乞食とは、本来は仏教の托鉢の意とある。芭蕉との旅姿は僧侶のそれであったことはよく知られている。彼らの旅は乞食のそれであった。
曽良は、江戸幕府の巡見使の一員として1710年江戸から壱岐対馬に向かって、人生最後の旅を始める。当時62歳。
芭蕉は、1694年にすでに死没。曽良は、芭蕉との乞食生活の思い出を置いて、九州へと旅立ったのではないか。
壱岐の北端の港、旅の中に身を置いて、来し方を見つめながら、はるか対馬を望み、曽良は何を見据えていたのだろうか。
壱岐の島 勝本港
さて、クリスマスですね。
いかがお過ごしですか。
また、一年が終わり、新しい年が始まろうとしています。
クリスマスだから、
知り合いも、大切な人も、老いも若きもみんな
楽しんで欲しいな。
さて、クリスマスです。
弱きにも、強きにも、持てるにも、持たざるにも
先は長い人生(*)
だから、
黒も、白も、黄も、赤も
すべての争いをとめてみましょう。
まさにまさに、メリークリスマス!
そして、謹賀新年。
新しい年がおだやかで良い一年でありますように。
みんなが、望めば、戦争は終わる。
John Lennon "Happy Christmas (War Is Over):玉田意訳
(*)「先は長い人生」:原文 "THE ROAD IS SO LONG."
" The world is so wrong" とするものもあるが、
悲観的過ぎるので、上を採った。
インドネシア方面へのインド文化の流入は西暦一世紀位から始まっていると推察されている(亮仙, 河野1994 *1)。
はっきりとした記録に基づけば、8世紀後半から9世紀半ばにかけて、ジャワ島に栄えたシャイレーンドラ王国が、大乗仏教の大仏蹟をジャワ島中部のボロブドゥールに立てたことから、ヒドゥー伝来前に仏教が存在したことが確認される。
バリ島の本格的なヒンドゥー化は、西暦10世紀末にジャワのクディリ朝の支配下に入った時からと推定されている。
バリ島ヒンドゥーは、ヒンドゥー諸派の中でもシヴァ神を重視するシヴァ教とされるが、上記の環境の影響もあってか、仏教(といってもヒンドゥー仏教とでもいうべきもの)との併存が認められる。バリにある仏教徒の総本山にあたるのがシラユクティ寺院である。
バリ・ヒンドゥーの特色として上げられるのは、祭司の二層化とその役割である。
まず、聖職者としてバリ・カースト制度のなかでバラモンを形成しているのが、プダンダと呼ばれる第一階層の祭司である。
プタンダは、マントラをとなえるなど儀礼を通じてシヴァ神との同一性を実感することにより、儀式を司る。
シヴァ神との一体を目指すのは、人間は本来本質的にシヴァと同じでありながらそのことを忘れているために輪廻にや苦しみの存在があるとされ(p.66)、宇宙の創造原理ブラフマン(梵)と輪廻する生命の本体としてアートマンを立て、アートマンとブラフマンの本質は本来一つである「梵我一如」を説くヴェーダの信仰(バラモン教)を受け継いでいる。
また、プタンダの重要な機能は「聖なる水」を作り出すことにある。プタンダにはシヴァのプタンダであるプタンダ・シワと仏教のそれであるプタンダ・ボダがあり、大きな祭典のときなど、並列して儀式をおこなうこともある。
プダンダ
祭司の二層目は、プタンダとはカーストも儀礼法も違う、非バラモンのプラマンクーという宗教的職能者である。
彼らは、マントラをとなえながら、花などを神に捧げるという単純な儀礼をおこなう。一般の住民が寺院に参拝するときに、礼拝の後に聖水と米を分け与えるのもプラマンクーの役割である。
*1亮仙, 河野,「神々の島バリ―バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能」,里山堂,1994/1/25
バリ島くつろぎの空間 「ビラ・ビンタン」
東京駅の丸の内駅舎ドーム天井には、干支をかたどったレリーフがあります。 ところが、ドームにはそのうち、卯(う)、酉(とり)、午(うま)、子(ね)の4つが欠けています。 その四つが、武雄温泉楼門で見つかったのは、2013年4月のこと。 この二つの建築物を設計した辰野金吾の故郷である佐賀(唐津市出身)と東京を結ぶ“十二支の謎”として注目を集めました。 楼門にある、卯、酉、午、子がそれぞれ東西南北をあらわす干支であり、楼門天井に方角と合致して配されています。一方、東京駅の八角形のドームにも8つの干支の方角と対応してレリーフが配してあります。 晩年の辰野の遊び心ではないかと言われています。
こちらの記事を参考にしました。
私の現地取材によりますと、武雄温泉楼門は三つ建てる設計図があるのです。一つの門に四つ、三門で都合十二の干支の絵が天井に配置され、豪華にもしゃれた温泉空間がそこに出来上がる予定であったということです。
武雄温泉新館は楼門と並んで大正時代を代表する国指定重要指定文化財の一つです。
大正時代は近世日本において、華やかの中に文化的芳醇を感じる時代。そんな時代の空気を感じながら、辰野金吾が残した十二支をご覧ください。