ひびこれこうじつ

とりとめなく、日々の覚書です。

お餅つき

2018-12-30 18:38:11 | 日々のこと
ぽんぽんには0歳の時からのお友達が四人いる。
そのうちの一人のおうちが、毎年30日に、親戚を集めてお餅つきをする。
いつも「遊びにおいで」と声をかけてくれて、子どもたちが小さいときは、毎年親子でお邪魔して、今時珍しい杵と臼での本格的なお餅つきをさせてもらい、つきたてのお餅をご馳走になった。食べ終わると夕暮れまで、親戚のお兄さんお姉さんに遊んでもらい、ぽんぽんも大家族のあったかさを味わわせてもらった。

子どもたちが大きくなって、なかなかみんな集まらなくなってたけど、今年はママ友四人が顔を合わせ、子供たちも二人、集まった。
私たち四人が集まるのはほぼ二年ぶりだ。

仲のいいお家で、今年もたくさんの親戚が集まって、毎年の恒例行事だけにそれぞれが実に手際よく作業をこなして行く。結局、私たちは何も手伝わず、遠巻きに見学しつつ、ただひたすら喋っていた。男性陣が代わる代わるに杵を振り下ろす。年期の入った気持ちのいい音が響く。お餅がつきあがると紙皿が配られ、それを持って立っていると、女性陣が次々に、磯部、きなこ、あんこ、大根おろしと、色とりどりのお餅を配って回ってくれる。なくなる頃に、お代わりが配られる。
なんて幸せなんでしょう。
食べ終わると、
「寒いから上がって」
と言ってもらって、今度はお部屋に入って、お菓子を山盛り出してもらって、お茶をいただく。居心地の良さにすっかりお尻を落ち着けて、おしゃべりしてしまった。
とんでもなく図々しい客だが、招いてくれたママ友は、
「みんなに会えてよかった。また来年も会おうね」
と言ってくれた。
そのママ友は忙しく立ち働いていて、あんまりお話できなかったけど、こうやってこの人が、毎年心を砕いて準備をして、親戚を招き、私たちを招いてくれているおかげで、こういうあったかい関係が続いているんだなと思った。継続することって、何か見えない力を持っている。
ありがとう、今年もとっても美味しかったです^^

猫恋し

2018-12-28 11:09:26 | 日々のこと
年の瀬らしい寒さになってきたせいか、死んでしまったしま猫のミラクルが恋しい。
ヤツはチューダよりも少し毛足が長く、特に白い腹毛はふかふかで気前よく触らせてくれたものだった。ホットカーペットに寝転んでいると、いつも二匹で寄ってきて、一緒にごろごろしてたので、一匹だとなんとなく物足りない。それにチューダは布団の中に入りたがらないけど、ミラクルはこっぽりと潜り込んでくるので、一緒にぬくぬく寝たものだった。
「お前も寂しいよな」
とチューダを撫でてみた。
「まあね」
と言っていなくなくもないような顔をした。

何も起きていないし、何もなくなっていない。
それでも、少し寂しいと感じているこの気持ちに寄り添うのも大事。

友達が、二匹が寄り添っている写真を元に、ブローチを焼いてくれた。尻尾が見えている方がミラクル。よくこうやって、ぴったりくっついて座っていた。

写真は武相荘にて。作り手さんの撮影。

武相荘

2018-12-25 16:18:01 | 旅行
初めて白洲正子のことを知ったのは、いつだったか覚えていない。なぜか自伝を読んで、
「この人すごいな」
とびっくりした。
白洲次郎のことはさらにその後だった。
とにかくこの夫婦はかっこいい。
逸話がいちいち、ビシッと決まっている。
本やテレビや雑誌の特集や、目に止まると何となく気にしていて、ずっと憧れていた。
夫婦が暮らした武相荘の暮らしも、ずっと前から引っ越し願望のある私にはまさに理想で、そんなに遠いわけじゃなし、いつか行こうと思いながら伸ばし伸ばしにしていた。
それでいつものことながら、すっかり忘れていたんだけど、が、なぜか四、五日前に、ふと、
「そうだ、きっとクリスマスの飾りも綺麗だろうし、武相荘に行こう」
と思い立った。
ここで伸ばすとまた忘れて、そうするとこの夏みたいに、
「死んでも死に切れない」
という思いにとらわれそうなので、絶対に行くぞ、と思ったら、その日からBSプレミアムカフェで、二日連続で白洲正子の特集をやるという。
「……」
まあ、行け、ということだろう。

