こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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「エチカの鏡」を見て思うこと。

2010-06-20 21:43:56 | 読書、漫画、TVなど
夫にうつされた風邪は、今日も咳と鼻水とくしゃみと喉の痛みを伴って、いっこうに良くなりません。

なので、今日は何もせず、うだうだと過ごしました。

おじいちゃんのために、父の日お食事会を隣の姉宅でしましたが、ほとんど役に立たず帰宅。

夜9時過ぎからなんとなくつけたテレビ「エチカの鏡」のテーマが「あなたはどんな最期を迎えたいか」
というものでした。

いろんな葬儀の仕方や、任意契約などの紹介もあり、故人の遺伝子をペンダントに固定するとか、声を再生するとか、磁器にするとかダイアモンドにするとか・・・
いろいろな形で残すことから、散骨などのように残さないためのもの、などのご紹介がありました。

けれど、最後に漫画家青柳祐介さんが妻に残したものは、本当に素敵なものでした。

高知出身の青柳さんは、幼なじみの奥さんと結婚して50年。
亭主関白で、妻には3歩あとからついてこい!と言うような人だったそうですが、耳下腺癌が再発した時、すべての治療を拒否し、残された時間を大切にしたいと宣言したそうです。

そして、自分の葬儀の写真から葬儀の手順、はてはお棺の中のデッサンまで書いて、どこに何を置くかを指示したそうです。

そのかたわら、妻のために筆で大きな長い手紙を書きました。
人は皆死ななければいけないし、自分は早めに行くだけだから、悲しまないで楽しく暮らせ。というような内容でしたが、

最期に「お前が落ち込んだら、俺が一番悲しむぞ。解ったか。」とひときわ大きく書かれていました。

「解ったか!」は生前から亭主関白の夫の口癖だったそうです。

その手紙は今も仕事部屋に貼ってあり、その書体のおおらかさと優しさは、妻の心の支えとなっていました。

いろいろ指図をして、ほとんどの死出の準備が整い、それでもあたふたとする妻をそばに呼んで夫はこう言ったそうです。

「俺との時間が、ほしくないか?」

  そして、妻を抱きしめました。


今でも月命日に墓参りをする妻をカメラが追います。

その墓標には、彼の自筆のイラストが描かれていました。

小学生の少年が、幼なじみの年下の少女と向かい合っている、とても温かなイラストでした。

二人の影が、地面で一つになっている・・・

すごいな~。
感動しました。

こんなにも、残された人に愛を伝えられるなんて。
自分の死の恐怖よりも、残す人の悲しみのほうが耐えられなかったのでしょうね。

あらん限りのエールを、妻に残して旅立ったのだなぁ・・・と。

昼にみたテレビでも、13歳で母親になり、16歳で骨肉腫になった少女が、小さな我が子に「母に愛された記録を残したい。」と言ってビデオレターを撮り続けたという実話をやっていました。

ここにきて、人はやはり真実を知ればこそ、大切な誰かにメッセージを残す事が出来るし、自分自身の自律を支えられるのだということが実感できます。

もちろん青柳さんは、自分が自分の病気や予後を知らないなんて、絶対に許せなかったでしょうね。

13歳で母親になった少女は、両親が話し合い考えた末に、「子供のために何も知らせない事のほうが、かわいそうだ。」として本人に告げました。
彼女は、わが子のために生きると決め、泣き言を言わずに抗がん剤に耐えましたが、それも効果がなく自分の死を悟った時に、『あなたは望まれて生まれ、心からママに愛されていたのよ。』と言うことをどうしたら伝えられるかを考えました。

それがビデオレターだったのですね。

自分の死を自分で受け止めることで、自分にしかできないメッセージを残す事が出来る。

わたしは、やはり自分のときにはそれを知りたいし、誰もが知る権利を持っていると思います。

家族の会話の中で、いちどは話し合っておくべきなのかもしれませんね。


人の役に立てること。

2010-05-24 22:09:32 | 読書、漫画、TVなど
日曜日の昼に、たまたま付けていたテレビ番組で「ルビコンの決断」という新番組をやっていました。

何となく見ていた私は、途中から釘ずけになってしまいました。
あわてて娘に録画をしておいてもらったものを、さっき再生してみました。

今から30年前、日本理化学工業というチョークを作る小さな会社がありました。
ちょうど、先代の後を継いで30代の若き専務がまかされたものの、業績も振るわず仕事への意欲も持てずにいました。

ある日、そこへ知的障害者の養護学校の先生がやってきました。
間もなく卒業の二人の女子生徒を雇用してほしいと言う依頼でした。

当時、知的障害者を雇用する会社は少なく、養護学校卒業後は養護施設へ入所し、そこで一生を過ごすことがほとんどだったそうです。

ただでさえ大変な時期で、一度は「無責任にひきうけられません。」として断ったものの、先生の熱心さと、このまま施設に入る彼女たちへの同情もあって、一週間だけの体験就職として、給与も支払うことを約束しました。

1週間だけでも、働く喜びを体験できれば・・と先生も喜び、本人たちも意欲をみせました。

そして、工場のおばちゃん社員の指導のもと(伊藤かずえ、久しぶりにも見ました・・)まず、出来上がった箱にラベルを貼ることから始めました。
最初は、まっすぐに貼ると言う事が難しく、思うように貼れなかったのですが、彼女たち二人は、一心不乱に仕事を続けました。
無遅刻無欠勤。怒られても、めげることなく。
やがて上手に貼る事が出来、おばちゃんたちにとてもほめられ、うれしそうにしていましたが、そのころには1週間が終わろうとしていました。

「もっと働きたい・・。」彼女たちは呟きました。

一生懸命の彼女たちに心を動かされたスタッフたちが、雇用してあげてほしいと訴え、二人は就職することが出来ました。

このことがきっかけで、年に一人くらいのペースで知的障害者が増えて行きました。

しかし、彼らの障害はそれぞれで、注意力が途中で切れて席を立ってしまったり、ラベル貼り以外の仕事をさせようにも、数が数えられなかったり、複雑な工程が覚えられなかったりと、健常者のスタッフの負担が増えて行きました。
そのうえ、賃金が健常者とあまり変わらない事でも、不満の声が上がってきました。

