島根県吉賀町(旧:柿木村)の「大井谷」【棚田百選の棚田】
大井谷地区は古文書「吉賀記」によると、今から600年ほど前の戦国の頃、大内氏に仕えていた三浦重経の一族が開いたと伝えられている。
棚田は室町時代から藩政時代に築かれたもので、600年の間補修や積み直しを経て現在に引き継がれています。
大井谷地区の一番上に、水の出口に石を自然石を彫り込んだ水ガメ石(はんどう)が据えてあります。
これは昔、干ばつの年に、どこも水がなくなったが、大井谷の集落の人々は、わずかにたまるこの水を飲んでようやく生き延びました。誰が言うとなく、「助けはんどう」と名づけました。
撮影者:酒井 英次
作品名:「助け はんどうのある棚田」
作品の大きさ:146cm×224cm
製作年月:2005年8月
投稿者:今井 英輔
【交通】
●鉄道・バス / 益田駅」より山口線「日原駅」下車、バス利用で「下白谷バス停」下車、徒歩30分。
●車 / 中国自動車道「六日町IC」より国道187号を北上、道の駅「かきのきむら」を少し過ぎたあたりに、「大井谷棚田」と看板が出ているので、それに従って左折する。その先に20台ほどの駐車場が整備されている。
「大井谷」への地図
大井谷地区は古文書「吉賀記」によると、今から600年ほど前の戦国の頃、大内氏に仕えていた三浦重経の一族が開いたと伝えられている。
棚田は室町時代から藩政時代に築かれたもので、600年の間補修や積み直しを経て現在に引き継がれています。
大井谷地区の一番上に、水の出口に石を自然石を彫り込んだ水ガメ石(はんどう)が据えてあります。
これは昔、干ばつの年に、どこも水がなくなったが、大井谷の集落の人々は、わずかにたまるこの水を飲んでようやく生き延びました。誰が言うとなく、「助けはんどう」と名づけました。
撮影者:酒井 英次
作品名:「助け はんどうのある棚田」
作品の大きさ:146cm×224cm
製作年月:2005年8月
投稿者:今井 英輔
【交通】
●鉄道・バス / 益田駅」より山口線「日原駅」下車、バス利用で「下白谷バス停」下車、徒歩30分。
●車 / 中国自動車道「六日町IC」より国道187号を北上、道の駅「かきのきむら」を少し過ぎたあたりに、「大井谷棚田」と看板が出ているので、それに従って左折する。その先に20台ほどの駐車場が整備されている。
「大井谷」への地図
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