丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

小説「祭りの音が消えた夏」第10章-2

2010年09月29日 | 詩・小説
…………

 その日、みどりは和馬の家で3人で一緒に勉強をすることにしていた。
 少し早めに家を出たのだが、急に雨が降り出して、少し濡れた状態で和馬の家に着いた。和馬は用事で出かけていて家にはいなくて、暢もまだ来ていなかったが、百合だけ家にいた。
「濡れて寒いんじゃない?お風呂沸いてるから、先に入ったら?」
「でも、着替えも何も」
「私のでよかったら用意して置くわよ。みどりちゃん大きいからたぶん大丈夫だと思うし。私はれから出かけるけれど、気にしないで暖まったらいいわよ」
 そう言われて、寒かった事もあったのでお風呂を借りる事にした。暖かいお湯に浸かり、お湯から上がろうとしたその時、ドタドタとした音がして、急に風呂場のドアが開けられて素っ裸の暢と和馬が入ってきた。驚いたみどりは反射的に立ち上がって3人は呆然と突っ立ったままだった。何秒間の出来事かわからない。
「えっ?えっえっえ??えっえ。えっーーーーー!!」
 正気に戻ったみどりは、キャアーっと言ってもう一度湯船に飛び込んでかがみ込んだ。何も隠していない男の子二人も事態に気づいて、あわてて風呂場を飛び出した。
 心を落ち着けて風呂から上がってリビングに行くと、二人はみどりに顔を向けようともせずに勉強をしているふりをしていた。
「あんたたち、見たでしょ」
「……」
 暢は一言も発しない。
「何のことかな?俺たち、湯気があって何も見えなかったけど、みどりの声だったからあわてて出て行っただけだけど……」
 和馬の言い訳にも無理があった。
「何言ってるの。あんたたちの目が上から下までゆっくり動くの、見えてたわよ。わたしだって、あんたたち二人の可愛いの、しっかり目に焼き付けてしまったんだから」
「ごめん。……悪気があったんじゃなくて……」
「そんなことはわかってるわよ。悪気があったら犯罪よね。誰かが入ってるの、わかってたんでしょ。ちょっと、きちんとわたしの目を見なさいよ」
 暢はそれでもまだみどりの顔をまともには見られなかった。
「いや、その……。姉ちゃんだと思ったんだよ。だって、ほら、今着ている服。それ、姉ちゃんのだろ」
 和馬は覚悟を決めて、みどりに顔を向けて言い切った。
「うっ。確かにそうだけど……」
 言われてみれば、みどりが入っていると思わなかったという言葉にも嘘はない。
「あんたたち、百合姉ちゃんだったら平気で入ってたの?」
「ああ、おかしいか?姉ちゃんと一緒にお風呂に入ってどこが悪い。俺も暢も、小さい頃は自分の姉ちゃんと一緒に風呂に入ってたんだから。なあ、暢」
「あ、ああ。何にも思わなかったのはほんと」
「うちの姉ちゃんだって思ったのは本当だぜ。みどりが入ってるなんて、まったく思いもしなかったんだから。入ってから何となく違うなって。でも姉ちゃんと一瞬思ったのは本当だから」
「俺は誰かが入ってる事さえ知らなかった。信じてくれないとは思うけど。でも、驚いて……。昔、由布姉ちゃんと一緒にお風呂に入っていたこと思い出して……、何となくじっくり見てしまったんだ。ほんとにゴメン」
「二人ともわたしのこと、本当にお姉さんだと思ったってわけね。やってしまたことはしかたないか。じゃあ、いいこと。お姉さんだという事にしておいてあげる。今日からあんたたち二人はわたしの弟だから。そう思わないとわたしの気がすまないから」
「許してくれるのかい?」
「許すも許さないも、お姉さんがお風呂に入っているところに弟が飛び込んできた。いきなりだったので驚いたっていうことにしておいてあげる。だから忘れなさいね。こんなこと、お母さんに知られたら、何て言われるか。もうお嫁にやれない、って泣き出すかも」
「……お嫁に行けないなら……、俺が婿入りしてもいいけど……」
「暢、抜け駆けするなよ。俺も、責任取って婿になったってもいいからな」
「バカ言ってるんじゃないの。あんたたちは弟なんだから、そんなこと考えなくていいの。でも、とにかく忘れよう」
 みどりはあきらめた顔つきで腰掛けたけれど、暢と和馬はまだ落ち着かなかった。
「ごめん、みどり。俺、忘れられないというか、忘れたくない」
「何、恥ずかしい事言ってるのよ」
「みどりの裸、見てしまった事は謝る。でも、みどりの体って、とってもきれいで、忘れたくないって気分なんだ、正直なところ」
「だめ、絶対に忘れなさい。暢君は?」
「ごめん。俺、今晩眠れそうにない。みどりの裸が目に焼き付いてしまって。俺、由布姉ちゃんとはずっと一緒にお風呂に入っていないだろ。姉ちゃんがどんなだったか、忘れてるみたいな気がしてたんだけど、さっきみどりの裸見て、由布姉のこと思い出したみたいなんだ。なんか懐かしいような気分でさ。だから、……忘れられないかもしれない。それと、先に謝っておくけれど、今晩みどりの夢を見るかも知れない。どんな夢を見ても怒らないでくれよな」
「夢の事までどうしようもないわよ。わたしだってあんたたちの夢見る事、けっこうあるんだから」
「へえー、そうなんだ。どんな夢?」
「だめ、和馬君には教えない。でも、暢君。もしわたしの夢を見たなら、明日でも教えてくれるかな。今日の今日だから気になるし」
「ああ、わかった。もし見たら正直に言って上げる。でも、どんな夢見ても、怒るなよ」
「じゃあ、二人とも、いいわね、あんた達が今日からわたしの弟になる。それで今回の事は水に流して上げるから。わかったわね」
「水にじゃなくて、お湯にだろ。わかったわかった、それで手を打つ。おい、暢。さっさと風呂に入ろうぜ」
 そういえば二人とも風呂に入ろうとしていて中断したんだった。雨に濡れたのは二人とも同じだった。二人はみどりの追求から逃れて休まる意味もこめて風呂に急いでいった。
 風呂の中で二人がどんな話をしているのか、少しだけみどりは気になった。たぶん男の子二人だから、自分の裸の話をしているのかもしれない。そして、みどり自身も、さっき見てしまった暢と和馬の裸の姿が何となく思い出していた。男の子の裸を初めて見たと言ってもいいのに、自分の裸を男の子に初めて見られてしまったと言うのに、奇妙な事にそんなに嫌な気分になっていない自分だった。相手が暢と和馬だったことが一番にあったからだろう。最近では3人の事を三つ子とまで言われている、と耳にした事もある。年の近い兄弟がいたらこんな物なのかな、と思うのだった。

 翌日、学校で暢が夢の事を話してくれた。残念ながら、3人が服を着たまま一緒にお風呂に入っている夢だったとか。何が残念なのかわからないけれど、みどり自身、残念だったね、って言えば、暢も残念だったと正直に答えて、またまたみどりに突っ込まれてしまったのだが。
別にわざわざ言いに来てくれなくてもよかったのだが、そんな律儀な暢の事が嬉しくも思った。ちなみに和馬はにやにやするだけで、何も言おうとはしなかったが。

…………

「そういうわけで、あの二人はわたしの弟なんです」
「そんなことがあったの。ごめんなさいね」
「いえ、いいんです。暢君がお姉さんと一緒にお風呂に入ってた時のことを思い出した、なんて言われて、ちょっとジーンと来たりして」
「でも、変よね。昨日あの子に、一緒にお風呂に入ろうって誘ったら、めちゃくちゃ嫌がられたのよ」
「難しい年頃ですか」
「あなたも同じ年でしょ」
「はい。でも、最近、何だかお姉さん気分に慣れちゃって。自分でも変だと思うんですけど、あの二人の背中、流して上げたいとか思ったりもするんです。母性本能なんですかね?」
「じゃあ、今度、あいつらが風呂に入ってるところ押しかけて、勝手に洗ってやったら」
「由布姉さんも、百合姉さんと同じ事言うんですね」
「百合ちゃんにも話したの?」
「ええ、あの後すぐの頃に、一緒にお風呂に入らせてもらった時に話しました。そしたら笑うだけで。和馬君、今でもよく百合姉さんと一緒にお風呂に入ってるんですって。で、あの後に入ったら、和馬君、珍しく百合姉さんの体、じっくり眺めて、一言、違うってつぶやいたって。何の事か判らなかったけれど、やっと意味がわかったって。で、わたしにけしかけて、遠慮いらないから和馬が入ってるところに押しかけてもいいわよって。私が許すからって」
「百合ちゃんって、見かけによらず大胆なところあるからね。百合ちゃんとはよく一緒にお風呂に入ってるの?」
「ええ、いろいろお話しさせてもらってます。和馬君や暢君のこととか……元兄さんののろけなんかも……。百合姉さんと元兄さんって、初キッスが小学生の時だったんですってね。それに、もう大人の関係なんですって。そんな話までしてくれて……。わたしにはちょっと刺激が強すぎて……」
「しょうがないわね。百合ちゃんって。ねえ、今度私と一緒に入ろうか。機会があったら」
「本当ですか、うれしいです」
「私の話はもっと刺激がきついかもしれないけど、いい?」
「それは困ります。遠慮してください」
「はっきり言うわね。じゃあ、今度百合ちゃんと3人で入る機会も作りたいわね。血のつながらない3姉妹水入らずでのんびりと。百合ちゃんが脱線しそうになったら、軌道修正して上げるから。いい?」
「はい、期待しておきます」

 金魚すくい競争の暢と和馬が戻ってきた。どうやら和馬が勝ったようで、勝ち誇った様子で取った金魚をみどりにプレゼントした。嬉しそうに受け取るみどりだが、暢もそんなに悔しがってはいなかった。喜ぶみどりの顔を、自分も嬉しそうに見ていた。
「そうそう、暢。あんたに言っておかない事があったわ。暢やみどりちゃんに言われて、あれから先輩の家に行ったの」
「先輩って……斉藤先生のこと?」
「そう。もう隠してもしかたがないけれど、お姉ちゃんが中学・高校の時に先輩と付き合ってて、私が高校3年の時に大喧嘩しちゃったの。それが原因でこの町を出て行ったの。家にいるのが嫌いになったり、暢や元を見捨てたわけじゃないのよ。先輩の顔も見たくなったからなの。理由は聞かないでね。あんたたちには知って欲しくないような事も、昔の先輩にはあったってこと。でも、時間が経って、ようやく先輩の顔を見られるようになって、知っての通り学校に会いに行ったの。昼から先輩の家に行って、お話しして、きちんと仲直りしてきたから。もう何の心配もいらないからね」
「本当に、本当に仲直りしたの?」
「うん。あんたたちだけにこっそり教えるけど、他の人には絶対に言わないでね。仲直りの約束に、キスしてきたんだから」
「……!!」
「すごい!」
「やったーー!」
「こらっ!声が大きいでしょ」
 気になってまわりを見回したが、思いの外誰も気にはしていなかった。祭りの喧噪は、少々声が大きくなっても気にならない物らしい。
「あのーー、由布姉さん。俺の初キッス、由布姉さんでお願いしたいんですけど」
「あら、和馬君?あなたが初キッスしたい人は別にいるんじゃないの、ねえ」
「えっ、みどりとは初でなくてもいいんです。だって俺と暢と、みどりにとってどちらが初になるかわからないし。二人ともお互いに、初でなくてもいいからって言い合ってるんですから」
「何よ、それ。わたしのキッスを取引とかに使ってるの。じゃあ、和馬君は後回しにしてもいいってことね」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「俺、もうテストの点数でキスの奪い合いなんてどうでもいいって思ってる」
 暢が言い出した。
「どういうこと?もうわたしなんか、何とも思ってないって事?」
「その反対。俺、みどりの事、どんどん好きになっていってるんだ、正直に言えば。だから、キッスでの、もっと大事にしたいなって思い出し始めてるんだ。俺がもっともっと素敵な奴になって、みどりが俺に惚れるくらいになったら、その時には……その時……」
「そうか。よし、じゃあ、俺もそうする。今すぐにでもみどりとキスしたいって気持ちはあるけれど、俺もがまんする。俺と暢とどっちがみどりにふさわしいか、俺たち頑張るから、見ていてくれよな」
「あーあ、何だかがっかりするわね。覚悟を決めてたわたしの気持ちはどうしてくれるのよ。他の男の子に目がいってもいいのね?」
「それは困る」
 二人の声がハモった。
「俺たちよりいい男っていないっていう自信はある。もし凄い奴が転校してきたり、高校になって現れたら、俺たち正々堂々とそいつと勝負するから」
「もし、その人に負けたら?」
「みどりがそいつを偉ぶって言うのなら俺たち認めてやる」
「俺は正直嫌だけど、でもみどりの気持ちを一番にしたやりたいな」
「そういうことだ。俺たちも、みどりにどちらが選ばれても恨みっこ無し。一生友だちでいようなって約束してるんだから」
「そんな約束、いつしたのよ。やるんだったらわたしも加えてよ」
「ああ、俺たち、何があっても友だちでいような、喧嘩する事があっても」
 由布は一人、こいつら青春まっただ中なんだな、と思ってうらやましかった。自分にはこんな語り合える友だちなんていなかったな、と思って、ふと忘れかけていた修二郎のことを思ったりもした。彼とはたとえ離れる事になっても、こんな友だち関係が続けられるのだろうか。

 家に帰ると元が帰っていた。明日から夏期講習があって朝早くから学校に行かなければならいとは言ってはいたが、遅くまで由布が話す話を聞いていてくれた。4年前の事と、同級生と再会したこと以外の今日一日のできごと、中学校に行った事、先輩の家に行った事、祭りに行ったことなどを心弾む気分で由布は聞いてもらった。その夜は久しぶりに快適な眠りだった。

小説「祭りの音が消えた夏」第10章-1

2010年09月29日 | 詩・小説
 第10章 衣川みどり

 家に帰ると暢の部屋に行った。
「ねえ、今晩姉ちゃんとお祭りに行かない?」
 リハビリ第2章。暢とずっと手をつないでいれば祭りにも行けるかも。暢との交流の機会も少ないし、せめて姉らしいこともしてやりたかった。
「ホント!?行く、行く!」
「じゃあ、夕飯軽く食べて、出かけようか」
「ねえ、和馬も誘っていい?あいつ、昨日は百合姉ちゃん、元兄とデートだったから、お邪魔虫にならないよう、家で留守番してたって言うし、今日は今日で百合姉ちゃんいないし」
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、早速電話してみる。あいつ喜ぶぞ。由布姉と一度デートしたいって、いつも言ってたから」
 由布は自分の部屋に戻って、先ほど教えてもらったばかりの、先輩の携帯に電話を掛けた。こんなに早く電話するとは思ってなかったが。
「もしもし、わたしです。先輩ですか?あのー、ちょっとお願いがあるんですけど」
「何?いきなり」
「実は、今晩、暢とお祭りに行こうと思ってるんです。で、先輩には悪いんですけれど、先輩はお祭りに来ないでもらえますか?祭りで先輩の顔を見かけると、ひょっとしてパニクるかもしれないから」
「うん、わかった。家でおとなしくしてる。しっかり楽しんでこいよ」
「楽しめるまでいけるかどうか、わからないけど、頑張ってきます」

 遅くならないように、早めの食事をして、由布は迷ったあげく、浴衣を着ることにした。自分に必要なのは、向かっていく勇気なんだ。暢や和馬がいるんだから何も恐れることはない。そう言い聞かせた。待っていると、ほどなく和馬がやって来た。
「どうしたの?息切らせて」
「あ、今晩は、由布さん。少しでも早く由布さんに会いたくて、走ってきました。とっても綺麗ですね、その浴衣」
「ありがとう。でも、別にそんなに急がなくても、まだ祭りも私も逃げないから」
「それはわかってるんですけれど」
「まあ、そんなに固くならないで。気楽に気楽に」
 そう言ってあげると、和馬は深呼吸してからおもむろにこんなことを言った。
「あのう、一つだけお願いがあるんですけど」
「なあに?難しいことならお断りだけど」
「難しくはないとは思うんですけれど。由布さんのこと、お姉さんって呼んでいいですか?」
「?」
「いえ、あのーー。元兄ちゃんには、お兄さんって呼んでいいって言ってもらってるんです。いずれ義兄弟になることですし。で、元兄ちゃんのお姉さんなら、僕にとっても義姉さんになるんですよね」
「いいわよ。別にそんな難しいこと考えなくても」
「いや、暢のお姉さんを勝手に俺が奪っちゃってもいいかどうか。本人の了解があればいいってことにしてるんで」
「暢は百合ちゃんのこと百合姉ちゃんって呼んでたわよ」
「あっ、それも了解済みです。きちんと姉ちゃんの許可貰ってのことなんです」
「あんたたち、なんだか義理堅いのね」
「いえ、こういうのもけじめですから」
「はい、和馬。姉ちゃんの了解が出たんだから、これでOKね。さあ、早く出かけようぜ」

 暢と和馬は由布の両手にしっかりしがみついてきた。小学生気分がまだ抜けていないような、そんな感じだった。
 神社に着くと、暢は何か捜し物でもあるかのようにきょろきょろしていた。暢の捜し物がわかった。向こうから可愛い浴衣を着た少女が近づいてきた。
「今晩は」
 一瞬暢と和馬は固まっていた。
「ひょっとして、みどり……なのか?」
 昼間に見た体操服姿とは一転して、実に女の子らしい姿の衣川みどりの姿があった。「何?変?」
 二人はあわてて首を大きく横に振った
「いや、その反対。まったく反対。めちゃくちゃ綺麗で驚いてるんだ」
「ああ、俺も暢もお前に惚れ直すくらい驚いてるんだ」
「またぁ、冗談ばっかり。本気にするわよ」
「いいよ、俺たち本気だから。そういえば、みどりはここの祭り、初めてなんだよな」
「うん、去年の秋に引っ越してきたから。そうか、だからわたしの浴衣姿見慣れてないんだ。馬子にも衣装って思ってるんでしょ」
「違う、違う。いつもだってとっても可愛いし。今日はそれ以上で、俺たち何にも言えないでいるんだから」
 由布は笑い出してしまった。それにしてはしゃべりすぎでしょう、とツッコミたかった。
 この二人、本気でこの子に惚れているみたい。そしてそのことを隠そうともせず、気軽な会話でやりとりをしている。3人組だからできることなんだろうか。少なくとも暢は本来デリケートな子で、思っていることの十分の一も言い出せない子の筈だったのに。いつのまにこんなに明るい子になっていたのだろう。和馬との関係もそうだが、このみどりって子の存在がいい方向に影響しているように思われた。