そんななか、毎日怒られても具合が悪くても、彼らは無遅刻無欠勤で出勤してきました。

「自分が休むとみんなに迷惑がかかるから。」そんな責任感の強さや、ひたむきさ、仕事への意欲はどこから来るのだろうと悩んだ専務は、法事の時にある僧侶にその事を相談しました。

「なぜ、彼女たちは、あんなに仕事に頑張れるのでしょうか?どんなに怒られても誰ひとりやめることなく、仕事に来ます。」
と。

その僧侶は言いました。

それは当り前のことです。人間は究極の幸せといものが4つあります。一つは、愛されると言う事。ほめられると言うこと。人の役に立つと言う事。人に必要とされるという事です。
愛されると言う事以外は、働くことを通じて得られる幸せなのです。のんびり楽しくと言う事だけが幸せではないんです。
真の幸せとは、働くと言う事。会社がその幸せをもたらすことが出来るんです。
」と。

「こんな小さな町工場の会社でも、彼女たちを幸せにする事が出来る。」

専務は、知的障害者の雇用と経営の両立を決心しました。

しかし、当初社員の反応は拒否的でした。
専務は、彼女たちの特性を生かした、作業効率の改善方法を一緒に考え、協力してほしいと頼みます。

そして、専務は色による分量の測定方法を考え、社員達からもつぎつぎとアイデアが出されました。

そして、それをみんな次々と覚えて行きました。

「出来る!」事を覚え喜び励む障害を持つ社員を見て、他の社員も一緒に意欲的となり、さらに新商品の開発にも参加するようになりました。
こうして「キットパス」というガラスでもどこでもかけるクレヨンも開発し、大ヒットとなりました。

現在この会社は新工場も設立し、ほとんどの工程を知的障害者で稼働することが出来ているそうです。

その最初の社員は、今も勤続30年社員として働いています。


その当時の専務であった大山会長も登場されました。

「自分が勉強になったのは、この子たちは人の役に立っている。必要とされていると言う事で、あんなに一生懸命働くことができるということです。
自分も、働く場所をこの子たちに提供していきたい。そういう会社を作っていきたい。」
「ある施設の人によると、知的障害者の人を施設で65歳まで面倒をみると一人2億かかる。小さな会社でもその人達を雇用する事が出来れば、その分の国庫負担の軽減にもなる。ぜひ今後もこういう社会を作っていく必要がある。」
と言っていました。

「人を雇う事は、人を活かす事。」

出来ない方法で仕事をさせるのではなく、仕事が出来るような方法で、仕事を人に合わせればいい。


愛されると言う事。ほめられると言うこと。人の役に立つと言う事。人に必要とされるという事。


究極の喜び・・・。うーん、確かに。  

志を貫く人・・・・2

2010-05-02 22:47:50 | 読書、漫画、TVなど
以前テレビで見て感動し、このブログでも記事にしたNPOロシナンテの川原医師が、再びテレビで取り上げられていました。

(志を貫く人・・http://blog.goo.ne.jp/symc1361/e/2fa54d4be6f758cad9a4e353624485e2またリンク貼れなくなりました

今回は、前回の放送でスーダンのサッカーチームのコーチを、元鹿島アントラーズの本田さんにやらせる、という企画だったようですが、そこにはやはり人一人の人生観を変えるほど影響力がありました。

現在NPOロシナンテは軌道にのり、着実に未来を担う子供たちの教育から始めており、宗教戦争が無くなる日を目指し、たくさんの人たちが関わっています。

今回、プロサッカー選手を引退し、情けない離婚劇を演じてしまった、あの自信のなさそうな本田さんが、スーダンで実際現地の人たちと出会い、子供たちと接し、スーダンの朝陽を見て、河原さんと話した日々の中から、自信を取り戻していく姿が映し出されていました。

テレビ放送と言えば、やらせっぽかったり偽善的であったりと考えがちですが、この放送の中からはそういう意図は感じられませんでした。
司会の島田伸介さんが以前にも言っていましたが、「偽善でも何でもいいじゃないか。それで、たった一人でも救われるのならば・・」と。

確かに視聴率稼ぎかもしれないけれど、こんなすごい日本人がいる事、そしてそんなすごい人がたくさんいる事がわかっただけでも、すごく自分自身の励みになるし、勇気や力をもらえる事ができます。

素直に、すごく感動しました。

その番組の中で、「今度誰がスーダンに行く?」と誰かが言い、弁護士の一人が「法律は国によってはまったく違うし、僕なんかが行っても何の役にも立たない。お医者さんはどこに行っても人の役に立ててうらやましいです。」と言いました。
伸介さんは、「いや、なにも特別なことしなくても、誰か一人笑わせただけでも役に立つんですよ。」と返しましたが、川原医師は「別にスーダンに来なくてもいいんですよ。みんながそれぞれ家族を大切にするとか、約束を守るとか、それぞれが出来る事をすればいいんです。」と付け加えました。

本当にそう思います。

川原医師のおじいさんは、出かけた先で出会った戦争孤児を家に連れてきては、家族として育てた人だったそうです。

誰でも、自分でできる事があるはずですよね。

なんだか、誰かのためにとか、人としてとか、嘘をつかないとか、そういう日本人が最も大切にしてきた事が、どうもあやしくなっている現代です。
何かと言えば、権利ばかりを主張し、変なところで人権やら個人情報やらの言葉を振りかざして、自分だけを守ろうとする人達が多い時代です。

そういうなかで、人であったり環境であったり、医療であったり、何かの役に立つために一人ひとりが出来る事をもう一度考える為のよい機会になると思いました。

川原さんは言います。
「何故、それをしようと思ったのか?とよく聞かれるけれど、自然にそうなったんですよ。」と。
スーダンでの職務も、内戦の中での人々との出会いも、登る朝陽もすべて彼をそこに向かわせるものだったのでしょう。

そう思うと、なぜ今私が今の仕事に就いているかと言えば、やはり自然にそうなったのだと言うほかないと思いました。

それが、自然の流れだったのでしょう。
人それぞれ、そうなる事が決まっていたと言うか、使命と言うものなのかもしれません。
ならば、その仕事を自分にしかできないやり方で、全うしていかなければいけませんよね。

