その日、みどりは和馬の家で3人で一緒に勉強をすることにしていた。
少し早めに家を出たのだが、急に雨が降り出して、少し濡れた状態で和馬の家に着いた。和馬は用事で出かけていて家にはいなくて、暢もまだ来ていなかったが、百合だけ家にいた。
「濡れて寒いんじゃない?お風呂沸いてるから、先に入ったら?」
「でも、着替えも何も」
「私のでよかったら用意して置くわよ。みどりちゃん大きいからたぶん大丈夫だと思うし。私はれから出かけるけれど、気にしないで暖まったらいいわよ」
そう言われて、寒かった事もあったのでお風呂を借りる事にした。暖かいお湯に浸かり、お湯から上がろうとしたその時、ドタドタとした音がして、急に風呂場のドアが開けられて素っ裸の暢と和馬が入ってきた。驚いたみどりは反射的に立ち上がって3人は呆然と突っ立ったままだった。何秒間の出来事かわからない。
「えっ?えっえっえ??えっえ。えっーーーーー!!」
正気に戻ったみどりは、キャアーっと言ってもう一度湯船に飛び込んでかがみ込んだ。何も隠していない男の子二人も事態に気づいて、あわてて風呂場を飛び出した。
心を落ち着けて風呂から上がってリビングに行くと、二人はみどりに顔を向けようともせずに勉強をしているふりをしていた。
「あんたたち、見たでしょ」
「……」
暢は一言も発しない。
「何のことかな?俺たち、湯気があって何も見えなかったけど、みどりの声だったからあわてて出て行っただけだけど……」
和馬の言い訳にも無理があった。
「何言ってるの。あんたたちの目が上から下までゆっくり動くの、見えてたわよ。わたしだって、あんたたち二人の可愛いの、しっかり目に焼き付けてしまったんだから」
「ごめん。……悪気があったんじゃなくて……」
「そんなことはわかってるわよ。悪気があったら犯罪よね。誰かが入ってるの、わかってたんでしょ。ちょっと、きちんとわたしの目を見なさいよ」
暢はそれでもまだみどりの顔をまともには見られなかった。
「いや、その……。姉ちゃんだと思ったんだよ。だって、ほら、今着ている服。それ、姉ちゃんのだろ」
和馬は覚悟を決めて、みどりに顔を向けて言い切った。
「うっ。確かにそうだけど……」
言われてみれば、みどりが入っていると思わなかったという言葉にも嘘はない。
「あんたたち、百合姉ちゃんだったら平気で入ってたの?」
「ああ、おかしいか?姉ちゃんと一緒にお風呂に入ってどこが悪い。俺も暢も、小さい頃は自分の姉ちゃんと一緒に風呂に入ってたんだから。なあ、暢」
「あ、ああ。何にも思わなかったのはほんと」
「うちの姉ちゃんだって思ったのは本当だぜ。みどりが入ってるなんて、まったく思いもしなかったんだから。入ってから何となく違うなって。でも姉ちゃんと一瞬思ったのは本当だから」
「俺は誰かが入ってる事さえ知らなかった。信じてくれないとは思うけど。でも、驚いて……。昔、由布姉ちゃんと一緒にお風呂に入っていたこと思い出して……、何となくじっくり見てしまったんだ。ほんとにゴメン」
「二人ともわたしのこと、本当にお姉さんだと思ったってわけね。やってしまたことはしかたないか。じゃあ、いいこと。お姉さんだという事にしておいてあげる。今日からあんたたち二人はわたしの弟だから。そう思わないとわたしの気がすまないから」
「許してくれるのかい?」
「許すも許さないも、お姉さんがお風呂に入っているところに弟が飛び込んできた。いきなりだったので驚いたっていうことにしておいてあげる。だから忘れなさいね。こんなこと、お母さんに知られたら、何て言われるか。もうお嫁にやれない、って泣き出すかも」
「……お嫁に行けないなら……、俺が婿入りしてもいいけど……」
「暢、抜け駆けするなよ。俺も、責任取って婿になったってもいいからな」
「バカ言ってるんじゃないの。あんたたちは弟なんだから、そんなこと考えなくていいの。でも、とにかく忘れよう」
みどりはあきらめた顔つきで腰掛けたけれど、暢と和馬はまだ落ち着かなかった。
「ごめん、みどり。俺、忘れられないというか、忘れたくない」
「何、恥ずかしい事言ってるのよ」
「みどりの裸、見てしまった事は謝る。でも、みどりの体って、とってもきれいで、忘れたくないって気分なんだ、正直なところ」
「だめ、絶対に忘れなさい。暢君は?」
