2013年5月21日。
今日も対談バージョンでお送りします!
今日お話しさせていただいたのは、サンパウロ・リベルダージ東洋人街日系商工会会長で、コスメティックのお店を経営しているイケサキさんです。
お忙しい中長い時間を取っていただき、対談時間はなんと3時間を超えてしまいました!さらにお昼までご一緒させていただき、サンパウロニッケイ新聞社社長のオオタキさんと3人で日本食を御馳走になってしまいました。本当にありがとうございます!
3時間じっくりお話を聞かせていただいたので、とても全てをここで載せることはできませんが、要約してお伝えしたいと思います!
ふじもん=今日はお忙しい中お時間を取っていただき、本当にありがとうございます。よろしくお願い致します!
イケサキ=ようこそサンパウロへ。こちらこそお願いします。
ふじもん=イケサキさんは5歳のときにブラジルへ移住したそうですが、どのような生活を送ってこられたのでしょうか?
イケサキ=5歳ですから、わけもわからずブラジルにやって来ました。移住した日本人はみんな農業をするわけですが、我が家も農地を拓いて、野菜を作っていました。
ふじもん=やはり色々とご苦労をされたんですよね・・・?
イケサキ=色々ありましたよ、それはもう!(笑)でも僕は、農業の様子を見ていて、これはバクチだと思ったんです。豊作の時はみんなも豊作、価格も下がる。作物をわざと枯らすこともありますしね。逆に不作の時はみんなも不作。商品の値段は上がっても、売るものがないのだから、これじゃ意味がない。だから僕は、百姓はやらないと決めたんです。サンパウロに行って勉強して、皿洗いでも靴磨きでもなんでもやって、そこで生きていくと。
ふじもん=なるほど。一人でサンパウロまで行かれたんですか?
イケサキ=はい、一人で行きました。どんな生活になるのかも分からないのに、家族を連れていくわけにはいかないですしね。それにね、僕は苦労するのが大好きなんです。負けん気も人一倍強い。僕はね、頑張り屋なんです(笑)!
ふじもん=だからこそ、今サンパウロでこれほどまでのご活躍をなさっているわけですよね。本当に尊敬致します。サンパウロでは、まずは何から始めたのでしょうか?
イケサキ=洗たく屋の仕事から始めました。最初は上手くいっていたのですが、徐々にブラジル人の生活も変わってきて、洗たく屋の需要が減ってきたんですね。みんな少しずつ生活に余裕が出てきて、オシャレが出来るようになってきた。髪の毛をいじったり、化粧をしたり。そこで私は、化粧品の会社を立ち上げたということなんです。
ふじもん=なるほど、そういう背景があったのですね。一人でサンパウロにやって来てここまでのものを作り上げて・・・本当に頭が下がります。今の日本人には、そういう「たくましさ」が欠けているような気がしてならないんです。イケサキさんは、どのようにお考えですか。
イケサキ=私もその通りだと思います。それはね、教育のせいですよ。戦後日本は、骨抜きにされてしまった。アメリカ支配の中で、日本の魂を抜かれてしまったんですよね。
ふじもん=そもそもは教育が大きいということなんですね。それでも日本は戦後、奇跡とも言われる復興を果たしましたよね。
イケサキ=それは日本人の、人間の強さですよ。それが日本の誇り、強さなんです。日本という国は島国で、資源も乏しい。それでも人間が強いから、ここまで成長できたんです。
ふじもん=しかし、今の日本は低迷を続けているとよく言われます。30年~40年前の日本人と今の日本人は、何が変わってしまったのでしょうか。
イケサキ=人間が変わってしまったんでしょうね・・・。焼け野原からの復興は、教育が変えられたとしても、一人一人の心の強さでここまで来れた。それが、ある一定のところまで来て、日本は立ち止まってしまった。教育が変わって、日本の魂が抜かれてしまったからでしょうね。
ふじもん=ブラジルにいても、そのような状況を感じますか?
イケサキ=感じますよ。たとえば、このリベルダージ地区も、昔は日本人街だった。それが、今や中国系や韓国系のお店ばかりになりつつある。日本食を買うのは日本人なのに、売っているのは、中国系や韓国系。別に中国や韓国が嫌いとか、そうではありませんよ。日本人は何をやっているんだ!ということなんです。日本人の根性が失われている。日本人の精神はどこに行ったんだ、ということを感じますね。
ふじもん=今日本でも、日本人の有り方が問われています。私自身も、もっと日本と日本の若者に元気が必要だと強く感じています。これからを担う日本の若者に、ぜひメッセージをお願いします。
イケサキ=全ては自分です。会社や政府のせいにしても、何も始まらない。自分で動かなければならないんです。人のせいにしても、何も始まらない。今日本という国が色々あったとしても、自分という個人では絶対に負けない。そういう気概が必要なんです。それが日本の国力にも繋がるんです。どんな状況でも、今が始まりなんです。そういう強い気持ちを持ってほしいですね。
ふじもん=力強いメッセージ、ありがとうございます!お忙しい中、本当にありがとうございました!