再び、さだまさしの「風に立つライオン」を聴きながら、真摯にそう思いました。

ちなみに、私の家と職場のデスクには、ロシナンテのカレンダーが置いてあります。

志を貫くひと・・・

2010-02-07 23:45:54 | 読書、漫画、TVなど
いろんな場面で、自分の信じた道を進んでいく人がいます。
どんな苦境に立たされても、それを乗り越えて進む人が・・・

さっき、テレビを見ていてロシナンテというNPOを立ち上げ、スーダンで医療活動をされている、河原先生とその仲間の事を知りました。
情熱大陸でも取り上げられたその先生の生き方、すごいなと・・・純粋に恰好いいなと感じました。
人間は、与えられた地位や名誉を、簡単に捨てられない生き物だと思っていました。
私を含め、ほとんどの人達が自分の世界(仕事であり、家庭であり、社会であり)は守るべきものと信じて生きています。

もちろん、守るべきものを守るのは、大切なことですし、絶対必要なことです。
そうして、家庭も仕事も社会も成り立っているわけで、私も同じです。

でも、時に天命と言うか、運命に突き動かされるように、なにもかもすてて過酷な環境に身を投じてしまう人がいるんですよね。

河原先生も、そんな人でした。
エリートとして、外務省の医務官としてスーダンに赴任し、内戦と貧困の中で病気に苦しむ人々を目にした時、外務省の人間として、在住の日本人を診る事は出来ても、スーダンの人々には指一本触ってはいけないと言われたそうです。
「外務省の医務官では無かったら、診てもいいのか?」と聞いたら「そうです。」と言われた彼は、「じゃあ、やめます。」と言って、外務省をやめてしまったのだそうです。
日本に帰り、学生時代の仲間や後輩に「NPOとして、スーダンの医療活動をしたいが金が無い。」と言ったとき、仲間は「河原が言うのだから絶対やる。」と思い、お金を工面し、支援活動に加わったそうです。

もちろん、どこからも給料などでるはずもなく、スーダン政府からも疑いの目で見られながらの医療活動は、過酷なのもだったそうですが、徐々に認められ、今は診療所も与えられ、日本からの支援によって活動を継続しています。
これからもずっと。だそうです。
奥様もお子さんも日本に残して、アフリカの大地で、何もないけれどその先に光る何かをみつめながら。

現在NPOロシナンテスは、カレンダーを作成して、その半額を活動費に充てているとのことです。
NPOロシナンテここから購入できるそうです。が、アクセスが集中して今のところうまく開けません…

この先生が、現地で心の支えとして聴いているのが、さだまさしの「風に立つライオン」です。
やはり、実在の医師がアフリカの医療に身を投じ活動する中で、残してきた恋人から結婚するという手紙をもらって、その返事の手紙を歌にしたものです。

この歌を初めて聞いた時も、すごく感動しました。
大地からのエネルギーと、突き動かされる魂と、ゆるぎない優しさを感じる歌です。
ぜひ聞いてみてくださいね。

こういう人たちが、実は日本人のなかにもたくさんいるんです。
タイでAIDSの孤児院を寄付だけで運営していて、たくさんの子供のお母さんになっている人もいます。
すごいなーと思います。みなさんどの方もすごく素敵に笑います。
何だか自分も救われるような気がします。

ただ・・・私達には、そんな大きなことはできないけれど、やはりこの小さな町にだって苦しんでいる人はいるわけで、その人達を支えるためにやはり頑張っている人はいるわけですよね。
だから、辛いことも悲しいことも乗り越えていかないといけない。
頑張らないといけない。

自分にできる事で、精いっぱいここで自分の使命を果たさないといけないと、改めて感じました。



さだまさし - 風に立つライオン



眉山・解夏を読む。

2010-01-23 13:40:49 | 読書、漫画、TVなど
だいぶ前に、夫が「やっぱり、さだまさしは天才だな。」と言って私に回してきた小説。
「眉山」も「解夏」もたしか映画化されていましたよね。
見てはいませんが、さだまさしが小説も書いていることはしていました。
BOOK・OFFの値札がついたその小説を、読んでみました。

 やっぱり、天才ですね。

もともとさだまさしの歌は大好きです。
歌と言う短い詩の中に、人生そのものであったり、日常のシュチュエ―ションであったりを、ギュッと圧縮して閉じ込め、旋律の中で、聴く人それぞれが解凍していく・・・。

ですから、小説を書くと言うのは、考えてみれば自然なことなのかもしれませんね。

「眉山」
徳島市内で一人で住む母親が、ある日癌の侵されていることが分かり、女手一つで育てられた娘咲子が、母の生きざまと葛藤しながらも、理解し見送るまでの数か月を描いた短編小説です。
阿波踊りのにぎやかな喧騒と、笛や太鼓、お囃子がBGMに聴こえるような錯覚に陥りながら、古い伝統の街の中で、一人の女性が毅然と生き抜いた姿を、娘の視点からとても美しく描きだされていました。
特に、献体にまつわる肉親の想い、身をささげようと誓った母の想いなど、微妙な心の揺れがとてもきれいです。

「解夏」
この本の中に「秋桜」「水底の村」「サクラサクラ」と4本の短編小説が入っています。
このすべての小説に、涙してしまいました。

「解夏」とは仏教用語で、夏の修行が終わる日を指すそうです。
一人の教師が、ある日突然難病にかかり、失明する日までの日常を淡々と描いています。
けれど、深い絶望に何度も落ち込みながら、周囲の人々や禅寺で出会った林老人との会話の中で徐々に受け入れていくのです。
そして、さだまさしお得意の、故郷の風景が美しくリンクしてやはり歌のように半生が語られていきます。
昨日、最後のほうを駅のホームで読んでいて、電車が来ても涙が止まらなくて困りました。

帰りの電車では、「秋桜」涙と鼻水が止まらず、家で「水底の村」「サクラサクラ」を読み、なんだかとても幸せな気持ちになりました。

ちょっと疲れている時、気持ちがささくれ立っている時、やる気がなくて呆けている時、読んでみてはいかがでしょう。
気持ちが上向きになる小説ですよ。

言葉は不思議ですね。
「きれいな言葉をつかいなさい。」小説の中でも出てくるフレーズです。
きれな言葉。
難しいですが、大切なんだなと思いました。

読んでいない方、素直な心で読んでみてくださいね。

阪神、淡路大震災

2010-01-16 23:32:38 | 読書、漫画、TVなど
本当にうっかりと、「神戸新聞の7日間」を、ほとんど見損なってしまいました。
最後の30分に気がついてショック・・・!

