次のステップへ進まなければ、進歩は無いんです。
かたちだけ、日時と一行「やったんです。」という記述があればいいような、研修は組んでません。
なんなんですか?私たちは、忙しいんです。もう、そんな暇があったら、一人でも多くの患者さんのところへ行き、苦痛を緩和し、穏やかな在宅療養を提供したいんです。介護保険になってから、馬鹿みたいに膨大な書類を書かされ、印鑑を山のようにもらって歩き、大量の紙とトナーと電気を消費し、最も貴重な時間も浪費し、一部の人が机上の空論を戦わせて作り上げた、介護保険制度の歯車として、働き続けているんです。もう、いい加減に、書類を増やす事をやめませんか?
エコロジーの観点から言っても、本当に資源の無駄です。
それなら、市場調査でもしたらどうですかね。
どれだけ、現場の人間が必死で介護保険を支えているかわかると思います。
形式だけ作っているやつ、出て来い。!!
と、ちょっと今日は興奮しています。
まあ、別に無理に丸にしなくてもいいんですよね。
でも、一生懸命取った利用者アンケートで、すごく喜んでもらえた結果がたくさん返ってきていて、それを報告したカンファレンスが、公表の指定期間より3日遅かったから「していない」ことになっちゃたのですから、ちょっと憤慨しても言いですよね。
なんかこう、ものの本質はもっと違うところにあるんじゃないかと思うんですが、
まあ、不正請求や利用者への質の悪いサービス提供なんて話も、あるにはあるんでしょうから、お役人はこんな形でしか、改善策が無いのかもしれませんね。
その前に、現場100回くら実習してから、決めてほしいんですがね。
あとは、いろいろ介護保険作っている皆様のご都合もあるんでしょうし・・
ずいぶん高い、調査料もどのようになっているのでしょうか?
とりあえず、調査が丸であろうと「なし」であろうと、そんな事はお構いなく、患者さんはどんどん在宅に切り替わっていますので、そのかたがたを、何とか守らねばならない私たちなのですから、前を向いて頑張るしかないですよね。
麻生内閣のお金ばら撒き法案もどうかと思うけど、国はもっとお金の使い方を考えてほしいと思う今日この頃です。


夫婦のかたち ~長戸裕之、南田洋子夫妻をみて~

2008-11-04 23:45:27 | 訪問看護、緩和ケア
長戸裕之さん、南田洋子さん夫妻のドキュメントを見ました。
たくさんの夫婦の、それぞれの歴史の中で、今の二人の形ができるのだと思いました。
長門さんは、「苦労をかけっぱなしだった、洋子への贖罪」と言っていましたよね。「洋子は俺が、看るんだよな。」と問いかける夫に「あたりまえでしょ!」と答える妻。そこには、アルツハイマーを患ってなお、断ち切れない深い絆があると思います。
「愛してるよ。」「わたしもよ。」
「大好きだよ。」「わたしもよ。」
切なくて、胸がきゅんとしました。

仕事に行く夫を見送る洋子さんの笑顔は、女優として輝いていたあの頃のように、とてもきれいでした。
どんなに老いても、病気になっても、愛されていると、あんないい笑顔ができるんだなと思いました。

翌日、訪問した患者さんも、高齢の夫が一人で寝たきりの妻を介護していました。
夫「本当にもう、ベットから降ろせってきかないんだよ。」
私「何で降りたいの?」
妻「だって、ご飯の支度しなくちゃ」
私「うーん。今はちょっと無理かな。立ってられないでしょう?お父さんにお任せしたら?」
妻「だめよ。この人なんか、できるはず無いもの」
でも・・夫はここ数年、ずっと家事をきちんとこなしてきているのです。
妻の中の夫は、いつまでたっても、何にもできない、手のかかる夫なのでしょう。
でも、その後で「今何か辛いことある?」と聴いた私に「ない。だってお父さんがいるから、大丈夫。ね、お父さん。」と言ったのです。
夫は、ちょっと照れて「なーに言ってんだか。」とはにかんで下を向きました。
なんだか、結構うれしそうに見えました。

その次のおうちでは、奥さんがもう長い事、夫の介護をしています。
あんまり動きたがらず、言葉もはっきり聞き取れません。
最近では富に怒りっぽくなって、あれこれと手がかかるようになってきました。
そんな妻と、長戸夫妻のTVの話をしました。
「お父さん、ああいうの見るの嫌がるのよ。私見たかったんだけど。やっぱり嫌なのかな・・?」と。
TVの感想を話していて、「長門さん、結構むちゃくちゃ言ってる奥さんを決して怒らないで、気長に相手をしていたよ。」と話すと、「そうか・・。怒らないんだね。私なんて、怒ってばっかりで・・」
不意に涙ぐんだ奥さん。
なんの、なんの、本当に良く看ています。大切に大切にしています。
私には、よくわかっています。
みんな、二人にしかわからない、歴史があるんですよね。
やっぱり、口にこそ出さなくても「愛してる」んですね。
そんなこんなで、夫婦のちょっとした会話に、結構しびれている今日この頃です。


