こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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褥瘡がお好き?

2012-06-29 22:38:30 | 訪問看護、緩和ケア
先日、PCで褥瘡の写真を整理している私を見て、事務のOさんが「すごく、楽しそうだね。」と言いながら通り過ぎていきました。
Windows Live メールで、患者さんの褥瘡アルバムを作って、新規に往診医をお願いした先生に、経過を送ろうとしていたのですが、その姿がどうやら楽しそうだったみたいです。

確かに、私は褥瘡の写真をコレクションしていて、患者さんごとにファイルして、時々よくなる経過を眺めてはうっとりしています。

でも、事務方は素人さんなので、褥瘡はじめ瘻孔や皮膚病変や、医療処置の写真を、そのままにしておくと、「写真を表向きに置いとかないでください!」とよく怒られます。(-_-;)

「そろそろ、慣れてくれない?」「嫌です。」みたいな会話を繰り返しているわけす。

スタッフも、訪問中によく褥瘡や湿疹を写メしては、メールで送ってくるので、嫌でもその数は増えていくわけです。

ご了解を頂いた患者さんでは、その写真を使って事例発表用にまとめたりすることもありますが、もっぱらそういう写真は、主治医や皮膚科往診医との連携用に使用します。

これをうっかりマイドキュメントのピクチャーに入れてしまうと、知らないうちに褥瘡の拡大写真がスクリーンセーバーとなって、次々とPCの画面を彩ることになるのです。

最近の、うちの褥瘡の患者さんの傾向は、踵の褥瘡です。

退院前に、ケアマネさんから「踵に軽い褥瘡があるみたいです。でも、もうほとんど良いらしいですよ。」と言われ、初回訪問で確認すると、両方の踵が真っ黒・・と言う事が立て続けにありました。

褥瘡も、潰瘍になってジュクジュク汁が出ていると「何とかしなくちゃ。」と思うのかもしれません。けれど、踵によく見られる一度水泡になって、その水泡がそのまま吸収され、乾いて硬く真っ黒になった皮膚が張り付いているドライなものは、放っておかれることが多いようです。

でも、そのドライな痂疲の下は、実はけっこう深くダメージがあって、やがてダメージのある皮下組織が自壊してくるのです。

お一人は、ドライな褥瘡の下が深そうだったので、皮膚科の先生に往診をお願いし、デブリ―トメントをして頂きました。
麻酔をして、鋏でチョキチョキ黒いカサ蓋を取ると、その下は黄色くブヨブヨとした壊死組織で、鋏で切っても血は出ません。
この部分をきれいに切り取り、赤いお肉だけになるよう掃除して終わります。
この時は、皮膚科の先生が「リラウェーブ」を貸してくださいました。
リラウェーブは、日本褥瘡学会の真田先生がおすすめの、微小振動装置で、足の部分のマットの下にこの板状の器械を入れておき、一日に2回10分ほどずつスイッチを入れるだけというものです。
この板が、微小振動を発生させることで、血管の再生を図り、創の治癒が早まるらしい・・というものです。
この板のおかげか、かなり深い褥瘡でしたが、3か月ほどでほぼ完治しました。
そして、先日退院された患者さん。
大腿骨骨折のため、股関節に人工関節を入れ、そのまま寝付いてしまった方です。
退院後は、ご家族が看るのに、入院中一度も処置も創も見せてもらえなかったそうです。
そして、右足はゲーベンクリーム、左足はワセリンのみだされ、「これを塗っておけば治るから。」と言われ帰されてきました。

でも・・

右踵は、黒色痂疲の下から、すでに膿が流れてきており、周囲の皮膚食も悪く、とてもこのまま治るものではありませんでした、
左の踵は、水泡も皮がまだブヨブヨ残っていて、その破れた水泡の下が、紫色になっていました。
どちらもかなり深く、やはりデブリの対象となりました。

股関節の人工関節の手術の後は、上むきで両足が内転・内旋しないようにしますから、踵の褥瘡リスクはとても高くなります。まして、糖尿病がある為、末梢神経障害があり、感覚が鈍いのでなおさらです。

現在、2度目のデブリを終わりました。まだまだ写真は増えると思います。

要は、環境を整え、必要な物品を揃え、きちんと洗浄、処置を行っていくことで、どんどん治っていく褥瘡を見るのが好きなのす。

褥瘡は、実は在宅でできるよりも入院中、入所中に出来ることが多いのです。

その褥瘡をせっせと治す。

褥瘡は、ぜひ訪問看護師に見せてください。
褥瘡大好きなのが、訪問看護師です。(褥瘡見ると治したくなる!)
かなりの確率で、速やかに治りますよ。

在宅援助の徒然 その1

2012-06-26 21:58:35 | 訪問看護、緩和ケア
このところ、毎日新患さんの依頼やら、いろいろな背景の中での調整やらで、日々頭を悩ませていますが、訪問看護を含めて在宅サービス全般、どこまで私たちが支援をするのかというのは、永遠のテーマなのかなと思います。

次から次へと、思いつくままいろんな要望が出てきて、一つクリアすれば次の要望、今がよければ経過は忘れられ、これもあれもと求められることが多くて、時々お膳をひっくり返したくなることだってあります。
だからと言って、本当にひっくり返せるわけもなく、また、そこには理由があるかもしれないわけで、その中で重要な鍵を探して、向き合っていかなければならないのです。

私たち在宅の支援側の人間は、表面は涼しい顔をしていても、実は水鳥のように、水面下では両足をバタバタと必死にかき混ぜているわけです。

たとえば、ケアマネをやっていて、ご家族の要望でデイサービスをご案内するとします。
とにかくお試しからと、あちこち電話をかけ、ここならこの患者さんにぴったりと思い、ご紹介をして「是非に」と言われ、日にちを決め、ADL表を書き、申込用紙を書き、基本情報を用意し、プラン全体を計算し、調整し、デイサービスを設定します。
でも、直前になって「やっぱりやめます。」と言われキャンセル。
あちこち再調整し、ぺこぺこと頭を下げ、元のプランに戻します。
でもすぐ後に「近所の○○さんと同じところにしようかしら。あそこなら行ってみたい。」といわれ、再度一から調整します。
すると、前日になって「やっぱり、気乗りがしなくなったからキャンセルして。」などと言われます。
でも家族は「どこかに出してもらわないと困る!」といい、また一から始める・・
実は、私の利用者ではなくて、私の身近の知り合いがこんなことをやっているのを、「あらら・・」と思いながら見ています。