昨日の朝「特ダネテレビ」でも、葛西アナが震災での取材中の話をしながら、途中声を詰まらせ号泣していましたが、このドラマは絶対見たいと思っていたので残念です。
再放送絶対やると思うので要チェックです。

あの震災の時、私は大阪の吹田市にいました。
ちょうど駅ごとつぶれた伊丹空港の駅から車で30分位のところにある、千里丘というところでした。
長男が2歳、下の娘が生まれて2か月、実家から母が遊びに来ていました。
そして、あの日ぐっすりと眠っていた5時46分。
ゴーっと言う地鳴りと同時に突き上げるような揺れが突然襲ってきたのです。

私は、隣で眠っている娘を抱き上げ、夫に息子を抱くように叫びました。幸い私たちの寝室にはテレビ以外重いものはありませんでしたが、息子がテレビのすぐ近くにいましたので、今振り返ってもゾッとしてしまいます。
激しい揺れで、襖が帆かけ船の帆のように上下の棧から外れて弓なりになっていました。
「お母さん!」
母は、北側のたんすのある部屋に寝ていました。
そちらに行こうと思いましたが、廊下の納戸が開いて、中の荷物が全部飛び出していました。「おかあさん?!大丈夫?!」
呼ぶと「大丈夫よ」と答えがあってホットしました。
冷蔵庫もだいぶ前の方に動いていましたが、不思議と食器はあまり割れていませんでした。

「火が出るぞ!」夫がカーテンを開け外を見ましたが、周囲は静かでした。
テレビもすぐには移りませんでしたが、少しするといきなり神戸が燃える映像を映し出しました。

その間も、繰り返す余震に母は、2か月の赤ん坊を抱えて立ったり座ったりしていました。
電話は、まったく通じず、水も止まっていました。

しばらくすると、神戸が大変なことになっていることが分かり、近所の人はみんな無事でした。
それでも近所のお友達は、子供を抱き上げた直後にテレビが倒れてきたと、蒼い顔をして話していました。

食器棚は、向いていた方角でめちゃめちゃに食器が落ちた家と、うちみたいに数枚しか割れなかった家とに分かれました。

それから半年位は、民家の屋根がところどころ青いシートに覆われていたような気がします。
1年後位に須磨の水族館に行ったときには、新築の家と空き地とが妙にきれいに並んでいました。

あれから、15年も立つんですね。
もしかして、最初に候補になっていた尼崎に住んでいたら、どうなっていたのか・・

ここ数年、災害時看護者ボランティア研修のなかで、それぞれが自分の役割を果たすために、断腸の思いで救助をせず任務を果たすことの必要性を聴いてきました。
そのために、あとで自責の念でPTSDになってしまう人もいると・・

「救命病棟24時間パート3」というドラマの中で、消防士が消火に行く途中に「助けてください!」と言う人たちを振り切って消火活動に行き、「人でなし」と責められPTSDになっていく話がありました。
これは現実にある話なのだと聴きました。

ある病院の看護師長がのちに振り返って「混乱した現場で、傷ついた人を搬送するさなか、
カメラマンが写真を撮っていました。その時は、そんなことをする暇があたら、手を貸してよ!と思いましたが、今、話だけでは風化してしまう現実を残すためには、絶対必要なことでした。」と語っていたそうです。

神戸新聞の7日間の中での一こまはカメラマンたちの激しい苦悩を語っていました。

やけ野原で何かを探している子供にカメラマンが声をかけます。
何を探しているのかと。
「お母さんを探している。」
「お母さんとはぐれたんか?」
子供が差し出した洗面器のなかには、お母さんの焼け焦げた骨が入っていました。

カメラマンは、泣きながら、泣きながら震える手でシャッターを切る・・・

そんなシーンでした。

今、ハイチは同じ苦しみ中にいます。
地獄の苦しみの中、日本よりもさらに貧しい国で、みんなどんな夜を過ごしているのでしょうか?

これは、他人ごとではない話です。
私たちは、その時何をするべきか、何をどう守るのか、今から考えておく必要があるのです。

深夜食堂「猫まんま」

2009-12-26 23:33:45 | 読書、漫画、TVなど
深夜食堂のドラマ見つけました。
コミックでは3話ですが、ドラマでは2話になっています。
私の大好きなお話です。
お時間のあるときに、見てください。
4分割していますので、2-1,2-2,2-3,2-4と順を追って下さいね。


2-1.avi


セットの細かいところまで、スタッフのこだわりがあるみたいです。
大人の、ちょっとセンチな物語です。


日々雑感

2009-12-23 16:00:09 | 読書、漫画、TVなど
最近、はまった漫画ご紹介します。

これです。 深夜食堂。

大人がしみじみ楽しめる本です。
淡々としていて奥が深い、人の温かさをしみじみ感じるような・・・
小林薫が主役で、深夜ドラマになるようです。
適役かも・・・大人の人読んでみてください。6巻まで出ています。

そして、大好きな「のだめ」です。
何回も繰り返して読みましたが、とうとう最終回になってしまいました。
さみしい・・・こんなに繰り返し読んだのは、「メゾン一刻」以来です。

そして、あと少しで終わる本は・・
畠中恵しゃばけシリーズ「ちんぷんかん」です。
いつもの若旦那と佐助、仁吉が活躍する楽しいシリーズです。
文がうまくて、江戸の情緒あふれるシリーズですが、読んでいて幸せな気分になれるので好きです。安心して読める作品。


この後読むのが海堂 尊の「ブラックぺアン」
これもチームバチスタシリーズです。
何度も言うようですが、いままでのなかでは「ジェネラルルージュの凱旋」が一番好きです。
映画やドラマでは、田口先生が若造になったり女になったりして、ちょっと許せませんが、映像でしか見ていない人は、是非原作を読んでください。
全く違う作品ですよ。

