先日、母にショートステイに一泊してもらって、あっちこっちと遊び回ってきた。
「船に乗りたい」
などとふと思い、隅田川の水上バスに乗ってお台場に行こうと思って、浅草に行けばなんとかなるだろうと思って出かけたのだけれど、船の時間が合わず(どうしてこう、旅程を立てるのが下手くそなんだ)、紆余曲折あって、こんなものを見てきた。
『モネ&フレンズ アライブ』
https://monetalivejp.com/tokyo/
最初都合よく無料だと思って会場に行ったら3000円だったので、引き返そうかとすら思ったのだが、なかなか面白い体験だった。
”没入型展覧会”と銘打たれるだけあって、本当に絵画の中に入っちゃったのかな、みたいな不思議体験ができる。実際その場に立っていた画家の目には、世界がこういうふうに見えていたんだろうか。
この体験で思い出したのが、三井記念美術館で6月に滑り込みで行った展示会で、
『茶の湯の美学』
https://www.mitsui-museum.jp/press/release/release_240418.pdf
『卯花墻』という国宝の茶碗を見た時のことだった。
https://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html
思いがけないことに国内で作られた茶碗で、国宝に指定されているものは3つしかないそうで、そのうちのひとつという、やんごとなきお茶碗であらせられるのだが、
「あー、なんか、いい感じに歪んでますね?」
と思ったくらいで、特に何がどう、という感想もなく通り過ぎた。
私はしつこい性格なので、展覧会とかは、一度見たあとに引き返したりする時があるのだが、この時も全部見終わった後に、なんとなく引き返してまたこの『卯花墻』を見た。
この茶碗には、和歌の箱書きがある。
山里の卯花墻(うのはながき)の別つ路
雪踏みわけし 心地こそすれ
多分、そんなに特別な歌ではない。
卯の花を雪に見立てるのはありきたりなテーマだし、
「うん、そうだねえ」
と、素直に共感できるタイプの歌だと思うのだけど、それを読んだ後、もう一度その茶碗を見たときに、一瞬、その茶碗の景色に吸い込まれたような気がして、あっ、っと思った。
私は、その山里の、卯の花の咲きこぼれた小道にいた。
そして私の前には、傘をかぶった墨染の衣の僧がいた。
道は細く、雪のような花をかき分けるようにして歩いていたその背中も、花の小道幻想と共に、一瞬で消えた。
美術館は、時々こういう瞬間があるから面白い。
でも、今回のモネのように、半強制的に絵画に引き摺り込まれるのも、なかなか悪くない体験だったと思う。
BGMに同時代のクラシックがかかっていて(選曲はメジャーどころによせすぎたきらいもある気がしたけど)音響も良くて、なんだか海外を旅行をした気分になれた。
旅程を立てるのが下手くそでも、まあ、いいこともある。
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