表面的には、ご利用者さんのご希望に添うよう、ご家族の介護負担を軽減できるよう、要望があれば一生懸命探しますが、デイにせよ、ショートにせよ、ヘルパーにせよ、サービスを入れるためには、何枚もの書類を用意し、あちこちに電話をかけ、プランを調整するのだと言う事は、ご利用者さんは知る由もないのです。

3回でも5回でも、結果サービスに繋がればいいものの、最悪どのサービスにもつながらなければ、そこでプランは白紙となり、ケアマネはタダ働きとなってしまいます。

まあ、在宅サービスはこのリスクは常につきもので、何時間も訪問して、説明したり何かしても、まったくサービスに繋がらないと言う事はよくあることです。

そんなことも日常茶飯事なので、逆にごく普通の感覚というか、一般的な感覚で対話が進んでいくご家庭は、本当にほっとして、うれしくなったりします。

物事の価値観は、人によっても環境によっても変わってきますから、なるべくご利用者さんに
添いたいと思いますが、それを良しとしてくれるかどうかは、全くわかりません。

ただ、権利ばかりを主張され、義務は知らんぷりという方も、たまにいらっしゃるので、出来ること、出来ないことは毅然と伝えられなければいけませんね。

まあ、この線引きがなかなか難しいのですが、ここは在宅チームでも十分に話し合って、共通した線引きをする必要があります。
自分たちがどこまで出来るのか。
どこまでしていいのか。

してはいけないけれど、放っておけないこともあるしで、いやはや奥が深いお仕事です。

なんてことを書いていますが、WEB上で書くと言う事は、本当はすごく怖いことなのですよね。

たった一言から、ブログ炎上なんてことは、芸能人のブログなんかでは良くあることのようですね。
今は、ツイッターで呟いた一言で、個人を特定され、ずっと追いかけまわされたり、誹謗中傷されたりすることもあると聞きました。本当に怖いことです。
私のブログでも、ありえない所に転載されていたり、悪意に満ちたコメントが入っていたりと、ぞっとすることがたまにあります。

どうしても、エピソードを書くことが多いので、これも十分注意しないといけませんね。

情報の発信、自分の思いの発信、未知との出会いや情報交換、自分のメモリー。
でも、誰が何を思って見ているのか、それがわからない怖さがあります。

少なくとも、自分のブログで不当な誹謗中傷、偏った思想、個人攻撃は避けたいと思います。

先入観は危険

2012-06-24 22:01:15 | 訪問看護、緩和ケア
何事にも言えることですが、先入観はとても危険です。

情報の共有は必要ですし、病状や経過や問題点などの申し送りも必要です。
でも、現状これからどう支援していくかは、あくまでも自分の眼でみて判断しないと、実は真逆だったなんてことも良くあります。

病院では、「神経質で我儘で、いつもイライラして、ケアも拒否するので、本当に対応が難しいですよ。」と言われていた方が、在宅に戻ってしばらくすると、本当に穏やかで、周囲にも気遣い、いつもニコニコしている、素敵なお母さんになっていたりします。

何で、あんなに病院では不機嫌だったのだろうか?と不思議に思っていたのですが、実は原因はただ一つ、「辛かった。具合が悪かった。」からだと言う事が分かったりします。

本人の訴えに耳を澄まして、ちっとしたお薬の処方や、ケアのし方の工夫や、処置の声掛けで、苦痛が軽減されることで、表情は全く変わってくるのだということがよくわかります。

だから、その人が再びイライラしたり、返事もしないし、時々声を荒げるなんてことがあれば、それはきっとどこかとても辛いところがあるのだとわかるのです。

特に、患者さんは病院での顔と家での顔は、全く違ったりします。

ある患者さんは、退院前訪問に行くと、ずっと苦虫をかみつぶしたような顔をして、ちょっと怖い人かな?と思わせる雰囲気を漂わせていました。
病棟ナースに聞いても「彼はずっとつらそうな表情で、笑顔もほとんど見せません。」と言われていましたが、
退院直後の初回訪問に行くと、びっくりするくらい柔和な笑顔で、私を迎えてくれました。
これからのこと、冗談を交えながらも、どれほど家族が愛おしいかを話してくれました。
そして、二度と病院には戻らず、ここで最後を迎えたいと話してくれました。

「病院にいるときは、随分と怒ったようなお顔をされていましたね。でも今はとてもうれしそう。やっぱりお家は最高ですか?」と聞くと「とにかく、病院が嫌で嫌で仕方なかった。自分と同じ病気の人が、次々と死んでいく。もう、本当に耐えられなかったんです。やっぱり、家はいいなぁ。」と。

家族背景も、ご本人もいろいろな問題があって、すごく大変かも・・。
と言われていた患者さんが、関わってみるとどんどん受け入れてくれて、実は意外にスムーズにいくこともあれば、すごく親孝行で一生懸命なご家族に、何とか力になりたいと、万全な体制で支援に入ったとたん、ものすごいクレーマーと化したり・・。

そうでなくとも、人間対人間。
相性一つで、良くも悪くも変わったりします。

いろいろと問題の多いとされる患者さんの初回訪問に学生さんを連れて行ったあと、「サマリから想像していた家族状況ともちょっと違う感じがしました。」と言っていました。
相手の状況をどうとらえるかも、実は人によって大きく違います。

「サマリや、申し送りをちゃんと知りつつも、自分の眼でみて、自分で話を聞いて、状況を判断することが大事だよね。」と話をしました。

だから、「ものすごい困難事例らしい依頼があったよ。」と言った時「そんな大変な事例ばかり受けないで、よそに回せばいいのに・・。」と囁く声に、「大変だと言っていても、実は何とかなっちゃうこともあるし、先入観で患者さんを選びたくないから受けるよ。」と言いました。

