いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

佐原の町4 番外編 流しびな・下野ひとがた

2008-04-20 16:10:15 | 散策
佐原の町越しイベント「5月人形めぐり展」において、佐原町並み交流館に展示されていた「下野ひとがた」は、小山市無形文化財に指定されています。このことは、4月15日にも書きました。

下総国(しもうさのくに)に属した佐原(千葉県香取市佐原)の交流館に展示されていた、下野国(しもつけのくに)領であった小山市(栃木県)の流しびな(写真)が「下野ひとがた」です。

ところで、「下野ひとがた」の「ひとがた」って何んでしょう?

①人の形をしたもの。にんぎょう。多く祓(はらい)いのときの形代(かたしろ)とする。
②転じて、身代わりの人。代理。
③人相。人相書。

そして、「にんぎょう」とは・・・。

①紙、土、木などで人の形を模して作ったもの。古くは「ひとかた」といい宗教的な行事に用いられていたが、中世以降は観賞・愛玩用として発達した。
②人形仕立ての略。

広辞苑(第五版)の説明です。

そこで、佐原町並み交流館に展示してある「下野ひとがた」に話を戻します。

獅子を呑み込んでいる鯱(しゃち)を思い起こす兜が、上段の中央にあります。その前で、牛若丸が笛を吹いています。3体の弁慶が牛若丸の左横に飾られ、薙刀を構えて立っています。最前列に飾られているのは、着飾った子供達の「流しびな」です(写真)。

流しびなの作成者を記入した名札が、ひとがたの近くに置いてありました。
鯱兜を制作者された方に話をお伺して、佐原と小山との関係や展示されている「流しびな」についての疑問が解けました。

『鯱兜の獅子の部分には、兜を被る人の家紋が入っています。交流会館に展示してあるのは、獅子を入れた「流しびな」の兜です。今回、大きい兜が展示されるので、鯱兜も大きく創りました。背丈が60cmあるひとがたも作成しているので、保有しています。

下野ひとがたは、素朴な姿をしており、両手に組んだ袖口を帯に指し込んでいるような姿をしています(写真の右から4,5番目)。
しかし、このごろは、両手を広げたひとがた(写真の左側)を制作する人が増え、背丈も小さくなってきました。

ひとがたを作り始めて40年になります。ひとがた創りの魅力は尽きません。ひとがたを創り続けていると、顔に目鼻を入れたくなる時期があります。やがて、目鼻を入れない原型に戻ります』

牛若丸だけは目鼻がちゃんとあり、弁慶と子供達の顔には目鼻が書き込まれていませんが。

『牛若丸は、千代紙で作成した古いものです。「下野しぼり和紙」を使った弁慶が展示されるので飾ることにしました。

下野しぼり技術保持者として小山市無形文化財に指定されていた諏訪重雄さんが他界されたので、平成8(1996)年、諏訪ちひろさんが無形文化財技術保持者として認定されました。諏訪ちひろさんは、日本紙人形協会アカデミー会長を務めております』

お伺いした話の要旨です。

佐原と小山との縁組は・・・。

小山市で「下野ひとがた」を創っていた鯱兜の制作者が佐原に移住したからです。
香取市と小山市は姉妹関係にあるので、5月人形めぐり展に「下野ひとがた」を展示する企画を提案して採用されたからでした。

余談になります。
奈良の東大寺二月堂で、3月13日未明に行われる「御水取り」を行う時、修行僧がまとっている着物は、600枚の「しぼり和紙」をひと針一針、修行僧が縫い上げた紙衣(かみこ)です。


「下野しぼり」「下野ひとがた」を解説したWEBがありますので、小山市無形文化財「下野ひとがた」に興味を持たれた方は、ネットサーフィンを楽しんで下さい。

「下野しぼり・下野人形」WEBは、下記のように紹介しています。

1.下野しぼりとは
下野しぼりとは和紙を加工する技法で、栃木県小山市無形文化財に指定されています。奈良時代に弓削道鏡によって下野の国に伝えられたといわれております。しぼり紙は「悪をしぼり出す」と言われていますから、伝授の折には信仰的な意味も含まれていたことでしょう。
紙衣(紙で作られた衣服のこと。もともと僧侶たちが愛用していたが、江戸時代には庶民の衣服の代表となる)や髢の材料としてもてはやされておりましたが、時代の流れと共に廃れてしまい、今では諏訪重雄から一子相伝で受け継いだ諏訪ちひろだけがその技法を守り制作しております。
柿渋を施した和紙の型紙を使って下野しぼり和紙は作られます。手仕事によって生まれる風雅なしぼり目は、布のような手触りと時には木や革のような味わいを醸し出し、丈夫で色褪せず、人形だけでなく美術工芸の素材として使われています。

2.下野ひとがたの由来
下野の国(栃木県)の中央を流れる「思川」には、古くから「ひとがた(人形)」に願をかけて幸せを求める風習がありあります。この川に人形を流すと思いがかなうので「思川」と呼ばれるようになったという伝説もあります。人形に願いを託すのは、人間をかたどった「ひとがた(人形)」には魂があり、必ず身替わりになってくれると信じた一種の民間信仰です。また、「ひとがた」は下野の国の工芸品「下野しぼり」和紙で作られました。しぼり紙が身に着いた悪をしぼり出すと言われたからでありましょう。このひとがたが『下野人形』です。
もともとは素朴な姿でした。その目鼻の無い顔は観る人の心を映し、また作る人の心をも表します。人形作りは人の心を無心にさせ、そして温かい心で作らねば良い人形ができません。「しもつけひとがた」が幸せを呼ぶ紙人形と言われているのもそうして生み出されるからです。
戦後ひとがたを再興した諏訪重雄・志津子夫妻によって伝統の中にも新しい意匠が取り入れられ、 美術工芸品として日本だけでなく海外でも高く評価されております。
幸せの祈りをこめたひとがたを和紙や藁で作った舟にのせて、思川に流す行事「流しびな」は、現在も毎年7月の第1日曜日に開催され続けております。
 
















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