本棚を整理していたら、画像の本が出てきました。
「 はじめての 縫いつまみ と 組み編み 」 という本で、正直なところ、「 これ、いつ買ったんだっけ・・ 」 と言うくらい、綺麗で、まだほとんど、読み込んではいない状況・・・
おもしろそうな本は、すぐに買ってしまうので、編物、タテイング以外にも、日本の布を使った手芸や、ペインティング、銀細工とか、ハワイアンキルト、組紐、花結び、ビーズなど、本当に幅広いんですよね・・最近は、羊毛手芸関連が多いです・・
「 縫いつまみ 」 っていうのは、ご存じだと思いますが、丸つまみ や 剣つまみ で作った物を、寄せて繋げて、花とかの形にして、よく、舞妓さんとかの髪飾りとかに使われている、可愛い飾りです。
「 組編み 」 はテープ状にした布を組んで、模様を作っていくもので、市松模様に組んでいく「 市松編み 」 とか、 籠を作るように組んでいく「 籠目編み 」、 ジグザグ模様みたいな「 網代編み 」、テープ状の布を折紙のように折りながら組んでいく 「 テープ編み 」、 風車のように立体的に組んでいく「 組花 」 等があります。
作り方の手順を見るのも面白いですが、古来より伝わっている、こうした手芸を知るっていうのも、本当に興味があります。
生意気な言い方ですが、タテイング関連の本を見ていただけでは考え付かない、発想って、意外と、別のジャンルの物に、ヒントが隠されているような気がしています。
1つの事に集中して、極めるっていうのは、とても大切な事ですが、その為に、他には目を向けずに、・・というのは、・・・どんなもんなんでしょうか・・・・
固定観念で見るのではなく、自由な発想で、見て行こう・・・というのは、最近の子供達の教育現場でも、あるとお聞きした事があります。
例えば、算数の問題でも、単に、答えを出すのではなく、問題に、ひとつの解く方法がすでに書かれていて、それ以外の方法での回答を求める物とか、というように、多方面から物を考えさせようとしているようです・・・
と言う事は、少し前までは、物事をいろいろな角度から見て、考えるのではなく、答えさえ出れば良かった・・って事でしょうか・・・
ふと足をとめて、改めて考えてみると、これって、ちょっと怖い部分もあるんですよね・・・
例えば、ある人が発言した事を、そのまま受け止めて、結論としてしまう。・・なぜ、その人が、その発言をしたのか、何を求めているのか、という、表には出てきていない、心の動きを、理解しようとしない・・・飛躍しすぎるかもしれませんが、 「 相手を思いやる心 」 が、不足してしまう・・・って事にもなるのではないでしょうか・・・・
例えば、子供が、喧嘩をして、ケガをした。・・すると、そのお母さんは、喧嘩の理由よりも、ケガをした事にだけ気が向いて、相手を責め、謝罪を求める。・・・ケガをさせた相手の心を、傷つけている事に、気が付きもしないで・・・
確かにケガをした事は、重要な問題である事に間違いないですけど、喧嘩をするには、それなりの理由がある訳で、ケガをしてしまった側に、元々の原因があるのかも知れない・・けれど、それを考えようともしない・・・
これって、とっても、大変な事なんですよね・・・ 私たちは、一人で生きている訳じゃないんですから・・・・
「 はじめての 縫いつまみ と 組み編み 」 という本で、正直なところ、「 これ、いつ買ったんだっけ・・ 」 と言うくらい、綺麗で、まだほとんど、読み込んではいない状況・・・
おもしろそうな本は、すぐに買ってしまうので、編物、タテイング以外にも、日本の布を使った手芸や、ペインティング、銀細工とか、ハワイアンキルト、組紐、花結び、ビーズなど、本当に幅広いんですよね・・最近は、羊毛手芸関連が多いです・・
「 縫いつまみ 」 っていうのは、ご存じだと思いますが、丸つまみ や 剣つまみ で作った物を、寄せて繋げて、花とかの形にして、よく、舞妓さんとかの髪飾りとかに使われている、可愛い飾りです。
「 組編み 」 はテープ状にした布を組んで、模様を作っていくもので、市松模様に組んでいく「 市松編み 」 とか、 籠を作るように組んでいく「 籠目編み 」、 ジグザグ模様みたいな「 網代編み 」、テープ状の布を折紙のように折りながら組んでいく 「 テープ編み 」、 風車のように立体的に組んでいく「 組花 」 等があります。
作り方の手順を見るのも面白いですが、古来より伝わっている、こうした手芸を知るっていうのも、本当に興味があります。
生意気な言い方ですが、タテイング関連の本を見ていただけでは考え付かない、発想って、意外と、別のジャンルの物に、ヒントが隠されているような気がしています。
1つの事に集中して、極めるっていうのは、とても大切な事ですが、その為に、他には目を向けずに、・・というのは、・・・どんなもんなんでしょうか・・・・
固定観念で見るのではなく、自由な発想で、見て行こう・・・というのは、最近の子供達の教育現場でも、あるとお聞きした事があります。
例えば、算数の問題でも、単に、答えを出すのではなく、問題に、ひとつの解く方法がすでに書かれていて、それ以外の方法での回答を求める物とか、というように、多方面から物を考えさせようとしているようです・・・
と言う事は、少し前までは、物事をいろいろな角度から見て、考えるのではなく、答えさえ出れば良かった・・って事でしょうか・・・
ふと足をとめて、改めて考えてみると、これって、ちょっと怖い部分もあるんですよね・・・
例えば、ある人が発言した事を、そのまま受け止めて、結論としてしまう。・・なぜ、その人が、その発言をしたのか、何を求めているのか、という、表には出てきていない、心の動きを、理解しようとしない・・・飛躍しすぎるかもしれませんが、 「 相手を思いやる心 」 が、不足してしまう・・・って事にもなるのではないでしょうか・・・・
例えば、子供が、喧嘩をして、ケガをした。・・すると、そのお母さんは、喧嘩の理由よりも、ケガをした事にだけ気が向いて、相手を責め、謝罪を求める。・・・ケガをさせた相手の心を、傷つけている事に、気が付きもしないで・・・
確かにケガをした事は、重要な問題である事に間違いないですけど、喧嘩をするには、それなりの理由がある訳で、ケガをしてしまった側に、元々の原因があるのかも知れない・・けれど、それを考えようともしない・・・
これって、とっても、大変な事なんですよね・・・ 私たちは、一人で生きている訳じゃないんですから・・・・