ドラマ化といえば、浅田次郎の「蒼穹の昴」がNHKでドラマ化されるようです。
できれば、日中合作の映画にしてほしかったです・・・
これは、是非原作でお楽しみください。すごすぎます。
ちなみに、「沈まぬ太陽」挫折しています・・。

本にせよ漫画にせよ、自分の感性に合ったものをいつもそばに置いときたいですね。
漫画だって結構いいものはありますし、今はやりの「ワンピース」だって泣けますよ。
現代の日本人が忘れかけた義理や人情や友情や勇気、そういうものがものすごく上手に表現されているので、DNAが呼び起されちゃうんじゃないんでしょうか。

今って、平等とか人権とかという言葉に逆にとらわれすぎちゃって、人として当たり前の上下関係までおかしな解釈させられていると思います。

卒業式には欠かせなかった「仰げば尊し」
歌わなくなった理由しっていますか?
ひとつはことばが難しいから。
そして歌詞の中にある「わが師の恩」という言葉。
誰もが先生を尊敬できると限らないのに、強制的に歌わせるのはおかしいんだそうです。もうひとつ「身を立て、名を挙げ、やよはげめよ」
地位や名誉を追い求めるように強制するからダメなんだそうです。

ばっかじゃないの??!

親や目上の人を敬うのは、人としてあたりまえですよね。
そこに平等なんて言葉を持ってくるから、世の中おかしくなってしまうんです。
口のきき方を知らない子供(大人も)が増えているのは、こんなことがまかりとうるからです。
なにも利権にまみれてふんぞり返った役人になれって意味で「身を立て名を挙げ」って言ってるわけじゃあないでしょう。
人として社会の中で活躍して、世のため人のためになるような人になってほしいと解釈すればいいんじゃないでしょうか?

言葉の難しさは音としてとらえれば、いにしえの美しい日本のメロディとなります。
そういう美しい歌は、誰が残していくんでしょうね。
難しさでいえば「箱根の山」なんて意味不明ですよね。

歌詞が難しくても、きれいな歌ってたくさんありますよね。

たとえば 「冬景色 」
  一、さ霧(さぎり)消ゆる(きゆる)湊江(みなとえ)の
  舟(ふね)に白し(しろし)朝の霜(しも)
  ただ水鳥(みずどり)の声はして
  いまだ覚めず(さめず)岸の家
  二、烏(からす)啼きて(なきて)木に高く
  人(ひと)は畑(はた)に麦を踏む(ふむ)
  げに小春日(こはるび)ののどけしや
  かえり咲(かえりざき)の花も見ゆ
  三、嵐吹きて雲は落ち
  時雨(しぐれ)降りて(ふりて)日は暮れぬ
  若し(もし)燈火(ともしび)の漏れ来ずば(もれこずば)
  それと分かじ(わかじ)野辺(のべ)の里

今の子供、歌えるのかな??

こうして、いいものが少しずつ消えていってしまうのでしょうか?
さみしい限りですね・・・。
日本の美しさは、なにも目に見えるものばかりではないと思うのですが・・・
年ですか?

夜のひと時

2009-10-02 23:45:41 | 読書、漫画、TVなど
私の場合、仕事のある日は、だいたい20時過ぎに帰り、いい加減な食事を作り、塾でばらばらの子供たちと時間差で食事をしてから、9時半頃洗たく干したりしながらテレビをちょこっと見ます。

そして、あ~うるさい!とか思いながらPCを開き、ばかばかしいと思いながらも、Yahooの無料ゲームで「2角どり」をちょこっとやり、そこからブログの閲覧、そしてブログの書き込み、さらに自分のブログの更新をします。

なので、超短時間にいろんな事を凝縮しているので、なんか肩はこるし、家の中は一向にかたずかない・・・・

でも、なんとかそれから入浴(烏の行水と人は呼ぶ)をして、布団に入るのだけれど、その前後にちょこっと本を読みます。

今は、村上春樹の「ねじまき鳥のクロニクル」を、読み返しています。
この作品は、平成6年に初刊で出たときに一度読みましたが、15年ぶりに読むと全然忘れてました~
あのころ、面白いと思ったはずなのに、中身を思い出せないでいましたが、やっぱり今、新鮮に面白いです。
ってことは、あのころあまりよく分かっていなかったってことかも・・・

とはいえ、蒙古の残虐な拷問についての記述で、人のなめし皮を、生きたまま作っていく話があります。
指先から、きれいに薄皮一枚で皮をそいでいく中で、ほとんどの捕虜が、秘密を自白するという話です。
この話は、私の中では、景山民夫の「虎口からの脱出」という小説の中の話だと思っていて、ずいぶん本読んだわりには、結構いい加減に読んでいたんだな・・と変に感心したりしています。

とはいえ、やっぱり面白いです。村上春樹。
この方の本は、読み返していくと、違う発見があったり、時間がたつことで気がつくこともあるので、読み返すことをお勧めします。

そして、今それと並行して、はまってしまったのがこれです。

「もやしもん」マンガですが・・・

めっちゃ面白いです。
息子が、「おもしろいよ」と言って貸してくれたものですが、なんか変なキャラクター物の話かと思ったら、菌類が見える男の子が、東京農大を舞台に、変な教授の変な野望に巻き込まれていくお話でした。

肉眼で見えないはずの、いろんな菌類が見えるのですが、なかなか勉強になりますよ~。
ヨーグルト大好きになります。
ちなみに、納豆菌は世界を救えるほど素晴らしいそうです・・・
何のことやらの方は、一度読んでみてください。
発酵食品が、食べたくなります。
宮本輝の「賑やかな天地」も、発酵食品を取り上げた小説でしたが、本当に発酵食品や菌類の面白さを堪能できます。

というわけで、夜もどんどん更けていきます。
明日は、区役所とめぐみ在宅共催で地域での、在宅みとりについてのセミナーがあって、そこでのプレゼンの最終チェックをしないといけないのですが、悪い癖で今だに開いていません。
スライドは作ってあるので、あとはぶっつけ本番かな~??
嫌、一回ぐらいはおさらいしないと。

