今日水曜日は、私の休日
午前中は雨だったが現在空は曇り、
きつい太陽も無く安心して家を出る
トンネルを出るとそこは大きな河原に出た
天竜川を渡る、
私の子供の頃はこんな巨岩は見えなかった。
佐久間、秋葉、船明のダムの出現で土砂の流れが変わって
岩盤露出となってしまった。
下流には天浜線の鉄橋が見える
一両列車の通過を待つが残念ながら諦めた
振り返れば椎ケ脇神社の急な階段
むかーし昔 天龍の淵に龍が住んでおり
討伐の途中に通りかかった坂上田村麻呂は
龍を成敗したという伝説がある。
戦国時代の二俣城と鳥羽山城の戦いでは家康は武田の軍勢に攻められ
天竜川を竹の筏を組んで逃れたという話を知った大久保彦左衛門は
主君を竹の筏で逃れさせたことを怒って
神社の柱を切りつけたそうで、今も刀傷が残っている。
あら、河原にテニスコートが、
「二俣中学校のテニスコートだろうか」
「今は学校名も変わったんじゃないの」
私は庭球部員だったのに、
大型合併で南アルプスまで浜松市となってしまいました
日本変革の時代があったんだな、
山の民の心は大都会には似合わないと今も思っている
堤防を歩くと、こんな看板があった
密閉 密集 密接 ここの何処にこの3文字があるんだろう、
密接の文字は昔の堤防を知っている私は結構笑ってしまった。
草が生い茂る堤防をゆく
秋の七草の萩の花が可愛く咲いていた
ザックに傘を背負って歩く姿がよく似合う
飛龍橋のたもとまで来た
河口から23.6kmの標識が見える
飛龍大橋の歩道前にこんな標識があった
[飛龍大橋]
と書いてある。
通行者向けでは無い
ヘリコプターや航空機に見えるように記されているのだ。
災害用やドクターヘリ用のものだろう
飛龍橋のシンボル龍の背中にカラスの群れ
糞の爆撃にきをつけて通過、
飛龍大橋の下で山葡萄を見つけた
もう秋だ
大天竜の流れ渦巻く 北遠鹿島に地をしめて♪
長さ680mの橋を渡ると二俣の街に入ると
二俣城が見えて来た。
天竜水系の山並みを望み、これからのも続くコロナ禍で
安全に食料も確保できる、
言い換えれば桃源郷になるのかもしれない地帯である。