イケサキ=藤本さんのような人が必要です。(と、言っていただけました(笑))これからも、そして日本でも頑張って下さい!
多くの苦労を乗り越えてこられた方だからこその、言葉の重みを非常に感じました。日本人はこれから何を目指すべきなのか?これからの日本はどうあるべきなのか?この大きな課題に、私たちは立ち向かわなければならないですね。イケサキさん、本当にありがとうございました!
今日も対談バージョンでお送りします!
今日お話しさせていただいたのは、サンパウロ・リベルダージ東洋人街日系商工会会長で、コスメティックのお店を経営しているイケサキさんです。
お忙しい中長い時間を取っていただき、対談時間はなんと3時間を超えてしまいました!さらにお昼までご一緒させていただき、サンパウロニッケイ新聞社社長のオオタキさんと3人で日本食を御馳走になってしまいました。本当にありがとうございます!
3時間じっくりお話を聞かせていただいたので、とても全てをここで載せることはできませんが、要約してお伝えしたいと思います!
ふじもん=今日はお忙しい中お時間を取っていただき、本当にありがとうございます。よろしくお願い致します!
イケサキ=ようこそサンパウロへ。こちらこそお願いします。
ふじもん=イケサキさんは5歳のときにブラジルへ移住したそうですが、どのような生活を送ってこられたのでしょうか?
イケサキ=5歳ですから、わけもわからずブラジルにやって来ました。移住した日本人はみんな農業をするわけですが、我が家も農地を拓いて、野菜を作っていました。
ふじもん=やはり色々とご苦労をされたんですよね・・・?
イケサキ=色々ありましたよ、それはもう!(笑)でも僕は、農業の様子を見ていて、これはバクチだと思ったんです。豊作の時はみんなも豊作、価格も下がる。作物をわざと枯らすこともありますしね。逆に不作の時はみんなも不作。商品の値段は上がっても、売るものがないのだから、これじゃ意味がない。だから僕は、百姓はやらないと決めたんです。サンパウロに行って勉強して、皿洗いでも靴磨きでもなんでもやって、そこで生きていくと。
ふじもん=なるほど。一人でサンパウロまで行かれたんですか?
イケサキ=はい、一人で行きました。どんな生活になるのかも分からないのに、家族を連れていくわけにはいかないですしね。それにね、僕は苦労するのが大好きなんです。負けん気も人一倍強い。僕はね、頑張り屋なんです(笑)!
ふじもん=だからこそ、今サンパウロでこれほどまでのご活躍をなさっているわけですよね。本当に尊敬致します。サンパウロでは、まずは何から始めたのでしょうか?
イケサキ=洗たく屋の仕事から始めました。最初は上手くいっていたのですが、徐々にブラジル人の生活も変わってきて、洗たく屋の需要が減ってきたんですね。みんな少しずつ生活に余裕が出てきて、オシャレが出来るようになってきた。髪の毛をいじったり、化粧をしたり。そこで私は、化粧品の会社を立ち上げたということなんです。
ふじもん=なるほど、そういう背景があったのですね。一人でサンパウロにやって来てここまでのものを作り上げて・・・本当に頭が下がります。今の日本人には、そういう「たくましさ」が欠けているような気がしてならないんです。イケサキさんは、どのようにお考えですか。
イケサキ=私もその通りだと思います。それはね、教育のせいですよ。戦後日本は、骨抜きにされてしまった。アメリカ支配の中で、日本の魂を抜かれてしまったんですよね。
ふじもん=そもそもは教育が大きいということなんですね。それでも日本は戦後、奇跡とも言われる復興を果たしましたよね。
イケサキ=それは日本人の、人間の強さですよ。それが日本の誇り、強さなんです。日本という国は島国で、資源も乏しい。それでも人間が強いから、ここまで成長できたんです。
ふじもん=しかし、今の日本は低迷を続けているとよく言われます。30年~40年前の日本人と今の日本人は、何が変わってしまったのでしょうか。
イケサキ=人間が変わってしまったんでしょうね・・・。焼け野原からの復興は、教育が変えられたとしても、一人一人の心の強さでここまで来れた。それが、ある一定のところまで来て、日本は立ち止まってしまった。教育が変わって、日本の魂が抜かれてしまったからでしょうね。
ふじもん=ブラジルにいても、そのような状況を感じますか?
