丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

詩集より「終わり・始まる」

2010年12月30日 | 個人史
さっき、眠ったばかりなのに
  もう起きてしまった

今、覚えたばかりなのに
  もう忘れてしまった

きのう、夢を見たばかりなのに
  きょう、もうなくしてしまった

きのう、歩き始めたばかりなのに
  あす、もう歩みを止める

けれど
  今、私は歩いている


    1970年2月11日

注:タイトルは中川五郎のアルバムのパクリ

1971年1月7日の日記より

2010年12月28日 | 個人史
降る雪がきれいなのは
  静かな動きがあるからだ

つもる雪がきれいなのは
  どこまでも白く平らだからだ

くつあとがきれいなのは
  そこに変化があるからだ

雪だるまがきれいなのは
  そこに喜びがあるからだ

けれど

とけた跡がきたないのは
  そこに未練があるからだ

だけど

ふりそそぐ太陽がきれいなのは
  そこに新しい日があるからだ


詩集より「新年の初めに」

2010年12月27日 | 個人史
雪がよごれていっちゃう
くつでふむたびに
はじめ小さな点々で
そして黒い線となる

でも放っていたら
とけてきたなくなっちゃう

だから今のうちに
白くきれいなうちに
くつ音の中に
僕の耳の底に
雪の清さを残しておく


      1971年1月7日

郵便配達

2010年12月26日 | 個人史
転居したその年の暮れに、郵便局の年賀状のバイトをする。

バイト経験はこれが最初。高校は別にバイトの制限とかはなかったから、同じく郵便局で年末のバイトをしていた同級生もいた。

申込みが少し遅れたのだが快く受けてくれた。2週間のバイト。
普通は郵便局のバイトは1週間で十分なのだが、暇な事もあって、2週間申し込む。さすがに2週間目はまったく暇だったが。

外の郵便配達の仕事だったが、都合良く自宅を含む地域が担当で、地理を覚える助けにもなる。
けっこう寒い日が続いて、バイト初めてまなしに持病の腹痛で2日休む事に。

いろいろミスも多かったが、それはそれでけっこう面白かった。

笑えないのが、大晦日の日に、帰り際、エレベーターに閉じ込められた事。
翌日が勝負という時にえらいことになったものだが。

後日談。
半年後の夏にまた郵便局に頼まれて半日仕事をする。
まあ軽い仕事だったのだが、あんまり実入りのない仕事ではあったが。

さらに後日談。
配達区域の中に、今通っている教会も含まれていた。教会の場所を先に知る事になったのは偶然か必然か。

引っ越し先の事

2010年12月25日 | 個人史
高校2年の11月に豊中市に転居する。
以来、何度かの撤去はあっても豊中市に住み続けている。
単に長距離移動が面倒なだけだが。

引っ越した先は二個一の二階建て。下に小さな台所と八畳の部屋とフロトイレ洗面所。
2階に六畳二間。部屋はどれも和室。トイレは和式。まだトイレットペーパーもなく、くみ取り式。
両親と下の義兄の4人で入り、二階の部屋はそれぞれあてがわれ、初めて自分の部屋を持てた。
ポータブルの白黒TVも貰って、自室でTVを見られるようになる。机ももらって、ようやく勉強部屋らしくなる。
下の両親の部屋にはやっとカラーTVを入れる。義兄の部屋には白黒のTVを持ってきて入れる。

フロは釜焚き。外に出て火をつけるタイプ。2度ばかり空だきをした。ブザーをつけてもみたが、ある時はブザーが鳴ったのにも気がつかず、ある温度を超えてブザーも鳴らなくなった。このときはお湯が沸騰していた。火を止めて、水を一杯入れて薄めてもまだ熱く、湯気が気持ちいいくらい充満して、あたかもスチームサウナ状態で、それはまた面白かった。

狭い家ながらも、それはそれでけっこう楽しかった。

その後何度も引越をしているのだが、この家を除いて他の住んでいた家はすべて壊されて跡形もない。この家のみが今でも生存している。

豊中市の事

2010年12月23日 | 個人史
転居して、そして、さらに転居しても今も住んでいる豊中市は、大阪市と池田市に挟まれた北摂地区にある市である。人口約35万人。

池田市と川西市が猪名川という県境を流れる川を挟んで、共通する事柄が多いのでいわば姉妹都市のような関係があるように、豊中市も同じく猪名川を挟んで隣にある伊丹市との関わりが深い。
大阪空港は伊丹空港とも称するが、両市の間にまたがって位置している。ちなみに大阪空港の水道水は地下水を利用しているとかで美味しいという評判だ。池田市と川西市の水も猪名川から取っていて美味しく、水道水をそのまま飲めたのだが、豊中市では淀川から水を取っているのであまり美味しくない。

