丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

MMさんのことと女子の内部抗争

2010年03月29日 | 個人史
MMさんは、K小学校に転校した小学3年から中学2年まで同じクラスだった。
小学校時代は仲が良かった方だった。中学に上がると、変に意識したりしてしまったこともあって、話しづらいこともあったが、それでもまだ親しい方だった。
それが2年になると、ある事件がきっかけで口をきかなくなってしまった。

男子にはまったく関係のない事件ではあったのだが、同じクラスの女子のFさんに対し、その他の女子全員が村八分にすると言う出来事が起こった。
女子曰く、Fさんは男子に対して色目を使う。甘えた声で男子の気を引こうとしている。女子に対してと男子に対してとでは話し方が違っている等々。
女子の一部からFさんのこと、どう思っている?と聞かれたことがある。男子は当時サッカーに夢中でグラウンドを走り回ることで手一杯だったので、色恋沙汰にはあまり関心がなかったような。もちろんまったくなかったということでもないけれど。ある女子はこっそりと別のクラスの男子に、隠れて手紙を送り続けていたという出来事も発覚したりもしたが。ことによって、Tさんのいる3組の男子に送っていて、しっかり片棒を担がされていたという情けないことで自分でも事実を知った時はがっくりきたものだが。

閑話休題。
Fさんに対しての女子の総スカンは徹底的なものだったようだ。そしてその首謀者で先頭に立って実行していたのがMMさんだと知ってがっくりきたものだった。
最終的にFさんは転校していくということでクラス内でのもめ事は終わった。決して一件落着ではないのだが。

その出来事以来、MMさんと話をすることはなくなった。
3年になってクラスが分かれた後、一度だけ休み時間に廊下を歩いていて出くわしたことがある。からかいで足を引っかけられたのだが、彼女は普通に笑っていたが僕の方はきつくにらんでそれが最後の関わりとなった。

卒業後、中学の文化祭で恩師のI先生を訪ねに行った所、文化祭はそっちのけで、I先生に連れられて同じ日に文化祭をやっていた高校訪問に行ったことがある。TさんがいるTK高校でTさんを見かけた後、MMさんがいるI高校に行ってMMさんに会った。中学時代の美少女とうって変わって、にきび満開の、百年の恋も冷めるような顔でまさしく冷めてしまった。

文通(2)

2010年03月25日 | 個人史
定期購読している英語教材の月刊誌の文通希望欄に投稿した。
購読者数も少なそうだから掲載率が高そうだったから。案の定投稿が載った。
文通相手の希望条件は、読書と音楽の好きな人。けっこう来ましたね。

最初に来たのが小豆島に住むOさん。この人との文通はかなり長く続いた。
一度会ったこともある。ピアノを専門に習っていて、音楽大学に入学希望していたので、大阪音大の見学に来た時に会った。いろいろピアノの先生とのもめ事等もあったり、高校の時の国語教師が好きになっていろいろ悩んだり、結果的には岡山の大学で音楽専攻の後故郷に帰って結婚して。そこまでは知っているが、そのうちに疎遠になった。現住所は知っているのだが。

Oさんが一番早く着いたので、その後たくさんの手紙が届くなんて思わないで選んでしまったが、ある意味正解ではあったが。
その後、少し時間を置いていっぱい手紙が届いて、選ばなければならないという贅沢な悩み。選ぶ基準は何もない。4・5名無作為に選んで文通を始めたけれど、結果的にはいずれも長続きしなかった。早い人は3ヶ月で終わったり、長くても1年とか。

かなり時間が経ってから1名手紙が着いて、その時にはすでに多数の人と文通を開始していたのでやめたのだが、何となく今でもそのことが引っかかっている。ひょっとしたら運命的な出会いがあったのかもしれない。そんな気がしてならない。

教材会社「○進社」

2010年03月24日 | 個人史
学校向け教材会社に「正○社」というのがある。いろいろな科目での教材を学校内向けに発行しているのだが、英語教材で生徒向けに月刊誌も発行していて英語の先生から定期購読を勧められた。

毎月、その月に学習するであろう内容を詳しい解説もつけ、さらには読み物もあったり関連のミニ知識等のコーナーもあったり、けっこう面白い雑誌だった。当然地域によって使う教科書会社は異なってくるのだが、各教科書に準拠して、教科書会社ごとのバージョンがある。教科書の解説以外の欄は同じなのだろうが。結局卒業するまで愛用して購読をすることとなる。

別に英語だけでなく、他の教科も扱っていて、通信販売で、いろいろな教材等も購入できるようになっていた。購入したのが、まず「英語歌のいずみ」という英語の音楽の本。こげよマイケルやロンドン橋落ちたとか、マクドナルドじいさんの農場などの初歩的な英語の歌や、オー・スザンナ、レッド・リバー・バレー、蛍の光の原曲とか、基本的に知っておいた方が良い英語の歌がたくさん載っていて、この時に覚えた歌は今でも暗記して歌える。ソノシートも別売であったが、こちらは安っぽかった。

「若いうたごえ」という歌集も購入した。いわゆる歌集。青春ソングやらクラシックの合唱曲などもあって、「モルダウ」はこれで知った。音楽の先生に見せると先生も気に入って、先生が顧問をしているコーラス部でも使用することとなる。この話は後に続きがあるのだが。