「はやとうり」の侵略

2008-11-02 23:56:24 | 草、花、収穫

我が家の2階のベランダから撮った写真です。

反対方面の写真です。
緑色の絨毯は、はやと瓜がうちの裏庭の物置2つの、屋根の上を完全に覆っているところです。
恐ろしいほどの繁殖力で、毎年我が家の裏庭を占領しています。
去年は裏のシオン教会のサルスベリを枯らしそうになったので、これでも1株減らして植えています。
放っておくと、ベランダの物干しも占領されてしまうので、屋根のほうに誘導していますが、その蔓がじりじりと迫ってくるようで、結構怖いものがあります。
これが「はやと瓜」です。緑と白があります。

皮をむくとベタベタ、キシキシするので、水の中でむくといいみたいです。
料理方法は多種多様。生のままスライスして、朝漬けの素やダイショーのきゅうりのたたきの素で食べてもおいしいし、肉といためたり、煮たりしてもおいしいです。スイトンに入れたらめっちゃおいしかったです。
でも、毎年80個くらい取れるので、さすがに飽きてしまうため、あちこち配っています。はやと瓜を知らない人が多かったのですが、今では結構普及しています。
これから、地球温暖化が進んで食糧難になるかもしれないので、自給自足の食料にいかがでしょうか??

「おくりびと」と「エンゼルケア」

2008-11-02 02:10:57 | 訪問看護、緩和ケア
「おくりび」という映画が話題になっています。
まだ映画は見ていないのですが、本は読みました。
亡くなった方の尊厳を守り、苦しかった闘病生活など、苦しみの気配を清めるように厳粛に、旅立ちの身支度をしていく・・神聖な儀式として。
納棺師という職業があることを、私は知りませんでした。

長い闘病生活の末に、延命治療を拒否したとたん、急速に医師たちの足が遠のき、死を待つだけだった母の病室。
わずか半日、私が家に戻った隙に逝ってしまった母は、病院に駆けつけた時には、すでの死後の処置は終わっていました。
家につれて帰ってから、そんな母の病院での生活を拭い去りたくて、私を育ててくれた、愛する母の姿に戻したくて、介護福祉士をしている姪と一緒に、母のお気に入りの着物を着せました。
その時も、納棺師と言う人はいなかったと思います。
葬儀屋さんの指示で、みんなで棺に入れたと思います。
それでも、棺のふたを閉められる時の悲しみは、どんな言葉にも変えられないものでした。

今、私の訪問看護ステーションでは、年間50人前後の看取りをしています。
そのなかで、90%以上のご家族から、私たちの手によるエンゼルケア(死後の処置)を依頼していただいています。
「知らない人にされるより、お世話になった看護師さんと一緒にやりたい」と言ってくださる方が多いです。
病院で亡くなった方は、病院でされてきますが、在宅でなくなった方は、葬儀屋さんで湯灌などしていただくか、訪問看護師がさせて頂くかどちらかになります。
身体の中の物をなるべく出して、体液が後から出てこないように処置をするのです。いままでは、割り箸で綿を詰めていました。
でも、これはやっているほうもかなり抵抗があります。
やっと苦痛から開放されたのに、何もこんなことを・・・と思うのはみな同じです。でも、やらないわけにはいきませんし・・

そのためこの部分は、看護師がやって、その間に旅立ちの衣装を用意していただくようにしています。
衣装は、何でもいいのです。
スーツ姿の似合うご主人であったり、ピンクのドレスのおばあちゃんであったり、エプロンをつけたお母さんであったり、訪問着の美しい奥様であったり・・
その方らしい、旅立ちのお姿を、一緒に支度します。
孫や、ひ孫までそろって、腕を二拭いたり、靴下をはかせたり。
「どうもありがとう」「ご苦労様」「眠っているみたいね」そんな言葉をかけながら、髪洗ったり、髭をそったり・・・
そんなお別れの儀式をしていますが、やはり綿を割り箸で詰めるのは、私たちもすごく抵抗があったのです。

ところが、最近病院ではゼリーを詰めるようになったとききました。
高分子吸収体のゼリーをピストンでカテーテルをつけて注入するだけで、すばやく不快なく、きれいに処置ができるとの事でした。
さっそく、いろいろ調べて検討した結果、スタッフも割り箸はすごく嫌だったという意見で、理事長にかけあいOKをもらうことができました。
死後の処置は、私たちにとっても、大切な患者さんとのお別れの儀式です。
そこに到るまで、患者さんからたくさんの事を学びます。
その敬意を表し、穏やかでいちばん元気だったころの姿に戻してあげたいと思っています。
来週には、説明会を開いてもらう予定です。
私たちなりに、納棺師に負けない位の、お別れの儀式ができるよう頑張りたいなとおもっています。