「ねえ、和馬君。さっき私の浴衣姿見た時とちょっと反応違うように思うんだけど」
「あっ、由布姉ちゃんは別。別格です。俺なんか手も届かない雲の上の人。だから、反応しにくかったんです。でも、みどりは、ひょっとしたら手が届くかなって。だからその違い。別にもどりの方がずっと若くて生きが良くてずっと可愛い、なんて言ってるわけじゃないですから」
「って、随分言いにくいこと平気で言うわね」
 困っている和馬に暢が救いの手を差し伸べた。
「和馬が言いたいのはね、由布姉の大人の美しさにはホントに言葉なんか出ないってことだよ。みどりだったらどんどん言葉が出せるけどね。まだガキなんだから。その違い、気づいてあげなよ」
「ガキで悪かったわね」
「いいや、成長過程真っ最中って意味。今でこれだけ俺らを驚かせてるんだから、この先どうなるのか、そんなこと考えたらもう絶句するしかないってね」
「まあ、あんたたちには絶句させられてばっかりだけどね」
「まあまあ、その話は止めとこうぜ。あんまり言いずぎたらお互いボロだしかねないしな」
「でも、一言だけ言っておいて上げるよ。これから先、絶対みどりって、由布姉や百合姉ちゃんより綺麗になるって保証してやる」
「あっ、俺も保証する。この先、姉ちゃん達みたいに、もっとおしとやかになってくれたらな」
「上げたり下げたり、どっちなの。まあ言葉通り受け止めておいてあげる。ありがとう」
「こちらこそ、これからもいろいろ驚かせてくれよな。期待してるからな」
「もうー」
 出会ってまだ1年も経っていないというのに、本当に打ち解け合っている3人だと感じた。時間は自分が止まっている間にも、確実に進んでいっているんだ。
「なあ、和馬。金魚すくいの勝負しないか?勝った方がみどりに金魚をプレゼントするってことで」
「ああ、いいさ。みどり!俺からのプレゼント受け取ってくれよな」
「あんたが勝つって決まってないんでしょ。いいわ、期待してる」
「じゃあ、姉ちゃん、ちょっとみどりと待っててな。みどり!プレゼント渡すのは俺だからな」
 そう言うと二人はさっさと由布とみどりを置いて行ってしまった。残された二人はそばのベンチに座って待つことにした。

「昼間はすみませんでした。偉そうなこと言って」
 ベンチに座るなり、みどりは由布に謝った。
「ううん、いいのよ。あなたの言ってること正しいことなんだから」
「わたし、あの後、暢君にめちゃくちゃ怒られたんです。お前に何がわかるんだって。由布姉ちゃんと俺のことに勝手に口出しするなよ。由布姉ちゃんを困らせる奴なんて大嫌いだから、って」
「そんなこと言ったの、暢の奴」
「暢君があんなにむきになって怒るの、わたし初めて見ました。すごく悲しくなって。暢君にもうすっかり嫌われてしまったって思い込んで、すごく落ち込んでいたんです。そしたら晩に、祭りに来ないか、由布姉も来るから、ってメールもらって、すごく嬉しかったんです。今もさりげなくこうして謝る機会を作ってくれて。暢君って表だってはあまり良い所を見せたがらないんですけど、でも気遣いがすごくあって。……正直、すごく好きです」
「ありがとう、そんなに風に言ってくれて。でもごめんなさいね」
「ううん、いいんです。暢君って本当にお姉さんが好きなんですね。お姉さんのこととなると、もう向きになってしまって。わたし、一人っ子だから、お姉さんやお兄さんがいる人がうらやましくって……」
「私でよかったらお姉さんになってあげてもいいわよ」
「えっ、いいんですか?ありがとうござします、お姉さん」
「私もあなたのこと妹と思って良いかしら。元からあなたのこと聞いてたけど、もっともっと仲良くなりたいなって思ってたの。みどりちゃんって呼んでもいいかしら?」
「はい、わたしこそ」
「暢のこと、すごくお世話になってるみたいね」
「いいえ、とんでもないです。助けられてるの、むしろわたしの方なんですから」
「いいのよ、無理して言ってくれなくても」
「本当なんですよ。実は、去年、わたし転校してきた時、ちょっと意地悪されてたことあったんです。たわいのないことばかりなんですけれど。それもいつの間にかなくなったんですけど。後で仲良くなった友だちの子から、あの時暢君と和馬君が、違うクラスなのに意地悪されてるって話を聞きつけて、それをやっていた子たちに一人ずつ話をしていってくれたんだそうなんです。人を表面だけで見るんじゃなくて、どんな良い面を持ってる子なんか、しっかり見てから関わってやれよ、なんて言ったとか。だいたい意地悪してる子って他の人が見ればわかるじゃないですか。それを見かける毎に丁寧に話をしていってくれてたみたいなんです。だから孤立しないでクラスに溶け込むことができたようなんです。表だっては何もなかったように見せて、きちんと筋を通してくれるんです」
「ああ、そんなこと、元も言ってたわ。クラスに問題が起きた時でも二人で競争みたいに解決してたって」
「競争もしたんですよ、実際」
「本物の競争?みどりちゃんには何も勝てなかったそうね」
「違うクラスだったからよく知らなかったんですけど、どんな子なのかな、って興味が起きた時に、わたしが足が速いって聞きつけて、50mの競争を申し込んできたんです。運動会の前哨戦みたいな感じで。受けて立ったんですけど、真剣勝負だから本気出せよ、って言われて、本気出したら勝っちゃって。あの二人、それまで学校一足の速い二人で知られていたんですね。決着着いたら、二人近寄ってきて、俺たちに圧勝するなんて、お前って本当にすごいな、ってほめてくれて。それでけっこう学校でも認められるようになったみたいなんです。これもあの二人なりのやり方なんですね。勉強でもそう。少しわたしの方が勉強できるからって、わたしに勉強教えてほしいて言ってきて、何だか面白い子たちだな、って思いました。あの二人といると飽きないんですよね。いつもわたしに元気をくれて」
「それはかいかぶりすぎよ。あいつら、みどりちゃんに近づきたいだけのことよ。だまされたらいけないわよ」
「そうなんですか?口ではいつもわたしのこと好きだって言ってくれたりするけど、ほんとにそうだったら、そんなことはっきりとは言えないと思いますけど」
「きっと、あいつら二人で勝負してるのよ。一人でこそこそしてるより、二人で堂々としている方がお互い良いって思ってね」
「だったら、ちょっと困ったことになったみたい」
「何かあったの?」
「ええ、中学校になって勉強も難しくなって、ちょっと中だるみしそうだったから、こんなこと言ったんです。もしテストの点数良かったら、何か褒美をあげてもいいから、しっかりしなさいって。そしたら和馬君が、俺、みどりのキスが欲しいって。いきなりで驚いたけど、暢君が、ほっぺにチューしてくれたらやる気出るかも、って言い換えてくれたんで、つい調子に乗って、じゃあ、1教科でも私より点数上だったほっぺにチューしてあげてもいいよ、って」
「いいじゃない、可愛い約束じゃない」
「続きがあるんです。だったら、5教科全部勝ったら、その時は唇に頼むって」
「暢が?」
「暢君はそんなこと言いませんよ、和馬君です。驚いたけど、わたしもけっこう自信家なんで、いいわよ、受けて立つわって言っちゃったんです。そしたら、がぜん二人とも張り切りだして。私としては、頑張ってくれるのはいいけれど、あまり頑張られても……。下手したらわたしの唇、奪われちゃうんですから。まあ1学期の間は唇も、ほっぺにチューもせずにすんだんですけど」
「困った子たちね。ごめんなさい、いろいろ迷惑掛けっぱなしで」
「いえ、いいんです。それに……」
「それに……何?」
「最近たまに思うんです。5教科とも負けてもいいかな、って。変ですか?」
「うん、変。絶対負けないでよ。乙女の危機なんだから。同情で譲って上げても少しも良い事なんかないから」
「でも……、わたし一生キスすることなく人生終わるのかななんて」
「オーバーね」
「でも、たとえば暢君だったら、この約束一生守るような気がするんです。それも困るかなって……。誤解しないでくださいね。別にわたし、暢君が好きとかそういうのじゃなくて……暢君も和馬君もどちらも友だちとしては大好きですよ。何しろ二人ともわたしの弟なんですから」
「ふーーん、弟なんだ」
「ええ、弟にすることに3人で決めたんです。ほんとは複雑な気分なんですけど。優しいお兄さんやお姉さんが欲しいってずっと思ってたのに。お姉さんは百合姉さんと由布姉さんと二人もできたのに、お兄さんじゃなくて弟ができるなんて思いもしなかったから。元兄さんは百合姉さんの彼氏なんだから、ちょっとお兄さんというのとは違うな、と思うし」
「何か訳でもありそうね。教えてくれるかな?」
「はい、大きな声では言えない事なんですけど、この冬にこんなことがあったんです」
 そう言うと、小声でみどりは、小学卒業前にあった出来事を語ってくれた。


小説「祭りの音が消えた夏」第9章

2010年09月25日 | 詩・小説
 第9章 同級生

 先輩と携帯の番号を交換し、先輩の母親のメアドを教えてもらって、先輩の家を後にした。玄関には聞いていた7人乗りの白い車が停められていた。次にここに来るのはいつになるだろうか。そう遠くない日にまた戻ってくるような、そんな気がした。

 どうしてもクリアしないといけないことがあった。今日は神社を通って家に帰ろうと思った。昼日中だったらまだ落ち着いて神社に行けそうな気がした。もし先輩の言うように、何か目に見えない物が働いているのなら、由布を受け入れてくれるようなそんな気もした。
 日曜の午後ではあるが、本番が夜ということもあって、そんなに多くはないが、それでもけっこうな人手があった。小学生くらいの子がほとんどで、もう少し大きい人たちは夜に来るのだろう。知らない顔ばかりだったので気持ちも落ち着いていられた。
 それでも大学生風の若者も来ているようで、都会風のカップルが仲良さそうに歩いているのが目に入った。なんとなくその二人に目を止めていると、見られているのに気づいたのだろうか、男の方がこちらを見た。思わず目をそらせたのだが、意外な声がした。
「篠宮?……篠宮じゃないか?」
 呼ばれてその声の方を見ると、先ほどの男がこちらに手を振っていた。洗練された見格好に見覚えはなかったが、男は連れの女に何やら言うと、こちらに駆け寄ってきた。
「篠宮だろう?おれ、俺だよ。同じクラスだった青野、青野秀彦。忘れたかな?」
「青野……君?あのガリ勉の?あの、漏らしちゃった……」
「シーッ!それは忘れてくれ。そう、あの青野だよ。いやーー、懐かしいな、あれ以来だろ」
 正確には卒業式まで同じクラスにいたのだが、大学に合格して、それからはお互い気まずい状態で話もしないまま卒業したのだが。確か彼は東京の一流大学に合格したとは聞いている。
「信じられない。あの青野君なの?どうししゃったのよ、すっかり見違えちゃった。あの人、青野君の彼女?」
「ああ、そう。俺の家に挨拶に来たいって言うから連れてきた」
「ひょっとして、結婚するの?」
「まあ、そういうことになるのかな。もちろん卒業してからだけど。就職も式もむこうでするし、こちらにはもう戻ってくることもないだろうから、一度くらい祭りに合わせて帰ってきてもいいかな、なんて思ってね」
「ふーーん、あの青野君が結婚をね。信じられない」
「そんなに変かよ、俺が結婚するのって」
「うん、高校の時の青野君のこと考えたら」
「だよな。実は俺も信じられないんだけどな。これもみんな篠宮のおかげかな」
「私が?どうして?」
「いや、例のあれのおかげかも。あれで、俺、人生勉強ばっかりじゃダメかな、なんて思ったりしたんだから。人生の価値観180度変わったかもしれない」
「360度でなくてよかったわね」
「540度だったりして。回りすぎて目が回って、気がつけば全然別の方向に行ってたなんてね」

 そんなとき、置いてけぼりをくっていた女の方が近づいてきた。
「ねえ、いつまでほったらかしにする気?紹介してよ」
「ごめん、ごめん。こいつが今話してた三浦カナちゃん、俺と同じ大学の4年」
「ヒデ君の彼女のカナでーす」
 なんか軽い女の子のように思えて、ちょっとカチンと来た。別に由布が気にすることではないのだが。
「で、こっちが俺の高校の時のクラスメートの篠宮由布君」
「青野君の『初めての女』の篠宮です」
「おいおい!」
「ある意味、嘘じゃないでしょ」
 自分でもちょっと向きになってるな、とは思ったが、なんとなくからかいたくなった。
「いいのよ、ヒデ君が向きにならなくても。ヒデ君にだって初めての時はあったと思うし。今、あたしのことだけ思っていてくれるんだったらそれでいいんだから。カナ、少しも気にしないから、心配しないで」
「俺、ちょっと冷たい物でも買ってくるから、そこのベンチにでも座っといてくれ」
 そういうと青野はさっさとその場を離れていった。この女とどんな話をしていればいいんだろ。由布は気にはなったが、カナはさっさとベンチに座って由布を手招きした。
「ねえねえ、ヒデ君って高校時代どんなんだったの?勉強一筋で女の子なんて目もくれなかったって言ってるんだけど本当?」
「まあ、私の知ってる限りでは青野君と付き合ってるような子はいなかったみたいだけど」
 嘘はつきたくなかった。でもせっかく彼女ができた青野の為にも、都合の悪いことは言うつもりはなかった。
「これからヒデ君の家に行ってアルバム見せてもらうんだ。細工してないって言ってるけど、しててもばれると思うけどね」
「大丈夫、本当にいないから。でも別の意味で驚くかもしれないかも」
「今と全然違う、田舎くさくてダサイってことでしょ。仕方ないでしょ、それは。あたしのとっては今のヒデ君がいればそれでいいの。でも、昔のことも知っておきたいでしょ、これから一生付き合っていく彼女としてはね。あたしたち、隠し事はしないって約束してるんだ。あたしね、卒業したら院に残るつもりなの。彼に迷惑かけるかもしれないけれど、お互い信じ合ってやっていくつもりなの」
 思っていたほど軽い女でもなさそうだった。けっこう将来のことを真剣に考えてるみたいだった。
「青野君のどこが気に入ってるの?」
「すべて……って言いたいけど、そんな答えで満足しないよね。彼のこと、実は大学入った時から知ってるんだ。ちょっと困ったことがあったとき、偶然会った彼が親切にしてくれたの。正直ださかったけどね」
 自分の時もそうだった。根はやさしい人なんだ。ただそのことに気づく人が少なかっただけなのだろう。
「ダサイんだけど。どこか気になるところがあって。今から思えば運命の出会いかな。見ているうちにどんどんセンス良くなってきてね。いろいろ彼女もできてきて、何となく悔しいなって。彼のこと最初に知ったのあたしなのにってね。だから3年になってあたしから彼に近づいたの。この人、誰にも渡したくないって。それからはもうべたべた。彼もねあたしのこと好きだって言ってくれて。それまで彼、何人もの女の人と寝てたの知ってるけど、いいの、昔のことは許してあげてるの。今、あたしが知ってる彼で十分なの」
 過去にこだわらない人ってこんな人なんだ。過去にとらわれすぎている自分と偉い違いだと由布は思った。人は見かけによらないものだ。
「ねえ、最初の彼女として教えて欲しいの。彼、どうだった。最初からすごかった?」
「えっ?そうね、ある意味凄かったのかな」
 凄いと言えばすごいのかな。何しろ、触っただけでいっちゃったのだから。
「でしょ。うん、あたし、もう何回気持ちよくていっちゃったかわかんない。彼とこれから一生やっていけるって思ったら、もうあたし、しあわせ」
 もう勝手に好きなだけ言いなさい、と由布は思った。この人と話して良かったなと思った。
 ようやく青野がジュースを持ってやってきた。
「ジュースよく売れていて時間かかった、ごめん」
「これ、もらっとくから、ちょっとブラブラして来るわね。ヒデちゃんもこの人とゆっくり話したいこともあるでしょ。10分くらいしたら戻ってくるね。じゃあ、元カノちゃん、さよなら」
 そういうと明るくカナは離れていった。