でも・・、その通りめっちゃ支援が大変だったことも、実はけっこう多いのです。

ま、誰かがうけなきゃならないので、とりあえず深く考えずにトライするのみです。

ここにきて寄せ波。

2012-06-21 22:55:05 | 訪問看護、緩和ケア
年明けから、かなりゆったりペースで、一時は「大丈夫かな?」と思ったくらい患者さんが次々入所や入院や亡くなられ、その割に新規の患者さんが増えない感じでした。
ところが、ここにきてかなりの寄せ波が来ていて、勤務表の空欄はあっという間にどんどん消えてしまいました。
こういう時に限って、一度に入院した方たちがどんどん退院することなり、3年前くらいに終了した患者さんまでが、病状の悪化で再開することとなったりしています。

新規の依頼も毎日増えているので、これはそろそろストップしないと、これから夏休みを迎えるのに、ちょっと危険信号です。

でも・・
こういう風に寄せ波の時に、何度か患者さんをお断りすると、今度は余裕が出た時にぴたりと依頼が止まってしまったりして、お断りするのも勇気がいります。

第一、うちを見込んで依頼をかけてくださっているのに、それを受けられないのは、何とも申し訳なくて、出来ることならそれはしたくないのです。

でも、満杯になっても無理をすれば、そのしわ寄せはやはり患者さんに向いてしまうことになり、そこで質を落とすこともできませんから、そろそろ私が「ストップ」の声をあげなければならないのでしょう。

瀬谷区は、二つのフル稼働の在宅支援診療所と、やたら増えた8か所の訪問看護ステーションで在宅の医療を回していると言っても過言ではありません。
でも実際、往診医は満杯。

これからは、なんとか一般の(24時間ではない)往診医の先生と、うまく在宅を回して行かなくてはならない状況が予想されるなか、何でもかんでも受け入れることに危機感もいだき始めています。
でも、でも、やはり在宅療養を希望する人を、ふるいにかけたくはないのです。

なんとか、動向を予測しながら、なるべくご依頼を断らないように、頑張っていきたいと思います。

ちなみに、うちは大規模ステーションに入りますが、大規模の中では少ない方になります。
もっと大きなステーションでは、1か月の新患数が16件とかあったりするようです。
とてもとても、うちでは不可能な数字です。
うちでは、多くて6件が限度です。
そして今日も2件の新患さんと、来週退院で数年ぶりに再開する患者さんの、退院前共同指導に行ってきました。
明日も、退院前共指導があり、7月以降はかなりハードな状況になりそうです。

スタッフの人数や、地域的なものもあって、チーム分けするのもまだ時期ではなく、他のステーションも増えたり減ったりしており、この地域の受容と供給のバランスは、どうも今一つのようです。

なんて贅沢ばっかり言っていないで、今目の前の患者さんをきちんと支えるべく、頑張っていくしかないですね。

この地域の傾向なのか、この国の傾向なのかは不明ですが、ご本人もしくはご家族に、精神疾患をお持ちの患者さんがとても増えてきています。

場合によっては、ほぼ家族全員なんらかの精神遅滞や精神障害を持たれていることもあり、この場合は包括支援センターや行政とも連携しながら、サポートする必要があり、患者さんの原疾患を見ていく以前に、関係性を築いたり、精神状況を見ながら関わっていく必要があります。

ウン十年前には、あまり聞かなかったパーソナリティ障害や、発達障害、学習障害、それに適応障害なども学びつつ、避けて通れない精神科的な支援も行っていかないと、在宅はやっていけないと言う事でしょうね。
ちなみに、うちは精神科の訪問看護は申請していません。
ですから、精神疾患そのものでの指示書はありませんけれど、病名のあとにそっとそちらの病気がついてくることが多いのです。

そういえば、一昨日の台風の激しさには、びっくりしました。
あんなにすごいのは、何年振りでしょうか?

一昨日の夜、息子がアパートに戻ろうと、夜中ドアを開けると、そこには緑の壁がありびっくりしていました。
なんと葉と緑の小さな柿の実をつけた柿の木が、我が家の玄関に向かって、根っこから倒れこんでいたのです。
2階から見ると、柿の葉で下は見えないはずなのに、きれいさっぱり何もありません。

翌朝、下を見るとすでに早起きしたおじいちゃんと義姉が、余分な枝葉を切り落としていました。

妙にすっきりと、今まであった場所の周辺がよーく見えます。

近くによるとこんな感じ。
   

学校から帰宅した息子が、チェーンソーでばっさばっさと分割し、私も小枝をバチバチと落としました。
柿の木には申し訳ないけれど、こんな事でもなければ、雨の度に通路で雨を播きちらす木を処分することはできなかったでしょう。

ここ数年の天変地異も、どっか不穏な感じがしますね。
なんとか、我が家をはじめとして、世の中の不穏な空気を一掃して、平穏な時代に戻ってくれることを願わずにはいられません。

調整役

2012-06-19 23:06:39 | 訪問看護、緩和ケア
このところ、いろいろ問題のあるケースや、込み入った調整が必要な患者さんが多くて、ひっきりなしに電話をしまくる毎日です。

入所へ向けての調整、退院に向けての調整、主治医変更の調整、困難ケースの連携、精神的なサポートのための調整、患者さんとご家族、主治医との仲介などなど。

担当者も日々頑張ってはいますが、最終局面での医師や多事業所、行政との調整になると、忙しいスタッフのためにも、出ていくことになります。

あっちをつなぎ、こっちをつないだら、そっちは穏便に切り替えるみたいなことを、いろいろ画策しながらやっていますが、在宅というフィールドでは、ここがうまくいかないと次に進まないことが多くて、いわば在宅の要とも言えると思います。

ただ連携と言うには、ちょっともの足りない・・
裏技や小技、人脈を駆使して行う、地域の中での裏工作とでもいうのでしょうか。
ここで、どこの誰に繋ぐかによっても、これからの方向性が変わって気ちゃいますので、ちゃんと吟味して動かないと、「あらら・・こんなはずでは・・」と言うことになってしまいます。
なので、込み入ったケースでは担当者会議や、退院前の病院でのカンファレンスにも参加するため、あちこち顔を出す事もお仕事です。

ただ・・

この地域は、今まで在宅療養が安心してできることが自慢の地域だったのですが、このところ需要が多すぎて、2か所ある24時間対応の在宅支援診療所が、飽和状態になってきているのです。

めぐみ在宅クリニックも、瀬谷在宅クリニックも、かなりのオーバーワークです。

どういうわけか、訪問看護ステーションばかり増えているので、ますます双方のバランスも悪くなっているのでしょうか??