時間が、もっと欲しいです。

心の琴線

2009-09-27 13:58:13 | 読書、漫画、TVなど
音楽も、映像も、小説もそうですが、自分の心の琴線に触れるものがあります。

自分の今の生活のなかで、または遠い記憶の中で、心の中の張りつめた糸を、鳴らすもの・・・

昨日から、seijiさんのブログの「小さな木の実」がきっかけになって、いろいろyou tubeをみていました。

さだ まさしさん、そういえば昔30年ほど前ですが、大好きでずっと聞いていました。
懐かし曲も、比較的新しい曲も結構アップされていました。

そのなかに、「防人の詩」がありました。
この曲が流行っ時も、切ない気持で聴いていたのだと思いますが・・・

今改めて、その曲の悲しいまでの美しさと、歌詞の重さに感動してしまいました。


さだまさし - 防人の詩 (静止画バージョン)


 教えて下さい。
 この世に生きとし 生けるものの
 すべての 命に 限りがあるのならば
 
 海は死にますか
 山は死にますか
 風はどうですか
 空もそうですか
 教えてください

 私は 時折 苦しみについて考えます
 誰もが 等しく 抱いた悲しみについて

 生きる苦しみと
 老いてゆく悲しみと
 病の苦しみと
 死にゆく悲しみと
 今の自分と
 
 答えてください
 この世のありとあらゆるものの
 すべての命に約束があるのなら

 春は死にますか
 秋は死にますか
 夏が去るように
 冬が来るように
 みんな逝くのですか

 わずかな 命がきらめきを信じていいですか
 言葉で見えない 望みといったものを
 去る人があれば
 くる人もあって
 かけていく月も
 やがて満ちてくる
 なりわいのなかで

 教えてください
 この世に生きとし 生けるものの
 すべてのいのちに 限りがあるのならば
 
 海は死にますか
 山は死にますか
 春は死にますか
 秋は死にますか
 愛は死にますか
 心は死にますか

 私の大切な ふるさとのみんな 逝ってしまいますか

読書について。

2009-06-07 23:29:02 | 読書、漫画、TVなど
基本的に、本は好きです。
でも、結構ムラがあって、読みだすと馬鹿みたいに止まらなくなって、寝不足になったりするのですが、読みたくないときは1ヶ月くらい放りっぱなしになります。
読む本も、結構偏っていて、宮本輝や浅田次郎、村上春樹、畠中恵や内田康夫などが多いです。
たまに帚木蓬生とかその他、今月のおすすめみたいな本をランダムに読んでいます。
最近は、この前も書いた「納棺夫日記」が、かなり心に残りました。
基本的に、救いのない本は読みません。後がつらいので・・・
たまにそういう本を、間違って読んじゃうと、しばらくズーンと沈んでしまいます。
最近ピュアに泣けたのは、浅田次郎の「霞町物語」かな。
「プリズンホテル」も、めっちゃかっこいいおじさんたちが出てきてしびれましたが、「霞町物語」に出てくる写真屋のじいちゃんや、もと芸子のばあちゃんが、またまた素敵で泣けました。
浅田次郎独特の、人間描写が大好きです。
「蒼穹の昴」とか「シエラザード」みたいな歴史ものも大好きだし、特にタイムスリップのような感じで、入り組んだ糸がほつれて、「おおー!!」見たいな作品が、もう凄いとしか言いようがありません。
よく、重松清も、「流星ワゴン」のように時間を行ったり来たりしますが、作品によっては、どこか救われない気分になってしまうため、あまり最近は読んでいません。

宮本輝は、女性にはたまらないですよね。
あんな美しい女性でありたいし、恋愛もしたい。
それに、描写の美しさにもうっとりします。
時々出てくる濃厚ラブシーンもドキドキしたりして・・・
私は特に、宮本輝の描く日本海の町と、そこにひっそりと生きずく人々の描写が好きです。
「花の降る午後」や「ドナウの旅人」は、ほんとにうっとりしました。
「焚火の終わり」は、日本海を背景に、兄妹の過去がああ・・・美しくも淫美。
「草原の椅子」は、本当に胸に沁みました。
どんな思考回路ほしていたら、あんな素敵な小説が次々と生まれんでしょうね。

最近、話題の村上春樹「1Q84」も上下で買いましたが、まだ読んでいません。
なぜなら、とりあえず、村上作品をもう一度あらかた読みなおしてから読もうかなーと、思ったからです。
昨日「ノルウェーの森」を読み終えました。
1987年が初版で、この時買ってすぐ読んだのですが、22年も前のことで、実はほとんど覚えてなかったんです。
あの時はすごく影響されたように思えたのですが、要はわかってなかったんでしょうね。若かったし・・・
じゃあ今読んでわかったかっていうと、そういう話じゃあない。
感覚的に同調できる部分と、まったくあちらの世界との行ったり来たりで、すごく怪しい気持ちになりながらも、なんだか深みに引きずるこまれていくような感じで・・・
こんな表現しかできず、きっと村上信奉者が見たら激怒するかもしれませんが・・

「海辺のカフカ」もそうでしたが、正直本当に村上作品が理解できるとしたら、その方も、そちらの世界に近い方なのだと思います。
もちろん私は、村上作品が大好きですけれど、読み終わると、少しの間空間がねじれたような錯覚にとらわれてしまいます。
もし、危ういところにいる人なら、きっとそのままそちらに行って、帰ってこれなくなるのじゃないかと、心配してしまいます。

昨日から「風の歌を聴けを読み始めましたので、いつになったら「1Q84」に到達できるんでしょうか??