「思ってたより良い子じゃない。良かったね」
「うん、3年の時に知り合ったんだけど、それまで付き合ってたどの女の子とも違って、フィーリングが合うって言うのかな、俺のこと何でも知っていてくれてるみたいで、かゆいところに手が届くって言うのかな、一緒にいると気持ちが良いんだ」
「彼女も気持ちが良いって言ってたわよ、あなたのこと。別の意味だけどね」
「俺もいろいろ勉強したんだぞ、あっち方も。篠宮とあんなことなってさ、自分にがっかりしたんだ。都会に出てきて、俺のこと誰も知らないからすっかり昔のことは封印して、シテーボーイに大変身」
「何それ?シティーボーイ?死語でしょ」
 彼女にはしっかりばれていることを知らないみたい。手のひらの上で踊らされてるのも知らないのは平和なことだ。
「心配なのは、俺のアルバム見たいって言ってること。昔の俺のこと知ったら離れちゃうんじゃないかなって」
「さっき話してたんだけど、そんな子じゃないみたいよ。青野君がどんな青春してたのか、純粋に知りたいだけみたい。それで今の気持ちが変わるんじゃ最初からだめなのよ。うん、私が保証する。あの子なら大丈夫よ」
「短い時間でそこまでわかるんだ。女同士だとそうなのかな」
「彼女、卒業したら院に行くんだって?青野君は?」
「俺、向こうで就職することに決めてる。うちの家は『優秀な兄貴』が親の面倒見るから、お前は好きなようにしろ、って全然期待されてないし。ここには盆正月には帰ってくるかもしれないけれど、昔の連中には会いたくもないしな。あっ、篠宮は別だけどな」
「青野君がこんなに変身するんだったら、あの時につばをつけといたらよかったな」
「何言ってるんだ。篠宮にはちゃんと彼氏がいただろ、2年年上の」
「えっ?知ってたんだ」
「今だから言えるんだけど、俺、篠宮のこと実は気に入ってたんだ。だから勉強のこと相談された時、めちゃくちゃ嬉しくてな。あんなこと頼めたのも篠宮だったから。だから本当にドキドキしたんだぞ。他の奴だったら、もっととんでもないことやってたかもしれない。さっき篠宮言ってたよな、最初の女だって。あれ、ある意味本当かも。俺の初恋だったかも。いいかな、そういうことにしておいてくれて」
「青野君の頼みだったら何でも聞くって言ったわよね。あれ、まだ有効だから」
「じゃあ、都会慣れした俺といっぺんやる?満足させる自信あるから」
「彼女の許可があればね」
「はっはっは、もちろん冗談。今でも俺にとって篠宮はあこがれの人なんだ。あこがれは夢の中だけで十分だよ。篠宮と関わりを持てただけで俺は十分だよ。ありがとうな」

 青野の気持ちなんてちっとも知らなかった。自分のことしか考えていない由布だったが、先輩も青野もそれぞれいろいろな思いで由布と関わってはいたんだ。知らなかったさまざまなことを考えさせられた。
 カナも戻ってきて、これから青野の家に向かうと言うことで、また会う機会があれば、ということで別れた。こんな爽やかに別れることになるとは思いもしなかった。



 神社の喧噪を離れて、由布は裏手に回ってみた。夜だと絶対に近寄っては行けない場所。今は変わってしまったと言うけれど、昼間の内に確認しておきたかった。自分の原点となる場所を。
 人気がなくなって、見ればそこは草原だった。何もない。あの家はどこにあったのだろう?ぶらぶらしていると井戸が見えた。あの井戸はまだあったんだ。井戸を中心に配置を思い出してみた。このあたりに家があったんだ。自分が寝かされたのはこのあたりだったのだろうか?そこで横たわってみた。天井はなく青空が見えた。何も思い出せなかった。
 ふと気がついて、こんな場面、誰かに見られたらなんて思われるか気になって飛び起きた。背中に草がいっぱいついていた。草を払いのけたが、肩にまでくっついている。指先で草を取って気がついた。この草、夕べ百合の浴衣についていた草なんでは?
 笑い出した。あの時、自分に降って湧いた悪夢のこの場所で、百合と元は愛を交わしていたんだろうか。家はなくなってもやてることは変わらないものなんだな。なんだか楽しくなってきた。物事、見方を変えると言うことはどれだけ異なる物なのか。由布は鼻歌を口ずさみながら家に帰っていった。


小説「祭りの音が消えた夏」第8章

2010年09月23日 | 詩・小説
 第8章 悪夢

 昼過ぎに先輩は戻ってきた。昼はもう済ませたということで、母親には帰る時に声を掛けると言うことで2階の先輩の部屋に上がった。二人だけでの話もしたいでしょうから、と言って母親はお茶とお菓子を運んだだけで降りていった。
 すこしぎこちない時間が過ぎた。
「この部屋よね。先輩に抱かれたの」
「……もう4年になるのか、由布と最後に会ってから……」
「何があったのか、もう覚えていない。たぶん夢を見ていたんだと思う。悪い夢をね。正義のヒーローが実は最低の悪者だった夢。子どもにとっては悪夢かもね。私、あのTV、今も見られないの」
「子どもも夢を壊したらだめだよな、さすがに」
「私にとって現実はこの部屋でのこと。あの日先輩に抱かれて……そしてお別れをした。その時のことしかないの。そこから始まったの」
 先輩はいきなり由布に向かい合うと土下座を始めた
「やめてよ、そんなこと。格好悪いでしょ」
「いいや、謝らせてくれ。君の人生狂わせたのは俺なんだから」
「別に変になってないわよ、死にもしないし、いい学校に入って、ちゃんと4年で卒業できる目処もついてるし、今だってこうやって帰ってきてるし」
「でも……大変だったんだろうと思う」
「いいから、顔を上げてよ。そんなんじゃ話もできないから」
 ようやく先輩は顔を上げて普通に座り直した。
「そりゃ、いろいろあったけれどね。ううん、謝られることなんかないわよ、私は私の道を歩んできた結果なんだから。あれから何人もの男に抱かれたりしたけれど、それだって私が選んだことなんだから、先輩には関係がないこと。それより、わたしこそ、もう先輩には釣り合わない人間になってしまったことの方が大きいかも」
「今、好きな人がいるとか?ううん、俺が気にする資格はないけれど」
「一緒に住んでいる男友達はいるわ。セックスフレンドって言い方好きじゃないけれど、気の会う友だちが一人」
「その彼とは結婚するの?」
 由布はゆっくり首を振った。
「子どもでもできたら結婚してもいいかも、って思ったけれど、そんな気配もないし。第一、その彼も、本当は好きでしかたがないのに別れてしまった彼女がいるのよね。お互い身の上話をしあってて、彼が、私にここに帰れって言ったの。自分の原点を見つめ直して、これからどうしたいのか考えてみろって」
「優しいんだね、その彼って」
「ええ、修二郎……彼のことだけどね……修二郎って、私が祭りがトラウマになってるって知ったら、無理矢理祭りに連れ出すのよ。そんなんじゃ中学教師にはなれないぞって。同じ口調で、故郷に帰れないのならどこに行っても同じ事だって、それで送り出してくれたの。帰ってこなくなってもいいの?って聞いたら、それが運命ならそれもいいんじゃないって。自分はどうなのって言ったけれどね」
「どう?久しぶりの故郷は?」
「いろいろびっくり。一番びっくりしたのは先輩のこと。まさか暢の担任だなんて」
「4年も経つと人間、変わるもんさ。今度は俺の悪夢の話を聞いてくれるかな?」
「悪夢なんて聞きたくもないけれど、聞いて欲しいのなら聞いてあげてもいいわ」

「俺、中学の時に好きな子がいたんだ。2年下の子でね。最初はその他大勢の後輩の一人としか思っていなかったんだが、いつも目立って部活を早く抜けるんでね、1年のくせにやる気無いのかなって思ってたら、母親の体が悪くって、小さい二人の弟の面倒を見ていて大変なんだ、って誰かが教えてくれたんだ。それじゃあわざわざ部活やらなくってもいいんじゃないのか、って思ってたんだけど、部活にいる間は一所懸命なんだ。でもそれじゃあとっても他の部員のレベルについていけないじゃない。だからちょっと手を貸してやろうかなって関わりだして。そうするとその子の良い面がいっぱい見えてくるんだ。家のことがなかったら確実に中心メンバーになれる素質あるのに。素直な子でね、気がつくとその子のことばかり目に着くようになって。同じ学年の他の部員に指摘されてからかわれて、それで初めて気がついたんだ。俺、あの子が好きなんだって。
 卒業してもその子のことが気になって、しょっちゅう中学校に出向いてね、その子が中学3年になったときには、うちの高校に来ないかって誘ってみた。1年しか一緒にはいられないのにね。でも同じバスケットでつながっているというのは気持ちの良い物だった。バスケットさえやっていればすぐそばにいられる、みたいな感じで。
 高校の1年は短かった。でも充実はしていたと思う。ツーと言えばカーというような関係で。家の事情で、バスケットやってることが知られたらまずいらしくて、だったらということで俺の家に招いた。別に下心も何もないんだけど、特別な関係になったみたいで、ついつい勘違いしてしまいそうだった。

 良いことも続かない。大学に入ってバスケット続けてたけど、先輩にもいろいろいて、俺の面倒見てくれる良い先輩もいれば、遊ぶことしか考えていない先輩もいて。俺が1年の時、由布も知ってるとおり、父親が事故で亡くなって。俺、こんなに父親に甘えきっていたのか信じられないくらい落ち込んじゃって、その子のことを考えることさえ忘れてしまうくらいだった。そんなときに目を付けられたんだ、悪い先輩に。先輩Aは金持ちのボンボンで、お金さえあれば何でもやっていけると思い込んでる人物で、実際単位さえお金で買ったという噂もある。先輩Bは腰巾着で、まあ要領よくやっていくタイプで、金は持ってるけれど頭はそんなによくないAを実際は操っていたようなところがあったんだが、この二人にからまれて、なんとなく一緒に行動することが多くなったんだ。犯罪すれすれのことをやったこともあるし、女の子のナンパもしょっちゅうのこと。もちろん俺は一緒にいるだけで、女の子と遊んで気を紛らわせるようなそんな心境にはならなかったんだけどね。

 4年前の夏。俺が帰っていたら、突然この二人から連絡が入って、祭りをやっていると聞いたので、近くをとおりかかったついでに寄ってみるって言ってきたんだ。断る理由も勇気もなかったから会うことにしたんだけど、昼間からお酒を飲んで、俺もつきあわされて、常識やら何やらとんでしまってたんだ。言い訳と言われてもしかたがないけれど。
 夜になって、誰か可愛い女の子でもいないか、なんて言い出して、さすがにこれはまずいなと思った。俺が好きだった子をちらっと見かけたから、目を付けられたら困ると思って。それで、うまくいいくるめて、人気のない場所に連れ出したんだ。みんなからはお化け屋敷と呼ばれている場所に。ここは誰も寄りつかない場所だから、ここにいれば誰も被害に遭わないだろうって。先輩二人は、良い環境だって喜んじゃってるから、ここで一晩過ごしても構わないかなって。なのに、誰も近寄らないはずなのに、一人だけやってきたんだ。暗闇で誰かはわからなかったけれど、浴衣を着た女の子が一人で。よし、やっちゃえ、って先輩達は飛び出してその子を空き家に無理矢理連れ込んだ。二人は合図して、一番やる気のなさそうな俺からまずやれって命令して。で、酔いにまかせてついつい。月明かりが指して初めて気がついたんだ。その女の子が、俺が好きだった子だったことに……」

 由布はいつのまにか耳を押さえていた。でも声は聞こえていた。先輩が見た悪夢。
「ある日、その子が家を訪ねてきた。俺は何も言えなかった。抱いてくれと言ったから抱いたけど、空しいだけだった。もう会いたくないと言われた。それで俺の恋は終わった。
 もう何もする気が起きなかった。彼女のいない人生、先輩達につきまとわれる生活、すべてが嫌だった。死にたくなったけれど、父親を亡くしたばかりで母親を一人にする勇気もなかった。
 そんな時、電話がかかってきたんだ。昔から俺のこと目をかけてくれていて、面倒見てくれていた千葉というバスケットの先輩がいて、学校が始まっても授業にもバスケットにも出てこない俺のことを心配して、今この町に来てるから会わないかって。わざわざ俺のこと訪ねに来てくれたんだ。喫茶店で千葉さんに会ったら、驚くことを話してくれたんだ。あの、俺につきまとっていた二人の先輩が交通事故にあったというんだ。無謀な運転だったという。それぞれお互いの彼女を乗せてドライブしていて、スピードの出し過ぎでハンドル操作を誤って、ガードレールに激突。運転していたA先輩と彼と一緒だった彼女は即死したそうだ。B先輩の方も手足を骨折する重症で入院。その彼女も骨折もあったけれど、顔に大きな傷が残る怪我をしたとか。これはそれから半年後に聞いた話なんだけれど、さすがに女性の顔に一生残る傷を残したということで、彼女の父親が怒鳴り込んだとか。地方の酒屋を形成している人なんだそうだけど、娘の責任を取れ、とかで、B先輩は卒業後の就職内定も取っていたのにキャンセルして地方に婿入りしたとか。小さくなって暮らしているらしい」

 この話の中に、一つだけはっきりとは話さなかった事実があった。それは、A先輩の彼女という人が、斉藤の初めての相手となった女性だったという事だ。
 前からその彼女という人とは会った事もあるのだが、A先輩といつも一緒にいる人という認識で、A先輩があんなのだったから、その彼女も似たような人だと勝手に思っていた。ある日、さほど離れていない町に出かけた時に、偶然に出会って声を掛けられ、A先輩がいなかったから最初は誰かわからなかったのだが、名乗られて一瞬困ったなとは思ったのだが、断る事も出来ないうちに一人暮らしの彼女の部屋に連れて行かれた。
 意外な事に、けっこうきちんと片付いた小綺麗な部屋だった。聞けば彼女の両親がこの町の出身だったとか。以前に祖母に連れられてきた事があって、町の雰囲気が気に入ってたので、親と喧嘩して家を出て行くことになった時に、この町に住みたいと思ったとか。斉藤の家からそう離れてはいないと言う事で、なんとなく身近な気分になって親しみを覚えていたと言った。どこまで本当なのかはしらないが。

 彼女は勝手に身の上話を語り出した。
 父親が姉ばかりを可愛がって自分の事など見向きもしてくれないという。小さな頃はよく遊んでくれて大好きだったのに。姉が中学受験をする頃に両親は姉に構いきりになって、その頃から自分には構ってくれなくなったとか。今から思えば自分のひがみだったのかもしれないが、小さなしこりとなって、それ以来素直に甘える事ができなくなった。
 自分の中学入試の時は運悪く、姉が盲腸の手術で入院したり、父が半年間の単身赴任とかが重なり、姉の時ほどには構ってはもらえなく、事情があったとはいえやる気も失ってしまい、結果は不合格。両親から冷たい目で見られているような卑屈な気分になった。そんな時に、気晴らしだと、同居していた祖母がこの町に連れてきてくれた。両親が祖母を引き取るまではこの町に住んでいたという事で、この町にいると気分が和らぐ思いがした。祖母が住んでいたという家にも行き、父も大学に行くまではこの家にいたという話に、その時は素直な自分に戻れたのだが、いざ家に戻れば、重苦しい気分だけが漂っていた。
 祖母がいるうちはまだ安らぎの場所もあったのだが、大学に入った翌年にその祖母が亡くなってからはもう自分の場所は見あたらなかった。親と喧嘩して家を出て行き、足は自然とあの町に向かっていた。遊び歩いているうちに知り合って付き合っていたAとは、ごく自然な形で『彼女』の位置にいるようになっていたのだが、彼の援助(実際にはAの親のお金だが)でこの部屋を借りられるようになったという。
 時々は家にも電話はするのだが、父は決して電話には出ようとはしなかった。それほどまでに嫌われているのならそれでもいい、とは思っていたのだが、一度実家の側まで行った時に、自分が大切にしていた花の世話をしてくれている父を見かけて涙がこぼれそうになった。結局は声も掛けることなく引き返したのだが、今でも父の事が大好きなんだと思う自分に気がついたのだが、どうしても素直にはなれなかった。それは父も同じなのかも知れない。こういうのをボタンの掛け違いと言うのだろうか。どこかで違えてしまった。寂しそうな表情を彼女は見せた。
 斉藤も父を亡くしたばかりの喪失感が癒されず、そんな思いが彼女との距離を近づけてしまったようで、気がつけば彼女に導かれるままに初めての時を迎えてしまっていた。
 すべてが終わった後、Aには黙っておいてあげるね、と言われて、初めてとんでもないことをしてしまったことを気づかされた。A先輩の彼女に手を付けてしまったのだ。このことがA先輩に知られればどうなるのか。そのことばかりが心を占め、A先輩の無理難題も聞かざるを得ない状況に追い込まれてしまっていた。
 後から考えれば、罠にはめられたのかもしれなかったが、あの時に見せた彼女の寂しげな表情までも嘘だとはどうしても思えなかった。
 二人が事故で亡くなった事を聞いた時、正直ほっとした。千葉先輩から、彼女の葬儀の時人目をはばかる事もなく父親が号泣していたと聞かされた。ボタンの掛け違いはすべてはずさなければ掛け替える事は出来ないとは知りつつも、死んでようやく父娘の関係が修復されたことを悲しく思った。
 彼女のお墓がどこにあるのか、事故現場がどこなのか、あえて聞こうとは思わなかった。あの寂しげな表情と共に、自分の心の奥深くに封印する事にした。由布にさえ語る事は一生ないだろう。

「そんなことで、もう誰も俺につきまとう者はいなくなったから学校に戻ってこい、って千葉さんが言ってくれたけれど、俺はあの子に対しての責任をどう取ればいいのかわかたなくて、千葉さんにすべて打ち明けたんだ。黙って聞いてくれた千葉さんは、一生かかっても償えないかもしれないな、って言った。でも、お前にしかできない償い方もあるんじゃないかって。たとえばこれからの人生を世界の困っている人のために使ってみるとか。そういう償い方もあるんじゃないかって。
 でも、母親を一人残して海外には行けないし、って言ったら、別に海外でもなくこの町にだってやれることあるんじゃないかって。お前みたいに迷いやすい若者に、正しい道を示してやるのも償いになるんじゃないか。取り返しの付かないことをやってしまっても、必ずやり直せるって事を示すことはできるんじゃないか、って。その言葉を聞いて悩んでいた俺の心に一本の道が見えてきたんだ。ひょっとしたら今頃はあの先輩達と一緒にいて、事故で死んでいたかも知れない。彼らから離れることになって、今自分は生かされているんだ。だったら、失ったかもしれないこの人生を、もう一度生まれ変わった気持ちでやり直してみようって。
 それで俺は教師になることを決めたんだ。以前は良い会社に入って母親を楽にさせてやりたい。バスケットをやってるのも、体育会系で就職に有利になるかもしれないなんて気持ちもあったんだけれど、せっかくやってきたことを、今度は将来ある若者達のために使おう、と決めたんだ。進路変更だから勉強する内容も変更することになるから、最低でも1年よけいに学校生活を送ることになるだろう。母さんに、卒業が1年遅れるかも知れないけれどいいか、って尋ねたら、何にも聞かないで了承してくれた。一から勉強のやり直し。バスケットも力を入れた。そして一年遅れで卒業。うまくこの中学校に教師として入ることが出来た。

