美術室

2006年10月29日 | 人生は旅である。
はるか昔、私たちが高校生だったころ。

その日、もうすぐ学園祭が始まるというのに、私は所属のブラスバンド部の練習をサボって美術室に遊びに来ていた。

中井君はいつ出来上がるか判らない油絵に、筆で絵の具を加えていた。ひょっとしてもう出来上がっていたのかもしれないけど。
福嶋君は後輩の女の子にデッサンの指導をしていた。
仲田君はギターをポロリポロリと弾いていた。
僕は、美術部員でもないのにベニヤ板をまるくくりぬいて現代彫刻のようなものを作っていた。
秋の陽は早々と傾き、教室全体が紅葉色に染まっていく。

"将来"というものが自分にもやってくることを、わかり始めていたあのころ。
美術室は窓の外の時間の流れとは関係なく静かにそこにあった。

コーラビンと、かっぱえびせんの空袋と、油絵の具の香り。

そんな空間がある学校で青春を送ってもらいたいと思っています。

広告のクラッタリング、ないし広告クラッター

2006年10月28日 | 人生はマーケティングもある。

広告の氾濫は誰にも止められない。なぜならそれは、一つの病症なのだから。



ここで言うクラッターとは、辞書的には、"錯乱"と訳されます。
Clutteringという言葉の概念自体が日本語として定着されていないので、どうもピント来ないのではないでしょうか。いくつかのサイトを検索してたどりついた現状での私の理解は、"Clutteringは一つの病症である"。ということです。

家を散らかし放題にすること、、って見受けられるじゃないですか。家の庭にごみを何トンも積み上げて社会問題になるといったことがニュースになったりします。
ああいった行為をClutteringと言うようです。そして、Cluttering自体は癖になるもので、強制的に掃除をしたら、逆にその人にとって、苦痛になるといいます。

そういえば、私のこの部屋も、整頓されることはなく、適度に散らばっている状態が落ち着きますなあ。(苦笑)


さて、広告クラッターはアメリカのテレビ広告業界において言われ始めたことのようです。

2002年に Media LifeというメディアでKevin Downey氏が

「テレビ広告クラッターは悪化し、バイヤーは不平を言う」(TV ad clutter worsens,and buyers grouse)という記事を発表されています。

そこには、2002年において、アメリカのテレビ広告状況を把握する重要なデータが記されています。

AAAA(The American Association of Advertising Agencies)の報告によると、当時、1時間あたり16分からのほぼ21分が広告に消費されていることが発表されています。そして、テレビ番組内の広告時間の増加の結果、メディアバイヤーは、テレビの代わりのメディアを考慮しなければならない状態になっていると、報告しています。テレビ番組内にあまりに広告が挿入されることによって、結局その効果が阻害され始めているのではないかという提示です。
そして、TIBOを代表とするタイムシフト機器によるコマーシャル飛ばし視聴が顕在化するとともに、テレビ広告の代替物として、インターネット広告が注目されてくるのです。

こういった広告の社会状況をベースにして、書かれた本が『Life After the 30-Second Spot: Energize Your Brand With a Bold Mix of Alternatives to Traditional Advertising』( 2005年5月発刊:Joseph Jaffe著)であり、それを邦訳したのが『テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0 翻訳織田 浩一)』であります。(アフィリエイトでないのでリンクは貼っておりません。)

しかし。

日本のメディア環境はどうでしょうか。

少なくともテレビ放送においては、10%ルールがあり、それが実効性があるのかどうかは別にしても、少なくとも広告チャンスの希少性をベースに広告料金を維持するというビジネスモデルが成り立っています。テレビのタイムシフト機器に関しての問題はそれほど顕在化していません。なぜなら、その機器を作っているメーカー群がテレビ広告市場最大の顧客であり、広告で成り立っているテレビ放送の価値を否定することは自らのビジネスモデルの否定になるからです。
自動車業界はとっととネットメディアへ軸足を移し始めているような実感はありますが・・。

日本における広告クラッタリングの問題は、テレビだけを見ていてはいけないと思います。

先日のエントリにも書きましたが、『ありとあらゆる生活の風景の中に企業と顧客の接点「タッチポイント」が存在する』すなわち、まさに広告の氾濫の中で、受け手が今感じているある種のウザさを"Cluttering"という否定的な単語として固定化する前に、広告にかかわる企業・メディア、そして広告会社の人たちが最大限の努力をもって、「広告は人を幸せにするための力を持っている」という価値付けをもう一度行わなければならないと、思っています。

そして、広告にかかわる人はもれなく、"私のかかわっている広告は選ばれるに値するものだろうか"と自問しながら日々の業務を続けていかなければならないと思っています。


本文を書くに参考にした文章など

<特別感謝>
AdInnovater:織田 浩一氏のblog

こことか
このへんとか


<そのほかの参考ページ>

medialogic.com:高広 伯彦氏のblog

徳力基彦氏のblog

伝統的広告会社の労務的課題

2006年10月26日 | 人生はマーケティングもある。
言うまでもなく、今広告業界は大変難しい状況になっています。その原因は、これも言うまでもなく、インターネットメディアです。

横山隆治氏の近著にも"インターネット広告の場合、広告主は「広告の効果」を買っている。"とあります。ネット広告で生きてきた方には、奇異に感じるかもしれませんが、コンサバな多くの広告会社において"われわれは、広告効果を売っているのだ"という、認識は薄い、否、我々レベルの中堅広告会社には"皆無"だと思います。
(おおかたは、スペースを売っていると考えています。)

しかしながら、このインターネット広告を通じて広告主が"広告効果を買う"ことに慣れてしまうと、ネット外メディアにもそのスタンスで接触してくることが容易に考えられます。

"広告効果を売る"ことが当たり前な広告マンの養成が急務です。
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つぎに私達の前には、「メディアの分散化と広告のクラッタリング」の問題が大きく横たわっています。

少し前の私のblogエントリーにこう書きました。

ありとあらゆる生活の風景の中に企業と顧客の接点「タッチポイント」が存在する、マスメディアとは、「マスに向けたメディア」ではなく「種類がマスなメディア」と意味づけを変えている、と言っても良い状況が今の日本だといえるでしょう。

一つ一つのメディアは小さいけれども、それを束ねると力を持つという「ロングテール論」を元に、顧客(ターゲット)の生活のあらゆる場面で接点「タッチポイント」を持つというマーケティング戦略を「デザイン」していくことが、いまのマーケティングには必要なのだと思っています。

上記の観点からこれからの広告(Advertising 2.0 爆)を考えると

テレビ・新聞といった大量リーチ型メディアから、blog・SNSといったWOM(Word of Mouth)メディアまでを利用した新世代の広告サービスを、一日もはやく、構築し、市場に提供していかなければなりません。

そのためにインタラクティブメディアに精通したメディアマンが必要です。
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そして、そのメディアマンは、あらゆるメディアを使ってインターネットに囚われない、総合的マーケティング活動の提案をする、といったスキルもつけて行かなければなりません。

そういった観点で、伝統的広告会社とインターネット専門広告会社の間での人材の相互移動が来年からの広告業界では頻繁に目にされることになると、感じています。

Blue Man Group:メントス:mentos

2006年10月22日 | 人生はマーケティングもある。
ダイエットコークとメントスがCGMとYOURUBEがマーケティングをどう変えるかというコンテキストの中で話題になっている

そこで、DietCoke&Mentosから派生したサイトへ行ってみた

そこで見つけたのがBlue Man Group である。

これを見て昔ならサブカルと言われていた文化を捕まえて、それを自社のマーケティングにつなげるメントスという会社の活動を知ったのである。

生で見たい。