丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

K大学のこと

2011年05月26日 | 個人史
これを書くと、ほとんど大学案内になってしまいそうだが。

K大学はK市にあるのは言うまでもないが、当時学部が9学部まであり、
そのうちの8学部までがR山の中腹に大きく分けて4カ所に分散して
存在していた。
当然ながら、阪急電車R駅から毎日歩いて上り下りすることに。
まあK市バスも通っているので、雨の日や足に自身がないときには
利用することもあったが。

一番駅から近い場所には農学部・文学部・理学部が同じ敷地内にあった。
農学部の食堂はカフェテリア方式でちょっと魅力的だった。
理学部と文学部は共通の食堂で、まるで小屋だった。

横に移動すると工学部があり、ここの食堂は豪華だった。さらに横に
移動して道路を横切る端で渡れば教養部があり、ここでは全学部の
新入生が1年半基礎過程を学ぶために通った。籍は各部に所属して
いるのだが、1年半の間は学部には参加せずに、英語や体育、第二外国語
その他社会科系・国語系の基礎勉強を行って、単位を取ってから
学部に上がるシステムになっていた。
ここの食堂はそういう関係で一番大きな施設である。

橋を渡る手前に学生会館もあって、ここのフロアにも軽食を取れる
ようになっていて、ここのランチも美味しくて好きだった。

これらの施設より1段階上に上がった場所に位置して、法学部・
経営学部・経済学部がある敷地があり、ここがK大学のメインの
校舎になっている。もっとも大学祭の時にしかここに行ったことは
ないが。
メインらしく、校舎も古く重々しい。使いづらいだろうなと思うが。
ここの食堂は覚えていない。ほとんど利用しなかったから。

さらに離れて一段も二段も上に上がった位置に教育学部の敷地が
あった。ここまで上がると景観は抜群。山登りしたような気分に
なる。授業はよそ見ばかりしてしまいそうだ。
教育課程の単位を取る関係でここにはよく通った。
食堂はカフェテリア方式で、値段も安くて美味しかった。
食堂に行きたいためにこちらで午後の授業を受けるときには
一目散に駆け上ったものだ。

医学部だけは大学病院の関係で離れた場所に存在していた。
高校の同級生がたまたま同じ学年で医学部に入学して教養部時代は
時たま顔を合わせることはあったが、学部に上がってからは会うことも
なくなる。そちらには行ったこともない。

大学に入学してからの1年半は教養部で学ぶため、クラス分けは
学部が基準ではあるけれど、第二外国語履修毎のクラス分けに
なった。実際には文化系と理科系の学部に分けて第二外国語別に
分けて、合計41のクラス分けになっていたが。

第二外国語は、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語の4カ国語で、
中国語とロシア語は人数も少ないので、文化系と理科系のそれぞれ
2クラスしかなかったが、ドイツ語とフランス語では取る学生が
多いので、ほとんど学部が固まることに。
僕はどうもヨーロッパ系の言語が苦手だったので中国語を履修する
ことにしたのだが、結果的にはそれが大間違いだったようだ。
数学の某教授曰く、数学を学ぶものはドイツ語もフランス語も
できないといけないとか。どちらも取らなかったおかげで
最初から躓くことに。
(今から考えたら、僕の人生、こういう初期の躓きだらけだな)

中国語のクラスはけっこう楽しくもあったし、飲み会などもよく
やったものだが、学部に別れてからはまったく会わなくなった。
そんなものだろう。そう言う意味でもドイツ語かフランス語に
しておくべきだったのだが。


書き忘れたので追記

何しろ9学部もあるので学生の数は相当なもの。
これを振り分けるのに、学生証番号は学部毎になっていた。
それぞれの学部の頭文字を最初に付け、理学部だったら「S」
経済学部は「E」、工学部は「T」などとそういうアルファベットを
最初に付け、次に入学期の2桁の数字をつける。僕の入学時は
25回生ということでS25***となる。他の大学では「回生」
という言葉は学年として使われることが多いみたいだが、K大学では
創立から数えての年数番号で読んでいた。「何期生」という
表現は一般的には卒業生に使われるもので、留年したりすると
違ってくることになってしまうので、入学年度で番号付けを
しているのだろう。
後の3桁はアイウエオ順の通し番号。理学部では数学科が最初の
25番までを取っている。同じ学部でも学科毎に順番が決まっている。
どういう基準かは知らないが。

ちなみに同じ年度の入学でも医学部は創立が遅かったので14回生に
なっていた。

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