 いきなりで驚いた。何と俺のクラスの生徒になる子どもの中に、あの子の弟がいるじゃないか。もうほどけて消えてしまったと思っていた糸の端が見えたような気がした。神様は俺に赦しのチャンスを与えてくれたんじゃないか。本気でそう思って神社に行ってありがとうを言ったよ。あの子のことには何も触れないで、純粋に一人の生徒として彼女の弟に接してきたけれど、もし本当に神様は俺のことを許してくれるんだったら、必ず償いの機会を与えてくれるはずだと信じていた。そして昨日、あの子が戻ってきた時、俺は正直泣きそうになったよ」

 ふと先輩の顔を見ると、本当に目に光る物があった。自分もつらかったけれど、先輩もやっぱり同じように傷ついていたんだ。
「昨日、暢に言われたの。何があったのか知らないけれど、先生のこと許して上げてって。泣きながら訴えてた。それから、みどりって女の子にも言われた。暢君を泣かすようなことをしないでくれますかって。だから……」
「だから……?」
「暢のため、先輩のこと許して上げます。何もなかったことにしてあげます。4年前に夏は来なかったって」
「ごめん……」
「だから、何もなかったって。先輩に謝られるようなことは何もなかったの。長い長い夢を見ていたの、私。悪夢をね。正義のヒーローが実は極悪人だって言う変な夢。そんなの梅の中でしかありえないことなんだから」
「ありがとう」
「でも、一つだけお願いがあるの。聞いてもらえるかな?」
「由布の願いだったら何でも聞く。ライオンの口の中に手を入れろって言われてもやってもいい」
「そんな怖ろしいこと言わないで。つまらない願いよ。私、すべてを忘れるって約束するけれど、先輩のことを好きだったって気持ちまで忘れたくない。だから一つだけ思い出を残したいから……、最後にキスして。それですべてを忘れるから」
 先輩はちょっと困ったような顔をしたけれど、うなずくと、二人は顔を近づけて唇を重ねた。不思議な気持ちがした。今まで心の中に溜まり混んでいたどろどろとしたものが消えていくような、そんな気持ちだった。これが最後になるのかもしれない。
「これから始まるのだったらいいのにね」

小説「祭りの音が消えた夏」第7章

2010年09月23日 | 詩・小説
 第7章 母親

 毎日のように通っていた家は少しも様子が変わっていなかった。
 楽しい思い出が多かったはずなのに、あんなことで終わってしまうなんて思いもしなかった。いろんな思いを蘇らせながらしばらくたたずんでいるといきなり玄関のドアが開いて、懐かしい顔が覗かせた。
「由布ちゃん、おかえりなさい」
「お母さん……ただいま」
 自分の家でもないのに、ごく自然な会話に一瞬涙が出かかった。不義理をしてしまった先輩のお母さんに、飛びつきたい気持ちで一杯だった。きっと思いっきり泣き出してしまいそうだから、普通に誘われるままに玄関に入っていった。
 昨日もそのようにやっていたかのように、ごく自然にリビングのいつもの椅子に腰掛けた。4年の月日が一気に逆戻りして高校生に戻ったような気分だった。
「お昼まだなんでしょ?何もないけれど、今、焼き飯でも作るわね、いいでしょ?」
「すみません、ありがとうございます」
 この家で遠慮という言葉は不要だった。当たり前のように甘えられる、そんな関係ができていた。子どもは先輩一人っきりだったから、自分のことを娘のように可愛がってくれた。本当の母親以上に仲が良かったから、この家に二度と来ないと決めた時にも、先輩のお母さんにだけは会いたくて仕方がなかった。詳しいことは何も告げられずに、突然会わなくなってしまったことを、何よりも一番後悔していた。

 何もないと言いつつ、中身は立派な物で、おまけにサラダや漬け物までも用意されている。さりげなくふだんと同じを装いながらも、由布がやって来たことの喜びがその料理に表れていた。
「ユニフォーム、ありがとうございました。驚きました。まだ置いてあったんですね」「そりゃ大事にしてたわ、由布ちゃんのだし」
「でも、もう引退した後だったし」
「実はね、私もあなたたちと同じ高校にいたのよ、バスケットもやってた」
「へえー、そうだったんですか」
「ユニフォームは今とは違ってるんだけど、でもバスケットのユニフォームだって思うと懐かしくてね、あの頃を思い出したりもしてたのよ。由布ちゃんだけに教えるけれど、私も3年の先輩にあこがれて入部したの。あなたと一緒」
「それって、ひょっとして……」
「ううん、全然関係ないわよ。私は下手くそで、ただ憧れていただけ。見向きもされなかったわ。それに、その人にはちゃんと同じクラスの彼女がいてね、二人で都会の同じ大学に入って、卒業したら結婚したって聞いてるわ」
「その人、今もこの近くに住んでおられるんですか?」
「いいえ、都会の一流企業に入って、そちらで家を建てて親も呼び寄せてからは、もうここらに来ることはないみたい。元々親は他の地方から来た人みたいだったみたいだし。つい最近耳にした話では、2・3年前にまだ大学生だった下の娘さんが交通事故で亡くなって、ずいぶん落ち込んでおられたという話を聞いたけれど、もう立ち直って元気にやっておられるそう。お気の毒は話だけれどね」
 ちょっとしんみりした雰囲気を変えるように話を変えた。
「昨日孝がいきなり、由布たのユニフォーム、どこにあるかな、なんて言い出してね。由布ちゃんの名前、あの子の口から出てきたの久しぶりだったから驚いたわ」
「昨日、帰ってきた時に、中学校のそばまで行ったら、バスケット部がランニングしていて、目があったんです。だからたぶんそれで……」
「練習、見に行くって言ったの?」
「いえ、その時は先輩だとは思わなくて……よく似ている人だとは思ったんですけれど。まさか中学校の先生しているなんて思いもしなくて」
「懐かしいわね、あなたの『先輩』って言葉。あの子にもちゃんと孝って名前あるのに、一度も孝さんとか呼んだところ見たこと無いわね」
「えっ?あ、すみません」
「ううん、いいのよ。その響きが今は心地良いの。飛んでいた時間が埋められたみたいでね。まあいつかは孝さんって言ってくれるようになるかもそれないしね」
「……たぶん、いつまでも先輩って呼んでるような気がします……」
 そう言うと二人してクスッと笑った。先輩のことを別の呼び方で呼ぶ日なんて来るんだろうか。
「でも、それだけで、あの子は今日、由布ちゃんが見学に来るって思ったのね。私も、必ず由布ちゃんがここに来てくれると思ってたけど」
「すみませんでした。勝手にいなくなって、ご無沙汰してしまって」
「ううん、いいのよ。今、こうして帰ってきてくれたんだから。……でも、正直寂しかったわ。もう4年になるのよね、あなたが来なくなって。あなたたちに何があったのかは知らない。あの年、孝の父親が亡くなって、思いの外あの子は落ち込んじゃって。そんなところからきたのね。ある日を境にして、あの子の口からぱったりあなたの名前が出てこなくなったのは。あなたと大喧嘩でもしたのかしら、すっかり嫌われてしまったみたいで、あなたもまったくこの家に寄りつかなくなっちゃったし。私も主人を亡くして忙しかったこともあったから、ついついそのままになっちゃって」
「すみませんでした、お母さんにも迷惑掛けてしまって」
「私のことはいいんだけどね。あの子、はっきりわかるくらい落ち込んでしまって、学校にも行けないくらいになっちゃって、今で言う引きこもり状態ね」
「そうだったんですか。知りませんでした」
「ある日、大学のバスケット部で、あの子のこと目をかけてくれていた先輩から電話があってね。近くまで来ているから会わないか、という誘いがあって、近くの喫茶店でかなりの時間話をしたみたいでね、その後ようやく学校に行きだしたの。それからしばらくして、真剣な顔で話があるって言い出して。1年学校をダブることになるかもしれないけれど構わないかって。どうしたのって聞いたら、学校の先生になるために勉強をやり直したいから、たぶん1年よけいに通わないといけなくなるかもしれないけど、許してくれるかなって。あの子が学校に戻ることになって、しかも将来のことも真剣に考えているんだったら構わないわよ、て言ってあげたの。それからは立ち直ったみたいで毎日本当に真剣に勉強していたわ。もちろんバスケットもしっかり頑張りながらね」
「そうだったんですか」
 暢から聞いた話が思い出された。やはりあの日のことが原因で先輩は道を変えたのだ。そして由布もこの町を離れることにしたのだ。
「私ね、喧嘩なんて、時間が経てばいつか元に戻る物だってすっと信じ込んでいた。でもあなたは戻ってこなかった。てっきり孝と同じ大学に入る物だと思い込んでいたのに、風の噂では遠くの大学に行ってしまったとか。もうあの子の顔だけじゃなく、この町にいることさえ嫌なほど嫌われてしまったんだって、すごく悲しかった。この家からすっかり火が消えてしまったようだった。

 孝から笑顔が戻ったのは、忘れもしない、この春のこと。ここの中学校の教師に採用されて、1年の担任になることが決まって、バスケット部の顧問にもなって。それはある意味、決められた未来だからそれほど気にはしなかったんだけど、あの日、見るからに嬉しいことがあたのが丸わかりの表情であの子が帰ってきてね。どうしたの?って聞いても教えてくれないの。でも、この机の上に、こっそりあの子が受け持つことになるクラスの名簿が置かれていてね。誰か知り合いでもいたのかしら、って思って見ていって見つけたの。『篠宮暢』って名前。由布ちゃんの3歳下の弟さんは元君って言ったわよね。よく覚えてるでしょ。それからずっと下にもう一人弟さんがいたのも覚えている。確かこんな名前だったような。孝の喜びようで間違いないって思ったわ。それから毎日のように学校の報告をしてくるの。まるで小学校入りたての子どもみたいにね。ほとんどが暢君の話ばかり。あなたの名前は決して出さないの。もし口に出したらするっと滑り落ちてしまうかのように慎重にね。小学校の先生から、運動もよくできるって聞いてるから、バスケットやらせようかとか。それからもう一人和馬君って言うのかしら、暢君のお友達ね。その子の話も増えてきた。暢と和馬が、って二人一組でね。そうそう、その和馬君のお姉さんと元君が仲が良いんですってね」
「はい、ここだけの話ですが、大学出たら一緒になる予定だそうです」
「まあまあ、それはおめでとうさん。それで暢君と和馬君が義兄弟になるってことなのね。そんなこと言ってたわ。そんなえこひいきみたいに偏った話ばかりじゃだめよ、って言ったら、もう一人別の女の子の話もしてくれたわ。確か……えーーっと」
「みどりって子じゃ?」
「そうそう、みどりさん。あら、知ってるの?」
「ええ、暢と和馬君のあこがれの子みたいで、親友らしいです」
「なーーんだ、やっぱり偏ってるんじゃない。それじゃあダメ教師ね」
「そんなことないようですよ。生徒の評判はすごく良いって……暢や元が言ってました……ってこれじゃあだめですね」
「まあ、これからね。あの子、部活の生徒の遠征用にって7人乗りの車も買い込んだりしてね、レギュラーばかりひいきしてもだめでしょ、なんて言ったら、下働きの子たちを乗せてるんだ、なんて言ってるけれどね。でも、時間が解決してくれるなんて、口だけ言ってても本当には私も信じていなかったみたい。だって、本当に、今日あなたが戻ってきてくれたんだから」
 どうして自分はここに来たんだろうか。それは由布自身も不思議に感じていた。見えない不思議な力が自分を戻してくれたんだろうか。あの神社に祀られている神様が、申し訳ないことをした、と自分に謝ってくれているんだろうか。
「何があったのか知らないけれど、孝のこと許してやってね。ううん、もしどうしても許してくれなくても、私とは仲良くしてね。あの子には悪いけれど、あなたと孝のどちらを偉ぶって言われたら、迷わずにあなたを選ぶから。もし孝の顔を永久に見たくないって決めたとしても、こっそり私には連絡を頂戴ね。今はメールなんて便利な物もある時代だから。私のアドレス押しておくわね」
「はい。お母さんに会いたくなったら必ず連絡します」
「約束よ」

小説「祭りの音が消えた夏」第6章

2010年09月18日 | 詩・小説
 第6章 祭りの音が消えた夜

 由布が初めて斉藤先輩を見たのは、中学に入ってクラブ見学の時だった。運動は元々得意な方ではあったが、元や暢の世話もあったから、練習の激しい部活には入るつもりはなかったのだが、バスケット部で練習をしている先輩を見て、心ときめいてしまった。一目惚れの初恋だった。どうしてこんなにどきどきするのか、由布は自分の感情がわからなかった。
 当時まだこの学校ではバスケットは弱小チームであり、優秀な指導者どころか、バスケットを見ることの出来る教師もいなくて、部員数も少なく男女一緒に練習している状態だった。練習時間も比較的緩やかだったこともあって、由布は即座に入部した。 入ってみて、意外というか当然というか、女子の入部者は多く、ほとんどが先輩目当ての入部であった。自分は違うと言い聞かせつつ、自分の感情を隠して練習に励むうち、弱小といえども、先輩達には優秀な人材もいて、自分たちで考え出した練習メニューはいつしか伝統的な練習メニューとして定着し、それとともに技術も向上し、弱小からも脱出できるようになった。。由布は家の用事もこなしながら部活を続けることに限界もあり、遅くまで残れないことからレギュラーを取ることは中学・高校を通じてまったくなかったが、そんなことは気にはしていなかった。ただ先輩にどう思われるのかだけが気になってはいたが、ひたすら先輩の目に止まりたい一心で部活にいられる時間だけは頑張り続けた。家の事情を知っている誰かが話してくれたのだろう、先輩から声を掛けてもらい、直接指導してもらう機会が増えていくようになった。3年が引退した後でも、斉藤先輩は一人部活の様子を見に来てくれては後輩の面倒をよく見てくれた。いつしか後輩達の間では『先輩』と言えば斉藤先輩のことを指す言葉になっていった。

 1年は短い物で、3年の卒業と共に、楽しかった先輩との練習の日々は終わってしまったが、由布の情熱はまだ冷めなかった。同じ時期に入った他の女子部員の中には、3年の卒業と同時に熱が冷めてしまい、部員数が激減する状態にはなったが、由布はバスケットを続けることが先輩とつながる唯一の道だと信じて頑張り続けた。そんな由布の願いが届いたのか、時折先輩も見に来てくれることがよくあり、夏休みなどの長期の時には、先輩も高校ではバスケットを続けているので、自分たちの練習もあっただろうに、時間を取って指導に来てくれた。

 由布が先輩の家を初めて訪れたのは3年の夏休みだった。部活も引退し、お疲れさんということで先輩が招いてくれた。数人が招かれたと思っていたのに、意外にも招かれたのは由布一人で、どきどきしながら訪問したことをいつまでも覚えている。先輩の母親に会ったのもこの時が最初の筈だったのだが、母親は由布のことをよく知っているような雰囲気だった。
 先輩が高校でどうしているのかとか、高校のバスケットの話などを聞き、もしうちの学校に入るのだったらぜひ入部するようにとの気の早い勧誘を受けた。受験勉強で半年間運動をしないと体がまなるだろうから、毎朝一緒にランニングをしないかと誘われた。遠慮をさせない勢いで、誰にも見られない早朝にランニングすることが、由布の意志とは無関係なところで決められ、この習慣は大学生になって先輩から離れることになっても、いっときはやらなくなったこともあったが、体がリズムを覚えていて、いつしか復活するようになっていた。
 先輩と同じ高校に入ってバスケットをやりたい、という強い思いが入学を可能にし、高校でもバスケットを続けるようになった。本当は中学と違って通学時間もかかり、部活の時間も中学とは比べものにならなかったが、中学に上がった弟の元が、暢の面倒は自分がやるから、やりたいことをやればいい、と言ってくれた。
 家に帰るのが遅くなって、弟たちの面倒が見られないことの理由が、勉強が忙しいのなら仕方がないが、部活が理由だからとはさすがに言い出せなく、また先輩との関係も母親に知られたくなかったこともあって、高校で先輩と一緒にバスケットをやっているというようなそぶりは、家では微塵にも見せないようにしていた。ただそれではストレスも溜まることから、唯一家での由布の味方であった元には、一緒にお風呂に入った時などに、バスケットの話や先輩の話なども聞かせていた。元は由布の話を楽しく聞いてくれ、一緒にお風呂に入る時間を嫌がりもせずに楽しみにしていてくれた。
 家ではバスケットのユニフォームを洗濯するのも難しい状況と言うこともあったのだが、先輩の母親が、部活の帰りには先輩の家に寄ってくれれば洗濯をしておいてくれる、という提案をしてくれたので、一度は辞退した物の、強引なのは親子似なのだろう、押し切られる形で親切に甘えることにさせてもらった。気がつけば替えのユニフォームまで用意されていて、それと交換するという形にいつしかなり、先輩の家には由布のユニフォームがいつでも用意されているということになっていた。