そして思い立って、24日に会う予定だった友達を武相荘に誘ってみたら、
「よし、行こう!」
ということになり、これも思いがけず、三人で行くことに。
まあ、テレビとか写真で見てから行くとよくあることだが、思ったより小さな家だった。
でもみっちりと濃くて、なんか、肚が座ってるというか芯が通っているというかな、ああ、やっぱり家というのは住んでいる人を表すんだなと思った。

国文科の学生だった頃、教授に、
「読んでごらん」
と言われた小林秀雄が全然読めなくて、ああ、私は頭が悪いんだと、すっかり自分を諦めたことがあった。それ以来、小林秀雄と聞くとその頃の虚無感を思い出す。白州家のソファを見て、そこに小林秀雄が座っていた写真を思い出して、
「近代日本の知性もここに座ってたんだな」
とちょっと身近になったような気も……。
またいつかトライしてみよう。

ちなみにクリスマスは、武相荘ではまったく無視されていた。

お友達がとってくれた写真。


サピエンス全史

2018-12-25 14:59:37 | 
何年か前に買って積んでおいて、夏頃に手をつけてそのまま停滞していた『サピエンス全史』をようやく読み終えた。
歴史を俯瞰するならここまで高い視点を持たないと面白くない、というより、ここまで高い視点が持てるんだと、感動したというよりはびっくりした。
全20章中の第19章は、「文明は人間を幸福にしたか」というタイトルで、幸福度とは外的環境も内面も関係なく、要はセロトニンの量である、しかもセロトニンが出やすいかどうかは体質による、という元も子もない結論が出ていて、要するに幸福という感覚自体に意味がないということが、とてもしっくり来た。多分私はセロトニンが出にくい体質なんじゃないかと思ったりもしたけど、セロトニンと本当の幸せは関係ないのだから、ががっかりするのはやめよう。
第20章は、次の著作『ホモ・デウス』に続く章だったが、いや、この本は読むのが怖いな。
でもきっと読むなw

ピエール・ボナール

2018-12-16 17:04:16 | art
ピエール・ボナールの展覧会に行ってきた。
この冬は見たい展覧会が目白押しで、新美のピエール・ボナールも気にはなってたんだけど、同時期に開催していた東山魁夷に行った時も横目で見て通過してしまった。
あきらめるつもりだったのに、昨夜、10月に大人買いした『ギャラリー・フェイク』を読んでたら、ボナールの絵が出てきて、
「ルノワールよりカラフルで、ゴッホより繊細!日本人は下手な印象はより、もっとボナールを知るべきです!」
というセリフがあって、なんかすごくそれが響いた。

ルノワールは淡すぎて、ゴッホはゴツすぎる

そう言われるとちょうどしっくり来る気がした。
「見たいな」
と思ったけど、
「でも確か、ボナール今日までだったはず」
と、半ば諦めつつ、確認したら、あと二日、会期が残っていた。
「……(絶対に延長されてる)」
そう思って、行くことにした。

「いざ、視神経の冒険へ」という展覧会のコピーの意味がよくわからなかったのだが、「目にした光景の印象をどうやって絵画化するか」ということだそうで、制作過程の説明などと一緒にいろいろ見て行くうちに、「印象」という漠然としたものを止めようとして、それを反芻し試行錯誤する時間の間に、印象の主体である自分がどんどん現れて来る、という過程が見える気がして面白かった。

でも、素人目だからなのか、晩年、モネと語らうようになって以降の風景画は、
「ちょっと明度の高い印象派」
という感じで、なんだかつまらなかった。

そうそう、展覧会のキャッチコピーはどれも毎回すごく面白いけど、今年のNo.1は、やっぱりビュールレ・コレクションの、ルノアールの『可愛いイレーヌ』のポスターに書かれた、
「絵画史上、最強の美少女(センター)」
だと思う。