元に戻って、英語教材の月刊誌ではお便りコーナーも当たり前のようについていて、文通希望の欄もあった。定期購読者は数がしれているということもあって、投稿すると載る確率が実に高かった。ということでこの話の続きは次の項目に譲る。

班ノート

2010年03月16日 | 個人史
2年の担任が女子の体育の先生だったこともあり、男子と向き合う機会がないということもあったのだろう、「班ノート」というものを書くようになった。

クラスで縦の列(6列あったが)で班として、前から順番にノートを回していく。
当番にあたった者はノートを家に持って帰って何か書いて翌日先生に提出。目を通した後、終礼時に次の者にノートが渡されるというもの。
中学2年はそんなに書くこともないので、ほんの2・3行程度で済ませる人が多い中、僕はやたらめったらたくさん書いた。読んだ本の感想や音楽のこと、何処かへ行った・何かをしたとかまあいろいろ書きまくって5ページくらい使うのがしょっちゅうだった。対抗していっぱい書いてくる生徒も一人いた。なにやら電卓で円周率を計算したとかで何百桁の書きまくったのがいたが、どうやって電卓で計算したのかわからない。当時はパソコンもない時代。円周率を計算する公式は知っているが、電卓程度で計算できるものではないと思うのだが。

この前に書いたOさんが入院して見舞いに行った時の話なども平気で書いた。別に隠すようなことでもなかったし。小説をノートに書くようになって、ノートにやたら書くことが好きでたまらなかったのかもしれない。

文通(1)

2010年03月16日 | 個人史
中学1年の時の同級生だったOさんと文通を始めた。

猿によく似た顔のおしゃべりな女の子で、誰とでも気軽に話せる子だった。とは言っても別にその子と何かあったわけではない。たまたま彼女が、僕が好きでたまらなかったTさんと2年では同じクラスになっていたから。(結局Tさんとはそれからも同じクラスになることもなく、しかもクラスが離れてからは一言も言葉を交わす機会さえないままで卒業してしまった)
まあOさんを通して2年3組の様子を知りたかったということなのだが、結果的には一言もTさんの話はしないまま、文通はOさんが内科の病気で2月に長期間入院するまで続いた。入院中は何度かお見舞いにも行ったりもしたが。退院してからも手紙は出していたが、いつの間にかその文通も終わってしまった。

けっこう親しく、文通も楽しかったのだが。


サッカー少年がやってきた

2010年03月07日 | 個人史
サッカーボールをかかえた少年O君が転校してきた。
まるでキャプテン翼を見ているような。

K中学にはサッカークラブはなかったので、前の学校でサッカー部だったO君の場所がなかった。そのかわりに僕のクラスでは一大サッカーブームが始まった。
2年生の1年間、男子全員サッカー漬けの1年となった。
朝登校するとグラウンドを占拠してサッカーを始める。昼休みには弁当もそこそこにグラウンドに出てボールを追いかける。放課後も部活のない時には下校時刻まで走り回る。そもそも下校時刻というのがあったのだろうか、ボールが見えなくなるまで走り回った。

運動があまり得意ではない僕は主にディフェンダー。友人の太めのT君と一緒にゴール近くにいた。それでも相手チームのボールをゴールに近づけないようにけっこう頑張った。

担任の女教師もあきれるくらい。このクラスで記憶に残るのはサッカーにあけくれていたことだけだと言わしめた。
休日に一度だけ集まって、本格的に45ハーフ2回の試合を行った。けっこうハードで、一度きりで終わったが。

衝撃的事件が一度あった。
O君と別の男子がちょうどボールを取り合う形となって、二人同時にボールを蹴った結果、まったく同時だったのでボールは動かずに二人の体がふっとんで宙をまった。顔から落ちてO君は顎当たりを怪我した。大きな怪我にはならなかったが、人間が宙を飛んだ瞬間を後にも先にも初めて見た。

学年が替わるとクラス解散と共にサッカー熱は終わってしまった。

中学2年になって

2010年03月04日 | 個人史
中2になってクラス替えがあった。
45人学級の8クラスある学年だったから、クラス替えでは元のクラスからほぼ等分されたとして、同じクラスだった者は6人弱になる計算。で、どういうわけか新しいクラスで1年の時に同じクラスだった男子生徒は誰もいないという状況になった。理由は知らない。まあそういうこともあるのか。
代わりに他が女子ばかりで、何と小学校に転校して以来6年間同じクラスになったという子も一人いた。彼女のことは後に詳しく書く。

担任の教師は女子の体育の教師の、めちゃくちゃ背の低い教師。クラス写真で撮った時、意識してだろうが女子生徒の中に紛れ込んでどこに先生がいるのかわからないくらい。女子の体育の先生なので授業で関わることがまったくなかった。逆に先生の方も次の項目に述べる事情で男子生徒に関わることもまったくなくなるのだが。

2年の時にはクラスの委員に選ばれることはまったくなく、代わりに新聞係を年間を通してやっていた。先生にインタビューして記事を作ったり。けっこう係としては充実していた。正月前にはサイン帳にクラス全員のサインを貰うことが出来て、住所録とかしっかり作れた。
いろいろ新しい世界も広がったり、ある意味充実していたかも。