 先輩に親しくさせてもらっていたとは言え、考えてみれば一度もデートらしき物はやった覚えはなかった。先輩の家で話をしたり、勉強を教えてもらったり、一緒にトレーニングすることがデートと言えばデートになるのだろうか。先輩は自分のことをどう思っているのだろうか気になることもあった。由布は天然記念物並みの奥手で、男女の事に関してはほとんど無知に等しかった。両親が結婚して3ヶ月で自分が生まれたということから、結婚すれば勝手に子どもが生まれるものと中学時代まで思い込んでいた。中学3年の時に友人から男女関係の仕組みについて初めて聞かされてショックを受けたものだった。高校になって先輩と二人きりになることも多かったが、友人達に聞かされていたような雰囲気に一度もなることもなく、かえって自分には魅力はないのだろうか、妹くらいにしか見られてないのではないか、そんな風にも思えたりもしたが、まだまだそんな先のことを考えてもしかたがない、自分にとって大事なことは迫ってくる大学入試のことだ、と思い直した。

 高校2年になって先輩は大学に入り、大学でもバスケットを続けているようだったので、これまでと同じように、同じ大学に入ることを目標にした。大学だったら2年間一緒にいられる。やはり夏休みには先輩は高校にやってきて指導をしてくれた。中学以来の関係からコンビネーション・プレーなどもいくつも練習して、お互い相手の次の動きが瞬時にわかるくらいだった。

 突然のアクシデントが起きた。
 その冬のこと。先輩のお父さんが事故で亡くなったのだ。お葬式に参列をして、これほどに落ち込んでいる先輩を見たのは初めてだった。一人っ子で育ち、父親の背中を見て育っていたのに、急に母と二人暮らしになる。5人家族の由布には想像しがたい出来事だった。幸いにも母親もこれまでパートながら仕事をしていたので、仕事量が増えただけで、生活環境自体はそれほど変わることはなかったが、先輩の家に行っても母親がいないことが多く、それまでは先輩がいないときにも母親の話し相手で家に寄ったり買い物に付き合ったりしていたのに、それもなくなって寂しい思いを由布も感じていた。勝手知ったる他人の家で、留守の家にも由布は入らせてもらってユニフォームの交換だけは行った。何があろうとこれだけはきちんとやり続けるから気にしないで、と母親から言われていたので、縁を切りたくもなかったから毎日ではなくても続けることにはした。由布が3年になってから先輩と会う時間は極端に減っていった。夏の活動も早々と終わってしまって、部活を引退してからは先輩の家に寄る理由も無くなってしまっていた。そんなあの日に事件が起きた。

 祭りの夜、本当は先輩を誘って一緒に行きたかったけれど、これまでも誘われたことも誘ったこともなく、一度はそういう機会もほしいと思っていたのだったが、先輩はまだまだ立ち直れていないようなので、この夏は遠慮しておこうと思った。来年、もし先輩の大学に合格して毎日会えるようになったら、自分の力で先輩を立ち直らせるんだ、と決めて、今年はがまんしようと思った。
 部活一筋でやってきたから、特に一緒に出かけるような親しい友人もいないこともあって、由布は一人で可愛い浴衣を着て、祭りが開かれている神社を巡っていた。
 由布の目にそれは入った。先輩が来ている!駆け寄ろうかと思ったのだが、その時の先輩は一人ではなかった。先輩よりも年上のような二人の男性と一緒だった。顔はよく見えないが、あまり感じのよくなさそうな二人だった。
 3人は人混みから離れてどこかへ行こうとしていた。見失いかけたが、もう一度3人を見つけると、こっそり後をつけてみた。何も考えてはいなかった。彼らが向かっているのが、子供達は近づいてはいけないと、いつも言われ続けている方向だと言うことに。
 お化け屋敷と呼ばれている空き家が見えてきた時、3人の姿は闇に隠れて見えなくなってしまった。ふと我に返って、いけない場所に来てしまったことに気がつき、戻ろうか探そうか、躊躇しながら、それでも前に進んで、空き家の横を通り抜けようとした時、急に物陰から誰かが現れ、口を押さえられ、手足を抱えられて空き家に連れ込まれた。何が起ころうとしているのか考えている余裕もなく暴れようとしたが、自分を抑えている者の力は強く、手足は空を切るだけだった。
 家の床に倒され、見ると、夜店で売っている正義のヒーローの仮面をつけた3人の男が自分に襲いかかろうとしていた。浴衣の帯はあっと言う間にほどかれ、口にはタオルを突っ込まれて声が出せないようにされた。浴衣がはがされ、下着も奪い取られ、二人の男に両手足を押さえつけられ、一人の男がズボンを降ろしてのしかかろうとしていた。
 最悪の事態に由布は必死の抵抗を試みた。自分でも考えられない力で押さえられていた手をはねのけ、のしかかろうとする男の顔を押しのけようとしたその瞬間、男の仮面がずれたのと、雲間に隠れていた月明かりが家の中を照らしたのが同時だった。そこに由布は信じられない物を見てしまった。

 3人の男達はみな酒を飲んでいて、息が臭かった。仮面をずらされた男も仮面を付け直すと、少し躊躇するような様子を見せたが、他の二人に促されて由布の上に覆い被さってきた。由布には何の力も無くなっていた。抵抗することさえ忘れていた。これは夢なんだ、悪夢なんだ。目をさましたら布団の中で寝ているんだ。そう思い込みたかった。現実は厳しくやってきた。由布の中に入り込んだ時、強烈な傷みが襲いかかってきた。タオルを通して必死に叫んでいたが声が聞こえるはずもなかった。
 後に知ったことだが、この空き家は、カップルが愛を確かめ合うためによく使われているということを大人の間ではよく知られていて、この家に人気があったり、物音が聞こえたりする時には誰も近づいてはいけないという不文律があるそうだ。だから声が出たとしても、近づく者は誰もいなかった。道理で子どもには近づけさせないわけだ。
 男達は代わる代わる何度も由布を通り抜けていった。正義のヒーローがよってたかって自分を犯し続けている。そのことに苦笑さえを覚えていた。こんな時は、誰を助けに呼べばいいのだろう。悪の怪獣たちも、実はそんな思いで戦っていたのだろうか。ただただ時間が過ぎることだけを考えていた。怪獣と違って殺されるとか言うことは思いもしなかった。そのための仮面なんだから。正義の仮面をかぶっただけの小さな存在なんだ。自分たちがどこの何物か知られたくないだけの小物なんだろう。

 いつの間にか意識を失っていたようだった。気がつくと誰もいなかった。布団の中で目が覚めたわけではなかった。裸に向かれて、口にはタオルが詰め込まれて、板の間に横たわっていた。
 この家の裏にポンプ式の井戸があることを思い出した。誰もいないことを確認して、由布は汚された体を洗い、脱ぎ捨てられた下着や浴衣を身につけた。タオルは捨ててしまおうかと思ったが、見覚えのあるタオルだから持って帰ることにした。
 何も聞こえなかった。祭り囃子の音が流れているはずだったが、由布の耳にはすべての音が消えていた。どうやって家までたどり着いたのかよく覚えていない。家に帰ると湯船に浸かり、体を何度も何度も洗った。不思議に涙は出てこなかった。

 2・3日、ショックで寝込んだ。家族には風邪をもらってしまったことにした。元が心配そうに何度も様子を見に来て、慣れない手つきでお粥まで用意してくれた。
 夏休みと言うことが幸いしてしばらくゆっくりして、落ち着いた所で先輩の家を訪ねた。先輩は何も言わずに招き入れてくれた。母親は仕事で出かけているようだった。その方が都合が良かった。
 2階にある先輩の部屋で、床に座ると、先輩は気まずそうに視線をわざとはずしていた。
「これ、お返しします。先輩のタオル」
 何も答えずに先輩は受け取ると、そのままゴミ箱に捨ててしまった。
「私、先輩のことが好きでした。先輩が私とやりたい、とか言ってくれたら、いつでもあげたのに。こんなのじゃ嫌です!」
 先輩は何も言わなかった。言えなかった。
「やるなら、きちんとやってほしい。今ここで!」
 そう言うと、由布は服を脱ぎだして床に横たわった。先輩は驚いたように由布を眺め、そして黙ったまま、由布に覆い被さっていった。何も感じなかった。いや、何も覚えていないと言う方が正確なのだろう。すべてが終わった後、衣服を身につけながらやっと一言言った。
「帰ってくれ、今日は」
 由布もゆっくり衣服を身につけると、寂しく言った。
「もう来ません。先輩とはもう会いません。お世話になりました」
 由布は一人、家を出た。見送りはなかったし、振り返ることもしなかった。
 家に帰ると、風呂に入り込んだ。湯船に浸かっていると猛烈に悲しくなり、あの時は一滴も出なかった涙が溢れるように流れ出し、声を上げて泣き続けた。

 ぐれてみようかとも思ったが、一日繁華街にいて、ゲーセンでバスケットをしている自分にあきれるだけだった。こんなことでつぶれるような自分だったら悔しいじゃないか。見返してやりたい。そんな思いに取り憑かれた。進路変更。先輩の学校より、ずっと上の学校に入ってやる。そう決心した。今から頑張るのはかなり無理なことだが、すべてを忘れられる何かに取り組みたかった。
 クラスに孤独な秀才がいた。青野秀彦という、勉強だけはずば抜けて出来るのだが、ガリ勉だけで誰にも相手にされない男だった。彼に頼み込んで勉強を教えてもらうことにした。目標の大学に入れば、望むことは犯罪以外なら何でもしてあげても良いという条件で。
 意外なことに彼は教え上手だった。どうして誰も彼に教わろうとしなかったのか不思議なくらい。目立たない存在で運動音痴と思われていただけだが、話をするようになって気がついたのだが、運動は本人がやる気がないだけで、そこそここなすだけの能力はあるようだった。話題も他の人には通じないような話が多いだけで、口べたというわけでもなかった。もっとも彼との関係も、今勉強を教えてもらっている間だけのことで、卒業すれば会うこともないのだろうが。

 遠くの大学を受験することで家ではもめた。経済的に家から通える大学なら行かせてやれても、家を離れてまでもやれないし、元や暢はどうするのかろ言われた。しかし元が唯一味方になってくれた。今まで由布に迷惑をかけてばかりだったから、これからは暢の面倒も自分で(百合に助けてもらってのこともあるが)やっていくし、自分のこともしっかり管理していくから、と言って。レベルが上の大学を目指すこと。4年で卒業して、教師になって戻ってくること。生活費は自分でやっていくこと。という条件で認めてもらえた。実際にはふだんの小遣いよりもずっと多くのお金が通帳に振り込まれたりはしていたのだが。

 見事合格を果たして、ガリ勉男に報告がてら、約束を果たすために家を訪れた。何でもする、という約束で、覚悟は決めていたのだが、彼の要求は意外にも、由布の胸を触らせて欲しいという物だった。エッチさせてほしい、というくらいは覚悟をしていた。すべて失った由布にとって、それくらいは覚悟のことだったし、正直、彼はそんなに嫌な男でもなかったから、この先女性を知らないままで一生を送るかも知れないという同情もあったりしたのだが。
 気が抜けた表情は見せず、さも大変なことを言われたという表情を見せて、構わない、と言ったら、彼はいきなりセーターを着たままの由布の胸に両手を当てた。さすがにこれには由布はあきれてしまった。ちょっと待ってよ、と言って、笑いながらセーターを脱いで、ブラウスのボタンもはずしかけて、ふと彼を見ると、ズボンの股間がパンパンに膨れあがっていた。あれだけでこんなになっちゃうの?ついふざけ心で、そこまでやる気は最初なかったのだが、前をはだけて、ブラジャーもズリ上げて胸をむき出しにして、彼の手を持って自分の胸に当てさせてやった。冬の冷たくなった手の感触が伝わって、変な気になった。とたん、彼の股間が波打って、あっ、という叫びが彼の口から漏れた。これだけでいってしまったのだ。帰るように言われて、服を整えて帰ったが、こんな純情な男もいたんだと、ちょっと気の毒にさえ思った。

 レベルの高い大学の授業はついていくのは大変だった。アルバイトで抜けた授業の穴埋めをするために男に抱かれたこともあった。単位のためなら平気で男に抱かれるという、嫌な噂も流されもしたが気にはしなかった。友だちと呼べる人は一人もいなかったのだが、今年になってようやく友だちと呼んでも良い男に巡り会えた。気があって、今は一緒に生活はしているのだが。彼にも癒しがたい過去があり、お互いの傷をなめ合うような生活だが。その彼の後押しがあって、ここに帰ってくることができたとも言える。

 あの、音が消えた祭りの日のことは、何があったのか今ではよく思い出せない。悪夢だったのかも知れない。思い出したくもないから隠しているだけなのだろうけれども。

小説「祭りの音が消えた夏」第5章

2010年09月13日 | 詩・小説
 第5章 中学校

 実家に帰ったというのに、緊張があるのか、ついつい寝坊をしてしまった。もっとも、毎日の日課であるランニングも、ここではあまりしたくはないという気持ちもあったのだが。
 自分としては少し遅めの朝食を取りながら聞くと、元はもうすでにアルバイトに出かけた後だという。休日はできるだけ百合と会う時間を取りたいとのことで、百合が一日用事でいないこの日に多くの時間をアルバイトに使う予定だそうだ。母の口ぶりでは、百合がこの家にやって来るのは大歓迎のようだった。別に成人になるのを待たなくてもよさそうな物だとは思ったが、本人達の気持ちが大事なんだろう。
 暢も日曜日というのに午前中は部活があるそうで、和馬が迎えに来たという。ふだんは途中の道で待ち合わせをしているそうだが、今日やってきたのは、由布の顔を見たかったことが一番にあるようだ。少しの時間でもゆっくり会ってやる必要もあるかもしれない。と言っても今日は百合は家にいないのだから、直接にはそんなに話をしたこともない和馬にわざわざ会いに行くのもちょっと変な気がした。

 そういうこともあって、ちょっと二人の部活の様子も見てみようかという気持ちがあって、母にはそのように言って出かけることにした。母には知られていないことだが、顧問をしている先輩の顔を見てみたいという気もしだしていた。昨日までは会いたいとは思いたくないくらいだったのに。
 中学校への道は少しだけ気が重たかった。戻るなら今のうちだぞ、という誘惑に何度も戦いながら、自分には欠けている勇気を振り絞りながら、ゆっくりと学校へ目指した。もちろん神社のそばには寄りつきもしなかったが。
 少しだけ校舎の様子が違っていた。由布が卒業してから改築もあったようだ。校門を入ってグラウンドを横切って体育館に向かっていく。運動場では他の部活もいくつか活動をしていた。陸上部だろう、ランニングをしている生徒の姿が見えた。

 暑いから体育館の横の扉は開けっ放しになっていた。練習中の声が聞こえる。その中に暢や和馬の声も混じっているのだろう。近寄って見ていると、中央に顧問の先生がいた。まぎれもなく先輩の姿だった。忘れようとしても決して忘れられなかった姿が、今、目の前にいる。由布は深呼吸をしてもう一度練習中の様子を眺めた。
「姉ちゃん!」
 声がして、暢が練習中というのに駆け寄ってきた。ずいぶん勝手な奴だ。
「姉ちゃん、見に来てくれたんだ」
 もう一人走り寄ってきた。和馬だ。
「由布産、こんにちは。中に入りませんか」
 そう言うと、和馬は由布の手を引っ張り出した。暢も負けずに由布の手を引っ張る。勢いにつられて、由布は靴を脱ぎ捨てる形で体育館の中に引き込まれた。その時だった、目の前にバスケットボールが飛んできて、思わずそれを両手で受け止めた。ボールが来た方向を見ると先輩の顔があった。
「由布。ちょっとやっていかないか?」
 驚いたような顔の暢と和馬を見ながら、由布は首をこくんと縦に振ってうなずいた。
「姉ちゃん、バスケットできるの?」
 暢の声を尻目に、すべるので靴下をその場に脱ぎ捨てて、ドリブルをしながらバスケットのリングに向かっていった。暢と和馬はあわてて由布の後についていった。練習中の生徒達は何が起こるのかわからないまま、リングの側から離れていった。
 リングしたまでドリブルで近づいた後、放り投げると、ボールは直接リングに吸い込まれていった。まだ勘は鈍っていない。落ちてきたボールを取ると、今度はフリースローの円からもう一度投げると、再びボールはリングに吸い込まれていった。まばらながら拍手が起きた。ちらっと暢を見ると、何が起きたのかわかっていないような表情だった。今度は少し下がって、スリーポイントラインの外から投げてみた。今度もボールは直接リングに吸い込まれた。今度は皆が拍手した。暢も和馬も精一杯拍手を送っていた。まだ拍手は早いわよ。そんな気分で、今度はセンターラインまで下がった。さすがに生徒達はざわざわし始めた。まさか。由布は何度かドリブルをした後、ボールを構えて狙いをつけてリングめがけてボールを投げた。みんなの声が止まった。暢にとってはこの一瞬はスローモーションのようだったろう。ボールはまるで磁石で引き寄せられるようにリングに吸い込まれていった。
「すごいよ!姉ちゃん!バスケットやってたの?天才じゃない!」
 暢の横にいた生徒が暢に声を掛けている。あれ、お前の姉ちゃんか?何あれ?みんなが口々に騒ぎ出した。
「練習続けてるの?まだまだ大丈夫だな。ちょっと試合形式でやってみようか」
 先輩が声を掛けた。何事もなかったような4年前と変わらない口調だった。
「でも、この格好じゃ……」
 パンツ姿とは言え、運動できるような服装ではない。
「ああ、ユニフォームならあるから、靴も忘れ物をした生徒用の置き靴だけど大丈夫だろう。ちょっと教官室まで行こう」
 そう言うと先輩はさっさと歩いて行った。仕方なく由布はその後をついていき、途中で脱ぎ捨てた靴下を拾って、体育教官室に入っていった。
 机の上に紙袋が置いてあった。
「ユニフォームあるからこれに着替えて。靴はここにあるのから、合う奴を選んで」
そう言うと先輩は教官室を出て行った。由布は成り行き上仕方がないかと、紙袋の中からユニフォームを取りだした。手にとってすぐに気がついた。これは自分のユニフォームだった。高校時代、先輩の家に汚れたユニフォームを持ったままで行くことがよくあって、先輩のお母さんが、こっそりと由布のためにユニフォームをもう一着用意してくれたことがある。洗濯とか大変だから、ここで交換すればいい、と言われて、部活帰りに毎日のように先輩の家に寄って帰って、汚れたユニフォームと洗濯したてのユニフォームを取り替えて持ち帰っていた。先輩の家に自分のユニフォームが置きユニフォームとしてあることを思い出した。だからと言って都合良くここにあるはずがない。もう4年も前の話だ。おそらく先輩は、昨日由布の顔を見て、迷うことなく今日やってくることを期待していたのだ。
 着慣れた自分のユニフォームはやはり着心地がよい。適当に体育館シューズを選ぶと由布は教官室から出てきた。コートに近づくと一斉に歓声が起きた。お前の姉ちゃん綺麗だな、と暢にささやきかける声も聞こえていた。和馬はただただ由布に見とれていた。しかし暢は複雑な表情を変えることはなかった。
「ちょっと練習させてもらえますか。いきなりだときついし」
 そう言うと由布はボールを取ってドリブルシュートを何本かはなった。1球もはずさなかった。
 あの事件が起きてから、高校時代にはもうバスケットボールを触ることも、運動自体もやっていなかった。大学に入ってからもしばらくは運動をしていなかったが、アルバイトで絵のモデルをやり始めてから、特にお金が稼げるヌードモデルをやって、体の線が気になりだし、毎朝のランニングだけはやらなければ、という理由で走り出したのだが、これが自分の健康管理にもよく、体調維持とストレス解消の一石二鳥……いやいや絵のモデルとして線の意地にも役だって、トレーニングは毎朝の日課になっていた。ランニングコースの途中にある公園にバスケットのリングがあり、眺めてはいたのだが、ある日、子供達が遊んでいるボールが足下に転がってきたのを拾ったのがきっかけで、軽くボールを投げてみた。おそらく偶然だったのだが、ボールはリングに見事に入り、子供達から喝采を浴びた。調子に乗ってもう一球投げたのだが、今度は入らず、あせって何球も投げたのだが、20回投げて3回しか入らないという状態。思わずがっくりきて、時間があればこっそり練習を再開することにした。何度かは高校生か大学生らしき者たちもいて、彼らに混じって3対3の試合を行ったりもしていた。昔取った杵柄とは良く言ったもので、中高6年間、真剣に行った練習は自分を裏切らなかった。由布の自信はそんなところから来ていた。

