昨日河北新報への投稿が掲載された。部活動と言う特集へ高校入学間もなく空手を始めた経緯について書いてみたのだ。今はオリンピックなどでも競技に入り世界的に認められた空手も約60年前の日本では、野蛮な武術、危険な格闘技と恐れられ、人格者となってから学ぶ兵法の様な存在で大学ではじめて空手部があり、ごく一部の社会人がやるマイナーな武術だった。
高校生が習うなど考えられない時代。我恩師は幾多の障害にも負けずに、空手を通じて強い信念を持った日本の将来を支える青年を育成する事を心に誓い、我校に赴任福島県初(多分東北初)の空手部を創設したのだった。
その稽古や仙人のような荒修行について書いたのだった。精神修養とばかり厳寒期腰まで川に浸かり突きや蹴りの稽古をし濡れた空手衣を纏ったままランニングしてバリバリに凍って痛かったこと、体中アカギレになり、お風呂で悲鳴を上げた事,真夜中に徹夜行脚と称して豪雨のなか睡魔と戦いながら、
蛮声を張り上げ歌いながら朝まで歩いた事、合宿は各人が食う分の米と鍋釜を持参して山のほこらに寝泊まりして空手に明け暮れた事など。
稽古の始めには、正座して正面に礼、お互いに礼をして、人格完成に努める事などの道場訓を唱和してから始め、終了時も正座して1分間の黙想で締めくくった。そうした耐え忍んだ事が今でも心の財産として残っている。
創設時から部の旗には忍の一字で今の部員たちにも引き継がれている。現在は全国屈指の強豪校に数えられ世界チャンピオンも排出している。私にとって切っても切れない空手との出逢いである。