「奥多摩の県境の尾根で境石を発見する」
連休(5月4日)に三頭山の尾根ハイクに行ったブログは既に書いた。写真を整理していたら、珍しい物が目に入った。東京と山梨の県境を現す東京都の境石だ、ただ地図上では点線に書いてあるが、実際にはちゃんとした境石が設置してあった。それを頼りに県境を点線にしたものだと初めてわかった。

それにしても、この重い石を背負っての登山(仕事)には、恐れ入った。この尾根を何m置きに埋めてあるのか当方も無い労力ではないかと、また測量の技術はどういう風にするのだろうと、思いは巡るがそれにしても、偉大な作業で、縁の下の仕事だ。これが基礎で地図が作られていると、粗末にできない。
いつぞや、日野の多摩川土手下で神奈川県の石碑を見た。明治時代に日野・八王子・南多摩が神奈川県に俗していたと、聞いた。20年も経って、証拠を見つけようと行ったが、見つからなかった。古い住民が掘り起こして、古物商にでも売ったのか、、お寺にでも持っていったか知れないが、歴史・真実をむやみに変えてならないと思うのだが・・・・
このように、日本人はその場その場で、ちゃんとした.仕事をしているのだと。これが歴史だ。役所には昭和○年○月幾日に何処何処の山に、境界に境石を埋設した。○野ダレベエと記してるのと思われる。
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