メディアと広告の関係

2009年07月25日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
写真は土砂降りの雨

ヒウィッヒヒー(twitterとも言う)に上げた自分のつぶやきをまとめて一つの言説にするというツールにするといったことも可能ではないかと思う。

今回の文章は、前に送ったメールの文章の一部と、ヒウィッヒヒーの呟きをヒウィッヒヒー上に並べなおして作るという、プロセスを取ってみた。


言論機関である新聞社は読者のことなんか考えてはいけない。なぜならば、言論機関は本来、世論を形成することはあっても、世論の代表者ではないのだから(読者はついてくるものである。)

ネット広告はターゲット(Visitor)の事を第一に考えますよね。広告を見た人がどう動くか(買ってくれるか買ってくれないか)が最大の関心事であります。したがって、大新聞の(オレサマ)文化には到底受け入れられない概念であります。

だから、メディアはいかに広告から逃げるかを考えるべきだと、言っているのであります。

その解決方法のひとつが、「広告メディアのオープン化」と「広告のネットワーク化」にあると私は見ています。

広告メディアがオープン化(どこからでも広告を受ける)とネットワーク化(メディアを問わずターゲットに広告を届ける)が実現すれば、効率の良い広告流通が実現できると考えるのであります。



日本の大学がおかれている状況についての一考察

2009年07月19日 | 人生はマーケティングもある。
今日は、合同大学説明会に行ってみた。

日本を代表する国立大学の一つの大学の理事の講演を聞く機会に恵まれた。("の"だらけで失礼。)

そこは、いわゆる大学受験業界の使う「難関国公立大学」の一つではあるが、その教授の口からは「人類の幸せのために学問を通じて貢献していく」という、その国立大学の使命がひしひしと伝わってきた。

で、私の耳に聞こえたことを文章にする。

要するに、学生の質が下がってきていることが課題なのだそうな。決してそうは言わなかったが、そうとしか聞こえなかった。

「やりたいことが無い人は京大でなく、東大に行ってください。」
「学生の質が下がってきているので、海外からの学生を増やさないと、大学の質が下がります。」
「死ぬほど酒を飲まない、程度の生きる常識を持ってください。」

といったことを、これも決してそういう言い方はしなかったけど、言っていた。

「まだ、カルト教団は学内に存在します。」とも言っていたな(これはそのまま)。

少子化で、かつ、学生のレベルが下がってきて、国税使って、海外から優秀なお子たちを留学させて、大学は世界有数のレベルを維持して、でその子たちが国に帰って、日本を感謝しながら、それぞれの国を豊かにして、、、。それは、大切なことだと思う。

で、豊かになったその国は、日本にお金を回してくれるのだろうか。

その頃に、日本は何か売れるもの(当然、物はもう無いから、智財といったものでも)があるのだろうか?



これがアマゾン堺FCだ!:「お急ぎ便」が変わるかも?

2009年07月12日 | 人生は物欲は避けがたい。
amazonで色々なものを買っていらっしゃる方、多いことだと思います。

私は、もっぱらCDと本に限られますが。

こうやって週末にblogエントリーを打ち込んでいるときに聞いているのはもっぱらネットラジオのAccuradioでありますが、「おっこれは懐かしいなあ」とか「おっこれは珍しいなぁ」という曲が見つかればwindowのアルバムの写真をワンクリックすれば、Amazon.comサイトのそのアルバムのページが開いてワンクリックで購入することができます。

しかし、残念ながら私Amazon.comのアカウントは持っていませんので、Amazon.co.jpに行って検索して買ったりします。

ま、それでも、年に5品も買っておりませんが。

そんな、Amazonさんですが、このたび日本で3箇所目になる倉庫「アマゾン堺FC(フルフィルメントセンター)」が開業の予定であります。
場所は、関西方面では、話題のシャープ堺工場の隣接地です。ここは、新日本製鐵堺製鐵所の広大な跡地です。ほんの数年前まで既に火を落とした高炉が黒茶色の巨大な鉄の塊のごとくそびえ立っていた場所です。

この堺FCはAmazonさんのリリースよりますと

Amazon.co.jpの各ストアにおける「在庫あり」の商品ラインアップの強化に加え、関西近郊、西日本を中心としたお客様のご注文に対し、さらに迅速な配送が見込めます。

ということです。

これは、「お急ぎ便」というサービスの『関東地方(一部を除く)であれば注文確定当日または翌日』という文章の中に『関西地区』という言葉が付け加えられることではないか、期待をもってまっています。 

いずれにしても、当たり前にネット経由でモノを買う生活がやってきたということなのでしょう。


言下に○○:げんかに

2009年07月05日 | 人生はメンタルだよな
ビジネスを遂行していく中で、スムーズな会話を成り立たせていくことは大変重要なことです。

そのためには、まず"相手に聞こえる大きさで、滑舌よく、かつ相手のわかる言葉(単語)を使って"話をすることが第一です。ま、この辺からすでにビジネス会話の難しさが始まるのですが。

ビジネスに限らず、家族とか恋人同士とかでない、いわゆる他人同士、利害関係者同士の会話の半分以上の時間がそこで交わされる"単語"の意味のすり合わせに費やされているといっても過言ではないと思います。もともと、言葉は同じ日本語を話す人たちであっても、生まれてこの方の家族や土地などの生活環境によってその使い方や意味合いが大きく異なることは仕方が無いことです。

ビジネス上で交わされる会話は、多くは同じ一つの業界内で語られます。したがって、同じセールスマン同士でも、自動車販売の方と広告業界の方とが"販売"という課題についていきなり話を始めても最初はうまくかみ合わないことでしょう。言葉の意味合いが違うのですから。

これは、同じ業界内でも状況は同じで、例えば軽自動車を売っているセールスマンとベンツを売っているセールスマンとの間の会話を成り立たせるのも手間の要る話だと思います。

私の属する広告業界でも同じです。まして、皆様お気づきのように私の従事する"ネット広告業界"の人とコンサバな媒体例えば新聞広告業界の方と話をするのは、かなりしんどいことです。

ネット系の人が当たり前に使う単語

ROI



既にだめですね。「広告における投資効率」なんて普通に使って会話が成り立つわけが無い。

単語の意味合いの刷り合わせ以前に、そういう概念が相手に無いわけですから、会話が成り立つ方が不思議、といっても極論じゃないとすら思えます。

だからといって、そこで相手との会話を拒絶してしまったら、ビジネスそのものが成り立たないので、ビジネスをしている私(相手の方もそうですが)も言い方をかえ、言葉を変えて相互に理解を深めていく努力が必要であるわけです。

「広告主が求めているROIを達成できないこの提案が通ると私には思えません。」

言下に判断を示す。

そういうやり方をしては、スムーズなビジネスは成り立たないことでしょう。

しかし、ヒガシ。

「言下に判断を示す」というというのも、一つの会話方法であって、対話そのものを拒否しているわけではないのです。「私はこう、判断する」に対して相手も「私は、こう判断する」と"言下に"表明することで、論点が即座に明示され、次の会話がより明確に、よりスピーディーに進んでいくのではないでしょうか。

上に書いた"言下な判断"に対して相手が取る発言は「ROIは何ですか?」だと思います。そんな状況が生じれば、そこで辞書を開けば良いのです。書庫に行って辞書を持ってこなくても近くのPCや携帯電話でwikipediaでも調べればすぐに単語の刷り合わせはできて議論が次に進むと思うのです。

ビジネス会話の目的は「相手をやり込めること」ではなく「相手との溝を一刻も早く埋めて、共に課題を解決する方法を見つけ出す」事だと思うのです。