1月11日日曜日
今日は私の本棚の中で先の戦争について、書いた本を読んで
の幾つかの私の考えを紹介する事にします。
明治維新以後に西欧諸国に、追いつけ追い越せの国策によっ
て日本は軍備が強化されました.それた合わせて日清・日露の
戦争で一躍西欧の国々と対等に認められました。
其の勢いに乗って満州に兵を送り,独立させました。
1937年(昭和12年)には、中国と戦いを始めました。更
に西欧諸国を相手にして戦いを拡大し、戦の泥沼へとのめりこ
んでしまったのです。
其の大戦の後を私は是非、自分で知りたかったのです。その
為にガダルカナル・ニューギニア・そしてビルマ(ミートキー
ナ-・インパール)等の、決定的な敗戦に至った経過を幾らか
でも調べたかったのです。
その為には海軍による、海の制海権の問題や・空軍の制空権
の問題を無視しては、出来ませんが・・・部分的に焦点を当て
て・・・
ガダルカナルの戦では、弾薬に食料の補給がなされないない
のと戦力の差はどうする事も出来ません。その為に多くの兵士
は食べ物が無く、どう確保するか?‥栄養失調や餓死者が続出
・医療器具の不備の為に戦傷者の,治療が出来ない等々・・・
ニューギニア・ミートキーナー・インパールの戦いなど皆
共通して上の様な状況です。更に戦力の差は言語に絶し、其
処で戦った兵と軍の参謀達との・敵の軍隊の認識についてあ
まりにも差のひどい戦場もありました。
上に記した戦いを幾冊かの本を読み、このような事を私は
理解したのです。
この戦いの敗戦は何と言っても,日清戦争までの古い考えで
戦った事・科学兵器の進歩に依る戦力の差です。更には戦に
対しての方針に、一貫性のなさによるもののようです。
人による・人と人との殺しあい(戦争は)絶対にしてはいけ
ません。これは簡単明瞭です、戦争は止めましょう。
今日は私の本棚の中で先の戦争について、書いた本を読んで
の幾つかの私の考えを紹介する事にします。
明治維新以後に西欧諸国に、追いつけ追い越せの国策によっ
て日本は軍備が強化されました.それた合わせて日清・日露の
戦争で一躍西欧の国々と対等に認められました。
其の勢いに乗って満州に兵を送り,独立させました。
1937年(昭和12年)には、中国と戦いを始めました。更
に西欧諸国を相手にして戦いを拡大し、戦の泥沼へとのめりこ
んでしまったのです。
其の大戦の後を私は是非、自分で知りたかったのです。その
為にガダルカナル・ニューギニア・そしてビルマ(ミートキー
ナ-・インパール)等の、決定的な敗戦に至った経過を幾らか
でも調べたかったのです。
その為には海軍による、海の制海権の問題や・空軍の制空権
の問題を無視しては、出来ませんが・・・部分的に焦点を当て
て・・・
ガダルカナルの戦では、弾薬に食料の補給がなされないない
のと戦力の差はどうする事も出来ません。その為に多くの兵士
は食べ物が無く、どう確保するか?‥栄養失調や餓死者が続出
・医療器具の不備の為に戦傷者の,治療が出来ない等々・・・
ニューギニア・ミートキーナー・インパールの戦いなど皆
共通して上の様な状況です。更に戦力の差は言語に絶し、其
処で戦った兵と軍の参謀達との・敵の軍隊の認識についてあ
まりにも差のひどい戦場もありました。
上に記した戦いを幾冊かの本を読み、このような事を私は
理解したのです。
この戦いの敗戦は何と言っても,日清戦争までの古い考えで
戦った事・科学兵器の進歩に依る戦力の差です。更には戦に
対しての方針に、一貫性のなさによるもののようです。
人による・人と人との殺しあい(戦争は)絶対にしてはいけ
ません。これは簡単明瞭です、戦争は止めましょう。
削除することを決めました。
これまでも言葉だけの「誓い」だとは思ってはいました
が、その言葉さえ掲げなくなったのはあの戦争で亡くな
った人々への傲慢さの表れと思います。
民主主義とは多数者の原理といわれますが、私はそ
の多数者のなかに亡くなった人も入ってくると思うので
す。生きている者が死者の思いも含めて己の立場を見
定めていくことだろうと思います。
愛国心のある人は・・・いないでしょう。
戦争・・・定義はわかっても本来の意味すること、侵略や
殺戮の意味を 理解されていないことが問題です
テレビゲームのように、勝つまで何度でもリセット・・・
そうじゃないんですよね 先生たちがおっしゃる戦争を
現代の子供たちにわかってもらうことは大変難しい・・
今の学校は いじめをなくす・・だけで精一杯。
ちゃんと画面は出ているよ。マウスがダメになっているのではと 電話でいろいろ説明しましたが、カーソルが動かないとのこと。明日息子にみてもらうというのあわてなくてもいいでしょう。
3月に両親の50回忌をすると実家に確認したので、日程を開けておくようにとのことでした。
1年半ぐらい母が後だったのですが、一緒にするようです。兄(長男)もなくなり、実家に帰ることもほとんどなくなりました。
兄弟4人がそろって帰れるのは最後だろうと話す事でした。