どちらにしても、、在宅で腰を据えて看とりまで責任を持ってやってくれる医師が増えないことが原因です。
24時間の在宅医療が必要な患者さんは、なにも末期癌や神経難病の患者さんだけではありませんし、長い間の経過で徐々に看とりに向かうケースも多いのです。
ですが、このままいったら、麻薬を使う癌の患者さんはなんとか診てもらえるけれど、慢性の疾患で老衰や合併症でゆっくりと看とりまで希望される患者さんの、途中経過を診てもらえなくなってしまうのではないかと、とても心配な状況です。

開業医の先生で、「往診します。」と言う先生も、実際は営業時間内のみで、「夜間祝日は対応できないから、なにかあたら入院してもらいます。」という条件が付いて回るので、先を見越した時に、とてもお願いできないな・・という事ががほとんどです。

そんななか今日も、無理を言って強引に患者さんを引き受けてもらいました。

『往診医がいない!』そんな話を今まで人ごとのように聞いていた私。
これから、どうなって行くのかな・・?
とっても心配です。

ところで、現在我が家は暴風圏内に入っております。
外はすごい風と雨。
そして、先ほど我が家の庭のかなり大きな柿の木が、根こそぎなぎ倒されてしまいました。
今、玄関を開けると柿木が玄関から外までの通路をふさいでいます。
明日の朝、どうなっているのやら、本当にびっくりです。

何も考えない週末

2012-06-17 23:09:06 | 日々のあれこれ
緊急当番でもなく、患者さんの様子も皆落ち着いている週末。

金曜日の夜、またナースSさんに、2時間もかけて全身の矯正とマッサージをしてもらいました。
マッサージと言っても、凝り固まって硬くなった筋肉を、筋肉の走行に従ってガシッと掴み、ゆするようにしてほぐすという変わった施術方法。
ガチガチにこった筋肉を掴まれると痛いのなんのって、絶叫ものとなります。

それでも、全身くまなく凝り固まったお肉をほぐしてもらい、特殊な金属の棒でこすってもらったりしていると、だんだん体が楽になっていきます。
金曜の夜と言う事もあって、朦朧とした意識の中で「いたたたたー!!」と叫ぶものの、どんどん意識はぼやけてくるのです。

ナースSの丁寧な、心のこもった施術は、有り難いとしか言いようがなく、時々「どうですか?今日は時間がありますから、またやりましょうか?」と、私が気を使わないように自分から声をかけてくれます。
毎日勉強して、覚えた技術を私に施してくれるわけで、腕はどんどん上がっているようです。
ナースSが担当して、緩和ケアの一環としてこのマッサージを受けた患者さんは、もうナースSの虜になってしまいます。

うちには、リフレクソロジーのプロもいて、彼女もに私の足の裏を施術してもらったりして、本当に私は幸せ者です~。

金曜の夜は、約2時間のマッサージと矯正で、もう頭が真っ白。
翌日は、買い物やらウララの世話やら、家のあれこれでやはりあっという間に過ぎていき、夜も突然やってくる睡魔に負けてダウン。
そして、今日も娘と買い物へ行き、昼寝をし、合間に家事。

あっという間に夜。

はー。
もう何も考える暇もなく、もちろん勉強する暇もなく、いったい何をやっていたのか思い出せないほどに、あっという間に過ぎてしまいます。

何だかなぁ・・。
これでいいのかなぁ・・。

もっとやることあるのだろうに・・。

でも、今はこうして無事に毎日を過ごしていくしかないのでしょうね。

もっと、勉強もしたいし、ゆとりを持ってきれいなものを見たり、どこかに旅に出たり、満たされるものが欲しいのに、今はそんなことを考える余裕もありません。

そうそう、最近そうとう呆けてきていて、職場でも脳の検査をしたほうがいい人ベスト3に入っています。
長谷川式は怖くてとてもできません・・。

短期記憶、まじにやばいですから。

でも、それもこれも良しとして、また明日からお仕事頑張ります。

なに、そのうちいいことあるでしょう。

訪問看護は、家族もまるめ。

2012-06-15 23:58:18 | 訪問看護、緩和ケア
看護学生さんが来て、在宅の特性を学ぶにあたって、理解してほしいのが家族とのかかわりです。

在宅で療養する時に、最も大切と言えるのが「家族」の存在です。

もちろん独居で身寄りもなくて、在宅療養を貫いている方はたくさんいらっしゃいますが、それならば家族の役割をどうするかかが、最大の支援のポイントとなりますから、やはり家族がとても大事です。

いったい誰がキーパーソンなのか、実際の介護者は誰なのか、患者さんと一番いい関係なのは誰なのか、遠隔操作をしている方がいるのか、本当に介護する気があるのかないのか・・。

そして、経済状況やご家族の仕事、病状の認識度やご家族への思い、今後どこでどのように、患者さんを過ごさせたいのか。

色々観察することは、山ほどあります。

そして、訪問の継続する中で、私たちの目は患者さんと同じくらいに、ご家族へと注がれています。

疲れていないかな?
夜は眠れているかな?
介護は辛くないかな?
精神状態は安定しているかな?

患者さんのケアをしながら、時には玄関の外に出て、辛い思いやうれしかったこと、不安や疑問や愚痴も聞きます。

そう言う関わりを学生さんはじっと見ていて、カンファレンスでは、ほとんどの学生さんがそこに気づくのです。

昔、私が病棟ナースの頃、こんな風に患者さんの家族とじっくり話すことはほとんどなかったなぁ・・とおもいます。一生けんめい面会に来るご家族に、労いの言葉なんて、きっとかけた事なかったんじゃないかと思います。
だから、学生さんには、何故それが必要なのかをよく理解してほしいし、近い将来病院勤務を始めた時には、一言でいいからご家族に労いの言葉をかけられるナースになってほしいと思います。

最近、患者さんより長く介護されているご家族の体調が悪くなってしまった患者さんが増えてきていて、みんなすごく心配しています。

主介護者が倒れれば、患者さんも家にはいられなくなります。

久しぶりにあったら、びっくりするほど痩せてしまっていたり、げっそり疲れ切っていたり・・・

老々介護の場合などは、患者さんとその配偶者にも声をけ、バイタルなども測ったり、健康相談もしたりします。

共倒れが一番怖い在宅療養です。

訪問したら、家族も丸めで観察する。
それもまた、訪問看護の大切なお仕事です。

どこまでが仕事?

