私は五十八歳、まだ老いを考えるには若い
しかしながら介護度5と言う生活全般に人のお世話になっている現状
シルバー世代の人たちは言う
「俺の人生、太く短くだよ」
「他人の手がかかるまでは長生きしたくない」
「シモの世話までされるくらいなら死んだ方がまし」
漠然的ではあっても「死ぬ」と言う事実は受け入れている
しかし、こと介護を受ける、ということにはどうだろうか?
殆どの方は介護には否定的、ピンピンコロリと逝きたい願望
しかし願望に反して
殆んどの人は死の前に介護される、人のお世話になる時期がつきもの
老いて死ぬことと、老いて介護されるということは一体、セットなのだ
そこには、他人からやってもらう心苦しさや
自分で出来ぬ歯がゆさや情けなさ
シモのお世話をしてもらう恥ずかしさ、、、
色々な葛藤が生まれる
それらの感情、葛藤をのり越えていかなければ
自分らしい死に方や、穏やかな死に方などはないのだ
僕は今ここに、介護を受ける気持ちを「介護をうける心もち」として記して行こう
しかしながら介護度5と言う生活全般に人のお世話になっている現状
シルバー世代の人たちは言う
「俺の人生、太く短くだよ」
「他人の手がかかるまでは長生きしたくない」
「シモの世話までされるくらいなら死んだ方がまし」
漠然的ではあっても「死ぬ」と言う事実は受け入れている
しかし、こと介護を受ける、ということにはどうだろうか?
殆どの方は介護には否定的、ピンピンコロリと逝きたい願望
しかし願望に反して
殆んどの人は死の前に介護される、人のお世話になる時期がつきもの
老いて死ぬことと、老いて介護されるということは一体、セットなのだ
そこには、他人からやってもらう心苦しさや
自分で出来ぬ歯がゆさや情けなさ
シモのお世話をしてもらう恥ずかしさ、、、
色々な葛藤が生まれる
それらの感情、葛藤をのり越えていかなければ
自分らしい死に方や、穏やかな死に方などはないのだ
僕は今ここに、介護を受ける気持ちを「介護をうける心もち」として記して行こう