「ごめん。俺、今晩眠れそうにない。みどりの裸が目に焼き付いてしまって。俺、由布姉ちゃんとはずっと一緒にお風呂に入っていないだろ。姉ちゃんがどんなだったか、忘れてるみたいな気がしてたんだけど、さっきみどりの裸見て、由布姉のこと思い出したみたいなんだ。なんか懐かしいような気分でさ。だから、……忘れられないかもしれない。それと、先に謝っておくけれど、今晩みどりの夢を見るかも知れない。どんな夢を見ても怒らないでくれよな」
「夢の事までどうしようもないわよ。わたしだってあんたたちの夢見る事、けっこうあるんだから」
「へえー、そうなんだ。どんな夢?」
「だめ、和馬君には教えない。でも、暢君。もしわたしの夢を見たなら、明日でも教えてくれるかな。今日の今日だから気になるし」
「ああ、わかった。もし見たら正直に言って上げる。でも、どんな夢見ても、怒るなよ」
「じゃあ、二人とも、いいわね、あんた達が今日からわたしの弟になる。それで今回の事は水に流して上げるから。わかったわね」
「水にじゃなくて、お湯にだろ。わかったわかった、それで手を打つ。おい、暢。さっさと風呂に入ろうぜ」
そういえば二人とも風呂に入ろうとしていて中断したんだった。雨に濡れたのは二人とも同じだった。二人はみどりの追求から逃れて休まる意味もこめて風呂に急いでいった。
風呂の中で二人がどんな話をしているのか、少しだけみどりは気になった。たぶん男の子二人だから、自分の裸の話をしているのかもしれない。そして、みどり自身も、さっき見てしまった暢と和馬の裸の姿が何となく思い出していた。男の子の裸を初めて見たと言ってもいいのに、自分の裸を男の子に初めて見られてしまったと言うのに、奇妙な事にそんなに嫌な気分になっていない自分だった。相手が暢と和馬だったことが一番にあったからだろう。最近では3人の事を三つ子とまで言われている、と耳にした事もある。年の近い兄弟がいたらこんな物なのかな、と思うのだった。
翌日、学校で暢が夢の事を話してくれた。残念ながら、3人が服を着たまま一緒にお風呂に入っている夢だったとか。何が残念なのかわからないけれど、みどり自身、残念だったね、って言えば、暢も残念だったと正直に答えて、またまたみどりに突っ込まれてしまったのだが。
別にわざわざ言いに来てくれなくてもよかったのだが、そんな律儀な暢の事が嬉しくも思った。ちなみに和馬はにやにやするだけで、何も言おうとはしなかったが。
…………
「そういうわけで、あの二人はわたしの弟なんです」
「そんなことがあったの。ごめんなさいね」
「いえ、いいんです。暢君がお姉さんと一緒にお風呂に入ってた時のことを思い出した、なんて言われて、ちょっとジーンと来たりして」
「でも、変よね。昨日あの子に、一緒にお風呂に入ろうって誘ったら、めちゃくちゃ嫌がられたのよ」
「難しい年頃ですか」
「あなたも同じ年でしょ」
「はい。でも、最近、何だかお姉さん気分に慣れちゃって。自分でも変だと思うんですけど、あの二人の背中、流して上げたいとか思ったりもするんです。母性本能なんですかね?」
「じゃあ、今度、あいつらが風呂に入ってるところ押しかけて、勝手に洗ってやったら」
「由布姉さんも、百合姉さんと同じ事言うんですね」
「百合ちゃんにも話したの?」
「ええ、あの後すぐの頃に、一緒にお風呂に入らせてもらった時に話しました。そしたら笑うだけで。和馬君、今でもよく百合姉さんと一緒にお風呂に入ってるんですって。で、あの後に入ったら、和馬君、珍しく百合姉さんの体、じっくり眺めて、一言、違うってつぶやいたって。何の事か判らなかったけれど、やっと意味がわかったって。で、わたしにけしかけて、遠慮いらないから和馬が入ってるところに押しかけてもいいわよって。私が許すからって」
「百合ちゃんって、見かけによらず大胆なところあるからね。百合ちゃんとはよく一緒にお風呂に入ってるの?」
「ええ、いろいろお話しさせてもらってます。和馬君や暢君のこととか……元兄さんののろけなんかも……。百合姉さんと元兄さんって、初キッスが小学生の時だったんですってね。それに、もう大人の関係なんですって。そんな話までしてくれて……。わたしにはちょっと刺激が強すぎて……」
「しょうがないわね。百合ちゃんって。ねえ、今度私と一緒に入ろうか。機会があったら」
「本当ですか、うれしいです」
「私の話はもっと刺激がきついかもしれないけど、いい?」
「それは困ります。遠慮してください」
「はっきり言うわね。じゃあ、今度百合ちゃんと3人で入る機会も作りたいわね。血のつながらない3姉妹水入らずでのんびりと。百合ちゃんが脱線しそうになったら、軌道修正して上げるから。いい?」