2012-06-13 22:49:34 | 訪問看護、緩和ケア
地域でいろんなケースを見ていて、時々感じることがあります。

ヘルパーや看護師に関しては、とりあえず仕事の範囲は決まっていて、その線引きで時々もめることはあっても、決められた時間内でのことなので、比較的答えは明確です。

でも・・・

以前、ケアマネさんの動きで??と思ったことがあります。

そのケアマネさんは、ご利用者さんAさんの、まるでご家族のような役割を果たしていました。
何でも頼まれれば車を出す。
驚いたのは、お盆やお彼岸の度に、お墓参りまで連れて行ってました。

ですから、ご利用者さんにとっては、とっても有り難いケアマネさんです。

でも・・
肝心なことになると、どうも動きがおかしい。
というか、必要な事や法として遵守すべき事も、ちゃんと伝えられないわけで、担当の看護師看も時々その事業所に申し入れなどをしていました。
そこでも揉めたのかどうか、そのケアマネさんはその事業所を退職されたので、次のケアマネさんが引き継ぐことになりました。
Aさんは、今までお願いしてきた私的な事、アッシー君の役割も同様に引き継ついでくれると思っていますが、当然そんなことはできません。
「前のケアマネさんはやってくれたのに、今度のケアマネはなんて使えないの?!」と言う事になりました。
そこから、すったもんだの末、数人のケアマネさんが変わる事となりました。

ヘルパーでも、自立支援のヘルパーなどは、自立のためなので「一緒にお掃除をしましょう」とか「一緒にお料理を作ってみましょう。」などと声をかけて、自立を目標に支援するののが本来の役割ですが、「いいですよ~。寝ててください。私が全部やっときますから。」と言ってくれる人がいたら、本来の役割を果たそうとする事業所よりも、寝てて楽できるほうを選んじゃいますよね。こんなことも、意外にある話らしいです。

そして、私にはあまりよくわからないのが、民生委員さんの役割です。

ほぼボランティアで、地方自治体から任命されるのでしょうか。
地域の人たちの困った時の相談役であり、支援の窓口であったりします。

民生委員さんは、児童委員も兼ねるそうで、なかなか大変なお仕事を、ボランティアでするわけですから、よほど生活にも時間にも余裕がなければ出来ない仕事です。

ただ、民生委員さんの関わるケースなどを見たり聞いたりしていると、これも本当にご家族の役割を果たされていることが多くて、ご自分の生活にも支障をきたすのではないかと思う事さえあります。

たとえば、通院の同行や移送をされたり、転倒などのトラブルの度助けに来てくれたりと、独居の老人などには、とっても有り難いです。
そして、さらにはお米をとぐとか、ご飯を作るとか、トイレの介助をするとか、まるでご家族かヘルパーさんのようなことまでして下さることもあるようです。

たぶん、個人個人考え方は違いますし、支援内容も違うと思いますが、あまりご家族的な支援を、継続的にすることに、ちょっと疑問を感じてしまいます。

もちろん「困っている人を助ける」ことは素晴らしいことですし、私もそうしたいと思います。
でも・・。
自分がそれを請け負うのではなくて、地域としてどう支援するのかを考えれば、きちんとサービスにつなぐべきだと思うし、繋げる場所がなければ、ご家族に連絡を取るとか、行政やケアマネと考えるようにするべきだと思うのです。

緊急時に駆けつけて、救急車に乗って下さったりすると、本当に有りがたいなと思います。
何かの時に、向こう三軒両隣の助け合いみたいに、その場を乗り切って下さる行動力はすごいですよね。
お金や時間ではない、人のために頑張る気持ちに、本当に頭が下がる思いです。
私たちも、独居のご利用者さんがいたりすると、お声をかけさせてもらったりします。

でも、ご飯を作ったり、毎回通院にマイカーで連れて行ったりするのは、どこかおかしいなと感じるのは、私だけでしょうか?

いつまでも出来るのかな?
通院途中に転倒して骨折でもして、責任を問われたら誰が守ってくれるのかな?
同じ地域で、同じような人がいたら、みんなに同じ支援が出来るのかな?
やってくれる人がいるから、やらないで済ませるご家族がいるんじゃないかな?

人は、面倒な手続きもなく、うるさいことも言わず、お金もかけずに動いてくれる人がいれば、誰でもそちらにお願いしたいですよね。

なんてことを考えたりするのは、意地悪でしょうか?
あまりに、いろんなケースを見たり聞いたりするので、ひねくれているのでしょうか?

私は、なるべく早くご家族も交えて、行政やケアマネ、医療機関につないで、サービスを導入していく道筋をつけることを優先にしてほしいなと思います。

そのうえで、時々様子を見に来てくれたり、お話を聞いてくれたり、困ったことがあったら相談に乗ってくれたり、いろんなサービスにつないでくれたり、緊急時に素早く動いてくれたりしたら、本当に心強い存在ですよね。(もちろん、たくさんの民生委員さんがそのように動いてくれているのですが。)

こう考えうると、福祉って本当に難しいですね。
誰かがやらなければいけない事、でもやりすぎてはいけないこともある。
自立促すことも、自己責任を負う事も、権利意識や責任の持ち方も、人それぞれですからね。
だから人間て面白いのかもしれませんが、時には斜めから見てみるのも必要だと思います。



困難ケースをどう支援する?