「そうだな、3対3でやってみるか。こちらは俺と由布と、3年の元キャプテンでどうだ。ちょっと強すぎるかな?相手はっと」
 二人の手が上がった。暢と和馬だ。
「1年坊主はちょっと早すぎるな。そうだな、2年の新レギュラー、お前とお前とお前にしよう。まあ人生厳しいという所を見せてやろうか。5回勝負ということで」
 試合は圧勝だった。こちらのパスから始まった試合は元キャプテンから先輩に渡ったボールを、中に走り込んだ由布が先輩を見ずにパスされたボールを受けて決め込んだ。次に相手の攻撃に対して、先輩の揺さぶりからパスをしようとした二年生の動きを読み切ってボールをカットし、元キャプテンに送ったパスからのシュートは板に跳ね返されたが、すぐに取った先輩があっさりと決めた。圧巻はカットで奪ったボールを持って先輩がシュートを決めるそぶりを見せながら、回り込んだ由布を見ることもなくパスされたボールをもらってのシュートで、2年生チームはまったく歯が立たなかった。
「まだまだ腕は衰えていないじゃないか。大学でも続けてたのか?」
 それには首を振って由布は答えた。
「もう、すっかり息が切れちゃって。これ以上はもう無理です」
「そうか。じゃあこれで終わりにするか。家に寄ってくだろ?今日は昼までだから先に行っててくれるかな」
 由布はうなずいて、着替えのために教官室に戻った。4年の時間があっけなく戻ってしまった。この後、先輩の家に寄ることもすでに決まっていることなのかもしれない。
「まあ本気を出せばこんなもんかな。2年生、しっかり頑張るんだな」
 ふと気がつくと、暢が誰かから何か囁かれていた。ちょっと暢の表情が違って見えた。暢には自分がバスケットをやっていたことや、先輩と知り合いだったことなど、まったく内緒の事だったのだから、驚いたのも無理はないかも知れない。

 着替えてユニフォームを紙袋の中に入れ、そのまま体育館を出ていこうとした。運動場横を少し歩いていると、休憩になったのか、暢が小走りで走り寄ってきた。どうしたの?と問いかけると、暢はいきなり由布にしがみついて泣き出した。
「姉ちゃんのことだったんだ、知らなかった……。何があったのか知らないけれど、先生を許してやって。……俺、姉ちゃんと先生が喧嘩してるのって嫌だから……」
 昨日聞いた話を思い出した。自分と先輩のことで、どうしても許されない溝が出来てしまった話に。今の様子を見て、それが自分のことだと気がついたのか、誰かに言われたのか。暢にとって、先輩はとっても大好きな先生なんだ。
「バカねえ、何言ってるの。先輩……ううん、斉藤先生と姉ちゃんはね、昔も今も仲良しなんだから」
「本当?」
「喧嘩しているように見えた?」
「俺、わかるんだ。何もなかったような顔しているけれど、先生、ちょっと様子がぎこちなかった。腫れ物に触るみたいな。俺以外、誰も気づいていないみたいだけど。俺にはわかるんだ」
 それは由布も思っていたことだった。昔と同じように気安くしているようだけど、どこか以前とは違うようなものを感じていた。名前のように暢気でいてくれたらよいものを。暢はけっこうデリケートだった。
「心配しないで。確かに昔、ちょっと仲悪くなったこともあったけど、聞いたでしょ。これからあんたの先生の家に行く約束してるんだから。大丈夫よ」
「先生のこと、許してくれるんだよね。約束だよ」
 由布は答える替わりに暢の頭を思い切りなでてやった。安心したような表情を見せて暢が体育館に戻ろうとすると、すぐ近くまで来ていた和馬が暢の肩を抱いて、暢を支えるように戻っていった。良いコンビなんだなと思った。

 グラウンドを横切って校門に近づいた頃、体操着姿の一人の少女が近づいてきた。
「暢君のお姉さんですね」
 いきなり声を掛けられて振り返ると、背の高い少女だった。
「うん?何」
「どうして暢君を泣かせたんです。暢君が泣く事なんて、これまで一度も見たことがないのに」
「ああ、見てたの?」
「ああ、じゃないです。暢君、お姉さんのことが大好きなのに。ずっとずっとお姉さんが戻ってくるのを待ってたのに。それなのに、いきなり泣かせるなんて。あれ、どう見てもうれし泣きじゃないですよね」
「そうね、うん」
「暢君、学校ではいつも元気な顔してるけれど、わたし知ってるんです。お姉さんと会えなくてすごく寂しそうにしているの。和馬君が百合姉さんの話してる時、少し表情が暗くなるのを知ってます?無理して和馬君にはあなたのことを自慢げに話してますけれど、でも暢君の知っているお姉さんって、小学校4年になるまでの思い出しかないんですよ。やっと合えたというのに。これから一杯思い出を作りたいと思っているのに、何があったのか知りませんけれど、暢君を悲しませるようなこと、絶対にしないで下さい!」
 そう言うと、少女は振り返って元の場所に戻ろうとした。
「ちょっと待って。衣川みどりさん!」
 名前を呼ばれて、驚いて少女は振り返った。体操服に書かれた名前を見たが、苗字しか書いていないのに。
「どうしてわたしの名前を?」
 それには答えずに由布は言った。
「ありがとう。あなたみたいな子が暢のそばにいてくれて。これからも暢のことをよろしくね、みどりさん」
 そう言うと由布は、驚いた顔のみどりを残してさっさと校門を出ていった。

小説「祭りの音が消えた夏」第4章

2010年09月11日 | 詩・小説
 第4章 元と百合

 家族全員がそろった夕食は何年ぶりだったろう。元から無口だった父でさえも、何となく機嫌が良さそうで、畑の話や今年の気候についてよく喋った。母も近所に起きた小さな事件なども話はしてくれたが、誰も気を遣ってか、由布の近況やこれからのことなどはあえて話題にはしなかった。もちろん聞かれても答えられはしなかったのだが。
 食事が済むと、元は百合と祭りに行くから、と言って浴衣に着替えて出かけて行った。由布も一緒に来るかと誘われはしたが、お邪魔虫になるからということを口実にして断った。その替わり、帰りに百合を家に連れてくるように頼んでおいた。
 暢も明日は日曜だけれど朝から部活があるからと言って早めに休んだ。もっとも、元と百合の邪魔をしないという心遣いなのはミエミエだったのだが。
 手持ちぶさたの由布は、久しぶりに田舎のTVに映る番組を眺めて時間を潰した。祭りに出かけても良かったのだが、まだ今日は出かける気にはなれなかった。聞こえてくる祭り囃子の音を家の中でじっと聞くことがリハビリの一歩でもあった。不思議に以前よりかは体は硬くならなかった。少しは慣れてきたのだろうか。

 9時過ぎにようやく元と百合が戻ってきた。
「百合ちゃん、久しぶり。元気にしてた?」
「お久しぶりです。由布ちゃんこそ元気でした?」
「うん、私は元気よ。でも綺麗になったわね。もうすっかり娘さんらしくなって」
「そんなことないです。まだまだ高校生気分が抜けなくって」
「私が知ってるのは中学生の百合ちゃんだから、すっかり見違えたわよ。高校生ですっきり大きくなったんじゃない」
「由布ちゃんはいつまでおられるんですか?」
「うん、月曜の昼前のバスには乗らないといけないかな」
「え、そうですか。ゆっくりお話ししたかったんですけど、明日は私、一日中用事があるんで……」
 ちょっと悲しそうに百合がつぶやくと、元が替わって答えた。
「じゃあ、月曜に由布をバス停まで送っていけば?俺、月曜は朝から大学に行かないといけないから送っていけないし」
「元も忙しいんだ」
「ああ、今日も昼までバイトしてたし、明日も朝から一日中バイト。俺でさえ由布とろくに話する時間、取れそうにもないし」
「そう。じゃあ、今からじっくり話しないとね」
「それじゃあ、私、もう帰りますね。由布ちゃん、明後日またお会いしましょう。早めに来ますからゆっくり話しましょうね」
「そう。じゃあ、明後日ね。元、送って行きなさいよ」
「いいですよ一人で大丈夫です。家まで道も明るいし。それに送られて、送って、ってきりがなくなりそうだから」
「そう、じゃあそこまで一緒に」
「じゃあ、元ちゃんお休み。また後でね」
「ああ、気をつけてな。後でまた」
「何だ、何だ。夜中に長電話する気?」
「いえ、無事に帰ったことだけ知らせるだけで……」
「はいはい、好きにしてください」
 そう言ってから、見送る元を残して百合を連れて出かけた。
「ほんとにもういいですから、ここで」
「うん、わかってる。今日は楽しかった?」
「ええ、とっても」
「いいな、若いって。青春してるんだな、君たち」
 そう言って百合の浴衣の肩口をポンと叩いた。手のひらに何か違和感があった。何かゴミのような物が手にくっついた。
「う?何だろ?」
「どうかしました?」
「いや、百合ちゃんの肩の所にゴミがついてたみたいで……」
 街灯の灯りで何がついたのか見てみた。百合ものぞき込んできた。見れば草のような物だった。
「どうやら草みたいね。でも何でこんな所に……」
 ふと顔を上げると、百合の顔がみるみる内に真っ赤になっていった。
「すみません、もうここでいいです。お休みなさい」
 そう言うと、いきなり百合は小走りで走り去ってしまった。由布はあっけにとられて後ろ姿を眺めていた。

 家に戻って元の部屋に入ると誰もいなかった。汗を流しにお風呂にでも行ったのかもしれない。元の部屋はさすがに大学生の部屋の雰囲気がした。運動部に入ってはいないからそんなに汗臭い部屋ではなかったが、本棚に並んでいる本は、大学の農学部で学んでいることを示すような本ばかりだった。机の上には厚かましくも堂々と百合と二人で撮った写真を飾っていた。どうやら高校卒業の時に撮った物らしかった。卒業証書が入った筒を抱えて嬉しそうな、それでいて悲しそうな表情の二人が並んでいた。幼なじみで小さい時からいつも一緒にいて、小学校・中学校・高校と同じ学校に通ったのだが、大学で初めて離れることになったようなのだから。元は中学の頃から父の後を継いで農業をやりたいと言っていた。だから当然のように農業科のある大学に入ったようだ。元の口ぶりでは百合ちゃんは頭の良い子でないと入れない学校を目指していたのだから、たぶん医学系かの大学にでも入ったのだろう。お互いそれぞれの目標を持って自分たちの道を進んでいる。優柔不断な自分と違って立派だなと由布は思った。
 机の引き出しを勝手に開けてみた。アルバムが入っていた。小さい頃、由布と二人で写っている写真がまず目に入った。そして、百合と三人で写っている写真が何枚も続いた。あの頃母の体調が悪くて、元の世話はほとんど由布がやっていた。大変なのを見かねて百合の母親が手伝ってくれた。これらの写真はすべて百合のお母さんが撮ってくれたものだ。中には3人が素っ裸でお風呂に一緒に入っている写真まである。元と百合が小学校に上がるまでは3人一緒にお風呂によく入れてもらったものだ。あれっ?小学生になってからも3人一緒に入ったような記憶もある。元とは彼が中学になっても時折一緒にお風呂に入ることもあったし、百合と二人で入ることもよくあったから、それらがごっちゃになってしまっているような気もするが。
 写真はいつ頃か、暢と和馬が加わりだした。さすがに由布が大きくなってきたので一緒にお風呂に入っている写真はない。そして由布の知らない写真も加わりだした。高校生の元と百合が写っている。写真はいつの間にか暢と和馬を加えた4人だけの写真が増えてきている。自分で選んだこととは言え、その中に由布がいないことが寂しかった。暢や元の一番成長する時期に、自分が関わらなかったことに対しての後悔の気持ちが生まれてきた。
 暢と和馬の中学校入学の写真がある。写真は5人になっていた。元たち4人に加えて、由布が会ったことのない女の子がその中にいた。衣川みどりという子だろう。ここには自分の居場所が無くなったような気がした。自分がいなくても彼らはしっかり生活し続けている。寂しさが一気にふきだした。最後のページにはどことなく二人だけで寄り添って写っている写真があった。どこかに旅行でも行ったのだろうか。何となく二人の距離感がそれまでと違っているような気がした。

 ふと気がつくと、アルバムが入っていた引き出しのその下に箱が隠されていた。何だろうと思って取り出すと、コンドームの箱だった。あの子、こんな物持ってるんだ。その瞬間、先ほどの真っ赤になった百合の顔を思い出した。肩口についていた草。そういう意味だったんだ。あいつ、やるじゃない。なんだかおかしくなってきた。

 風呂場に行くと、脱ぎ捨てた元の浴衣や下着があった。
「元!入って良いかな?」
「由布?ああ、いいよ」
 ここが暢と違うところだ。何の迷いもなく、由布は服を脱ぎ捨て、風呂場に入っていった。浴槽に浸かっていた元は別に驚きもせずに裸の由布を迎えた。お湯を体にかけ、広々とした浴槽に元と向かい合って入った。
「久しぶりだね、由布とお風呂に入るって」
「そうね、あんたが中学のいつだったかな?3年の時に入ったかな?」
「3年の時は入ってない。それは覚えている」
「ふーん、覚えてるんだ。姉ちゃんと入って恥ずかしくなったとか」
「それはない。一緒に入るのが当たり前みたいなところあったし。別に由布の裸見ても何とも思わないし」
「何か残念みたいな気分ね。じゃあ、百合ちゃんだったら?」
「……」
「あっ、返事しないんだ。意識するようになったのかな?」
「そういうことじゃないよ。そりゃ、いくら小さい頃一緒によくお風呂に入った仲だって言っても、やっぱり他人だし。それに……」
「それに。何?何かじっくりそこんところ聞きたいな」
「いくら姉弟でも秘密って物はあるから」
「まあ、それは後で聞こうかな。話変わるけれど、元は知ってたんでしょ、暢の担任の先生のこと」
「ああ、由布の先輩のこと?」
「どうして黙ってたの?」
「別に黙ってたわけじゃないよ。それに暢の写真見ればすぐにわかることだったし」
「私と先輩と付き合ってたこと、元には話してたわね。だのに……」
「俺、知ってたんだ。由布が先輩と別れたこと」
 由布は思わず元の顔を見た。誰にも何も言っていないのに。元は遠くを見るような顔で話を続けた。
「あの夏の日。日にちは忘れたけど、俺が帰ってきた時に由布が風呂に入ってること知ったから、久しぶりに一緒に入ろうかって思ってそこまで来たら、中から由布が泣いている声がしてきて、それで入れなくなっちゃったんだ。先輩と喧嘩でもしたのかな、って思って黙ってた。でもその日から由布の口から先輩の話がまったく出てこなくなった」
 由布が暢と一緒にお風呂に入る時は、ほとんど昔話とか童謡とかを聞かせるくらいだったが、元とは年も近いこともあって、彼が中学になって時たま一緒にお風呂に入る時には、先輩の話をよく聞いてもらった。両親には言えない心に留めているだけの気持ちをどこかに吐き出したい気持ちもあり、その聞き手として元を選んだ。元には自分の本音を素直に言えるような、そんな信頼関係があった。
「それで、時間が経てば仲直りするだろうと思っていたんだけど、あれ以来急に由布はガリ勉になって、遠くの大学を受験するって言い出して。その時思ったんだ。先輩に思いっきり振られて、顔も見たくないようになって、先輩のいない場所に逃げ出したくなったんだってね。俺も覚悟を決めたんだ。今まで由布にばっかり甘えてきたけれど、これからは由布の負担になってはいけないって。それは俺の自立もあるけれど、暢のことも俺に任せておけ、っていう気持ちも。由布がどれだけつらい思いをしたのか知らないけれど、心の傷癒えるまで俺に任せておけ、ってそんな気持ちになった」
「そうだったの。ありがとう。お母さんに反対された時に元がきっぱり賛成してくれたの、嬉しかった。迷惑掛けるの、十分判ってたんだけど」
「いいって。おかげで俺もずいぶん強くなれたんだから。今まで気のゆるみがけっこうあったんだよな。誰にも頼らないって決めてから、おかげで高校じゃ無遅刻無欠席だったんだから。それで、話、元に戻すけど、暢が担任の先生の話を興奮してよく話すんだけど、由布はいつも『先輩』としか言わなかったから、名前よく覚えていないんだけど、暢の話と先輩のイメージがダブってきたんだ。で、その先生が、昔好きだった人を傷つけてしまったって話を聞いた時、ああ、やっぱりそうなんだ、って思った。春に授業参観が会った時に、後で先生に会って、暢の兄とは言わないで、由布の弟です、って名乗ったら、由布はどうしてる?って聞かれた。連絡ないですって正直に言ったら、もし連絡ついたら、ものすごく後悔しているって伝えてくれって言われた。由布を捨てるなんてどんなひどい奴かって思ってたんだけど、4年前は知らないけれど、俺が見る限り、今はとっても良い先生やってるって感じだった。何しろ暢がべたぼれだし。まあ、一度直接会って話してみろよ、お節介かも知れないけれど」
「そうね、考えてみる。これも何かの運命かもしれないし……」
 本当は考えたくもなかった。でも考えてもみたい。複雑な心境だった。

