小学5年と6年では授業時間内でクラブの時間があった。全員何かのクラブに所属して週1時間のクラブを1年間行う。方よりも出てくるので希望制ではあるが人数が多いと調整で第二希望等に回されることもある。
僕は5年の時には「家庭科クラブ」に入った。おそらく学校始まって初めての男子部員だったのだろう。母から編み物等習っていたこともあって手芸関係は好きだった。留守家庭と言うこともあったから料理なんかもけっこうやっていたし。
調理もあったし、枕カバーの刺繍とかもやった。あと何をやったのかはあまり覚えてはいないが。
さすがにこれを2年続けるのはちょっときつかったので、6年では「器械体操クラブ」に入った。高所恐怖症で、高鉄棒、特に鉄棒で手を離すことはできなかったが、マット運動とかは得意だったのでこちらはけっこうよくやった。上手い具合に一年間高鉄棒はなかったこともあったが。
跳び箱の踏切も得意だったので跳び箱はけっこう高いのも跳べた。
今では肩を痛めて以来できなくなったが側転も得意だった。また家の畳の部屋で壁に背を付けて足を伸ばした状態で、腰の脇に両手を突いて体を持ち上げる練習とかも普通にやっていて、両手だけで体を浮かす、ちょうど足は水平に伸ばした状態で、オリンピック体操の吊り輪でやる「脚前距」という技を床でやる状態も得意だったので、けっこう器械体操向きだったのかもしれない。何度も言うが、高所恐怖症でなかったら体操をずっと続けていたかもしれない。
当時小学生の間では鉄棒の技が流行していて、高鉄棒で手を離して足の両膝だけで逆さまにぶら下がる「猫」という技が流行っていた。そのままの状態で体をゆすって飛び降りて着地するまでの流れがあるのだが、体操得意な子どもはみんなそれができていた。僕も練習したかったが、どうしても手を離すことが出来なくて一生できないままだった。
両足の間に両手を入れて鉄棒を握り、足は鉄棒から離してぶらぶらさせて飛び降りる「化け猫」という技もあった。これは手を離さないこともあり、降りるまではいかなくてもその姿勢だけならできるので、一度低い鉄棒でその姿勢になって、ほんの気のゆるみから、これで手を離すとどうなるのだろうと、思ってなぜか手を離してしまった。真っ逆さまに落ちて頭から地面に激突した。低鉄棒だったからよかったのと、石頭だからということもあって大きなこぶができただけですんだ。鈍い音と星が飛び回っていた。
鉄棒に関しては中学で大きな出来事もあるのだが、それはその時に書くことにする。
僕は5年の時には「家庭科クラブ」に入った。おそらく学校始まって初めての男子部員だったのだろう。母から編み物等習っていたこともあって手芸関係は好きだった。留守家庭と言うこともあったから料理なんかもけっこうやっていたし。
調理もあったし、枕カバーの刺繍とかもやった。あと何をやったのかはあまり覚えてはいないが。
さすがにこれを2年続けるのはちょっときつかったので、6年では「器械体操クラブ」に入った。高所恐怖症で、高鉄棒、特に鉄棒で手を離すことはできなかったが、マット運動とかは得意だったのでこちらはけっこうよくやった。上手い具合に一年間高鉄棒はなかったこともあったが。
跳び箱の踏切も得意だったので跳び箱はけっこう高いのも跳べた。
今では肩を痛めて以来できなくなったが側転も得意だった。また家の畳の部屋で壁に背を付けて足を伸ばした状態で、腰の脇に両手を突いて体を持ち上げる練習とかも普通にやっていて、両手だけで体を浮かす、ちょうど足は水平に伸ばした状態で、オリンピック体操の吊り輪でやる「脚前距」という技を床でやる状態も得意だったので、けっこう器械体操向きだったのかもしれない。何度も言うが、高所恐怖症でなかったら体操をずっと続けていたかもしれない。
当時小学生の間では鉄棒の技が流行していて、高鉄棒で手を離して足の両膝だけで逆さまにぶら下がる「猫」という技が流行っていた。そのままの状態で体をゆすって飛び降りて着地するまでの流れがあるのだが、体操得意な子どもはみんなそれができていた。僕も練習したかったが、どうしても手を離すことが出来なくて一生できないままだった。
両足の間に両手を入れて鉄棒を握り、足は鉄棒から離してぶらぶらさせて飛び降りる「化け猫」という技もあった。これは手を離さないこともあり、降りるまではいかなくてもその姿勢だけならできるので、一度低い鉄棒でその姿勢になって、ほんの気のゆるみから、これで手を離すとどうなるのだろうと、思ってなぜか手を離してしまった。真っ逆さまに落ちて頭から地面に激突した。低鉄棒だったからよかったのと、石頭だからということもあって大きなこぶができただけですんだ。鈍い音と星が飛び回っていた。
鉄棒に関しては中学で大きな出来事もあるのだが、それはその時に書くことにする。