インドネシア方面へのインド文化の流入は西暦一世紀位から始まっていると推察されている(亮仙, 河野1994 *1)。
はっきりとした記録に基づけば、8世紀後半から9世紀半ばにかけて、ジャワ島に栄えたシャイレーンドラ王国が、大乗仏教の大仏蹟をジャワ島中部のボロブドゥールに立てたことから、ヒドゥー伝来前に仏教が存在したことが確認される。
バリ島の本格的なヒンドゥー化は、西暦10世紀末にジャワのクディリ朝の支配下に入った時からと推定されている。
バリ島ヒンドゥーは、ヒンドゥー諸派の中でもシヴァ神を重視するシヴァ教とされるが、上記の環境の影響もあってか、仏教(といってもヒンドゥー仏教とでもいうべきもの)との併存が認められる。バリにある仏教徒の総本山にあたるのがシラユクティ寺院である。
バリ・ヒンドゥーの特色として上げられるのは、祭司の二層化とその役割である。
まず、聖職者としてバリ・カースト制度のなかでバラモンを形成しているのが、プダンダと呼ばれる第一階層の祭司である。
プタンダは、マントラをとなえるなど儀礼を通じてシヴァ神との同一性を実感することにより、儀式を司る。
シヴァ神との一体を目指すのは、人間は本来本質的にシヴァと同じでありながらそのことを忘れているために輪廻にや苦しみの存在があるとされ(p.66)、宇宙の創造原理ブラフマン(梵)と輪廻する生命の本体としてアートマンを立て、アートマンとブラフマンの本質は本来一つである「梵我一如」を説くヴェーダの信仰(バラモン教)を受け継いでいる。
また、プタンダの重要な機能は「聖なる水」を作り出すことにある。プタンダにはシヴァのプタンダであるプタンダ・シワと仏教のそれであるプタンダ・ボダがあり、大きな祭典のときなど、並列して儀式をおこなうこともある。
プダンダ
プダンダ・シワ(シワ教の祭司、写真左右の僧)。 プタンダ・ボダ(仏教の祭司、写真中の僧)2016年10月12日バリ・ボン村にて
祭司の二層目は、プタンダとはカーストも儀礼法も違う、非バラモンのプラマンクーという宗教的職能者である。
彼らは、マントラをとなえながら、花などを神に捧げるという単純な儀礼をおこなう。一般の住民が寺院に参拝するときに、礼拝の後に聖水と米を分け与えるのもプラマンクーの役割である。
プラマンクー プラ・ブサキにて
*1亮仙, 河野,「神々の島バリ―バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能」,里山堂,1994/1/25
バリ島くつろぎの空間 「ビラ・ビンタン」