11月24日(土)は、昼前までは太陽が雲に遮られ、曇天模様でした。
昼過ぎに雲がなくなり庭園内に降り注ぐ陽光を浴びている猫は、あたかも、小春日和を満喫している雰囲気。
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さて、徳川三代将軍・家光の4子・綱吉に実子がいなかったのが幸いし、五代将軍・綱吉の養子になってから、宝永6(1709)年5月1日、家光の孫にあたる家宣は六代将軍に就いた。これを契機に、松平 綱重が別邸にしていた甲府浜屋敷は、「浜御殿」と呼ばれるようになり、ほぼ現在の姿の庭園が第十一代将軍・家斉 [ いえなり:天明7(1782 )年~天保8(1837 )年 ] の時代に完成している。
家斉は、燕の茶屋、松の茶屋、藁葺の茶屋(鷹の茶屋)、御亭山腰掛、松原の腰掛、五番掘腰掛、浜の藁屋、新銭座東屋などを建てている。浜御殿はこの時代に最も整備・修治され、華々しい催しが続いた時代であった(小杉 雄三著:浜離宮庭園)。
松に隠れている「小の宇島」の入口には「藤棚」、左奥に観える「中島の茶屋」。そこから富士見山方面へ向かう白い橋を横目で窺い、「潮入の池(大泉水)」を悠然と眺めている猫がいます。
芝生へ入らないように散策路に張り廻らしてあるロープを結界とでも心得ている様子で、散策者の話し声や足音がしても正面を直視したまま。口笛で呼びかけても馬耳東風。
ここから少し右に行くと平成22年12月に復元された「松の茶屋」があり見学ポイントになっている。人の気配がする環境に慣れているのでしょう。よそ者の元気印がチャチヤを入れても無視される訳です。
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この庭園にあった「燕(つばくろ)の茶屋」、「松の茶屋」、「藁葺の茶屋(鷹の茶屋)」のうち復元されたのは「松の茶屋」だけ、他の二つは礎石等が現存しているので、復元する計画があるようです。
茶屋の周辺に松が多く植えられていた、谷 文晁(たに ぶんちょう)が戸障子すべてに松を描いたから「松の茶屋」と呼ばれ、翠松亭(すいしょうてい)とも言われていた(同上)。
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広さ約8,000坪もある「大泉水」は、水門によって海の水を導く「潮入り」の手法を取り入れ、潮の干満によって池の水位が変化する造りになっている。庭園の定住猫は、池の岸の様子がその時々に変わる風情を想像しているのかも知れません。
家斉が精魂を込めて整備した庭園の最盛期を偲ばせる見事な松もあるこの場所は、定住猫の指定席に相応しいようです。
「松の茶屋」で猫を撮り終えて「お伝い橋」の入口へ行く途中、外国のメディアに出会いました。
和服の女性二人と打合せをしている外国人二人。女性は通訳、演出をする男性でしょうか。音を採る係りは大きなマイクを片手に、なにやら調整している様子。右の二人はカメラマンでしょう、和服女性の姿をどう撮るかを頭に描いている風情です。
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ことの顛末を見定めたかったのですが、生憎、12時30分から12年振りに再会する会合があり、後ろ髪を引かれる思いで、浜離宮恩賜庭園を後にした次第。
昼過ぎに雲がなくなり庭園内に降り注ぐ陽光を浴びている猫は、あたかも、小春日和を満喫している雰囲気。
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さて、徳川三代将軍・家光の4子・綱吉に実子がいなかったのが幸いし、五代将軍・綱吉の養子になってから、宝永6(1709)年5月1日、家光の孫にあたる家宣は六代将軍に就いた。これを契機に、松平 綱重が別邸にしていた甲府浜屋敷は、「浜御殿」と呼ばれるようになり、ほぼ現在の姿の庭園が第十一代将軍・家斉 [ いえなり:天明7(1782 )年~天保8(1837 )年 ] の時代に完成している。
家斉は、燕の茶屋、松の茶屋、藁葺の茶屋(鷹の茶屋)、御亭山腰掛、松原の腰掛、五番掘腰掛、浜の藁屋、新銭座東屋などを建てている。浜御殿はこの時代に最も整備・修治され、華々しい催しが続いた時代であった(小杉 雄三著:浜離宮庭園)。
松に隠れている「小の宇島」の入口には「藤棚」、左奥に観える「中島の茶屋」。そこから富士見山方面へ向かう白い橋を横目で窺い、「潮入の池(大泉水)」を悠然と眺めている猫がいます。
芝生へ入らないように散策路に張り廻らしてあるロープを結界とでも心得ている様子で、散策者の話し声や足音がしても正面を直視したまま。口笛で呼びかけても馬耳東風。
ここから少し右に行くと平成22年12月に復元された「松の茶屋」があり見学ポイントになっている。人の気配がする環境に慣れているのでしょう。よそ者の元気印がチャチヤを入れても無視される訳です。
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この庭園にあった「燕(つばくろ)の茶屋」、「松の茶屋」、「藁葺の茶屋(鷹の茶屋)」のうち復元されたのは「松の茶屋」だけ、他の二つは礎石等が現存しているので、復元する計画があるようです。
茶屋の周辺に松が多く植えられていた、谷 文晁(たに ぶんちょう)が戸障子すべてに松を描いたから「松の茶屋」と呼ばれ、翠松亭(すいしょうてい)とも言われていた(同上)。
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広さ約8,000坪もある「大泉水」は、水門によって海の水を導く「潮入り」の手法を取り入れ、潮の干満によって池の水位が変化する造りになっている。庭園の定住猫は、池の岸の様子がその時々に変わる風情を想像しているのかも知れません。
家斉が精魂を込めて整備した庭園の最盛期を偲ばせる見事な松もあるこの場所は、定住猫の指定席に相応しいようです。
「松の茶屋」で猫を撮り終えて「お伝い橋」の入口へ行く途中、外国のメディアに出会いました。
和服の女性二人と打合せをしている外国人二人。女性は通訳、演出をする男性でしょうか。音を採る係りは大きなマイクを片手に、なにやら調整している様子。右の二人はカメラマンでしょう、和服女性の姿をどう撮るかを頭に描いている風情です。
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ことの顛末を見定めたかったのですが、生憎、12時30分から12年振りに再会する会合があり、後ろ髪を引かれる思いで、浜離宮恩賜庭園を後にした次第。
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