イケサキ=感じますよ。たとえば、このリベルダージ地区も、昔は日本人街だった。それが、今や中国系や韓国系のお店ばかりになりつつある。日本食を買うのは日本人なのに、売っているのは、中国系や韓国系。別に中国や韓国が嫌いとか、そうではありませんよ。日本人は何をやっているんだ!ということなんです。日本人の根性が失われている。日本人の精神はどこに行ったんだ、ということを感じますね。
ふじもん=今日本でも、日本人の有り方が問われています。私自身も、もっと日本と日本の若者に元気が必要だと強く感じています。これからを担う日本の若者に、ぜひメッセージをお願いします。
イケサキ=全ては自分です。会社や政府のせいにしても、何も始まらない。自分で動かなければならないんです。人のせいにしても、何も始まらない。今日本という国が色々あったとしても、自分という個人では絶対に負けない。そういう気概が必要なんです。それが日本の国力にも繋がるんです。どんな状況でも、今が始まりなんです。そういう強い気持ちを持ってほしいですね。
ふじもん=力強いメッセージ、ありがとうございます!お忙しい中、本当にありがとうございました!
イケサキ=藤本さんのような人が必要です。(と、言っていただけました(笑))これからも、そして日本でも頑張って下さい!
多くの苦労を乗り越えてこられた方だからこその、言葉の重みを非常に感じました。日本人はこれから何を目指すべきなのか?これからの日本はどうあるべきなのか?この大きな課題に、私たちは立ち向かわなければならないですね。イケサキさん、本当にありがとうございました!
朝起きて、昼が過ぎて、夜になって寝て、また朝になって・・・。
と、生きている人が多い気がします。みんながみんなそんなことはないですけど、現代人って、「生きていることの本当の充実感」を見失っている人も多いですよね、きっと。
僕、日々すごく「死」を意識するんです。
それは後ろ向きではなく、とっても前向きに「死」を考えるんです。
「生」を考えるからこそ、「死」を考える。何かが「始まる」ということは、必ず「終わり」が来る。人生の「終わり」である死に対して、眼をそらさずに腹を据えて向き合うこと。そこに1つの、「生の充実」へのヒントがあると思うんです。
昔、生徒にこんな質問をしました。
「次の中から、可能性が100%のものを選んで。」
1.あと10分後に隕石は頭上に落ちてこない。
2.昼休みに突然飛行機が校庭に不時着しない。
3.〇年〇組の生徒全員と藤本正樹は、いずれ死ぬ。
答えはもちろん3ですね。どんなことだって、100%起きないなんて、言い切ることはできない。
でも、死ぬんですよね、みんな。それだけは100%。
笑えませんか?みんな知ってるんですよ、そのこと。絶対死ぬって。小学生だって、自分がいつか死ぬことを悟っているはずです。
それがいつなのか?どんな形なのか?それは分かりませんが・・・絶対、死ぬんですよね。
誰もが死ぬ。それは知っている。でも、なぜか「死」を遠ざける。誰にでもやってくる「終末」なのに。
「絶対は絶対にない」と、よく生徒に言いました。でも。「死という絶対」はある。そこに向き合い、いかにして「死」を迎えるのか?どんな「死」を迎えたら、あなたは幸せなのか?どんな「終わり方」をしたいのか?そこをとことん追究することに、「生の充実」への1つのヒントがあると思うんですよね。
少しだけ、僕の話。
インドのガンジス河にいたときのこと。河のほとりには、焼却場があるんです。そこでは、息絶えたヒンズー教徒の方々が、次々と焼かれていきました。そしてその灰は、聖なるガンジスに流されます。ヒンズー教徒にとって、ガンジス川のほとりでその身体を焼かれ、ガンジスに流されるということは、最高の「終末」ということのようです。
僕は、そこで死体を運ぶ作業を手伝わせてもらいました。そして、何人もの死体が目の前で焼かれていくのを見ていました。
不思議な気持ちになるんですよね。
さっきまで、命ある肉体だったはずのその身体が、瞬く間に炎に包まれ、そして灰になっていく。
そして何人もの死体が、焼かれるのを今か今かと待っている。
いや、違うぞ。死体だけじゃない。生きている人もいるじゃないか!
ある老人に話を聞いた。
「ここで死んで、そして焼かれるためにここにいる。それがハッピーなんだ。」と。
衝撃的でした。ここで死ぬためにここに在り、そして焼かれるためにここに在る。
そして、それはハッピーであると。
考えさせられました。
「生」とは何か?「死」とは何か?
