ひびこれこうじつ

とりとめなく、日々の覚書です。

名刺

2019-02-28 16:35:30 | 日々のこと
お友だちが、
「名刺を作ろうかな」
というので、便乗して私も作ることにした。
めったにないけど、たまーに、
「名刺あったらよかったのにな」
と思う時がある。

友人は「物を作る人」だ。
こういう人はやっぱりセンスが良くて、しかも仕事が丁寧。
一緒に作らせてもらったおかげで、私の名刺も、ブログへのQRコードがプリントされた、シンプルでかっこいいのになった。
一人でやってたら、面倒だからとQRコードの作成なんかしなかっただろうし、もっとしつこくてぐちゃっとしたのになっただろうな。
この名刺で、良いご縁ができますように^^

空気のように水のように

2019-02-28 16:27:34 | art
ピアノの先生は若い頃、ドイツに留学していた。
先日、先生が、
「日本も、もっと音楽というか、文化が自然に身の回りにあるようになるといいなと思うんですよね。ドイツでは政府や企業がスポンサーになって、いい音楽をタダで聞く機会がたくさんあるんですよね」
と言っていて、へえええ、と思った。
空気や水がいつもそこにあるように、文化が身の回りにあるっていいなと思う。

もう10年くらい前のことになるけど、お世話になっていた整体の先生が、私の家に遊びに来て、
「この街には文化がない!」
と言ったことがあった。
そのころの私には、文化という言葉の意味すらよくわからなくて、
「は??何??」
って思ったけど、あの一言がきっかけで、
「文化ってなんだ?」
って考えるようになったんだったな。
いろいろあってすっかり疎遠になってしまったけど、先生、ありがとうございました。

未来のミライ

2019-02-23 11:02:21 | art

細田監督の大ファン、とか言っておきながら、未来のミライを観てないのは良くないだろうということで、DVDを借りてこようと思ったんだけど、その前にぽんぽんが再上映を探してきた。
「行く?」
「行く行くー」
ほんとは今日こそ、二階の片付けをするはずだったんだけどなあ。

遠い昔の子育て期の騒乱や葛藤を思い出しつつ、そうは言ってもぽんぽんは本当に楽な子だったなあとか、親子二代に渡って一人っ子なので、くんちゃんの気持ちがいまいちわかんないなあとか(でも察して余りある気はしましたw)。
でも登場人物一人一人の気持ちにすっと入って観られるのはさすが。とても自然で、どのキャラにも「人間はこうあるべし」みたいな理想は押し付けていないのに、いい部分も足りない部分も暖かく受け止めてより良いバランスに収まって行く、受容的な優しさが溢れていて、爽やかな気持ちになれた。この爽やかさが細田作品の魅力だよな、と思う。

そしてひいじいちゃんのかっこよさに痺れた(お約束)。
でも全体的に、大人が縦長すぎないだろうか??
最後の東京駅のシーンは文句なく圧巻。


ひいじいちゃんはちょっと父に似てるなと思った。
何かを一歩踏み出すときに、力強い父性が身近にあるというのは幸せなことだ。

でもそれも全部、自分の内側にある。

梅が枝と牡丹と未来のミライ

2019-02-22 10:54:14 | 日々のこと
庭師のお兄さんにもらって居間に飾った梅の枝は見事に満開になって、ずいぶん長い間、楽しませてくれた。

梅の枝は「梅が枝」とも言う。響がき美しくて、とても良い言葉だと思う。桜が枝とか、桃が枝とか言わないのに、なんで「梅が枝」なんだろう。やっぱり響きが悪いからかな。

テレビで細田守監督の『未来のミライ』がアカデミー賞にノミネートされたと報じていた。無人島に一本DVDを持っていくなら、同監督の『サマーウォーズ』、と心に決めている私だが、実は未来のミライは観ていない。アクション系の映画が好きなんだもーんw
「へえ、劇場で見ればよかったね」
とぽんぽんと話してたら、日本語を外国語に訳すのって難しいだろうね、とぽんぽんが言った。
「いや、英語を日本語に直しても、やっぱりニュアンスは伝わらないだろうけどね」
「まあ、そうなんだけど、日本語ってオノマトペとかあるじゃん。あれ、英語にはないよね」
「そうだねえ」
「日本って雨を表す言葉が60種類あるんだって。古典の先生が言ってた」
「へええええ」
「あと、桜は咲いて散る、椿は開いて落ちる、梅はほころんでこぼれる、って言うんだって」
「おおおおお」
古典系でぽんぽんに教えられるようになっちゃ、そろそろ私も焼きが回ったもんだが、梅がこぼれると言うのは知らなかったな。

ちょっと調べてみたら花の散り方を表す言葉として、ほかにも、朝顔「しぼむ」、菊は「舞う」、芍薬とか牡丹はなんと「崩れる」なんていう言葉があるのだそう。

あの豪華絢爛な牡丹が、崩れる……。
なんかいいなあ。

マシンガン2挺と顔真卿展

2019-02-20 10:19:27 | art
なんども会ってるけど、二人で会ったことはなかった方とランチすることになって、きっとそうなるだろうとは思ってたけど、やっぱりものすごく喋った。
そもそも私はマシンガントークだけど、相手も相当なマシンガンで、二挺で撃ち合えば、そりゃ、エスカレートしていくってもんだろう。
でもなんというか、撃ちつくした感があって、
「じゃ、またね!」
とお別れした時には、一種爽快な気分だった(笑)

その後、顔真卿展へ。
うーん、書は、わからないなあ^^;;
母はちょっと書道にはうるさいから、絵よりは馴染みがあるはずなんだけど。
「どうだった?」
と母に聞かれて、思わず、
「うーん、白と黒だった(拓本も白黒だしね)」

中国文化にとっての書って、生き方とか、思想そのものなのなんだなっていうのは、ちょっとわかった。
日本への影響ということで、並べて展示されていた藤原行成の書の繊細さに、ちょっとホッとした。物言う中国語と秘めたい日本語は、同じ字を使っても纏うモノが違うのだろう。



山の岩肌に掘られた碑の拓本は、国立博物館の天井から吊り下げてもまだ余る。スケールが違う。