2012-06-11 22:20:34 | 訪問看護、緩和ケア
国民のほとんどが、食うには困らず、寝るところもあって、とりあえず最低限の生活は保障してもらえるし、教育も受けられるのが日本だと思っています。

でも、実はそのほとんどには当てはまらない人たちもたくさんいて、支援は受けるけれど好き勝手はやめない人たちもたくさんいます。

高齢者の場合は、介護保険の枠組みの中で、とりあえず何とかなりますが、これが精神であったり、障害であったり、小児であったりすると、どちらかというと行政との連携で支援していくことになります。

行政としては、保健師やケースワーカー、課としては障害や保護課などのほかに、子供の場合は児相等が入ってきます。
そこに、地域の世話人や学校の先生、訪問看護師、自立支援のヘルパーなど、ケースバイケースで連携していくわけです。

ここで、関係者の足並みがそろえばいいのですが、動きの悪い関係機関があると、本当にイライラすることとなってしまいます。

いろんな制度で支援が可能な日本ではありますが、その制度を受けるにあたって、実はいろんなハードルがあったりして、これをいかにうまく整理して、繋げていくかによっても支援のスピードも結果も変わってくるわけです。

生保がうまく繋がらずに餓死する人も増えていると言いますよね。
たぶん、不動産があったり、働ける健康状態にあって、なにかしらの問題で収入を得られないとかみろいろな問題があったのでしょうね。

そして、よくあるのが虐待やネグレクトによる子どもの問題です。

そこに、問題のある子供がいてもうまく関われずに、みすみす子供を死なせてしまったりして、テレビでも良く叩かれていますよね。

児童相談所の相談件数は相当数に上るらしくて、よっぽどでないとちゃんとみてはもらえないようです。
その中でもとりわけ問題だよ、というケースでさえ、のらりくらりとしか言いようのない対応をしていることもあって、近い将来を考えると、絶望的なまでのケースでも、のろのろとはっきりしない態度をとっています。
へー、児相ってこんなに動かないんだ~。
これじゃあ、毎年子供たちが虐待やネグレクトで死んでしまうはずだなぁ・・と思ったりします。
特に、子供に問題がある場合、親にも問題がある場合が多くて、親も兄弟もひっくるめて問題ケースとして挙がります。

そのかかわりの中で、親も子供も判断能力がないのに、お伺いを立てて拒否されて引き下がる、なんてことをずっと続けていたりして、これじゃあ間に合わないな・・と世間のニュースと重ね合わせて、すごく納得してしまいます。

ひとくくりに行政と言っても、セクションによっては、ひどく距離感があって、これが事態をどんどん悪化させているのだと気が付きます。

きっと、担当者にもよるのでしょうが、全国的にニュースを見ていても、児相の動きが悪かったために起こる事件が後を絶たないですね。

それでも、周囲の関係者があの手この手で対策を立てようと頑張っているのは、何よりも救いです。
いったい、何を怖がっているのかな?
事の本質を考えて、先をみこして何が一番必要かを考えながら、関係者の共通認識の中で、ゴールを決めて共働していくことが、一番必要なんだと思います。

って、とても抽象的な表現ばかりとなりましたが、なかなか踏み込めない世界です。

江の島水族館

2012-06-10 21:36:03 | 日々のあれこれ
昨日は雨だったので、娘と湘南テラスモールに行ったついでに、本当に何十年ぶりかに「江の島水族館」に行ってきました。

雨の水族館は、親子連れでいっぱいです。

水槽の中の魚たちは、そんなことはお構いなしで、小さな四角いガラスの世界でも、一生懸命生きていましたよ。



外はと言えば、しとしと雨ですが、ビーチではサーファーがいっぱい波の間で揺れていました。

江の島は、雨の中でぼんやりと煙っていて、夏の喧騒まで、しばし休憩中のようです。

江の島水族館で、大人が一番好きなコーナーは、ここだと思います。

心も体も疲れた大人が、ぼんやり見つめるのには最高の場所。

クラゲたちのファンタジーワールドってところでしょうか。

残念ながら人が多くて、あまり感傷に浸る余裕も有りませんでしたが、それでもクラゲはフワフワと、青い宇宙を揺れていました。

           
                         

そして今日は前中に、状態の不安定な患者さんを一件訪問して、そのあとは庭いじりや、うららのお風呂などなどで、あっというまに一日が終わってしまいました。
休日の、何と短い事か。

明日はもう、6月も半ばです。

何も解決しないまま、時間だけが過ぎていくことも、いつのまにかうまくいくことも、時には悪いことに転がっていくこともあり、ごちゃ混ぜになりながら、朝が来て、夜が来ます。

でも、やっぱり朝は来るのですよね。

さて、明日からまた1週間が始まります。


今日のお昼は、タイカレー

2012-06-08 22:39:49 | 旅行・グルメ
最近の我が家のブームは、タイカレー。

ある日夫が息子のために買ってきた、缶詰のタイカレーに、私もはまってしまいました。



いなばのタイカレーは、お店によってですが、1個100円前後でローソンとかでも売っています。

実はこのカレー、ネットで検索するとカレー通の間でもかなりブレイクしているそうです。

いなばの缶詰工場があるタイで、現地の人が食べているツナカレーを、現地の人と共同で開発、製品化したという、本場ものだそうです。

レッドは、スパイシーなツナのタイカレー、イエローはややしょっぱい感じですが、マイルドなチキンのタイカレー、グリーンもツナのタイカレーですが、やや辛めでコブみかんの葉っぱが入っていて、フワッと柑橘系の香りがします。

どれも、ココナッツミルクベースで、スパイスはかなり本格的で絶妙です。

しかも、入っているツナの大きさにもびっくり。

このプライスでこのグレードは、本当にびっくりです。



私は、3種類どれも美味しいと思いますが、香辛料の苦手な方はダメかもしれません。
それくらい、香辛料のパンチが効いています。

ちなみに、今日はコストコで買ってきたナンと、3種類の缶詰で、お昼を頂きました。
       

もちろん、スタッフにもおすそ分けをしましたが、みんなもびっくりしていましたよ。
帰りに絶対買って帰ると言ってました。

まだお試しでないかたは、ぜひ一度食べてみてください。

ご飯一膳分に、1缶かけてレンジで1分チンしてください。

うまいです!!
ちなみに、コブみかんの葉とは何ぞや、と思ったら東南アジア原産のライムの一種だそうです。
葉っぱが強い芳香性を持っているので、東南アジではよく料理に使うようですが、私は始めて食べました。
本当に、このツナ缶と同じ大きなの缶詰に、葉っぱがしっかりはいっています。
そして、スパイシーな刺激を、さわやかな柑橘系の香りがやわらげてくれます。
うちのスタッフは、すごく気に入る人と、これはダメと言う人とに分かれました。

イエローとレッドは、たぶん誰でも大丈夫かな。

独身男性なら、サトウのご飯とこの缶詰さえあれば、当分生きていけますね。

今日の私のランチは、3種類の食べ比べとなりました。




復活!