「ところで、突然話変わるけど、百合ちゃんとはどんな関係なの?」
「えっ?どんなも何もないけど。由布の知っての通り」
「ただの幼なじみだけじゃないでしょ。わかってるんだから。いつからなの?」
「ええ?困ったな、いつからって言われても」
「この際正直に全部言っちゃいなさいよ。私のことだって、他の誰も知らないこと、元にだけは話してるんだから」
「わかったよ、全部話すから。そうだな、最初は小学校の卒業式の日かな」
「何それ?えらい早いじゃない」
「いや、別にどうってことはないんだけど。小学校卒業って言ったら、一応これからは電車やバスなんかも大人料金になるわけだし、もう子どもは卒業ってことで、お祝いにって、キスしたんだ」
「えっ!知らなかった。いつの間に。それってやっぱり口と口で?」
「他にどこにするんだよ」
「いや、ほっぺたとか、おでことか、手の甲とか……」
 そう言うと、元は一瞬呆然とした顔をした。
「ああそうか、そんなところもあったのか。まったく考えもしなかった」
「小学生だったらふつうはそうでしょ。いきなり口と口なんて。映画とか見たことない?」
「そんな、子どもがキスする映画なんて見たことないし。普通は口でしょ」
「まあいいや。それで?」
「うん。キスと言っても一瞬なんだけどね。なんかどぎまぎしちゃって。おまけに、ひょっとして子どもができたらどうしようなんて急に考え出して」
「何言ってるの。キスしたぐらいで子どもできるわけないでしょ」
「今だからそんなこと言えるけれど、まだ12歳だぜ。男と女が体を触れ合ったら子どもができる、って聞いてたし。世間で愛し合ってる男女がやってることって、まずキスじゃない。だから、3ヶ月間心配だった。3ヶ月たって、子どもが生まれる気配もなかったから安心したけど」
「何で3ヶ月なのよ」
「だって、由布が生まれたの、うちの親が結婚して3ヶ月後だろ」
「バカ。3ヶ月で生まれるわけないじゃない。私は別なの」
 とは言ってはみたが、実は笑えなかった。自分も同じ事を中学3年まで思っていたのだったから。子どもが生まれる仕組みを友人から具体的に聞いて知ったのは3年になってからだった。しっかり友人には笑われたものだった。
「百合にもしっかり笑われてしまったよ。中学卒業の時は安心してゆっくりキスし合えたから」
「何々、卒業毎にキスし合ってたの?その間は?」
「だって、キスって本当に愛し合ってる恋人達がやるもんじゃない。俺たち、恋人なのかどうなのか、よくわからなかったから。まあ卒業の時はお祝いだから、特別にってことで」
「で、次は高校卒業の時?」
「まあね、それはその……」
「ふーん、実はいろいろあるんだ。いいから全部白状しな」
「いや、それでいいだろう。勘弁してよ」
「さっきね、元の机の引き出しの中から、いいもの見つけたんだよ。コンドームの箱。けっこう使った形跡があるんだけど。そこんところ、聞かせてもらおうかな。他に誰も聞いてないことだし」
「あれ、見つかっちゃったんだ。しょうがないな」
「そおいうことで、その先をよろしく」
 元はすっかり覚悟を決めた。由布には何も隠し事はできないし、聞かれたことには答えてしまう性格だった」
「こんなこと話したら百合っぺに怒られるけど。まあいいか。ゆっくり怒られることにしよう」
「私が無理矢理喋らせたということにしていいからね」
「大学入試に合格した時に、百合っぺがお祝いしたいって言ってね。まあキスだけでもよかったんだけど、何でも良いからあげる、って言ったんで、俺、つい、百合がほしい、って言ったんだ」
「うわぁ、大胆!」
「やっぱりそう取るのかな。俺としたら別に深い意味も何もなかったんだけど」
「深いも浅いも、同じ事でしょ、普通」
「いや、変な意味じゃなく、百合がいてくれたらそれだけで十分だ、ってくらいの意味で言ったんだけど。でもあいつ、ちょっと考えてから、いいわ、って言って……。俺こそ、えっ?って気持ちだったけど、あいつ、しっかり春休みに二人だけの温泉旅行を準備していて、言われるままに連れて行かれた。で、二人で温泉に浸かって、念を押された。大学卒業するまでまだ子どもはできてほしくないから、だから避妊だけはしっかりしてほしいって。それだけ守ってくれるんだったらいつでもいいからって。そんなことで、一箱しっかり渡されて、その日が初めての日。それからも必ず避妊はしてる。うちの母ちゃんみたいに、大学辞めるようなことになってほしくないから」
「今日も?」
「あっ、ばれてるんだ。どうして?」
「そんな気がしただけ。後で百合ちゃんに聞けばわかる。で、あんたたち、これからどうするつもり?」
「うん、来年になれば俺たち二十歳になるだろ。そうしたら正式に婚約しようと思ってる。で、卒業と同時に結婚しようと決めてる」
「うちのお母さんとかは知ってるの?」
「世間話で、母ちゃん、百合っぺに早くうちの家に来て欲しいみたいなこと、しょっちゅう言ってる。あいつも、はい卒業したら、みたいな返事してるし」
「百合ちゃんちはどうなのかな。うちと違って家柄も良い家だし。釣り合わないとか言い出されないかな」
「うん、この前、こんなことがあったんだ」

…………



 暢と和馬の中間考査のある前の日曜日だった。二人ともみどりの家で試験勉強しに行ってたので、元は百合の家のリビングで、お互いの大学の話なんかをのんびりと語り合っていた。百合の母親がケーキと紅茶を用意して、一緒に座り込んで、ごく自然な感じで、世間話でもするような調子で二人に話しかけてきた。
「ねえ、あんたたち、これから先どうするつもりなの?」
 柔らかい口調ではありながら、冗談は受け付けないような、そんな真剣な口調で、一瞬元はどう答えて良いのか返答に迷った。その時、静かに百合が先に語り出した。
「わたし、大きくなったら元ちゃんのお嫁さんになりたいって言ってたわね。覚えてない?お母さん」
「覚えてるわよ、幼稚園のときかしら」
「小学校の時の作文にも書いたことあったわ。大きくなったら何になりたいか、ていう作文で、大きくなったら元ちゃんのお嫁さんになって、子どもは3人ほしい、なんて書いた覚えがあるわ」
 その作文のことは元も覚えている。おかげでけっこうからかわれた物だった。
「どうして3人なんて行ったのかしら?」
「だって、兄弟の一人が、旅行やら仕事の都合とかでいなくなっても、まだ二人残っていたら寂しくなく待ってられるでしょ」
 その答えに元はちょっと驚いた。それは今の元の姉弟のことを意味しているのではないだろうか。もっとも、その作文が書かれたのは暢が生まれた頃でもあり、ただ単に3人姉弟がうらやましかっただけなのかもしれない。今、百合が言った理由は、後からつけた理由じゃないだろうか。そんな気がしてきた。
「誰でも小さい時は、一番近くにいる人と一緒になりたいなんて、よく言う物よね」
「でも、わたし、あれから気持ち、まったく変わってない。今も同じ気持ち」
 百合の母は今度は元の方を向いて言った.
「元君、あんたは?」
 きっぱり答えた百合の返答に元自身もちょっと驚いて、なおさらどう答えて良いかわからなかった。それでも少し考えてからこんなことを言った。
「中学2年の時、進路学習でこんな話があったんです。自分の進路を考える方法の一つとして、10年後、20年後の自分の姿を想像してみよう、というのがあったんです。その時自分はどこで何をしているだろうか、そんなことを想像してみたら、漠然と、自分は何を目指しているのかがわかるって。で、俺もちょっと想像してみたんです。俺、やっぱり親の後を継いで畑仕事しているだろうなって。で、10年後の自分を思い描いたみたら、畑仕事をしているすぐ横で、百合ちゃんがやさしく見守っていてくれる姿が浮かんだんです。20年後も想像してみたら、庭で小さな子供達が走り回ってる様子を、縁側でお茶を飲んで眺めている自分の姿が浮かびました。そこでも、俺のすぐ横で、百合ちゃんがちょこんと座って、お茶を飲んでいるんです。そんなことを思い浮かべていたら、『幸せ』ってこんなことを言うのかな、なんて思ったんです。うまくは言えないんですけど」
 元の言葉を聞いて、百合の母は静かに言った。
「二人の気持ちはよくわかったわ。元君、これからも百合をよろしくね」
「こちらこそ。俺の方こそ百合ちゃんに迷惑かけっぱしですけど」
 なんだかその場で親に対して結婚の申込みをしてしまったような、そんな変な気分になって。元も百合もちょっと苦笑いをしてしまった。

…………



「とまあ、そんなことがあったんだけど、あいつのお母さんは、家柄とかそんな話はまったくしなかった。いつ、一緒になってもかまわないようなそんな感じで、それだけはまだご勘弁を、って。その時が来たら正式に話に来ますからって一応言っておいたんだけどね。俺たちはそれまで結婚とかそんな話はまったくしてなかったから、ちょっと意識し出しちゃったりして」
「でも、別に気まずくもなっていないんでしょ。だったらいいじゃない」
「うん。でもきちんとしないといけないな、って思ってはいる。だいたい、百合っぺが薬学部に入ったのも、俺の健康のことを考えてのことなんだし、あいつの気持ちにしっかり答えないといけないから。だから一応、俺の気持ちの中では決めてるんだ。二人どちらも20歳になったら、百合っぺにきちんとプロポーズしようって」
「どうでもいいんだけど、ねえ、元。その『百合っぺ』って言い方、そろそろ止めない?照れで言ってるのは分かるんだけど。もうそう言う呼び方するような年でも関係でもないでしょ」
「うん、由布の前だとなんとなく照れるんだよな。これから気をつける」

 明日は早いと元は言っていたし、百合も朝から出かけると言っていたわりに、この日の夜はけっこう遅くまで二人は電話していたようだった。


小説「祭りの音が消えた夏」第3章

2010年09月08日 | 詩・小説
 第3章 担任教師

 話し声で目が覚めた。暢が帰ってきているようだ。夢を見ていたような気がする。
 正義のヒーローが悪の怪獣と戦っていた。こんな夢を前にも見た覚えがある。夢の中の由布は当然のように怪獣を応援していた。正義のヒーローが怪獣相手に特殊光線を放とうとしていた。以前の由布なら何も出来ないまま、怪獣が倒されるのをじっと見ているだけだった。でも今日の由布は大声を上げて正義のヒーローに立ち向かってそれを阻止しようとしていた。正義のヒーローはこちらに向き直った。服装は普通の正義のヒーローそのものなのに、その顔は夜店で売っているお面をつけていた。凶悪なまなざしが由布をにらみつけた。そのお面の中の顔を由布は知っていた。由布がほほえみかけたけれど、邪悪なまなざしを変えることなく、いきなり特殊光線を由布にめがけて放った。
 そこで目をさました。昔は震えるだけだったのに強くなったものだ、と我ながらあきれた。少しだけ進歩できたのか。夢に進歩も何もないものだが。少なくとも、あの正義のヒーローに立ち向かうだけの気力がついてきていた。
 最近はこんな夢を見ることもなかったのに。やはり故郷に帰ってきている、そして先ほどの衝撃が、再びこんな夢を見させたのだろう。

 気がつくと、いつの間にかタオルケットがかけられていた。誰が掛けてくれたのだろう?起き上がって居間に行くと暢の姿はなかった。台所にいる母に声を掛けた。
「暢、帰ってきたの?」
「ああ、さっき帰ってきて、今汗を流すからってお風呂に行ったよ」
「母さん、タオルケットかけてくれたの?」
「私は知らないわよ。そういえば、さっき暢が帰ってきた時、あんたと話がしたいと言って部屋に行ったけど、寝てたって言って戻ってきたけど、その時でもかけたんじゃないかい」
 母とは昔からそんなに話をすることもなかった。母が大学生の時に10歳年上だった父と知り合い、自分を身ごもったために大学を断念して父と結婚したいきさつがあった。自分が生まれていなかったら好きな道を進めたかもしれないという思いが強く残っているといった話を聞いたりもして、あまりよい気持ちはしなかった。おまけに、跡取り息子を望むような環境で、てっきり男の子だと思っていたのに、生まれたのが女の子だったのでがっかりしたような話も聞かされた。本来なら自分の名前も「勇」と付けられるはずだったのだが、読み方を変えないで「由布」としたのにはそんな理由もあった。送りがなでは「ゆふ」と振られるが、誰も「ふ」を意識しないで発音する。自分が家を早く出たいと思った理由の一つが、そういうことも関係しているように思えた。
 もっとも、男の子を望むばかりに無理をして、弟の元が生まれて構いっきりで、元から強くはなかった体を弱めることになって、幼かった自分が元の面倒をみることになってしまうのだが。まあ弟の世話をするのは好きだったからそれはそれでよかったのだが。元が比較的病気しがちで医者の世話になることが多かったのも、母の体質を強く受けているように思われた。
 年が離れて下の弟の暢が生まれるのだが、こちらは父の血を引いているのだろう、元気いっぱいの子に育ってますます母の手では足りなくなって、自分がほとんど母親替わりに関わることとなるのだが、本来子ども好きな自分としてはそれはそれで嬉しかった。二人の弟のお風呂の世話など当たり前のようにやってきた。家を離れる時、両親と離れることに何の躊躇もなかったが、弟たちと離れることにはけっこう悩んだ物だった。
 3人姉弟の名前はすべて父がつけた。後ろに「気」をつけると意味を持つ名前になっている。もちろん由布の場合も「勇」と言う名前を想定してのものなのだが、残念ながら3人とも名前負けしている。元の場合も家族で一番元気のない子どもとして育ってしまった。暢の場合も、暢気とは言い難く、元気ではあるが繊細な壊れやすい子どものイメージがある。とってもクラスのリーダーなどやれる人材ではないのだが、サポートしてくれる環境が彼を支えてくれているんだろうと思われた。
 自分の場合も、決して勇気など持ち合わせていない。立ち向かわねばならない場面に何度も遭遇し、どうしようもなく向かっては来ていたが、決してあのヒーローに大胆に立ち向かっていくような性格は持ち合わせてはいない。誰かの後押しがなければやってはこれなかった。それは逆に、自分の道をリードしてくれる人を見つけ出していくというこれまでの生き方につながっているのかもしれない。間違った道に連れ込まれることもしばしばだったが、今一緒に暮らしている修二郎に出会えたのが一番の幸いで、彼の導きがなければ、今ここに自分はいないだろうと感じていた。

 由布は暢が入っているだろう風呂場に入り込んで、外から声を掛けた。
「暢!帰ってきたの?」
「あっ、由布姉ちゃん、起きたの?さっき帰ってきたとこ」
「タオルケットかけてくれたの、暢?」
「ああ。由布姉ちゃんと話しようと思ったんだけど、幸せそうに寝てたじゃない。いい夢でも見てるのかな、なんて思って、風邪引かないように、起こさないよう気をつけてかけたんだけど、起こしちゃったかな?」
 良い夢とは正反対なんだけどな、とは思ったが、どんな表情をしていたのか、自分ではまったくわからない。
「ありがとう。暢っていつもやさしいね。中、入っていい?背中流してあげる」
「やめろよ!冗談じゃないよ」
 そう言うと、いきなり湯船に飛び込む音がした。
「何でよ?家にいた頃はいつも一緒にお風呂に入ってたじゃない」
「それは小学生の時。俺、もう中学生なんだから」
「いいじゃない。元とは中学まで一緒に入ってたわよ。別に嫌がられてもいなかったし」
「元兄ちゃんとは別。元兄は体弱かったって聞いてるから。病気になったり骨折もしたりとかで、一人では入れないこともあったからだろ」
「つまんないな。せっかく暢の体、どれくらい成長したのか、この目でしっかり確かめたかったのにな」
「別に風呂場で確かめなくってもいいじゃない」
「お風呂でないと確かめられないこともあるじゃない」
「なおさらだめ!何言い出すかと思ったらとんでもない姉ちゃんだったんだ。こんなこと和馬に知られたら、あいつに何て言われるか」
「和馬君とは仲いいんでしょ?」
「あいつはライバル。あいつには弱みを握られたくないんだ。ただでさえ由布姉ちゃんのこと、奪おうと狙ってるんだから」
「あら、何か面白うそうな話ね。じっくり聞かせてよ」
「ああ、話して上げるから、とりあえず出て行ってもらえないかな。俺、湯船から出られなくてのぼせそうなんだよ」
「別に気にしなくてもいいわよ、私のことなんか」
「だめ!由布姉ちゃんがそこにいると思うだけで体洗えないんだから」
 由布はなんだかおかしくなってきた。でもからかうのはそれくらいにしてあげよう。「わかったわ。あんたの部屋で待ってるから早く出てきなさいね」

