昨日たまたま月山富田城に行った際に幸盛祭前日だと知って、そのイベント中でマラソン大会が開かれていることを知った。
当日8時エントリーで参加費無料の8時20分スタートということで朝起きたら行こうと決めて就寝。
起きたら6時だったので参加決定。
概要としては麓から標高197mの山頂までの2kmくらい???の登山道を上るという競走で、途中の山中御殿跡まではコース幅が広く、そこから先は人1人分の幅の滑りやすい石段中心の九十九折れ(七曲といわれる部分)。
短いヒルクライムレースということで朝食は摂らずに水分とゼリー1個で体が重くならないようにして会場まで25分のドライブ。
【これの麓から山頂までマラソン】
到着すると・・・どこが会場でどこが集合場所かわからない。
ローカルすぎて情報が無い。
でも小学生が数名いる・・・たぶんここ。
【山中鹿之介幸盛参上】
【鹿之介ウォーク参加者】
受付時間が近づくとシューズを手に持った人発見!
その人に着いて行くといつの間にか受付テーブルが登場していて数名集まっていた。
【受付登場】
参加受付シートに名前とクラス(小学生or一般)、町内地区名を記入・・・町外(松江市)と記入。
※ 町外ですけど良いですか?って聞きました。
10年以上ぶりの自転車じゃないイベントへの参加でおもむろにも何をして時間まで過ごしていいかわからず、町内イベント過ぎてウェアを着替えるような雰囲気でもなく、とりあえず着てきたTシャツとハーフパンツのまま軽くウォーミングアップっぽいことをして時間を過ごした。
そして10名余りの一般クラス参加者(中学生以上)と20名あまり小学生が集まってスタートの時間になりスタートラインに立つ。
コースの概要説明が始まる。
ここから坂を上ってしばらくすると右側に○○さんという家があるので、○○さんの家を過ぎたら右の道に入って左カーブを・・・
(○○さんの家ってどこ?)
ここでスタート地点とゴール地点の担当者間で連絡が取れず・・・3分ほどあちらこちらにかけなおしてようやく誰かと携帯電話がつながりよーいドン!
去年までの結果からハーフマラソンを1時間30分程度で走れる人が参加することもあるようだったので、作戦はコースの広い山中御殿までに先頭に立って抜こうにも抜けない七曲りを先頭で走りきってダッシュでゴール。
ちなみに僕の20kmのベスト記録は1時間37分・・・10数年前。
スタートから高校生2名と大人1名が飛び出す。
10年以上まともに走ったことが無い僕はその背中を見ながら一気に上がる乱れる心拍と呼吸に耐えながら進む。
大人は300mほどで脱落して高校生2名が交互に先頭を走る。
とりあえず離されないように背中にくっつく。
自転車と違いどうにも呼吸がコントロールできない。
そうこうしているうちに山名御殿に到着したのでコースが狭くなるタイミングでダッシュで先頭に立って石段に入る。
高校生との距離を一気に離して九十九折れにして1折れ分の距離を稼いだら背中を曲げて下から姿が見えないようにして走る。
いや歩く・・・。
たぶん目標が見えなければ追っ手の速度も上がらないだろうということで。。。
七曲りの九十九折れを終えて三の丸に到着したら人目があるのでジョギング再開で『鹿之介ウォーク』参加者が待つ山頂へゴール。
記録は僕が8分20秒、2位の高校生が8分50秒らしいです。
全員がゴールすると山頂、山中鹿之介石碑の前で地元のどなたかの演説開始。
ここで朝食を摂らなかったため完全にエネルギー切れの僕は気分が悪くなり視界がぼやけ、それでも流れ続ける汗に立っていることができなくなってきて演説は半分も記憶に残っていません。
もういつ倒れてもおかしくない状況で憶えていることは・・・
山中鹿之介は尼子家80年の繁栄を再興すべく必死で34年の短い生涯を生きた。
我が家が100年続こうが税金を納めなきゃいけなくてつまらんが、尼子はここ広瀬に???
