「ええん、ジェラしい、ジェラしいよう……」
と、ライン電話の向こうでぽんぽんが訴える。
大学二年の芸術祭で、おともだちと二人展をしたのだが、そのお友達の絵がたいへん素晴らしく、完成度が高く、一緒に展示したぽんぽんは可哀想に、芸祭期間中、お客さんの反応や絵葉書の売れ方や、何もかもから自分との差を見せつけられ続けたらしい。
極め付けに学長がやってきて、そのおともだちに、
「いい絵だね、頑張ってね」
と、言ったのだそうだ。ぽんぽんの絵には一瞥もくれずに(いや、そんなことはないんだろうけどさ、目には入るもんw)。
「そうだねえ、よしよし……」
としか、こちらも言いようがない。
私も見に行ったけど、確かにその実力差は歴然だった。でも、そのお友だちとの展示までのあれやこれやや(そう、ちょっとあれやこれやあった)、ぽんぽんが今度の絵を描くまでの紆余曲折を知っている身としては、そこに身贔屓をたっぷりと上乗せして、内心、ぐぬぬぬぬ……と思う。
「才能のある人ばっかりでさ。どうせ私なんてもともとセンスも個性もないしさ……」
と、本人も詮なきことと知りながら、でもまあちょっと言葉にして吐き出せば、少しは楽になるんだろう。うんうん、と聞きながら、そういえば、と思い出した。
「この間、『100分de名著』が、アリストテレスの二コマコス倫理学だったんだけどさ」
「ニコ……?」
「二コマコス」
「何?」
「知らんけど。そこでさ、アリストテレスが嫉妬について、『他者の善を悲しむ』状態だって説明してるって言ってたよ」
「ん??」
「その人にとっての良いことを、怒るのでもなく、恨むのでもなく、悲しむっていう言い方が絶妙、みたいなことを、解説の先生が言ってた」
「ふうん……悲しいかあ」
「うん」
ぽんぽんはどう思ったか知らないが、私はこの「ぐぬぬぬぬ」は、悲しみっていうのがぴったりくるな、と思った。ギリシャ語は知らないが、古語の「悲し」の第一義は「いとしい、かわいい」なのだ。相手が持っていて自分には与えられないその善は、自分が本当に「愛しい」と思うものなんだよな。
「ま、大丈夫だよ。もう浪人時代からこんな目にばっかりあってるんで。落ち込み方も知ってるし、立ち直り方も知ってるからね」
と、ぽんぽんがクソ生意気に言う。
まあ人生のほんとの嫉妬ってまだまだそんなもんじゃないけどさ、大事なのは絵を描くことじゃなくて、その経験なんだよな。本気で悲しいと思う経験って、本気で大事なことからしか受け取れない。本気で大事なことがある人は、本気で、深く生きられると思う。
「だけどさ、雑貨はよく売れたんだよね。ちっちゃいキャンパスとか、焼いたお皿とか、絵葉書とか……」
と、変なところで変な才能を発揮したぽんぽんではあった。
で、二コマコスとはアリストテレスの息子の名前で、二コマコスがアリストテレスの倫理学についてまとめたので、そのように呼ばれたそうだ。
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