話を戻して、伊丹空港には伊丹から行く事は大変不便で、乗降口は豊中側にある。だから豊中側から行かないと飛行機には乗れない。敷地の多くの部分は伊丹にあるようなので伊丹空港と称するのだろうが。

豊中と伊丹で共通するのが、ゴミ処理施設を共同で利用している事。だから豊中と伊丹のゴミ分別方法は同じ。
ちなみにゴミ処理上のあるあたりは、弥生時代の遺跡があったところで、遺跡見学施設もある。

豊中市には「島」とか「津」という文字が入った地名が多い。弥生時代にはこのあたりは海で、島が浮かんでいたり、入江が多くあったようで、その名残が地名に出ている。だから貝塚もいろいろ発見されている。朝鮮半島からの渡来人も多くこの地に来たようで、服部という地名はその名残。

市内には服部緑地公園という大阪府内有数の緑地公園がある。もっとも阪急電車のもよりの駅は服部ではなくその隣の曽根であって、間違える人も少なくない。

豊中市は大きく分けて4つの地区に分けられる。
北部・中部・南部・千里地区

千里地区だけ離れている。地域的にも別のイメージがある。
豊中市民は多くの場合は阪急電車を利用して大阪市内に出るのだが、千里地区だけは北大阪急行を利用する。ここだけ文化圏が違う。
元々桃山台という地域があり、上新田という古い地の集落はあったのだが。新田小学校というのが明治の小学校で文化遺産になっている。奥地なので都会との交流は元々少なかった地域だが、万博で電車が開通し、急に開けた地域になる。ニュータウンが作られてモデル地区のようになったのだが、30年もたつとすっかりオールドタウンになってしまって、再開発が進められている。当時の子どもがそのまま住み着いて年取ってしまうのだから仕方がない。

北部地区は空港もあり、大阪大学もあり、開かれた地域でもあり、西国街道という豊臣秀吉の大返しに利用された道として歴史的な意味もあり、また「マチカネワニ」という恐竜時代のワニの化石も発見されて、市のシンボルにもなっている。
中部地区は市役所や市民会館もあって文化的な中心街か。
古代からも文化の中心だったようで、古墳群もあったり。大きな神社があって、樹齢何年というご神木が商店街のお店の中に突っ立っている。
南部地区は商業地域として有名ではあるが、やや雑多な地域でもあり、良く言えば飾りっ気がないというか、悪く言えばやかましい様相も見せる。若い素直な女の子は夜中には近寄らない方が賢明かも。飲み屋街も多く、そこの住民も世間慣れしている人が多い。

上流から下流までさまざま取り込んだ街というのが豊中の実態。

さらば、川西市

2010年12月21日 | 個人史
修学旅行から帰ったその足で、母が勤める不動産屋に行く。新しい引っ越し先がそこからすぐのところだったから。

川西市にはあと1週間でまる10年となる日まで住んでいた。

元々は、家庭内で製作所を営むAさんの広い家の離れを借家として借りた物なのだが、本来はAさんのお婆さんの隠居先の離れとして敷地内に建てられた物で、建ててしばらくは移る気がないので借り受けていたのだが、10年経っていよいよ隠居が決まって、明け渡して欲しいという要望が来た事による物だった。

まあそういう事情だから仕方がなく、母が不動産屋の手伝いをしている事から、新居も容易に見つける事ができた。ちなみに次の転居も母の事情で新居を見つける事になるのだが。

11月15日に川西に引っ越ししてきて、11月8日に出て行く事となる。

引越をして川西とはすっかり縁が切れた形となる。学校自体大阪府内の高校だったし、残すは散髪屋だけ続けてはいたが、これも年に3回しかいかない。この3回のみが川西とのつながりだった。これも数年後には長髪にしてから美容院通いに替わるので行かなくなるのだが。

図書館のカードは持っていても、市内に在住もしていなければ通勤通学もしていないとなれば、通う理由もなくなってしまう。実際その後図書館という類の場所とは縁遠くなってしまう。

