丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

予備校のこと(2)

2011年05月06日 | 個人史
予備校は天王寺にあったので、当然ながら電車通学。
阪急電車で梅田まで出て、地下鉄御堂筋線で天王寺まで。

定期だから途中下車ができたので、いろいろ寄り道が多かった。

一番の寄り道は、当然梅田駅周辺。
まあ阪神百貨店が多かった。
当時、6階だったか、ナショナルのショールームがあって、小さなスペースで
イベントのようなことを毎日やっていた。
DJばりの女の子が曲を流したり、宣伝をしたり、ゲストを招いたり。
ミニコンサートも毎日のようにあったりで、白いギターが置いてあって、
好きに弾けるようになっていたり。

ミニコンサートで、飛び入りもOKで、厚かましくも飛び入りして
弾き語りをして記念品ももらった。
ぶらっと現れたアマチュアシンガーも歌ったりして、当時アマフォーク界では
そこそこ名前は知られていたが、まだプロデビューする前だった河島英伍が
飛び入りで1曲歌ったりもした。
けっこうこの場所の雰囲気が好きだったけれど、1・2年で閉鎖になってしまったのは残念だった。

地下鉄周辺では心斎橋によく出た。そごうと大丸の二つの百貨店が並んでいて、大丸の屋上ではよく朝日放送ラジオの実況中継をやっていたりもした。

心斎橋にはパルコもできて、当時朝日放送ラジオの「パルコ寄席」というのがここで録音されていて、99円だったか、中途半端な入場料金で聞くことができた。土曜の夕方なので、一度家に帰って出直すのは難しくもあったが。上方落語にとっぷりはまった時期でもあった。

当たり前のことなのだが、予備校生活が終われば、そういった場所に行くこともなくなったのだが、ついてまわるがごとくに、そこらでやっていた物も合わせたように無くなっていく。「パルコ寄席」もいつしか無くなり、場所を変えて千里中央で「千里繁昌亭」という定席ができるようになるのだが、これを踏んで現在の天満繁昌亭へとつながっていく。

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