ここで「死」を迎えるために、まだある「生」を使い切る。その意義は何なのか?
そこに意義を見出しているからこそ、彼らの「終末」は、ハッピーなのです。
このとき、そしてこの場ほど、人間の「死」について考えさせられたことはありません。
それ以来、僕は「死思考人間」になってしまいました。
僕にとって、ハッピーな死って何だろう?ハッピーな終末って何だろう。
どうやったら、ハッピーな終末を迎えられるんだろう?
人間が生きて、死ぬって、何なんだろう。
答えは、きっと自分自身で結論を出すしかないのでしょうね。
でも、そのために悩み、人に聞き、思考を繰り返すことに、価値がある。
その作業を通して、少しずつ「生」が良くなっていく。僕は、そう思うんです。
国が変われば、死生観は変わる。時代が変わっても、死生観は変わる。
今僕たちが21世紀という時代で、日本という国で生きているのであれば、その中で、「ハッピーな生と最高の死」の答えを見出すのしかないのでしょうね。
混沌とした時代だからこそ、今こそ、「死」を見つめ直すときだと思います。
特に日本のように、「人間の死に様」が、日常から遠ざけられている国では。
これは人間だけじゃないですね。動物も同じ。なんたって、「牛肉は白いトレーに乗せられてパックで包まれて生まれてくる」と、本気で思っている小学生もいるらしいですからね。
皆さんも今一度、「死」について考えてみませんか。
そしてよかったら、僕と一緒に「死思考人間」になりましょう!笑)
ふじもん
と、生きている人が多い気がします。みんながみんなそんなことはないですけど、現代人って、「生きていることの本当の充実感」を見失っている人も多いですよね、きっと。
僕、日々すごく「死」を意識するんです。
それは後ろ向きではなく、とっても前向きに「死」を考えるんです。
「生」を考えるからこそ、「死」を考える。何かが「始まる」ということは、必ず「終わり」が来る。人生の「終わり」である死に対して、眼をそらさずに腹を据えて向き合うこと。そこに1つの、「生の充実」へのヒントがあると思うんです。
昔、生徒にこんな質問をしました。
「次の中から、可能性が100%のものを選んで。」
1.あと10分後に隕石は頭上に落ちてこない。
2.昼休みに突然飛行機が校庭に不時着しない。
3.〇年〇組の生徒全員と藤本正樹は、いずれ死ぬ。
答えはもちろん3ですね。どんなことだって、100%起きないなんて、言い切ることはできない。
でも、死ぬんですよね、みんな。それだけは100%。
笑えませんか?みんな知ってるんですよ、そのこと。絶対死ぬって。小学生だって、自分がいつか死ぬことを悟っているはずです。
それがいつなのか?どんな形なのか?それは分かりませんが・・・絶対、死ぬんですよね。
誰もが死ぬ。それは知っている。でも、なぜか「死」を遠ざける。誰にでもやってくる「終末」なのに。
「絶対は絶対にない」と、よく生徒に言いました。でも。「死という絶対」はある。そこに向き合い、いかにして「死」を迎えるのか?どんな「死」を迎えたら、あなたは幸せなのか?どんな「終わり方」をしたいのか?そこをとことん追究することに、「生の充実」への1つのヒントがあると思うんですよね。
少しだけ、僕の話。
インドのガンジス河にいたときのこと。河のほとりには、焼却場があるんです。そこでは、息絶えたヒンズー教徒の方々が、次々と焼かれていきました。そしてその灰は、聖なるガンジスに流されます。ヒンズー教徒にとって、ガンジス川のほとりでその身体を焼かれ、ガンジスに流されるということは、最高の「終末」ということのようです。
僕は、そこで死体を運ぶ作業を手伝わせてもらいました。そして、何人もの死体が目の前で焼かれていくのを見ていました。
不思議な気持ちになるんですよね。
さっきまで、命ある肉体だったはずのその身体が、瞬く間に炎に包まれ、そして灰になっていく。
そして何人もの死体が、焼かれるのを今か今かと待っている。
いや、違うぞ。死体だけじゃない。生きている人もいるじゃないか!
ある老人に話を聞いた。
「ここで死んで、そして焼かれるためにここにいる。それがハッピーなんだ。」と。
衝撃的でした。ここで死ぬためにここに在り、そして焼かれるためにここに在る。
そして、それはハッピーであると。
考えさせられました。
「生」とは何か?「死」とは何か?
ここで「死」を迎えるために、まだある「生」を使い切る。その意義は何なのか?