でも、いい本に出会えた時は、すごくうれしくてしばらく幸せな気持ちになれますよね。
(よく職場で、よだれを垂らさんばかりに、本の登場人物のの話で騒いでいる私と佐野ナースを皆あきれて見ています・・・。)

納棺夫日記を読んで考える。

2009-05-25 22:38:38 | 読書、漫画、TVなど
この「納棺夫日記」を読んで感銘を受けたモックンが撮りたいと願い、長年温めて実現したという映画「おくりびと」。
映画を見たあと、是非読んでみたいと思いつつなかなか読めず、この週末の電車のなかで、やっと読み終わることができました。

映画とかなりリンクした体験談なのだと思っていましたが、まったく違ったものでした。
確かに、モックンの人生観や、死生観を変えたものだと思いました。

もともと、著者である青木 新門氏は、詩人だったそうです。
詩人で、飲み屋の道楽おやじで、貧乏な文人ばかりをお客に、一緒に飲んだくれて身上を潰し、子供の粉ミルクも買えなくなって、葬儀社に努めたのがきっかけで、納棺師になったとのこと。
(妻に「けがらわし!!」と叫ばれたり、「そんな仕事はやめて」と懇願されたのは本当のことでしたが・・・)

しかし、もっとさかのぼれば、満州で終戦を迎え、8歳の時、腸チフスで瀕死の母のそば、すでに亡くなった弟の亡骸を背負い、遺体の焼却場に置きに行った経験を持っていたのでした。
実は、そこから「死」というものと、ずっと向き合ってきた方だったのです。

内容は、いつくかの体験談を通して、いろいろな死生観を知るにつけ、自分の中での死生観を追及しながら、親鸞の教義に傾倒していくものでした。
びっくりするくらい、宗教や哲学も勉強していました。
そしてたくさんの、死期をまじかにした詩人の詩を、そのとぎすまされた感性で、理解しようとしていました。

特に、宮沢賢治の詩には、強い衝撃を受け、その感性の琴線に触れるようでした。

親鸞の教えを理解しながら、「悟り」について、正岡子規の死の二日前に書いた随筆の一文を引用していました。
「悟りいふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」

うーん。
唸ってしまいました。

私なりに、「死」とは向き合ってきたつもりですが、やはりあくまで自分ではないのですから、わからないのが当たり前といえばそうなのですが。

私は、母の亡くなる前日の不思議な微笑みが頭から離れません。
お見送りした患者さんのなかにも、本当に笑みをたたえたお顔の方がたくさんいらっしゃいました。

エンドルフィンのためなんでしょうか?
それとも、青木氏の言う通り、穏やかな至福の光に包まれていたのでしょうか?

死を考えると、やはり宗教も切り離せないのが人間なのかもしれません。
私なんかは、「死」を自分に置き換えると、怖くて気が遠くなってしまうこともありましたが、これを読んでちょっと変わったような気がします。

もし「死」の意味を考えることがあるようでしたら、一度読んでみてください。
ちょっと、考え方が変わるかもしれません。 

「象の背中」テレビで見ましたが・・・

2009-05-07 23:31:12 | 読書、漫画、TVなど
先日「象の背中」テレビで放送されましたね。
10分のアニメDVDにめちゃくちゃ泣かされたし、ケミストリーの「最後の河」もすごく好きなので、期待してみたのですが・・・
う~ん・・残念。
だって、つい最近「風のガーデン」DVDBOXみちゃったばかりなんですよ。

比べちゃあいけないんですが、作り話的要素が多すぎて、がっかりでした。
大好きな役所広司が主役なのに、全体にこぎれいにまとめすぎて、なんか本質を見落としちゃってる感じです。
だいたい、なんであんなできのいい、物分りのいい、上品な美人妻がいるんでしょうか?
愛人に「主人がいつもお世話になっております」って、席をはずすんですよ。
おかしいでしょう?まもなく死んでしまう夫が、愛人に会いたがるんですよ。
もう、その苦しさと言ったら、耐え難いものじゃありませんか?
もっともっと、葛藤があるはずですよね。hiyo_ang1/}
妻も愛して、愛人も愛して、挙句に愛人に「分骨」するんですよね。
迷惑じゃあありませんか?
「俺のことは忘れて、若いんだから早くいい人みつけて幸せになれ」って言ってやるべきでしょう?あとで捨てるに捨てられないし。
そのくせ、奥さんから「今度生まれ変まれ変わっても、また私と結婚してくれますか?」って言われて「うん」というんですよ。
都合のいい女だから?とか、かんぐってしまいます。
なんか、しっくりこないんですよね。きれいごと過ぎて。

それに、あのホスピス。いったいいくらかかるんでしょう??
まず、一般ピープルには入れないんじゃあないんでしょうか?
普通の、ホスピスでも1ヶ月50万~60万ですよ。
緩和ケア病棟だと、保険適応になりますが。
あのロケーションと、あの個室料金を考えると、気が遠くなります。

死や別れをテーマにするのなら、もっと現実をちゃんと調べてから、きちんと掘り下げないと、単なるお涙ちょうだいになってしまいます。

自分で言うのもなんですが、私は涙腺壊れてるんじゃないかと思うほど、涙もろいのですが、ポカーンと見てしまいました。
中学生の娘や、その友達は、結構うるっときたみたいですが・・

多くを語り過ぎない、DVDアニメの象の背中のほうがずっとよかったです。

倉本總さんは、風のガーデン書き上げるのに、ものすごく現場をリサーチしたそうです。うそにならないように、些細な表現もすべて綿密に調べたそうです。
医療現場から、看取りも在宅死も、緩和ケアも、家族看護も・・・

なんか、こんなに怒ってしまうのは、期待してたからなんですよ。

何せ、普段の生活の中で、人生の終末と常に向き合っているので、あんまり表面的な表現は、すごく違和感を感じるのだと思います。

言うだけ言ったらすっきりしました。
いい映画や、いい本に出会いたいですね。

  我が家の都忘れです。ホッ

「風のガーデン」DVD見ました。

2009-05-01 00:36:42 | 読書、漫画、TVなど
先行予約していた「風のガーデン」DVDBOXを見終わりました。
じっくり見直すと、言葉の一つ一つが、胸にしみてきます。
おまけのDVDには、出演者や倉本聰さんのインタビューなんかもあり、岳君の「乙女の祈り」の演奏あり、「北の大地」の踊りの全収録あり、撮影風景ありと、中身も濃かったです。
なにより、あけてびっくり、全7枚の収納ケースの美しさにもうっとりです。

