京都国立博物館で親鸞展をやるという情報をゲット。
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/special/shinran_2023/
東京に巡回もしなさそうだし、京博も一度行ってみたいし、何より会期が桜の時期と被るし、ということで、恐れ多くも親鸞さんを出汁にして京都に行くことに。
それに先立って、数日前に、いつか読もうとKindleに入れておいてなかなか手が出なかった五木寛之の『親鸞』を、
「まあどうせ間に合わないしな、読むの遅いし」
と思いながら読み始めたのだが、これが面白くてぐいぐい読み進め、6巻中5巻をほぼ読み終わっての親鸞展入り。
『歎異抄』を読んだ時も思ったのだが、親鸞さんは私の「わからない」にものすごく答えてくれる。
信じたくても信じられない、そもそも信じるという意味がわからない、疑い続けていいことといけないこと、学び続けるべきことと愚であるということ、伝えたいのに伝わらない、言葉にすると逸れてしまう、そうじゃない、でもこうでもない……
親鸞さんの生涯を辿れば、そもそも平安末期から鎌倉時代へというその時代が厳しすぎる。壮絶な修行の日々、法難による流刑、見ず知らずの土地での不況、それでも学び続け、書いて書いて書きまくった著作や書状の数々、いやもうすごい。
今のこの恵まれた状況で、
「わかりません、赦せません」
なんて、だらだらしてたらほんとに申し訳ないことだよな。
がんばろ。