つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

 ★稀代の軍師・・ ≪黒田官兵衛&姫路城≫

2014年07月27日 | 
★・乱世を終わらせる為に、突如現れた稀代の天才軍師・黒田官兵衛。

      ~~外永禄10年(1567年)頃、孝高は父・職隆から家督と家老職を継ぎ、
             光(てる)を正室に迎え、姫路城代となった。


★・姫路城内・官兵衛の展示館・・

~~好視聴率の大河ドラマに相乗して、深く黒田家の歴史や、当時の
    あまたの甲冑、そのディスプレイのクローズアップには
         興味をそそられる・・

~ 黒田官兵衛は 戦国時代から、江戸時代前期にかけての武将・大名。
 
     44歳にして家督を長政に譲り、隠居後の号をとった「黒田 如水」の
         名で広く知られている、 豊臣秀吉の名参謀であり、
             秀吉の天下取りの、立役者と歴史にその名を刻む・・。~


★黒田家・家臣団・・


★・黒田家家臣団・・《黒田二十四騎》

~~黒田二十四騎は、賤ヶ岳の七本槍に倣い、戦国大名黒田長政の家臣の中から
     24人の精鋭を選出した呼称。この24人の中でも更に優れた8人を
          黒田八虎と呼んだ・・。~


★・愛用の武具・・

  ~~官兵衛は天正10年(1582年) 備中高松城攻略に際し、
          巨船に土嚢を積んで、底に穴を開けて沈め献策し大成功に導く。


★・京都で明智光秀による、本能寺の変が起こり信長が横死した。
     毛利輝元と和睦して、光秀を討つように献策し中国大返しを成功させた。

       折しも今日「NHK大河ドラマ」は弔い合戦で明智光秀を討伐し
           秀吉の天下取リを演出。ドラマは、MXにしてみせた・・。~


★・ポスタ―・・

~~天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いの当初においては、
     播磨国宍粟郡(山崎)篠の丸城をその年に与えられ
         5万石の大名となっている・・。~

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