そこに意義を見出しているからこそ、彼らの「終末」は、ハッピーなのです。
このとき、そしてこの場ほど、人間の「死」について考えさせられたことはありません。
それ以来、僕は「死思考人間」になってしまいました。
僕にとって、ハッピーな死って何だろう?ハッピーな終末って何だろう。
どうやったら、ハッピーな終末を迎えられるんだろう?
人間が生きて、死ぬって、何なんだろう。
答えは、きっと自分自身で結論を出すしかないのでしょうね。
でも、そのために悩み、人に聞き、思考を繰り返すことに、価値がある。
その作業を通して、少しずつ「生」が良くなっていく。僕は、そう思うんです。
国が変われば、死生観は変わる。時代が変わっても、死生観は変わる。
今僕たちが21世紀という時代で、日本という国で生きているのであれば、その中で、「ハッピーな生と最高の死」の答えを見出すのしかないのでしょうね。
混沌とした時代だからこそ、今こそ、「死」を見つめ直すときだと思います。
特に日本のように、「人間の死に様」が、日常から遠ざけられている国では。
これは人間だけじゃないですね。動物も同じ。なんたって、「牛肉は白いトレーに乗せられてパックで包まれて生まれてくる」と、本気で思っている小学生もいるらしいですからね。
皆さんも今一度、「死」について考えてみませんか。
そしてよかったら、僕と一緒に「死思考人間」になりましょう!笑)
ふじもん
2013年5月20日
今日はサンパウロ郊外にある、サンパウロ日本人学校を訪問してきました。
いや~なかなか面白かったです!外はブラジルなのに、中は完全に日本でした!と言っても建物等はもちろん日本の学校とは違いますが、日本語が飛び交っているんですよね。先生方も至って普通の日本の先生だし。なんだか不思議な気持ちになりました。
ということで今回は、小さな写真をいくつか貼り付けながら紹介していきます!
厳重なゲートをくぐり抜け、少し進むと・・・
おお、まさに日本の学校!
こちらの先生に、とっても親切丁寧に学校の案内をしていただきました。
と言っても大半はサンパウロや南米諸国についての話で盛り上がってしまったのですが(笑)、さすがサンパウロに長年住んでいるだけあって、リアルな情報が盛りだくさん!すっげぇ楽しかったです!貴重なお話がたくさん聞けました!
そして職員玄関の正面には・・・
おおお、まさに日本の学校!
そしてあちこちに掲示物が・・・
びっくりするくらい、中は日本の学校と同じなんですね。
それもそのはずで、日本人学校は、日本の教育課程とまったく同じことをやってます。将来的に子ども達が日本に帰った時に、そのまま日本の学校に滞りなく編入できるようにカリキュラムが設定されています。つまり、場所が日本ではないだけであって、まさに日本の学校なんですよね。先生方もびっくりするくらい、「日本の先生」でした(笑)。
ではいくつか、日本では見られない光景を・・・
コーヒー園があったり・・・
バナナ園があったり・・・
アリ塚があったり・・・
警備員の方が常に見張っていたり・・・
アナコンダやリオのカーニバルの衣装が飾ってあったり・・・
何台ものスクールバスが停まっていたり・・・などなど。
でも僕が一番驚いたのは、学校の外の治安の悪さです。この写真を見てほしいのですが、
これ、学校のすぐ隣なんです。実はここは貧民街なんですよね・・・。当然、迂闊に立ち入ることは危険です。子ども達が学習する場のすぐ横がこんな状態とは・・・驚きました。
ちなみに間近からの写真は撮れていませんが、学校の周りはほとんどが貧民街です。ブラジルは成長著しい素晴らしい国ですが、最も大きな課題の1つに「格差」があります。何千万円もする外国車がビュンビュン走っている姿を見ることがあれば、人間が住んでいるとは思えないような貧しい家々も多く存在する・・・。
国の有り方、人間の幸せの有り方を、まざまざと考えさせられました。
ではあといくつか。体育館はこんな感じで・・・
お決まりの校歌もありました。
あ、フットサルコートがあるのはいいですよね!
日本みたいに大きな校舎に全てが入っているのではなく、それぞれの棟が敷地内にバラバラに存在しているのも面白かったですね。
最後に、お決まりの記念写真を・・・
片道1時間半という長丁場でしたが、本当に行ってよかったです!やっぱり自分の目で見て、聞いて、感じることってすごい大切ですね。
ということで、今回はこんな感じの報告でした~!ありがとうございました!