2012-06-07 23:40:24 | 訪問看護、緩和ケア
90代くらいの高齢者の方で、時々すごい生命力を見せられることがあります。

どういうわけか、90歳代、100歳前後の方によくあるのですが、血圧もどんどん下がって、意識もなくなって、さすがにもう今夜は超えられ無いだろう・・と思っていると、そこから数日、数週間と頑張られるのです。

場合によっては、その後驚異的に回復して、食事もとれるようになり、数か月と言う事もあります。

こういう復活力は、年齢の若い方よりも、どういうわけか90才から100歳前後によく見られ、激動の時代を生きぬいた底力を見せつけられますね。

だからこそ、昨日の話題でもある「大往生」「極楽往生」の明るいお別れに繋がるのかもしれません。

それにしても、血圧も60代、意識レベルも300、噴水様嘔吐、40度近い発熱から、オムツを外し、バルンを抜こうとして暴れるまでの回復は、ちょっとびっくりしてしまいました。

しかも、呼名も指示も入るし、自分の意思を伝えることまで出来ます。

客観的なデータは、あまり楽観視できませんが、それでもご家族は張り切って介護の準備を始めました。

もし、私が90才になって、同じ状態になったら、きっとそのまま死んでしまうだろうとおもいます。
強いのは、今のこの年代であって、軟弱な時代を生きた私達では、きっと無理だな・・と思うからです。

実際、今の若者をみていても、お年寄りと比べると、精神力では全然負けていなすよね。
戦火をくぐり、混乱を乗り切り、貧困を切り抜け子供を育て上げるパワーは、並大抵じゃありませんから。


今回の看護学生さんも、9日間の実習を終えて、今日最終日でしたが、この状況に目を見張っていました。
命は、はかなくもあり、力強くもありってことを、体感して一回り成長したようです。
この後の実習先の地域連携室では、在宅に戻すための調整の視点を、分かった上で実習できるとおもいます。
頑張れ~。

ご家族それぞれ。

2012-06-06 23:14:35 | 訪問看護、緩和ケア
学生さんの素朴な疑問。

2週間の長い在宅実習を間もなく終える学生さんが、ちょっと考えながらこんな質問をしてきました。
「この2週間の間に、お二人のお看取りに向けての最終的な場面に立ち会わせて頂きました。
お一人は、ご家族もすごく悩んで苦しんで、泣いて泣いて病院をえらばれました。でも、お一人は間もなくお別れが来る話をされても、最後の経過の説明の時にも、なんだか全然悲しそうに見えませんでしたし、どちらかというと、笑顔も多く見られました。これはどういう事なんでしょう??」と。

色々な方の最後の場面で、ご家族の表情は確かに大きく変わります。

もちろん一概には言えませんが、比較的ご高齢者のお看取りの時には、ご家族の受け止めがとても冷静だったり、悲しさのなかにもどこか納得され、泣き笑いの中で見守られる場合が多いような気がします。

日本には、「天寿全う」とか「大往生」という言葉があって、文化として長寿のかたが亡くなるときには、「よかったよかった。立派な最期だった。」「大往生であやかりたい。」などという言葉さえ聴かれたりします。

思い起こしても、私のおじいちゃん、おばあちゃん、親戚のお年寄りのお通夜などは、かなり賑やかなものでした。
仏教思想も根ずいていて「仏様になった。」「三途の川を渡って、あちらに行った。」「今頃おじいさんと会えた頃かね。」という感じでしょうか。

そこには、高齢者の死を、自然な経過として受け止められる、人間本来の感性みたいなものがあるように思えます。


悲しいのは当然のこととして、「長い間ご苦労様。もう逝っていいよ。」「もう十分生きた。あとは極楽往生だ、」という日本人の死生観もあるように思えます。
ご家族の関係性や、介護にかけた思いなどにもよりますしね。



こんなことを言っていると、何言ってるんですか!
うちは、悲しくて辛くて仕方なかった!
と怒られるかもしれませんが、あくまでも傾向として多いような気がするという、私の主観的な話です。

年齢で悲しみの大きさは測れるはずもありませんが、人として寿命を全うして、精一杯生き抜いた方のお別れは、私たちもどこか晴れ晴れとお見送りすることが出来ます。

後悔する?しない?

2012-06-04 22:30:13 | 訪問看護、緩和ケア
生きていく中でも、人はよく「あの時、ああすればよかったのに。」「いや、あれはあれでよかったのだ。」なんてことを思案することがよくあります。

この仕事をする中でも、時々自分の対応に「あれで良かったのかな??」と自問自答することがあります。

何と言っても、人の命に関わる仕事なので、本当に考え込んでしまう事もありますが、どの方向から見るかによって、考え方は180度ひっくり返ってしまうので、結果としてプラス思考でとらえるようにはしています。
そうじゃないと、自分がこの仕事に向き合えなくなるからです。

たとえば、緊急電話がかかってきたときに、内容によって電話対応だけでよいのか、出動したほうがよいのか、その場で決めなければなりませんよね。

状況を電話口でよく確認することはもちろんですが、それでも思案することは多くあります。

たとえば
「退院後初めて高熱が出ました。
座薬を入れたけれど、これで様子を見ていいでしょうか?」と、ご家族から不安げな電話があったとします。
ベースの疾患にもよりますが、休日で病院はお休み、本人は動きたくないと言っています。
風邪症状はなく、とりたててほかに感染の兆候はありません。
熱以外は、変わらないとご家族も言います。

実際、易感染性はあるものの、外傷やポート、バルンなどもなく、排泄も順調で自覚症状がないとしたら、座薬で様子をみてもらうことにします。

病院に電話をかければ「じゃあ、病院まで来てください。救急外来で診ます。」と言われるのはわかっていますが、在宅療養をしていて、すぐに来てくださいといわれて、すぐに飛んで行けるひとは少ないのが現状です。
行ったはいいけれど、何時間も待たされて、へたをすると「なんで来たの?これくらいで。」とか言われたりすることもあって、簡単に病院に行ってくださいとは言えない場面が多くあるのです。
緊急訪問しても、訪問となればお金がかかりますから、そこを確認して訪問するかどうかも、判断する必要がります。

