よく見ると、この事件が起きたのは70年の秋のことだった。
69年の挫折から抜け出せないまま、70年安保が空振りに終わった挫折感がこの事件を産み出したということも言えるので、「69年の挫折」の締めくくりに起きた事件とは言えるだろう。
「フォークリポート」という機関誌は、元々アングラフォークの会員限定の雑誌であって、定期購読申込者に直接配布されていた物だが、URCレーベルのアングラレコードを取り扱う協力レコード店でも販売されるようになって、一般誌と変わらない扱いを受けるようになった雑誌であり、関西フォーク界の現状を語るマニアックな雑誌ではあった。
ちょうどフォークキャラバンが挫折するようになってから、アングラフォークの方向性がだんだんと傾いていった時期であり、そちらの機関誌でもかなり危ない挿絵が入り出したこともあって、かなり猥褻性を意識した流れになっていっていたのは感じてはいた。
そして編集者がアングラフォークの過激な騎手である中川五郎に替わって最初に発行された「フォークリポート冬の号」で、一気に問題が噴出した。
ページ数がこれまでより極端に増えたこともさることながら、いきなり表紙に男女の幼児の正面からの全裸写真が載せられた。これは今でもこのように正面切って表紙に据えている雑誌を見たことがない。店頭に並べられる物ではなかった。
本編のメインの内容では、前年逃亡した高石友也と岡林信康を糾弾するという論説が中心になっているが、それに加えて、まったく関係のない猥褻な挿絵がふんだんに導入された。
漫画家東海林さだおの意味のない、ただ猥褻だけの漫画を初めとして、編集者が創作したのが明かな悩み相談室。そしてピカソの性行為を直接表したエッチングに加え、ジョン・レノンとオノヨーコの正面向いた無修正の全裸写真などなど。きわめつけが、中川五郎本人が直接書いた卑猥そのもののポルノ小説。
警察の手が入るのは早かった。
出版社の在庫をすべて押収。関連レコード店の在庫もすべて回収。定期購読者リストを差し押さえて、定期購読者の家を一軒一軒回って本を回収するという念の入れ方。
猥褻事件としてかなりの部分が該当するとして摘発された。その一覧も持っていたのだが今どこにあるのか不明になった。(中川五郎自身がこの裁判について書いた書籍の中にはあるのだろうが)
しかし、ピカソの絵を訴えるわけにいかず、ジョン・レノンの写真についても国際的に難しい部分があったのだろう。告発されたのは中川五郎が書いた小説のみに絞られて猥褻裁判が始まった。
結果的には、数年後無罪が確定する。時期が早すぎたこともあるのだが、幼児ヌード写真は当時も猥褻性認められない物として認識されていたし、現代ではヘアヌードも解禁されている。また性行為を表現した絵についても、現代では浮世絵などでも堂々と書店で売られている時代。小説に至っては駅売り新聞や週刊誌などの方がより過激。そんななかで、時間が経てばたつほど猥褻の基準が変化してきてしまったといえる。
しかし、アングラフォークのある方向性に対してストップがかけられたことも事実で、この事件以降、アングラフォークが日の目を見ることが無くなってきて、世の中は爽やかな青春や悩みや夢を歌うフォークが全盛となってくる。
僕自身はこの事件がかなりショックで、すっかりアングラフォークの世界とは縁がなくなってしまうのだが。
69年の挫折から抜け出せないまま、70年安保が空振りに終わった挫折感がこの事件を産み出したということも言えるので、「69年の挫折」の締めくくりに起きた事件とは言えるだろう。
「フォークリポート」という機関誌は、元々アングラフォークの会員限定の雑誌であって、定期購読申込者に直接配布されていた物だが、URCレーベルのアングラレコードを取り扱う協力レコード店でも販売されるようになって、一般誌と変わらない扱いを受けるようになった雑誌であり、関西フォーク界の現状を語るマニアックな雑誌ではあった。
ちょうどフォークキャラバンが挫折するようになってから、アングラフォークの方向性がだんだんと傾いていった時期であり、そちらの機関誌でもかなり危ない挿絵が入り出したこともあって、かなり猥褻性を意識した流れになっていっていたのは感じてはいた。
そして編集者がアングラフォークの過激な騎手である中川五郎に替わって最初に発行された「フォークリポート冬の号」で、一気に問題が噴出した。
ページ数がこれまでより極端に増えたこともさることながら、いきなり表紙に男女の幼児の正面からの全裸写真が載せられた。これは今でもこのように正面切って表紙に据えている雑誌を見たことがない。店頭に並べられる物ではなかった。
本編のメインの内容では、前年逃亡した高石友也と岡林信康を糾弾するという論説が中心になっているが、それに加えて、まったく関係のない猥褻な挿絵がふんだんに導入された。
漫画家東海林さだおの意味のない、ただ猥褻だけの漫画を初めとして、編集者が創作したのが明かな悩み相談室。そしてピカソの性行為を直接表したエッチングに加え、ジョン・レノンとオノヨーコの正面向いた無修正の全裸写真などなど。きわめつけが、中川五郎本人が直接書いた卑猥そのもののポルノ小説。
警察の手が入るのは早かった。
出版社の在庫をすべて押収。関連レコード店の在庫もすべて回収。定期購読者リストを差し押さえて、定期購読者の家を一軒一軒回って本を回収するという念の入れ方。
猥褻事件としてかなりの部分が該当するとして摘発された。その一覧も持っていたのだが今どこにあるのか不明になった。(中川五郎自身がこの裁判について書いた書籍の中にはあるのだろうが)
しかし、ピカソの絵を訴えるわけにいかず、ジョン・レノンの写真についても国際的に難しい部分があったのだろう。告発されたのは中川五郎が書いた小説のみに絞られて猥褻裁判が始まった。
結果的には、数年後無罪が確定する。時期が早すぎたこともあるのだが、幼児ヌード写真は当時も猥褻性認められない物として認識されていたし、現代ではヘアヌードも解禁されている。また性行為を表現した絵についても、現代では浮世絵などでも堂々と書店で売られている時代。小説に至っては駅売り新聞や週刊誌などの方がより過激。そんななかで、時間が経てばたつほど猥褻の基準が変化してきてしまったといえる。
しかし、アングラフォークのある方向性に対してストップがかけられたことも事実で、この事件以降、アングラフォークが日の目を見ることが無くなってきて、世の中は爽やかな青春や悩みや夢を歌うフォークが全盛となってくる。
僕自身はこの事件がかなりショックで、すっかりアングラフォークの世界とは縁がなくなってしまうのだが。