6月10日(月)9時~議案勉強会。【生活環境部】→【財務部】→【健康文化部】→(昼食)→【企画総務部】、各1時間ずつで今回の議案や各部署の課題等について勉強させて頂きました。
最近考えるのは、高砂市としての全体最適像、未来最適像なのですが、議案熟読では各部署の部分最適像のお話となります。勿論、各部署が実施している策も充実したものにしていく必要があり、私達議員はチェック機能の役割を果たしていかなければなりませんので、しっかり理解し、提言を加えていかなければなりませんが、各部署には全体最適の視点からの捉え方は難しいのだろうなと、改めて気づきました。
その部署はその部署の使命を果たすことに全力を尽くすのですから。
例えば、市内全体で昭和60年以降、平成24年現在で46%減っている小学校の生徒数。
この状況から小学校の生徒数と空き教室の有効利用を例にとると、学校側は教育の質向上が使命であり、空いている教室は出来るだけ有効に使うことを考えます。しかし、全体最適から市全体の資産の有効活用の視点からみると、そこまでして使わなくてもいいだろう、という使われ方があるかもしれません。
全体最適を探る部署は、教育部へ「空いている教室はあるか?」と確認。応えは「いや殆どありません」。「そうなのか。分かった」なんてやりとりがあるのではないか、と考えてしまいます。
いわゆるこれが、縦割りの弊害かもしれませんが、市職員の方々もそれ程簡単に「そうなのか。分かった」とならないとは思いますが、この様なイメージのやりとりが、教室等物理的な部分にも、見えない所(補助金や業務見直し等)にも存在するのではないかと思ってしまいます。
「相手に必要です」と言われてもそれが全体最適、未来最適の視点から「必要」と判断されているのか、市職員の中でも多くは各部署の役割を全うすることを使命とする方々。
首長以外で、実務面の世界で、全体最適、未来最適を見るのは誰、また誰に責任がある?
色々ありますが、焦らず、油断せず、歩みたいと思います。