福島県の農家の長男として生れた父は最初の徴集時は後継ぎだとして戦地への出征を猶予されたが昭和18年の2度目、30歳を過ぎての根こそぎ動員では、もはや勝目のない中国戦線へ送られた。
戦地へ赴く前に軍の恩情で一時帰休を許された時、私が母の胎内にいる事を知らされ、男女どちらか分からないが出征前にせめて命名してゆけと促され、男女どちらでも良いような名、眞琴と付けてくれた。国家存亡危機、一億玉砕が叫ばれる中で世相にそぐわない平和な名だったのは父のせめてもの自由の無い時代への抗いだったのだろう。せめて子供には自分が果たせなかった自由で文化を尊ぶ世界に生きて欲しいとの願いだったのだろう。
日増しに武器弾薬や食料も逼迫した日本はもはや戦いにならず昭和20年8月⒖日に終戦を迎えた。
それから2ケ月過ぎた10月20日中国湖南省の陸軍病院で戦争栄養失調死との戦死公報と遺骨が届いたのはそれから2年も過ぎた後だった、私ら家族は生きているものと信じ3歳になった私は影膳を供え続けた、届いた骨壺の中身は無残な事に石ころだったと母は寂しそうに語ってくれた。
兵が終戦後も何故敵地に留め置かれ飢え死にせざるを得なかったのか、その疑問を5年前中国に慰霊に行った時、ガイド役の人に問うた事があるが、「中国人は決して捕虜を虐待したりしない」との自国擁護だったが悔しさは残る。父は書道に長じており文学にも造詣が深く蔵書も多かった、「人生三十有余年 春宵(酔)一睡の夢の如し」の辞世の短冊が残されていた。当時男として国に殉ずる他なかった無念さ 如何ばかりか。
その孫にあたる娘は、父が遺した眞琴の一字を譲りうけ、祖父の為し得なかった学問の道を歩み、いま大学教員としてその遺志を継いでいるのかもしれない。
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