独居や介護力が低ければ、とりあえず伺う事が多いけれど、介護者がしっかりしていれば様相を見てもらう事が多いですね。

それでも、ベースの疾患によっては、翌日確認するまでちょっとハラハラすることがあります。

そして在宅によくある話として、本人の意思がはっきりしていて「病院は行かない!苦しくなくて痛くなければ、別に死んでも構わないんだ。」という場合です。
ヘルパーさんからは、「朝から」下血をしています。今回はこの前よりかなり量が多いです。」という連絡があったとします。
でも本人は「お腹も痛くない。気分も悪くない。平気だからこのままでいい!。」と、病院を頑として拒否します。
しかも、独居です。

強引に説得して、何が何でも救急車に乗せるか。
訪問やヘルパーを増やして、長時間誰かが滞在するか。
本人の意思に添って、様子を見るか。

貧血もかなり進んでいそうだし、下血が多ければショック状態にもなりまねません。
出来れば救急対応がベストでしょうが、ご本人が強い意志を持って「このままでいい。」と断言したら、さてどうしましょうか。

意識レベルは保たれていて、バイタルも安定、なにより本人の強い主張あるならば、やはり私は様子を見るほうを選んでしまいます。

フレッシュな下血で、原因がわからない不安があり、量が増えれば失血死の可能性も否定できないとしても、定期巡回のヘルパーさんに安否確認をお願いするしかないと思います。

でも、翌日の訪問まで下血が続き、いよいよショック症状が出始めると、さすがに病院に行く事を了承する事態になり、緊急入院、輸血となってしまったとしたら、様子を見たことに対して、後悔しますか?

私は、本人の強い意思に添ったこと。
ぎりぎりまで来ないと、本人は納得しない性格であること。
万が一の覚悟を、本人が持っていること。
などを考え、これで良かったのだと思います。

でも、これって誰がどこで考えるかにもよるのでしょうね。

こんな感じで、現場はいつも決断を余儀なくされるのです。
その重責は、時に訪問看護と言う職種を避けられる理由にもなります。

「あなたが、そうしろと言ったから!」「あなたの判断ミスでしょう?」

そう言われてもおかしくない、命の現場では多くのリスクを背負って考えなくてはならないのです。

自分の判断。
自信を持って言いきれますか?

親って言うのは・・。

2012-06-02 23:55:18 | 日々のあれこれ
昨日は、学童保育で子供たちがお世話になった指導員Sさんの寿退職祝いでした。

発起人の一人として、準備のために午後から半休をとり、あちこち走り回って、なんとか無事いい会が出来ました。

現在高校生のOBの親子、約50人が集まり、学童保育所でケータリングを利用してのお祝いでした。


指導員Sさんは、美人なんだけどきっちりしていて、なかなか隙がなく、長年浮いた噂もなく皆心配していましたが、学童のOB父母たちも、まるで娘を嫁にやるような気持ちでのお祝いの集いだったのです。



会は、大盛り上がりで終わり、2次会はいつもの「あさのや」
私は、久々の「あさのや」のつくねとサラスパに感激しばしでした。

ちなみに、20歳になった息子は、調子に乗ってかなり飲んでおりましたが、娘は緑茶で我慢していました。(高校生なんだから当たり前ですが。)

2次会の席で、親の気持ちの話になった時、主任指導員ごっちゃんが、こんな話をしてくれました。

「いや~。この前、息子がやっと一人立ちするんで家を出てったんだけどね。なんというか、もうせいせいしてね、どんどん部屋とか、ものとか片付けて行ってね、本当にすっきりして気持ちよかったのよ。でも、これはあの息子が、いろいろあるかもしれないけれど、一人で生きていけますって、巣立っていったからなんだよね。もう、大丈夫っていうか、役y目が終わったって言いうかね。とうとう旦那と二人だけになっちゃんだけど、淋しくないのよ。」と。
「でもね、これが朝『行ってきまーす』って言って、二度と帰ってこなかったりしたら、たとえゴミ一つでも捨てられないと思うんだよね。これが親なんだよね。」と。

そして、うちの娘に「親ってさあ、こんあことばかり考えてんだよ。分からないでしょう?」と振っていました。
娘は、「はは・・(~_~;)」って感じで受け流していましたが、これは本当に心底同感できました。
というか、すごくうらやましくて、いつか私にも、そんな風に「あー、やっと出てってくれた。あとは、自分でやってくれ!私は自由だ~!」とか思える日が来るのだろうかと。


それは、最大限親としての責務を果たし、子供の成長をこの目で確認できなければ、味わえないことだと思います。

淋しいというよりは、きっとすごく爽快な気分なんだろうなと思います。

親は、子供のためなら死んだって構わないと思っているし、何もかも失っても守りたいと思って生きています。
でも、その呪縛から、心地よく解き放たれるわけで、今の私にとっては、どんな贅沢より贅沢だなぁ・・と感じてしまうのです。


こんな親の気持ち、子供たちもいつか分かってくれるのでしょうか。

その日を、心待ちにしています。


ところで、今日は緊急電話の引き渡しがてら、ナースSの整体&リンパマッサージをうけることとなりました。
ナースSは、実はここずっと休暇や仕事の後に、整体とリンパマッサージを習いに行っていて、今ではかなり腕が上がっています。
独特のマッサージで、リンパの流れを改善しつつ、身体の歪みを強制するという、とっても有りがたいマッサージで、時々肩こりで悲鳴を上げていると、ちょこっと施術してくれたりしていました。
そして、これがめちゃめちゃよく効くのです。

今日はナースSの気遣いで「私の練習台になってください。」という言葉に甘え、何とタップリ2時間近く全身くまなく緩ませてもらいました。
そして、私の一番つらい肩甲骨の痛みは現在消失。
方から首の岩盤のような筋肉は、かなり柔らかくなっています。
筋緊張性の頭痛持ちである私が、今現在薬も飲まずに頭が痛くないのは、本当にSさんのおかげです。

これから、もっともっとスキルアップして、いつでも私の身体で練習してほしいです~。