丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

上の兄のこと

2008年11月11日 | 個人史
上の兄は昭和22年生まれの、いわゆる団塊の世代。
小学生の頃にビクター少年合唱団に入っていたりもした。ちなみにうちの家族は皆音楽好き。(父が好きだったかどうかはよく知らない。父が歌を歌っていた記憶はほとんどない)
唱歌を歌い出すと誰もがコーラス部分の取り合いになったりするほど合唱が好き。

この兄が中学2年の時に我が家は池田市から県を超えた隣の市に引っ越したのだが、兄が卒業するまで下の兄弟みんなが池田市の学校に通う許可をもらって3人兄弟で1年4ヶ月電車通学することになる。ちなみに下の兄は3学年違いなのでちょうど小学校を卒業するまでいたことになる。

中学を出た兄は、高校はちょうどその年に新しくできた高校、繊維業界がお金を出し合って創った高校の一期生として入学する。全寮制の男子校で、まさに歴史を作っていった。
当時は今は禁止された「青田買い」が平然として行われていた時代で、合格発表がある前に、岐阜県にある某繊維メーカーが勧誘にやってきた。高校を卒業したらうちの会社に入社してくれるように、その代わりとして高校での必要経費はすべて会社が持つという。そういう熱心さから単純に了承したのだが、その後大手の繊維メーカーもやってきて、決めるのが早すぎたと思ったり。

高校時代のことはよく知らない。時折父の車で寮を見に行ったりしたこともあったが。ちなみにその高校は、後に繊維業界不況のあおりで手放すことになり、その後別法人が買い取って男子校の進学校に生まれ変わり、スクールバスが出るようになって、かつての寮は入学時の新入生訓練の場所に変貌する。さらに近年は時代の波に逆らえずに共学校に生まれ変わり、寮には女子用の設備も出来たとか。

兄が高校を出て、岐阜県の会社に入ったのが昭和39年のこと。何もない田舎に旧国鉄に乗って出て行った。そして、兄が行ったのと時期を同じくして、まさにその場所に新幹線の駅が出来ることになる。昭和39年10月1日開通。岐阜羽島駅。兄の会社はその駅からすぐの所にあった。

岐阜羽島駅は本来新幹線はこの場所を通る予定ではなかった。本来は江戸時代の街道に合わせて鈴鹿を通る予定だったのが、岐阜羽島出身の当時の自民党副総裁だった大野伴睦氏の意向によってここに駅が造られた。今でも岐阜羽島駅の正面には彼の銅像が建っていて、この駅はわしが造った駅だと言わんばかりに指を指して立っている。
彼のおかげで地元が賑わうかと思えばさにあらん、駅が出来ることが決まった直後から不動産屋による土地買い占めが公然と行われ、値上がりを待つ業者の意向で駅周辺には何も建てられないままバブルもはじけ、今では誰もここに何かを立てようという人もなく、最初からまるで変わらない田舎の風景が残ったままの駅となっている。駅のすぐ近くには高速道路のインターチェンジも新しく作られたけれどどれだけ利用されているのかはわからない。駅から兄の家までは車で20分近く走るのだが、その間一台の車ともすれ違わないこともあるくらい。

とにかくにも兄はその会社で勤め上げて昨年定年を迎えて、その後も会社に残っている。入社して数年後に、その土地に骨を埋めるつもりもあって家を購入してずっと住んでいる。

会社はいろいろアルバイトもよく入って、兄はよくいろんなアルバイト女性と仲良くなって家に連れて帰ってきた。結婚話までいった人も何人かはいたけれど、土壇場でうまくいかなかったことがたびたび。ちなみにその間に下の兄の方が先に結婚したり。
で、待てば海路の日和ありとでもいうか、時期が来るのを待っていたというのか、兄が30歳も過ぎてから近所に住む10歳年下の女性との縁談が生まれる。相手は3人姉妹の長女で早くに嫁がせたかった意向もあってとんとん拍子に話が決まって結婚と言うことになる。
岐阜は名古屋にも近い関係で結婚はかなり派手のようだが、相手の家族もそういうことをあまり望まない意向なので、あえて地元で結婚式を行わず大阪で式を挙げることとなる。

子どもが二人生まれて、上の娘は高校卒業後声優の道に進む移行で東京にも進出していたが今年家に戻ってくる。下の弟はいろいろわけありもあって不登校気味にもなったりして少し社会になじめない状況があるので親を心配させてもいる。

兄は早くに家を離れて一人暮らしをしていたこともあり、長男として親の面倒を見たいという意向が強く、父が亡くなり母も病気になった上、母が住んでいたマンションが取り壊される話が出たときに、どうしても母を引き取りたいと言うので、ちょうど兄の家の隣の家が留守になって空き家になっていたのでそこを借り上げて母を連れてくることになる。母は住めば都の性格で、どこに行っても順応して、新しい場所でも楽しく暮らしてそこで臨終の地とする。

ちなみに兄は家の近くにお墓を購入してそこに母の遺骨を納めたのだが、未だにそこには行く機会もなくて行けていない。