ふじもん
2013年5月20日 サンパウロ鹿児島県人会のいつもの居間にて
今日はサンパウロ郊外にある、サンパウロ日本人学校を訪問してきました。
いや~なかなか面白かったです!外はブラジルなのに、中は完全に日本でした!と言っても建物等はもちろん日本の学校とは違いますが、日本語が飛び交っているんですよね。先生方も至って普通の日本の先生だし。なんだか不思議な気持ちになりました。
ということで今回は、小さな写真をいくつか貼り付けながら紹介していきます!
厳重なゲートをくぐり抜け、少し進むと・・・
おお、まさに日本の学校!
こちらの先生に、とっても親切丁寧に学校の案内をしていただきました。
と言っても大半はサンパウロや南米諸国についての話で盛り上がってしまったのですが(笑)、さすがサンパウロに長年住んでいるだけあって、リアルな情報が盛りだくさん!すっげぇ楽しかったです!貴重なお話がたくさん聞けました!
そして職員玄関の正面には・・・
おおお、まさに日本の学校!
そしてあちこちに掲示物が・・・
びっくりするくらい、中は日本の学校と同じなんですね。
それもそのはずで、日本人学校は、日本の教育課程とまったく同じことをやってます。将来的に子ども達が日本に帰った時に、そのまま日本の学校に滞りなく編入できるようにカリキュラムが設定されています。つまり、場所が日本ではないだけであって、まさに日本の学校なんですよね。先生方もびっくりするくらい、「日本の先生」でした(笑)。
ではいくつか、日本では見られない光景を・・・
コーヒー園があったり・・・
バナナ園があったり・・・
アリ塚があったり・・・
警備員の方が常に見張っていたり・・・
アナコンダやリオのカーニバルの衣装が飾ってあったり・・・
何台ものスクールバスが停まっていたり・・・などなど。
でも僕が一番驚いたのは、学校の外の治安の悪さです。この写真を見てほしいのですが、
これ、学校のすぐ隣なんです。実はここは貧民街なんですよね・・・。当然、迂闊に立ち入ることは危険です。子ども達が学習する場のすぐ横がこんな状態とは・・・驚きました。
ちなみに間近からの写真は撮れていませんが、学校の周りはほとんどが貧民街です。ブラジルは成長著しい素晴らしい国ですが、最も大きな課題の1つに「格差」があります。何千万円もする外国車がビュンビュン走っている姿を見ることがあれば、人間が住んでいるとは思えないような貧しい家々も多く存在する・・・。
国の有り方、人間の幸せの有り方を、まざまざと考えさせられました。
ではあといくつか。体育館はこんな感じで・・・
お決まりの校歌もありました。
あ、フットサルコートがあるのはいいですよね!
日本みたいに大きな校舎に全てが入っているのではなく、それぞれの棟が敷地内にバラバラに存在しているのも面白かったですね。
最後に、お決まりの記念写真を・・・
片道1時間半という長丁場でしたが、本当に行ってよかったです!やっぱり自分の目で見て、聞いて、感じることってすごい大切ですね。
ということで、今回はこんな感じの報告でした~!ありがとうございました!
ふじもん
2013年5月20日 サンパウロ鹿児島県人会のいつもの居間にて
2013年5月19日(日)
今日もまたまたインタビュー形式でお届けします、ふじもんブログです!
今日のお相手は、男一匹単身ブラジルに飛び込み、仕事をしながらポルトガル語やブラジル社会の勉強に勤しむ、熱き日本人大学生、梶原裕貴さん(以下かじくん)です!
ふじもん=仕事帰りでお疲れのところ、どうもありがとう!今日はよろしくお願いします!
かじくん=自分なんかでいいんすか?よろしくお願いします!
ふじもん=かじくんは「チャレンジブラジル」という制度を利用してブラジルに来たと聞いたんだけど、どんな制度なの?
かじくん=チャレンジブラジルはNPO法人で、ブラジルに興味があって、実際に行ってみたい人を援助してくれる団体なんです。ブラジルまでの手配や仕事を斡旋してくれます。サンパウロ新聞の社長がチャレンジブラジルの代表でもあるんです。
ふじもん=へぇ、そんなNPOがあるなんて知らなかったなぁ。でも、なんでかじくんはブラジルを選んだの?
かじくん=元々は英語が勉強したかったんです。昔から洋楽が好きで聞いてたんですけど、でも歌詞の意味が全然分からなかったんですよね。それが悔しくて。あと自分東京の浅草に住んでいて、日暮里でバイトをしていたんですけど、よく外国人に道を聞かれたんです。でも、全然答えられなくて悔しくて。それで英語を学ぼうと神田外国語大学に入学しました。
ふじもん=なるほど、「悔しさ」から今の自分があるんだね。でもどうして英語がポルトガル語に変わったの?