転居して数年後に駅前は大発展をして昔の面影はすっかりなくなってしまう。昔は家から駅まで少し時間がかかり、将来には駅が家の近くになるとは聞いていたが、実際に現在ではかなり近くなっていて少し悔しい思いがする。

後にAさんの製作所も不況の中で閉じる事になり、広い敷地も売る事になり、今では跡形もなく別の家が建っている。なんだか悲しい。

真崎守という漫画家のこと

2010年12月18日 | 個人史
中学に入った時に、週間漫画雑誌とはお別れをした。
それまで少年サンデー、途中から少年マガジンを購読していたのだが、一切読むのを辞めた。

高校2年まで読まなかったのだが、高校2年になって復活した。
きっかけは、あの日本全国を揺るがした衝撃の漫画、「ハレンチ学園」だった。新聞などでそろそろ取り上げられ出した時、どんな漫画なのか興味本位で立ち読みをした。確かに衝撃的というか、それ以降作者の永井豪にはまってしまうのだが、購読はしないで、目当ての漫画だけを立ち読みするようになった。

そんな中、しっかりはまってしまったのが、真崎守という漫画家だった。

月刊少年週刊誌に連載されていた「ジロがゆく」という漫画にしっかりはまってしまった。連載の途中から読み出したのだが、僕の琴線のツボにど真ん中にきた。

以降、真崎守の作品をサガ島売る事になるのだが、後にこの「ジロがゆく」が第二回講談社出版漫画賞なるものを取った時には、やっぱりと思った。

お金が手に入るようになってから、単行本をいろいろ集めていく。
その後、全集が出る事になり、まあ中には僕には合わない作品もあったので、それを除いてすべて集めた。

「ジロがゆく」はいろんな雑誌でシリーズとして書かれていて、すべてを揃えるのもマニアとしての使命でもあった。
学習雑誌で1年間の連載にもなり、後に単行本の一部として出版されるが、書き換えられて出版されたようだった。先年、この学習雑誌連載版のオリジナルと単行本化の両者が比較として同時販売された。

真崎守は最初の頃は単純明快に青春の苦悩などを描いていたが、後になるとある種の宗教的な部分に踏み込んでいって、わかりにくいものになっていく。
ある作品でも、普通の単行本に収めた作品と、全集で出された作品では大きく内容が変えられていたこともある。同じ絵なのに違う台詞になっていたり。テーマを統一しようとしたために、かえって不自然に納めていたりとか。

そんなこともあったのか、志向が変化していったためか、真崎守は映像の方に移っていって、「佐武と市」のTV版をつくったりとか、従来の紙の作品からは離れて行ってしまった。

ある意味、高校時代から大学時代までまたがって、僕の意識を作っていった作家になる。

コース間違い

2010年12月17日 | 個人史
中学生・高校生向けの学習月刊誌として「コース」と「時代」がある。今もあるのかどうかは知らないが。

内容的には「時代」の方が学習に力を入れていて、その分雑誌としては面白味に欠ける。そんなことで、僕は中学から「コース」の方を毎月購読していた。

高校生になって、一度購読を辞めたのだが、毎月読んでいた習慣で、読まないといられないというか、別に辞める理由もなかったので、5月号からまた買い出した。4月号は買わなかったので、連載小説は最初の回を知らないままで過ごす。
後に図書館で4月号を見る機会もあったので、連載小説だけ目を通したが。

2年生になって4月号を買ったのだが、なんとなく様子が変。何が変なのか最初は気がつかなかったのだが、半分ほど読んで大間違いに気がついた。4月号は当然3月初めに発売されるのだが、間違って「高一コース」を買っていた。もう2年生になると言うのに。なにしろ買った時はまだ1年生だったから。

雑誌はどういうわけか発売日と月の名称が一ヶ月ずれる。週刊誌などはひどいもので、こんな日付を信じて買っている人など誰もいないだろう。コミックでも裏に書かれている発売日のかなり前に発売されているし。

そろそろ雑誌業界も売る月と名称とを揃えてもよいのではないかと思うのだが。

そういうコース間違いはあったが、高校3年の終わりまで「コース」を購読し続ける。

気に入った小説は切り取ってまとめてバインダーに挟んだりもしていたのだが、今の家に引っ越しする時に全部まとめて処分してしまった。もう二度と読み返せない小説もあったりはしたのだが、残していても結局読まなかったし。