「阪急北野線(きたのせん)とは、大阪府大阪市北区の梅田駅から、淀川手前の北野駅までを結んでいた阪急電鉄の軌道線である。」
とwikipediaにはありますが、終点の北野駅は今の阪急電鉄本社と茶屋町アプローズ北側の旧阪神北大阪線が走っていた道路あたりのようですので、淀川までは、歩いてもちょっとあります。ま、手前と言えば手前ですが。
それはそれ、本日は、阪急梅田駅から北野線の跡をたどって、北野駅あたりまで歩いてみました。
メインの写真に上げたのは、現在の阪急梅田駅です。もともとはJRの高架の南側にあって、駅のホームを囲むように阪急百貨店が建っていました。少し前まで、百貨店の広いコンコースとして、往時を忍ばせていましたが、2012年のグランドオープンに向けてすっかりと建てかわることですので、確かめることもできなくなると思います。
この写真のゆるい左カーブの道に沿って阪急北野線が敷設されていたと言うことです
さて、歩を進めますと阪急電鉄本社のビルに突き当たります。
ここで、道が微妙な三叉路になっているのですが、左道はガードに潜り込むように続いています。一方右に分かれる道は、幅もそのままで、この道が阪急北野線の跡だと考えられます。
阪急電鉄本社ビル沿いに右道を進むと、阪急中津駅から天神橋筋六丁目に続く道に出ます。この道こそ阪神北大阪線が走っていた道であります。
阪急北野線は、路線距離800mと短い間に、茶屋町駅 と終点 北野駅があったといいますがそれはどのあたりなんだろうと、うろうろしていたら見つけました。
まさに、阪急本社前に阪急バスの"ちゃやまち"停留所があります。
そして、旧北野駅付近には、阪神バスの"北野"停留所がちゃんとあります。
阪急今津線が過去に阪神本線と線路がつながっていたのと同じように、阪急北野線の跡も阪急電車と阪神電車の深い関係を伝えているようです。
ところで、北野という地名はこの中津-茶屋町-鶴崎-豊崎-中崎の地区から、消えているようなのですが、どこ当たりを示すのでしょうか。そして、なぜ北野と言ったのでしょうか?疑問は残ります。
とwikipediaにはありますが、終点の北野駅は今の阪急電鉄本社と茶屋町アプローズ北側の旧阪神北大阪線が走っていた道路あたりのようですので、淀川までは、歩いてもちょっとあります。ま、手前と言えば手前ですが。
それはそれ、本日は、阪急梅田駅から北野線の跡をたどって、北野駅あたりまで歩いてみました。
メインの写真に上げたのは、現在の阪急梅田駅です。もともとはJRの高架の南側にあって、駅のホームを囲むように阪急百貨店が建っていました。少し前まで、百貨店の広いコンコースとして、往時を忍ばせていましたが、2012年のグランドオープンに向けてすっかりと建てかわることですので、確かめることもできなくなると思います。
この写真のゆるい左カーブの道に沿って阪急北野線が敷設されていたと言うことです
さて、歩を進めますと阪急電鉄本社のビルに突き当たります。
ここで、道が微妙な三叉路になっているのですが、左道はガードに潜り込むように続いています。一方右に分かれる道は、幅もそのままで、この道が阪急北野線の跡だと考えられます。
阪急電鉄本社ビル沿いに右道を進むと、阪急中津駅から天神橋筋六丁目に続く道に出ます。この道こそ阪神北大阪線が走っていた道であります。
阪急北野線は、路線距離800mと短い間に、茶屋町駅 と終点 北野駅があったといいますがそれはどのあたりなんだろうと、うろうろしていたら見つけました。
まさに、阪急本社前に阪急バスの"ちゃやまち"停留所があります。
そして、旧北野駅付近には、阪神バスの"北野"停留所がちゃんとあります。
阪急今津線が過去に阪神本線と線路がつながっていたのと同じように、阪急北野線の跡も阪急電車と阪神電車の深い関係を伝えているようです。
ところで、北野という地名はこの中津-茶屋町-鶴崎-豊崎-中崎の地区から、消えているようなのですが、どこ当たりを示すのでしょうか。そして、なぜ北野と言ったのでしょうか?疑問は残ります。