 ようやく由布は風呂場を離れて再び暢の部屋に入った。写真立てがいきなり目に入った。今度は覚悟して写真をじっくり眺めた。さっきよりショックは少なくなった。暢や和馬、みどりという女の子には目は行かず、中央に写っている人物をじっくり見続けた。不思議な感情がわき上がってくるのを感じていた。不思議なことにそれは嫌な感情ではなかった。それ以前に、昔思っていた感情が、封印の底からわき上がってくるような気持ちだった。
 修二郎と一緒に暮らし始めて、ときたまそんな感情を思い出すことがあることは感じていた。でもそれは単なる思い出話の一つとして、昔はよかったな、と言うのと同じような気持ちだと思っていたが、今の感情はそれとは少し異なっているような気がしていた。
 夢を見ていて、まるで良い夢を見ているようだった、と暢は言っていた。正直はっきりとは覚えてはいない。昔に見た時とは違っていたような気はしたが、楽しい夢なんかではあるはずもないのに。そう思い込んでいるから、目をさました直後でも、そのようにしか記憶していないのかもしれない。

 暢がバスタオルで頭を拭きながら部屋に戻ってきた。半パンツとランニングシャツ姿だったが、小学生の頃しか覚えていないから、体格はまだ小さくても、記憶の中にある暢とは違ってたくましく感じた。
「運動やってるんだ」
「ああ、何部かわかる?」
「うーーん、そうね、まさかバスケットとかじゃないわよね」
「ピンポーン。当たり。そのまさか。……あれっ?ひょっとして元兄ちゃんから聞いてた?」
「運動部に入ってるって言うのは聞いたけど、何部かまではきいてないわ。本当よ」
 本当は顧問の先生を見ればすぐにわかることだったのだが、あえてそのことには触れなかった。どうせ半紙の流れで出てくることだと思っていた。
「何でまたバスケットなんか入る気になったの?背も低いのに」
「また、人の気にしてることを平気で言うんだから」
「ごめん、ごめん。でも暢や和馬君にバスケットなんて似合わないなと思ったし」
「うちの担任の先生が、今年大学卒業して教師になったばかりなんだけれど、ずっとバスケットをやってたって言うんで、誘われて入ることにしたんだ。先生が言うには、俺にはバスケットの才能があるはずだ、なんてね。何の根拠もないことをよく言うよとは思ったけど」
 由布も中学・高校とバスケット一筋だったのだが、そのことを元は知ってはいても、幼かった暢は知らないことだった。体の弱い元は、園芸部に所属していたこともあり、暢には我が家は運動系には縁のない家族だと思われているようだった。
「先生に誘われたから、それだけ?」
「ああ、それだけ。本当だよ」
「ふーーん、人の言うことなんかろくに聞かない暢が、先生の一言で決めるなんてよっぽどね」
「先生の……斉藤先生って言うんだけど、この先生の言うことなら間違いないって」
「すごい信用ね。どんな先生?今年大学でたばかりって?」
 ちょっとだけ話がずれている。由布の知っているあの人なら、由布より2年上の筈だから去年に卒業していないとおかしい。別人なのだろうか?
「うん、本当は去年卒業しているはずだったのに、教師になるために進路変更して1年卒業を遅らせたんだって。何でも、大学時代に好きだった人にとんでもなく悪いことをしてしまって、その人に償いきれない傷を負わせてしまって、もう会うこともできなくなったって」
 一瞬ドキッとした。心臓が急に早く動き出したけれど、そのことはおくびにも出さないように平静をつとめた。
「もう会えないって、死んでしまったとか?」
「そうじゃないみたいだったけど、詳しい話はしてくれなかった。聞かれたことには何でも答えるけれど、自分以外の人に迷惑を掛けるような話とか、中学生にはまだ話せない話はできないけれど、それ以外なら何でも答えるって。だから、先生がそれ以上言えないような話なら聞いてはいけないことなんだなと思う」
 間違いなかった。彼のことだった。顔の動揺をさとられないように由布は自然な風を装って視線をはずした。
「それで、一生掛けてその人に謝りたい、償いたいとずっと思い続けて、自分自身の生き方も変えないといけないと思って、教師になることを決めたんだって。未来ある少年達に自分みたいな過ちを犯してもらいたくないために、そして、たとえ失敗しても絶対にやり直しは出来るはずだと言うことを信じるためにだって」
 複雑な思いだった。自分にとってトラウマになってしまった出来事は、彼にとってもやはり傷として残っていることだったのか。会わなくなって4年が過ぎて、その間一度も会うこともなく、どうしているのかの話も聞くことはなかった。むしろ、故郷に戻れば自分の耳に近況が聞こえてくるかも知れないという不安もあって、故郷に戻る気にもなれなかったのだが。
「そうだ。斉藤先生、うちの学校の卒業生だって言ってたから、由布姉ちゃん会ったことないかな?2学年上ってことになるから姉ちゃんとは1年間だけは同じ中学校にいたってことになるけど。……でも無理か。俺も、部活の先輩以外の3年生ってまったく知らないし」
 よく知ってますよ。何しろ彼に憧れてバスケット部に入って、追いかけ続けたんだから。でもそのことは誰にも言っていない秘密なのだが。正確に言えば二人だけ気づいている人はいたけれど、その二人の口からもれることはないと信じていた。
「そうか、その先生がバスケットやってたわけね。暢はその先生、好き?」
「ああ、大好き。生徒のことよく判ってくれるし、曲がったことは嫌いで誰かがちょっとでも暗い顔をしていたら、すぐに声を掛けてくれて、真剣に話を聞いてくれるし」
「ふーーん、いい先生なんだ。良かったね。いい先生に出会えて。いいライバルに、いい彼女もできて」
「ちょっと待ってよ。ライバルはいいけど、いい彼女ってなんだよ」
「元から聞いたわよ。そこの写真に写ってる背の高い女の子のこと」
「ちぇ、よけいなことを。元兄ちゃんてば。それは勘違いだから。別に俺は何とも思ってないから。ただ和馬があいつに夢中なんで、一人じゃ近づけななんて言うんで俺も和馬に付き合ってあげてるだけんんだから」
 と言いながらも暢は顔が真っ赤になっていった。わかりやすい奴だ。
「はいはい、ここではそういうことにしておいてあげる。まあ和馬君に聞いたら、たぶんそっくり同じ答を名前だけ入れ替えて言ってくれると思うけれどね」
「勘弁してくれよ」

「まあ、その話はこれくらいにしようか。じゃあ、話を変えて、姉ちゃんがいない間に、何か変わったこととかなかった。3年半もいないと浦島太郎になったみたいでね」
「別に変わったことってそんなにないよ。……あっ、そうそう、一つだけあるかな」
「うん、何でもいいから」
「ほら、神社の裏に『おばけやしき』会っただろう?」
「『おばけやしき』?」
「ああ、子どもは夜中に近づいちゃいけませんって学校でよく言われている場所。空き家になっていて、祭りの夜なんかは誰も住んでいないのに、よく人の声がしてくるって、気味悪がられているところ」
 ふたたび由布の鼓動は早くなった。よりによって暢からあの空き家の話が出るとは思わなかった。
「その家がどうしたの?」
「2年前の冬に火事が起きてね。誰か不良学生が中に入り込んで煙草を吸っていたみたいで、それが原因らしくて。まあ半分焼けただけなんだけど。PTAとかで問題になって、前々から不良が集まったり、良くない騒ぎがいろいろあるからってこの際だからってことですっきり壊すことになってね。今はさらっぴん。何もない野原になってる」
 確かに知らなかった話だ。あの家がもう無くなっている。それは別の意味で衝撃的でもあった。
「でもさ、今でも時々そのあたりで夜中に人の声がするって。だからいまだに子供達は誰も近寄らない。大人でも肝試しのコースにもならないみたい。変な祟りの話もあるみたいで」
「近寄らない方がいいわよ。特に子どもはね。お姉ちゃんも人の声聞いたことある」
「えっ、ほんとに?」
「うん。あそこは怖いところだからね」
 本当は声の正体を知っている。でも絶対に近づいてはいけない場所であることには間違いはなかった。

 その後もいろいろ世間話を聞かせてもらった。3年半の時間が一気に縮まっていくような気がしていた。

小説「祭りの音が消えた夏」第2章

2010年09月04日 | 詩・小説
 第2章 暢と和馬

 出迎えてくれたのは元だった。3年半見ぬ間にすっかり大きくなって、もはや大人の雰囲気を持っていた。聞けば大学生になったという。当たり前だ。自分が家を離れた時が高校生になった時だったのだから。
「元、体は大丈夫?病気したりとしてない?」
「いきなりそれかよ。大丈夫だって。高校時代は無遅刻無欠席だったんだから。いつまでも由布に心配かけてばっかりじゃないから」
 元は昔から自分のことを由布と呼び捨てにしている。その言い回しが3年半の時間を一気に戻して心地よかった。逃げるように故郷を飛び出した自分だけれど、家は何も変わらずに自分を受け入れてくれているようだった。
「さっき中学校に寄ったら、暢にあったんだけど。あの子、もう中学生になってるんだね。そうそう、百合ちゃんちの和馬君にも声かけられたよ」
「ああ、由布が今日帰ってくること、百合っぺにも言ってあるから聞いたんだよな。あの二卵性双生児に早速会ったんだ」
「何、それ?二卵性双生児って」
「暢と和馬の二人だけど、あいつら、まるで二卵性双生児みたいだってみんなが言ってる。仲が良いのか悪いのか。ちょうど由布が出て行った年だったかな、小学4年の時に同じクラスになったんだけど、何かと言えば対抗意識ありありで、家庭訪問で先生が来られた時も、困ったようなうれしいような、複雑な顔をしてられたんだよな」
「何か迷惑かけてるんじゃない?あの子。」
「言ってみればその反対かな。何でもかんでも二人で進んで先々にやってしまうってさ。クラス対抗戦で何をしようかとか、遠足のレクはどうしようとか、発表会の出し物から配役の割り振りとか、二人が喧嘩しながらやっていくものだから、先生の出番がなくなって困ってたとか、家庭訪問の時に担任の先生が言ってるのを聞いたな。良く言えばクラスを盛り上げてるんだけど、悪く言えば引っかき回してるというか。まあそれでもお互い相手より良い所を見せよう何て気が強いものだから、クラスに問題が起きた時なんかもどちらが先に解決するかの競争というか、あれは一種のゲームなのかもしれないけれど、たまには押さえて欲しいと思うようなこともあるって言われてたな」
「ごめんね、大変な時に元に任せっきりにしちゃって」
「まあいいさ、こちらはこちらで、百合っぺとしょっちゅう相談したりして何とかやっていけたし、まあ楽しかったこともあったかな」
「そのパワー、勉強にも生かせたら良いのにね。相変わらず野山を駆けっぱなしだったんじゃない?」
「うん、二人とも勉強については適当にやってればいい、みたいなところがあったからな、あのことがあるまでは」
「何か事件でもあったの?」
「いやぁ、事件ってほどの出来事じゃないけれどね、二人にとっては世界観が変わるくらいの出来事だったかもしれないな、今にして思えば」
「何よ、もったいつけないで話してよ」

「6年の二学期になった時にね、隣のクラスに転校生が来たんだ、都会から。背の高い可愛い女の子で、衣川みどりって言う子なんだけどね。その子が勉強が出来る上に足も速くて運動も出来るってことで、一躍学校中の人気者になったんだ。それまでは二人のクラスが何でも一番だったのに、運動会でもあやういことになったりして、卒業前の土壇場になってトップの座を奪われそうになったからもう大変、それはもうあせりまくり。実際50m競争の勝負をいどんだそうだけど、ギリギリの差で負けたとか。スポーツではまだまだこれから頑張れば何とかなるだろうって気もするんだけど、勉強の方はそうもいかない。ということで、6年の後半になってやっと勉強意欲に燃えだしたんだ。最初は二人だけで勉強会みたいなのを始めたけれど、それでも追っつかない。で、えらい迷惑なことに百合っぺに勉強を教えてもらおうってことで、あちらの家に入り浸りになったんだ。まあ実際、俺よりも百合っぺの方が勉強できるから賢明な判断だけどね。でも俺も百合っぺも大学入試の受験勉強真っ最中だろ。人に教えている場合じゃないよな」
「でも、人に教えるのも勉強になっていいんじゃない?」
「ことによりけりだよ。小学生の問題だぜ。大学受験する者がこんなときに小学生の問題やってる場合じゃないだろ。百合っぺは全然気にしないでいたけれど、あいつは俺と違って頭の良い人でないと入れない大学目指していたから。だから俺が言ってやったんだ。いい加減にしろよって」
「元でも怒ることあるんだ、ふーん。そうか百合ちゃんの為なら何でも言えるんだ」
「茶化すなよ、その時は本気だったんだから。で、傑作なんだけど、俺に怒られて二人はどうしたと思う?」
「落ち込んで、勉強なんか辞めるって言い出したとか?そんなところかな?」
「いやいや、そんなことでへこたれる奴らじゃないよ、知らないだろ、あいつらが二人そろった時のパワーがどれくらいすごいか」
「知るわけないでしょ、成長期見てないんだから」
「何と、あいつら、敵に直接攻撃をかけたんだ」
「えっ?その、みどりって子に嫌がらせを始めたとか?」
「その反対。あの二人、そのみどりちゃんに、勉強教えてくれ、って頼み込んだんだ。恥も外聞もなく。よくやるよ、俺だったら絶対にできないな、そんな真似」
「へえー、すごいじゃない。でもびっくりしたでしょうね、その子」
「まあ驚いたそうだよ。100mも飛び上がって腰を抜かしたって」
「いくら何でも100mってことはないでしょ」
「いやいや、町の噂ではそういうことになってる。俺が聞いた話では」
「何それ?町のみんなが知ってる話なの?」
「ああ、こんな奴ら見たことも聞いたこともない、って。まあ話半分だろうけれどね。で、連中を上回るのがみどりちゃんで、彼らの頼みを二つ返事で受け入れたって言うから人間ができてるね。それまで、ともするとよそ者みたいな感覚で見られていたのが、すっかり地元の英雄になっちゃって、それから時間があると図書館に通って、3人でしっかり勉強している姿が見られるようになって、すっかり昔からの友人みたいに親しくなって、それからは何をするにも3人で一緒みたいになってる。中学に上がったら3人とも同じクラスになって、みどりちゃんは陸上部に入ったけれど、同じ部活やるのも芸がないからと言うこともあったり、まあもう一つ別の理由もあって、二人は別の部活入って頑張っている。まあ平均以下に背が低いから、レギュラー取れるかどうかわからないけれどね」
「3人組がそのまま続いてるっていうことね」
「うん、ある意味そうなんだけど、クラスが違っていたら良かったんだけどね。なまじ同じクラスになっちゃって、四六時中顔をあわせているものだから、何だか意識し合うようになって、暢も和馬もみどりちゃんを女性として意識しだしたみたいなんだ。あの二人、二卵性双生児というより、ほとんど一卵性だな、やることも好みもよく似ていたけれど、好きな相手も一緒になったみたいで、恋のライバル真っ最中ていうところ。もちろん相手を蹴落としたり出し抜こうなんてまったく考えもしてはいないのが救いなんだけどね」
「ちょっと微妙な関係なのね」
「まあね。仲良しコンビは小学生までということでいいんじゃないかな。今はそれより一段階上の、競い合うライバル関係で少しでも相手より良いところを見せようとやっきになってる。仲が良いのか悪いのか。昔から夏休み終わる前には二人で必死で片付け合ったりとかしていたけれど、今でもどちらかが病気で学校休んだら、授業のノートを見せ合ったりとかしてるし、テスト勉強とか部活のない日には特に約束とかしていなくても、みどりちゃんを含めた3人で一緒に勉強しているけど、気が散ったりすることも多いみたいで、百合っぺが家に戻ってくる日に誘い合って二人だけで勉強見てもらってるみたい」
「その、みどりちゃんって子に一度会ってみたいな」
「顔だけなら暢の部屋の机の上にクラス写真があるからそれを見ればいいよ。ちょうど暢と和馬と三角関係の位置に写っている、背の高い女の子だからすぐにわかるよ」

 とりあえず両親に帰宅の挨拶を軽く済ませた。あまり詳しいことは話したくはなかったのですぐに自分の部屋に入って荷物を片付けて、着替えも済ませてから暢の部屋に入ってみた。暢の部屋は意外に片付いていた。というよりもよけいな物が一切無くて散らかす物がないと言った方がよいかもしれない。参考書の類もほとんどない。まあ百合ちゃんの家で勉強をしているのだったらそこで参考書を貸してもらえばいいからかもしれないが。
 机の上に写真立てに入れたクラス写真があった。確かにひときわ目立つ美形の背の高い女の子が目についた。暢にはもったいないような子に見えた。三角形を意識して目を移せば暢と和馬がちょうど担任教師をはさんで対称の位置にいた。二人とも変に緊張して体を硬くしている。何となくお互いを意識し合って恋の火花を飛ばし合っているような、話を聞いているからそんな風に思えた。そして二人のど真ん中にいる担任教師に目が行って、由布の動きが止まった。さきほど見かけた暢の部活の顧問の先生だ。でも、どうして……。
 ふと思い立って由布は暢の机の引き出しをいくつか開け、机の上の本立てにクラスの名簿が入ったファイルを見つけて眺めた。やはり気のせいではなかった。
 名簿を元あった場所に戻すと、由布はふらふらと部屋を出て行き、自分の部屋に戻った。一度止めた時間が、4年の歳月を経て、再び動き出したような気がしてきた。ばたんと横になると長旅の疲れが一度に出てきたかのように眠気が一気に押し寄せてきた。