最近交流が途絶えていた古典文学読書会でご一緒したMさんが亡くなられていた事を先の仲間との飲み会で知つた、道理で心配してかけた電話やメールに反応が無かったことが理解できた。
コロナのご時世で仏事はひっそり身内だけで済ませたというなんとも寂しい限りだ。
彼女は以前小学校教員を長くなされていて退職後は仙台市国際センターで外国の方に日本語を教えるボランテイア活動をされていた、さらに結婚相手のお世話などもされるなど親身なお世話をなされていた。サークルでは最年長で3,4年前に卒寿をお祝いした事が有りその後身体が弱ったのでと退会を申し出ていたが時々はオブザーバで会の食事会などにお呼びしていた。ご自分の意見を時々新聞に投稿されていたがブログで考えを述べたいと決心、私にやりかた分からないので教えてと頼まれ、コーヒーショップにパソコンを持ち込みお教えしたが覚えが早く上達、今の政治や子育て教育に関する硬派で辛口な所信を次々ブログで発表され、元教育者として子育ての女性として、発言しておきたいと言っていた遺言とも言える数々の言葉これを語らずしては死ねないと思う事をブログで発表し思いの全てを吐き出し悔いなく黄泉の世界へ旅立たれたと思う、あっぱれな人生だったご冥福をお祈りいたします。
人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。 (goo.ne.jp)
故人の残したブログ遺言ともいえる