男ばかりの5人兄弟で育ってきているが、2人の義兄の間にはさまれた実のきょうだいである義姉については、血縁的には従姉になるのだが、一度として従姉と思ったことがなかった。直接の兄弟ではないけれど親戚のお姉ちゃんという意識でずっといた。
結果として一人だけ他家に養女に出され、そこの家と我が家とで折り合いが悪くなった時期もあって一時は疎遠にもなったけれど、養父が亡くなったあたりでまた交流が始まり、結婚してからは完全に兄弟付き合いになって、今ではかつての5人兄弟という言い方は無くなって6人兄弟という意識になった。
結婚してまなしに長男が生まれたが、うまれつき喘息の持病があって病院通いが続いていた。ある夜、急な発作が起きて救急車で運び込まれた某市民病院はいつも通っている病院ではなかったことから手当がうまくいかずに幼い命は消えてしまった。義姉はこの病院には二度と近寄ることはなかった。
後に男の子と女の子が与えられたけれど、亡くなった長男のことを忘れることはない。二人の子どももやはり喘息があったため、スイミングスクールに通って選手コースにまで進むほど体力はついた。下の妹の方はそのままスイミングスクールのコーチになって、先年、成人コースに入会していた年下の男性と結婚する。
義姉の結婚相手は父が早くに亡くして母一人子一人の母子家庭であり、義姉も養父を亡くして養母と二人暮らしだったので、二人の母と一緒に暮らしたりもする。ちなみに養母もかなり前に癌の宣告を受け、手術しなかったら半年、手術しても3年と言われて悩んで我が家に相談に来たことがあったが、そのことを知らされていない当人はあっさりと勝手に手術の手続きをすませてしまって、3年どころかかなり長生きをした。
義姉の子供達にとっては、ふだんから二人の祖母が目の前にいるのだが、それに加えてうちの母も実質祖母扱いだったから、彼らには祖母が3人もいるという(いや、本当にはもう一人、どこで生きているのかわからない実の祖母がもう一人いる)ちょっと不思議な状態におかれていた。複雑な状況を本人達に話をしたことがあるのかどうかは知らない。
下の義兄の不始末の件で、かばいすぎる義姉と、突き放さないとわからないという見解の上の義兄とで喧嘩になって、一時は軽い絶縁状態。今でもそのことに触れるのはタブーになっている。
結果として一人だけ他家に養女に出され、そこの家と我が家とで折り合いが悪くなった時期もあって一時は疎遠にもなったけれど、養父が亡くなったあたりでまた交流が始まり、結婚してからは完全に兄弟付き合いになって、今ではかつての5人兄弟という言い方は無くなって6人兄弟という意識になった。
結婚してまなしに長男が生まれたが、うまれつき喘息の持病があって病院通いが続いていた。ある夜、急な発作が起きて救急車で運び込まれた某市民病院はいつも通っている病院ではなかったことから手当がうまくいかずに幼い命は消えてしまった。義姉はこの病院には二度と近寄ることはなかった。
後に男の子と女の子が与えられたけれど、亡くなった長男のことを忘れることはない。二人の子どももやはり喘息があったため、スイミングスクールに通って選手コースにまで進むほど体力はついた。下の妹の方はそのままスイミングスクールのコーチになって、先年、成人コースに入会していた年下の男性と結婚する。
義姉の結婚相手は父が早くに亡くして母一人子一人の母子家庭であり、義姉も養父を亡くして養母と二人暮らしだったので、二人の母と一緒に暮らしたりもする。ちなみに養母もかなり前に癌の宣告を受け、手術しなかったら半年、手術しても3年と言われて悩んで我が家に相談に来たことがあったが、そのことを知らされていない当人はあっさりと勝手に手術の手続きをすませてしまって、3年どころかかなり長生きをした。
義姉の子供達にとっては、ふだんから二人の祖母が目の前にいるのだが、それに加えてうちの母も実質祖母扱いだったから、彼らには祖母が3人もいるという(いや、本当にはもう一人、どこで生きているのかわからない実の祖母がもう一人いる)ちょっと不思議な状態におかれていた。複雑な状況を本人達に話をしたことがあるのかどうかは知らない。
下の義兄の不始末の件で、かばいすぎる義姉と、突き放さないとわからないという見解の上の義兄とで喧嘩になって、一時は軽い絶縁状態。今でもそのことに触れるのはタブーになっている。