『初春の水戸 日帰り旅行』(その1)⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e39e984e9c6142c4b96185b8fee3127a
「偕楽園好文亭(こうぶんてい)」三階の「楽寿楼」からの景観を満喫し、「偕楽園前駅」の駐車場に戻ります。
次の目的地、「水戸駅」の北に位置する「水戸城址」へ向います。
「日本100名城」⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/3adfccbb6d4f30113aaba407d0f42297 の第14番「水戸城」は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城です。
大規模な土塁とともに、城西側の台地には五重の堀、東の低地には三重の堀をめぐらし、堅固に守られていました。
坂道を上がった先にあるのが、「茨城県立水戸第三高等学校」。校舎を取り囲む塀が、歴史的建造物の様な雰囲気を醸し出しています。
車を停め、本丸址に建つ「県立水戸第一高等学校」へ向かう橋を渡ります。深さ20mにおよぶ堀跡には、JR「水郡線」の線路が走っています。
「一高」の敷地内に移築されたのが「水戸城薬医門」。この門は、旧水戸城二の丸に入る「不開門(あかずもん)」といわれていましたが、その後の調査の結果、本丸から二の丸に通じる橋詰門(はしづめもん)と一致していることが判明し、この門ではないかと推測されています。
この門の建築的特徴は、正面の軒が深く風格のある門構えとなっています。建築年代は、その様式から安土桃山時代末期と思われます。
「一高」から水戸藩の藩校「弘道館(こうどうかん)」までは、一直線の道路ですが、現在は「水戸城大手門」の復元工事中の為、車は大きく迂回して、「弘道館」の駐車場に向います。
車を停めて、「大手橋」を徒歩で渡ります。
ここの堀跡は、道路になっています。
橋を渡った先にあるのが、「茨城大学教育学部附属小学校」。この小学校の構も、歴史的な建造物の様です。
同小の反対側にある「水戸市立第二中学校」の敷地内には、「大日本史編纂の地」の碑が置かれています。
水戸の小・中・高は、どこも歴史を感じさせる構ですね。
再び「大手橋」を渡り、「弘道館」へ。「弘道館」は、水戸藩第九代藩主斉昭(烈公)が、天保12年(1841)に藩士とその師弟の教育のために設立した藩校です。
入館料は、150円。弘道館料金所窓口には、「日本100名城」のスタンプが設置されています。
隊長が、100名城の内、登城したことがあるのは、17城です。詳細は、こちらをご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/94b560090f0c90ce702887beceaacb97
重要文化財の「正門」の柱には、弾痕が。
これは、水戸藩の藩内抗争の最後の激戦といわれる明治元年(1868)の弘道館の戦いのときの弾痕です。
同じく重要文化財の「正庁・至善堂」。
庭の梅も見事に咲いています。
徳川慶喜が、慶応3年(1867年)の大政奉還の後、謹慎したのが「至善堂」です。
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