鹿之介は尼子家再興のために京都でお坊さんになっていた勝久を担ぎ出して・・・
(注:毛利家の謀略で争い尼子本家に滅ぼされた分家の子孫で大人しく京都でお坊さんをしていた勝久さんを猛烈に説得して本家を復興させて負けて勝久さんを自害させたら迷惑この上ないような気が・・・)
関ヶ原の合戦後、徳川方に味方した堀尾家によって水運の便利な松江に城下を移され、建物と石垣の大半は松江に奪われてしまい・・・(恨みます・・・)
平成の大合併で広瀬町は安来市に合併させられたけど、我々は安来節は歌わず、もっと勇壮な鹿之介の歌を歌い続けていく・・・(城下町の誇り???)
ということで辛うじて倒れることなく城下町広瀬の誇りと恨みのこもった演説を聞き遂げ、石碑に黙とうしてなんとか下山。
下山では小学生にたくさん追い抜かれるフラフラな状態。
【1位】
会場を三日月公園に移して幸盛祭が始まり、子どもたちの太鼓、木刀演武、大人の詩吟でひたすら鹿之介の歌を聞いた。
【地元小学生の太鼓】
会場で行方不明になっていた大会会長が発見されたので予定よりも遅めに表彰式開始。
【表彰式の様子の号外】
【表彰状】
祭りとマラソン大会の様子はきっと『どじょっこTV』と『広瀬町の広報』に出ることと思います。
ぜひ来年も出てくださいって言われたので、来年は皆さんで大挙してマラソンを盛り上げに行きましょう!
画像が無いですが、副賞に商品券、参加賞におにぎり、かき氷、おもちゃ、貯金箱などありました。
参加費0なのに素晴らしい!!!
そうそう、会場ではイノシシの串焼き、餅、蕎麦、ケーキなど地元の特産も食べることができました。
そんな歴史ある城下町のイベントに別の城下町の住民が飛び込んだ秋の休日・・・。
来週は町民体育祭で健康マラソン出場予定なのでちょうど良い練習にもなったかな???
← 1日1回クリックして
“tak147”のランキングを検索してください。
当日8時エントリーで参加費無料の8時20分スタートということで朝起きたら行こうと決めて就寝。
起きたら6時だったので参加決定。
概要としては麓から標高197mの山頂までの2kmくらい???の登山道を上るという競走で、途中の山中御殿跡まではコース幅が広く、そこから先は人1人分の幅の滑りやすい石段中心の九十九折れ(七曲といわれる部分)。
短いヒルクライムレースということで朝食は摂らずに水分とゼリー1個で体が重くならないようにして会場まで25分のドライブ。
【これの麓から山頂までマラソン】
到着すると・・・どこが会場でどこが集合場所かわからない。
ローカルすぎて情報が無い。
でも小学生が数名いる・・・たぶんここ。
【山中鹿之介幸盛参上】
【鹿之介ウォーク参加者】
受付時間が近づくとシューズを手に持った人発見!
その人に着いて行くといつの間にか受付テーブルが登場していて数名集まっていた。
【受付登場】
参加受付シートに名前とクラス(小学生or一般)、町内地区名を記入・・・町外(松江市)と記入。
※ 町外ですけど良いですか?って聞きました。
10年以上ぶりの自転車じゃないイベントへの参加でおもむろにも何をして時間まで過ごしていいかわからず、町内イベント過ぎてウェアを着替えるような雰囲気でもなく、とりあえず着てきたTシャツとハーフパンツのまま軽くウォーミングアップっぽいことをして時間を過ごした。
そして10名余りの一般クラス参加者(中学生以上)と20名あまり小学生が集まってスタートの時間になりスタートラインに立つ。
コースの概要説明が始まる。
ここから坂を上ってしばらくすると右側に○○さんという家があるので、○○さんの家を過ぎたら右の道に入って左カーブを・・・
(○○さんの家ってどこ?)
ここでスタート地点とゴール地点の担当者間で連絡が取れず・・・3分ほどあちらこちらにかけなおしてようやく誰かと携帯電話がつながりよーいドン!