かじくん=大学の授業でブラジル史を学んだのですが、それがとても興味深くて。それでブラジルに興味を持ちました。どんな人がブラジルにはいるのか、実際にブラジル人と話してみたいって強く思ったので。
ふじもん=それでブラジルにやって来たってわけだ。ブラジル史の、どんなところに興味を持ったの?
かじくん=ポルトガル人が南米にやってきたとき、先住民のことを「こいつらは人間なのか?」と思ったそうです。そこでキリスト教を教えたところ、それを受け入れたんですね。それを見た宣教師たちは、先住民は人間だと認めたということなんです。
ふじもん=ふんふん、それで?
かじくん=しかし政府側の人間としては、奴隷としての労働力がほしかったので、先住民が人間だと困ってしまうんです。しかし当時の教会の力は絶大ですから、なかなか逆らうこともできませんでした。そこで奴隷として、アフリカから黒人が連れてこられたということなんです。
ふじもん=そうなんだ、知らなかった!
かじくん=日本人の移民も、第二次世界大戦後にはその結果を巡って2つのグループに分かれ、激しく対立したそうなんです。そんな移民の歴史に、とても興味を持ちました。
ふじもん=そうなのかあ。確かにその歴史は面白いね!で、実際にブラジルに来て、印象はどう?
かじくん=印象とは違いました。正直、もっときれいなイメージだったのですが・・・。まず、こんなに壁中落書きだらけとは思いませんでした(笑)。あと街の臭いですね。なんというか、排気ガスや下水や人間の香りというか・・・そういうのが混じった独特の臭いを感じました。そして、貧富の差が凄まじすぎることです。こんなにもスラム街があちこちに広がっているなんて、かなり衝撃でした。
ふじもん=なるほど。でも、その衝撃を受けられたことはすごい大事なことだよね。
かじくん=はい、本当にそう思います。
ふじもん=ところで、仕事は何をしてるの?
かじくん=食品の出荷をしてます。日本から輸入された食品を配送したりしてるのですが、周りが全員ブラジル人なんですね。それがとても面白くて、勉強になります。
ふじもん=ブラジル人の印象はどう?
かじくん=とても良いです!優しいですし、困っていたら必ず助けてくれます。大らかで、良い意味でルーズですね。来るもの拒まずみたいなところがあって、とても好きです!
ふじもん=確かにブラジル人は、バスとかでも困っていると必ず助けてくれるよね!でもかじくんは、こうして外に向けて一歩を踏み出したから、毎日貴重な経験を出来ているわけだよね。最近の日本の若者は内向きだとか言われるけど、それについてはどう思う?
かじくん=絶対に海外に出た方がいいですね。なんというか、器が広がるというか、たくましくなりますし、経験値が違いますよね。上手く言えないんですけど・・・。語学について言えば、間違いなく伸びますし、自分の発音した言葉で通じ合えるなんて、楽しいじゃないですか。それによって友達もできるし。
ふじもん=なるほど、器ね・・・。
かじくん=出たがらない人がよく、日本でもできるし、とか、海外は危ないから、とか言いますが、それは本当にもったいない。ただの言い訳だと思います。
ふじもん=かじくんいいね!熱いね!じゃあ最後に、なかなか外に目を向けたがらない日本の同世代に一言お願いします!
かじくん=何事に対しても、恥ずかしがらないでほしいなと思います。人にものを聞くとか、自分で航空券を取るとか、誰かに相談するとか、そんな小さなことでも恥ずかしがらずにやってほしい。恥ずかしい、だからやらない、それがマイナスになるなんて、絶対にもったいない。だからまず動け!って思います。
ふじもん=かじくんいいね!お疲れのところ色々ありがとう!じゃあこの後は・・・
ふじもん・かじくん=おつかれ!サウージ!(乾杯!)
2013年5月19日 サンパウロ鹿児島県人会 ドミトリールームにて
今日もまたまたインタビュー形式でお届けします、ふじもんブログです!
今日のお相手は、男一匹単身ブラジルに飛び込み、仕事をしながらポルトガル語やブラジル社会の勉強に勤しむ、熱き日本人大学生、梶原裕貴さん(以下かじくん)です!
ふじもん=仕事帰りでお疲れのところ、どうもありがとう!今日はよろしくお願いします!
かじくん=自分なんかでいいんすか?よろしくお願いします!
ふじもん=かじくんは「チャレンジブラジル」という制度を利用してブラジルに来たと聞いたんだけど、どんな制度なの?
