幼稚園入園前までを幼児期と言ってしまう。
末っ子の定めとして、昼間は誰もいない。母も勤めに出ていたので家には祖母だけがいるのだが、若干煙たい存在で、あまり近寄りたくはなかった。
向かいの家に年も近い親しい兄弟もいて、家にもよく遊びに行ったものだが、早い時期に滋賀県に引越をしてしまった。換わってやって来た家族には僕より1歳年下の男の子がいて、その子とは遊んだりもしたが、前の家族とはちょっと違って家に上がることはあまりなかったような。
引っ込み思案のこともあって、他に親しい友だちもいなくて、兄がいればその友だちに交じって「ごまめ」をしていたけれど、兄がいないときは遊び相手はいないに等しかった。
家に三輪車はあったようなのだが、僕が意識したときには、それはすでに一輪車と二輪車に解体していた。だから大人になってゲームで乗る以外に三輪車に乗ったことはない。
記憶のはるかかなたに、母とどこかに行ったことがある。
母が僕を連れてどこかの家に出かけていった。何の用事だったのかは知りようもない。その帰りに原っぱに寄って、れんげを摘んで遊んだ記憶が一度だけある。あれは何だったのか。
ある正月に家族みんなで奈良にある菖蒲池遊園地に行った。しかしその日は遊園地は閉まっていた。どういう経過か知らないが中にもぐりこんで、動かない観覧車に乗り込んで弁当を食べて写真を撮ったことがある。当時は遊園地でも正月は休園のことが多かった。何か哀しい思い出かもしれない。
末っ子の定めとして、昼間は誰もいない。母も勤めに出ていたので家には祖母だけがいるのだが、若干煙たい存在で、あまり近寄りたくはなかった。
向かいの家に年も近い親しい兄弟もいて、家にもよく遊びに行ったものだが、早い時期に滋賀県に引越をしてしまった。換わってやって来た家族には僕より1歳年下の男の子がいて、その子とは遊んだりもしたが、前の家族とはちょっと違って家に上がることはあまりなかったような。
引っ込み思案のこともあって、他に親しい友だちもいなくて、兄がいればその友だちに交じって「ごまめ」をしていたけれど、兄がいないときは遊び相手はいないに等しかった。
家に三輪車はあったようなのだが、僕が意識したときには、それはすでに一輪車と二輪車に解体していた。だから大人になってゲームで乗る以外に三輪車に乗ったことはない。
記憶のはるかかなたに、母とどこかに行ったことがある。
母が僕を連れてどこかの家に出かけていった。何の用事だったのかは知りようもない。その帰りに原っぱに寄って、れんげを摘んで遊んだ記憶が一度だけある。あれは何だったのか。
ある正月に家族みんなで奈良にある菖蒲池遊園地に行った。しかしその日は遊園地は閉まっていた。どういう経過か知らないが中にもぐりこんで、動かない観覧車に乗り込んで弁当を食べて写真を撮ったことがある。当時は遊園地でも正月は休園のことが多かった。何か哀しい思い出かもしれない。