去年までの結果からハーフマラソンを1時間30分程度で走れる人が参加することもあるようだったので、作戦はコースの広い山中御殿までに先頭に立って抜こうにも抜けない七曲りを先頭で走りきってダッシュでゴール。
ちなみに僕の20kmのベスト記録は1時間37分・・・10数年前。
スタートから高校生2名と大人1名が飛び出す。
10年以上まともに走ったことが無い僕はその背中を見ながら一気に上がる乱れる心拍と呼吸に耐えながら進む。
大人は300mほどで脱落して高校生2名が交互に先頭を走る。
とりあえず離されないように背中にくっつく。
自転車と違いどうにも呼吸がコントロールできない。
そうこうしているうちに山名御殿に到着したのでコースが狭くなるタイミングでダッシュで先頭に立って石段に入る。
高校生との距離を一気に離して九十九折れにして1折れ分の距離を稼いだら背中を曲げて下から姿が見えないようにして走る。
いや歩く・・・。
たぶん目標が見えなければ追っ手の速度も上がらないだろうということで。。。
七曲りの九十九折れを終えて三の丸に到着したら人目があるのでジョギング再開で『鹿之介ウォーク』参加者が待つ山頂へゴール。
記録は僕が8分20秒、2位の高校生が8分50秒らしいです。
全員がゴールすると山頂、山中鹿之介石碑の前で地元のどなたかの演説開始。
ここで朝食を摂らなかったため完全にエネルギー切れの僕は気分が悪くなり視界がぼやけ、それでも流れ続ける汗に立っていることができなくなってきて演説は半分も記憶に残っていません。
もういつ倒れてもおかしくない状況で憶えていることは・・・
山中鹿之介は尼子家80年の繁栄を再興すべく必死で34年の短い生涯を生きた。
我が家が100年続こうが税金を納めなきゃいけなくてつまらんが、尼子はここ広瀬に???
鹿之介は尼子家再興のために京都でお坊さんになっていた勝久を担ぎ出して・・・
(注:毛利家の謀略で争い尼子本家に滅ぼされた分家の子孫で大人しく京都でお坊さんをしていた勝久さんを猛烈に説得して本家を復興させて負けて勝久さんを自害させたら迷惑この上ないような気が・・・)
関ヶ原の合戦後、徳川方に味方した堀尾家によって水運の便利な松江に城下を移され、建物と石垣の大半は松江に奪われてしまい・・・(恨みます・・・)
平成の大合併で広瀬町は安来市に合併させられたけど、我々は安来節は歌わず、もっと勇壮な鹿之介の歌を歌い続けていく・・・(城下町の誇り???)
ということで辛うじて倒れることなく城下町広瀬の誇りと恨みのこもった演説を聞き遂げ、石碑に黙とうしてなんとか下山。
下山では小学生にたくさん追い抜かれるフラフラな状態。
【1位】
会場を三日月公園に移して幸盛祭が始まり、子どもたちの太鼓、木刀演武、大人の詩吟でひたすら鹿之介の歌を聞いた。
【地元小学生の太鼓】
会場で行方不明になっていた大会会長が発見されたので予定よりも遅めに表彰式開始。
【表彰式の様子の号外】
【表彰状】
祭りとマラソン大会の様子はきっと『どじょっこTV』と『広瀬町の広報』に出ることと思います。
ぜひ来年も出てくださいって言われたので、来年は皆さんで大挙してマラソンを盛り上げに行きましょう!
画像が無いですが、副賞に商品券、参加賞におにぎり、かき氷、おもちゃ、貯金箱などありました。
参加費0なのに素晴らしい!!!
そうそう、会場ではイノシシの串焼き、餅、蕎麦、ケーキなど地元の特産も食べることができました。
そんな歴史ある城下町のイベントに別の城下町の住民が飛び込んだ秋の休日・・・。
来週は町民体育祭で健康マラソン出場予定なのでちょうど良い練習にもなったかな???
← 1日1回クリックして
“tak147”のランキングを検索してください。
やっぱりpapa応援団が応援に行かないときの方が優勝率が高いような・・。
来週のマラソンも遠くから応援しています。
いや、遠くても応援しちゃうとダメなのかな・・。
今日は仕事かと思い込んでたのでブログ見て驚きました。
素敵な祝日になってよかったですね。
よい敬老の日のプレゼントになったかも。。
私も今日が敬老の日だったと知ったのは5分前なんですけどね。
そして町内会レベルの大会に思いつきで町外から乱入しただけです。
その割にひどく疲れて後遺症が・・・走るもんじゃありません。
お疲れ様でした。