中井喜一さんと、倉本さんの対談の中で、「在宅で死ぬ」と言うことにも触れていて、中井さんは「がんばって全力で生きてきた人が、家で死ぬことを選ぶんじゃないか、」見たいな事を言っていました。

確かに、私たちが見送った方々は、がんばってきた人たちだったと思います。
がんばって、今を全力で生きて、人生を自分で開いて、だからこそ最後を自分で選べるのかもしれません。

ずっと、何かあったら病院で、と言っていたご家族が、ぎりぎりのところで「家でみれるものなら・・・」とご相談されることとがよくあります。
もちろん、それが可能なことは伝えてあっても、実際そこまでこないと、踏ん切りがつかないご家族も多いのです。
で、そこで初めて最後まで家を選択され、小澤先生をご紹介したとき、最初の診察で、ご本人に向けて、「まもなくそのときが近いこと」や「死生観」に触れ「あなたは、これからの時間を、どこで過ごしたいですか?」と切り出すのです。
ご家族はびっくりして、結構固まったりしますが、以外にも、病状を伏せていたはずのご本人が、「家族に迷惑がかかるが、できることなら最後までここにいたい」とはっきり言われることが多いのです。
後で聞くと、ご家族は一瞬本当にびっくりして、ショックを受けたものの、そのとき始めてご本人の本音を聞くことができて、最後を家で看取る覚悟ができたといわれます。
先週末、そうして小澤先生をご紹介した患者さんは、それまでの不安げで憔悴したお顔がうそのように、穏やかで笑顔が戻り、「もう、病院に行かなくていいんだね」と話され食事も少し取れるようになっています。
本当は入院したくなかった。でも、家族の負担を考えると、それが言えなかったんですよね。
今ご家族は、家族にためにがんばってきたお父さんを、全力で介護されています。
がんばった人だから、最後の願いをかなえられるんですよね。
もちろん、いろんな事情でそれが無理な方もたくさんいらっしゃるし、病院の方がよい環境でいられることもたくさんありますが・・・
ひとりひとり、どんな形にせよ、最良のお別れを「選択できる」と言うことが大切なのだと思います。

「風のガーデン」私にとっては、永久保存版のお話です。
在宅現場も、医療現場も、ほんとうに良く伝えて頂けていると思います。
本人や妻の意思を無視して、入院を迫る東京から来た息子に対して、貞三医師が在宅の話をするところは、ずっと、うんうんとうなずいてみていました。

岳君とのお別れのために、森のはずれで木に腰掛けて、おどけてさよならのポーズををとる、貞美の姿が、美しくて悲しくて、泣けてなけてしょうがなかったです。
まだ見てない方は、ぜひ見てください。
すごいです。




「おくりびと」やっと見ました。

2009-03-01 23:13:20 | 読書、漫画、TVなど
なかなか見れずにいた、「おくりびと」やっとみました。
3日前から、ネットでチケットとっておいて、一人で映画館へ。
よかったです。すごく良かった。
「死」の表現が、とても自然で、淡々と描かれていました。
もっくんの美しい所作もさることながら、山崎努の存在感も際立っていましたね。
人それぞれの最後が、私の知っているそれぞれの最後と重なり、涙が止まりませんでした。
「死は、これで終わりなんじゃなくて、これから始まるのだ」と、焼き場の係りが呟きます。「ありがとう。いってらっしゃい。また、逢おう」と言葉をかけて、点火します。

納棺も、火葬場でかまが閉じる瞬間も、家族にとっては一番つらい瞬間です。
わたしの母が逝った時も、その時の悲しさはとても耐えがたいものでした。
「永遠のさよなら」母の手、母の肌の色、母の小さくなったからだ、母のもう二度と笑わない顔、白髪交じりの髪も、足も、すべて、すべてなくなってしまう時。
そう感じたのです。

でも、時間がたって、今は逆に母を感じることがあります。
時折訪れるフラッシュバックのような悲しみは、少しずつ遠のき、それとともに、自分の年齢が母に近ずいていく事に気がつきます。
いつか、また会えるのでしょうか。
きっと、会えるのだと思います。

私たちも、「死後の処置」とか「エンゼルケア」とかいわれるケアを行っています。
「おくりびと」をみて、もう一度振り返ってみようと思います。
私たちは、自分のかかわった患者さんのケアをするので、多少なりともその方を知っています。長いかかわりがあればご家族も含めて、その最後をどのように過ごされたかを知っています。
私たちなりに、心をこめてお別れの身支度をさせていただいていますが・・
肌を見せすぎているのではないか、無駄な動きがあるのではないか・・・
そんなことも考えたりしました。
最期の時が、残された家族にとって、美しいものにならなければいけません。
その方の、新たな旅立ちのために。

映画の中で、遺体を扱う仕事が不浄のもののように蔑まれ、忌み嫌われるなかで、モックンが、「死」と「おくるひと」の本当の意味を知って行く過程がとてもよかったです。
実は、だいぶ前に原作を読んでしまっていて、何も知らなければもっと感動していたんだろうなーと思い、つくずく後悔しました。
だって、次の展開がわかってしまうんですよー。

で、思ったことは、最初から映画として作られるものは、原作を読まないほうが良い!!とうこと。
映画目的に書いてあるので、本自体もあまり深く書き込まれていないし、映像を通して受け取るもののほうが大きいです。

逆に、原作がすごくいいものは、へたに映画化されたりドラマ化されると、ガッカリしたりイメージぶち壊しで、ミスキャストだー!!話が全然軽い!!と、暴れたくなることがままあります。
たとえば、「チームバチスタの栄光」や「ジェネラルルージュの凱旋」なんかは、
まったく違う話になってるでしょう??
田口先生は、あんなちびの泣き虫若造でも、美人の女医さんでもなく、もっと静な、渋めでそれでいて暖かな独身のオジサンだし、白鳥調査官は、ちびデブでゴキブリがイメージの、へんてこりんで頭の切れるギトギトおじさんなんだぞー!
だから、血まみれ将軍は、やっぱ中堅どころの渋くて、とてつもなくクールでシャープで腕のいい外科医じゃなくちゃいやです。
俳優さん事態はみんな好きだけど、小説のイメージをあまり捻じ曲げないでほしいと思うのは、わたしだけでしょうか???