「はい、期待しておきます」
金魚すくい競争の暢と和馬が戻ってきた。どうやら和馬が勝ったようで、勝ち誇った様子で取った金魚をみどりにプレゼントした。嬉しそうに受け取るみどりだが、暢もそんなに悔しがってはいなかった。喜ぶみどりの顔を、自分も嬉しそうに見ていた。
「そうそう、暢。あんたに言っておかない事があったわ。暢やみどりちゃんに言われて、あれから先輩の家に行ったの」
「先輩って……斉藤先生のこと?」
「そう。もう隠してもしかたがないけれど、お姉ちゃんが中学・高校の時に先輩と付き合ってて、私が高校3年の時に大喧嘩しちゃったの。それが原因でこの町を出て行ったの。家にいるのが嫌いになったり、暢や元を見捨てたわけじゃないのよ。先輩の顔も見たくなったからなの。理由は聞かないでね。あんたたちには知って欲しくないような事も、昔の先輩にはあったってこと。でも、時間が経って、ようやく先輩の顔を見られるようになって、知っての通り学校に会いに行ったの。昼から先輩の家に行って、お話しして、きちんと仲直りしてきたから。もう何の心配もいらないからね」
「本当に、本当に仲直りしたの?」
「うん。あんたたちだけにこっそり教えるけど、他の人には絶対に言わないでね。仲直りの約束に、キスしてきたんだから」
「……!!」
「すごい!」
「やったーー!」
「こらっ!声が大きいでしょ」
気になってまわりを見回したが、思いの外誰も気にはしていなかった。祭りの喧噪は、少々声が大きくなっても気にならない物らしい。
「あのーー、由布姉さん。俺の初キッス、由布姉さんでお願いしたいんですけど」
「あら、和馬君?あなたが初キッスしたい人は別にいるんじゃないの、ねえ」
「えっ、みどりとは初でなくてもいいんです。だって俺と暢と、みどりにとってどちらが初になるかわからないし。二人ともお互いに、初でなくてもいいからって言い合ってるんですから」
「何よ、それ。わたしのキッスを取引とかに使ってるの。じゃあ、和馬君は後回しにしてもいいってことね」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「俺、もうテストの点数でキスの奪い合いなんてどうでもいいって思ってる」
暢が言い出した。
「どういうこと?もうわたしなんか、何とも思ってないって事?」
「その反対。俺、みどりの事、どんどん好きになっていってるんだ、正直に言えば。だから、キッスでの、もっと大事にしたいなって思い出し始めてるんだ。俺がもっともっと素敵な奴になって、みどりが俺に惚れるくらいになったら、その時には……その時……」
「そうか。よし、じゃあ、俺もそうする。今すぐにでもみどりとキスしたいって気持ちはあるけれど、俺もがまんする。俺と暢とどっちがみどりにふさわしいか、俺たち頑張るから、見ていてくれよな」
「あーあ、何だかがっかりするわね。覚悟を決めてたわたしの気持ちはどうしてくれるのよ。他の男の子に目がいってもいいのね?」
「それは困る」
二人の声がハモった。
「俺たちよりいい男っていないっていう自信はある。もし凄い奴が転校してきたり、高校になって現れたら、俺たち正々堂々とそいつと勝負するから」
「もし、その人に負けたら?」
「みどりがそいつを偉ぶって言うのなら俺たち認めてやる」
「俺は正直嫌だけど、でもみどりの気持ちを一番にしたやりたいな」
「そういうことだ。俺たちも、みどりにどちらが選ばれても恨みっこ無し。一生友だちでいようなって約束してるんだから」
「そんな約束、いつしたのよ。やるんだったらわたしも加えてよ」
「ああ、俺たち、何があっても友だちでいような、喧嘩する事があっても」
由布は一人、こいつら青春まっただ中なんだな、と思ってうらやましかった。自分にはこんな語り合える友だちなんていなかったな、と思って、ふと忘れかけていた修二郎のことを思ったりもした。彼とはたとえ離れる事になっても、こんな友だち関係が続けられるのだろうか。
家に帰ると元が帰っていた。明日から夏期講習があって朝早くから学校に行かなければならいとは言ってはいたが、遅くまで由布が話す話を聞いていてくれた。4年前の事と、同級生と再会したこと以外の今日一日のできごと、中学校に行った事、先輩の家に行った事、祭りに行ったことなどを心弾む気分で由布は聞いてもらった。その夜は久しぶりに快適な眠りだった。