かじくん=チャレンジブラジルはNPO法人で、ブラジルに興味があって、実際に行ってみたい人を援助してくれる団体なんです。ブラジルまでの手配や仕事を斡旋してくれます。サンパウロ新聞の社長がチャレンジブラジルの代表でもあるんです。
ふじもん=へぇ、そんなNPOがあるなんて知らなかったなぁ。でも、なんでかじくんはブラジルを選んだの?
かじくん=元々は英語が勉強したかったんです。昔から洋楽が好きで聞いてたんですけど、でも歌詞の意味が全然分からなかったんですよね。それが悔しくて。あと自分東京の浅草に住んでいて、日暮里でバイトをしていたんですけど、よく外国人に道を聞かれたんです。でも、全然答えられなくて悔しくて。それで英語を学ぼうと神田外国語大学に入学しました。
ふじもん=なるほど、「悔しさ」から今の自分があるんだね。でもどうして英語がポルトガル語に変わったの?
かじくん=大学の授業でブラジル史を学んだのですが、それがとても興味深くて。それでブラジルに興味を持ちました。どんな人がブラジルにはいるのか、実際にブラジル人と話してみたいって強く思ったので。
ふじもん=それでブラジルにやって来たってわけだ。ブラジル史の、どんなところに興味を持ったの?
かじくん=ポルトガル人が南米にやってきたとき、先住民のことを「こいつらは人間なのか?」と思ったそうです。そこでキリスト教を教えたところ、それを受け入れたんですね。それを見た宣教師たちは、先住民は人間だと認めたということなんです。
ふじもん=ふんふん、それで?
かじくん=しかし政府側の人間としては、奴隷としての労働力がほしかったので、先住民が人間だと困ってしまうんです。しかし当時の教会の力は絶大ですから、なかなか逆らうこともできませんでした。そこで奴隷として、アフリカから黒人が連れてこられたということなんです。
ふじもん=そうなんだ、知らなかった!
かじくん=日本人の移民も、第二次世界大戦後にはその結果を巡って2つのグループに分かれ、激しく対立したそうなんです。そんな移民の歴史に、とても興味を持ちました。
ふじもん=そうなのかあ。確かにその歴史は面白いね!で、実際にブラジルに来て、印象はどう?
かじくん=印象とは違いました。正直、もっときれいなイメージだったのですが・・・。まず、こんなに壁中落書きだらけとは思いませんでした(笑)。あと街の臭いですね。なんというか、排気ガスや下水や人間の香りというか・・・そういうのが混じった独特の臭いを感じました。そして、貧富の差が凄まじすぎることです。こんなにもスラム街があちこちに広がっているなんて、かなり衝撃でした。
ふじもん=なるほど。でも、その衝撃を受けられたことはすごい大事なことだよね。
かじくん=はい、本当にそう思います。
ふじもん=ところで、仕事は何をしてるの?
かじくん=食品の出荷をしてます。日本から輸入された食品を配送したりしてるのですが、周りが全員ブラジル人なんですね。それがとても面白くて、勉強になります。
ふじもん=ブラジル人の印象はどう?
かじくん=とても良いです!優しいですし、困っていたら必ず助けてくれます。大らかで、良い意味でルーズですね。来るもの拒まずみたいなところがあって、とても好きです!
ふじもん=確かにブラジル人は、バスとかでも困っていると必ず助けてくれるよね!でもかじくんは、こうして外に向けて一歩を踏み出したから、毎日貴重な経験を出来ているわけだよね。最近の日本の若者は内向きだとか言われるけど、それについてはどう思う?
かじくん=絶対に海外に出た方がいいですね。なんというか、器が広がるというか、たくましくなりますし、経験値が違いますよね。上手く言えないんですけど・・・。語学について言えば、間違いなく伸びますし、自分の発音した言葉で通じ合えるなんて、楽しいじゃないですか。それによって友達もできるし。
ふじもん=なるほど、器ね・・・。
かじくん=出たがらない人がよく、日本でもできるし、とか、海外は危ないから、とか言いますが、それは本当にもったいない。ただの言い訳だと思います。
ふじもん=かじくんいいね!熱いね!じゃあ最後に、なかなか外に目を向けたがらない日本の同世代に一言お願いします!
かじくん=何事に対しても、恥ずかしがらないでほしいなと思います。人にものを聞くとか、自分で航空券を取るとか、誰かに相談するとか、そんな小さなことでも恥ずかしがらずにやってほしい。恥ずかしい、だからやらない、それがマイナスになるなんて、絶対にもったいない。だからまず動け!って思います。
ふじもん=かじくんいいね!お疲れのところ色々ありがとう!じゃあこの後は・・・
ふじもん・かじくん=おつかれ!サウージ!(乾杯!)
2013年5月19日 サンパウロ鹿児島県人会 ドミトリールームにて