世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

実験投稿です。

2013-05-11 20:00:37 | 旅行
ちょっと実験です。画像がちゃんと載せられるかどうか・・・。

http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#

これで何枚か載せられるかな・・・。

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写真が上手く出ていたら。これは富士山に登った時のものですー。

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【第1章 南米編 対談「日本よ、もっと自らを評価せよ!」】

2013-05-11 17:37:01 | 日記
今日はサンパウロの東洋人街へ行ってきました。

サンパウロの目的は「人」です。それも日系の人に触れたいと思い、ここに足を運びました。

ブラジルへの移民が始まったのが1908年。それ以降の100年間で、13万人の日本人が移住したと言われています。今日は運よく、ワタナベシゲオさんというブラジル生まれの日系2世の方とお話しすることができました。もちろんアポなしの、突撃取材です!(笑)

ワタナベさんはご両親がブラジルに移住し、ブラジルで生まれ育ちました。日本での在住経験は全くないとのことですが、日本への愛情の強さをひしひしと感じました。それでは対談を始めたいと思います。


ふじもん=今日はよろしくお願い致します。

ワタナベ=こちらこそ。はるばるブラジルまでようこそいらっしゃいました。

ふじもん=ワタナベさんは、日本とブラジルを繋げる活動をされてきたとお聞きしましたが、どのようなことをされてきたのでしょうか?

ワタナベ=最近では2008年に日本移民100年祭の委員をしまして、多くの日本人との架け橋を担ってきました。これはサンパウロ大学で開かれたのですが、日伯友好シンポジウムも開催してます。そのときの様子をまとめて出版もしております。

ふじもん=なるほど。それ以前には、どのような活動をされてきたのですか?

ワタナベ=私は1979年に初めて日本に行ったのですが、実に進歩した国だなぁと感じたものです。特に科学技術の進歩は素晴らしく、私は驚嘆しました。そこで、この日本の技術をもっとブラジルのために役立てることはできないものかと考えたのです。
そこで、「日伯科学技術シンポジウム」を開催することにしました。これは東京大学とサンパウロ大学が共同して開催したもので、全6回開くことができました。

ふじもん=それは素晴らしいですね!それまではあまり、日本とブラジルの間では協力関係がなかったということなのでしょうか?

ワタナベ=そんなことはありませんよ。JICAでは多くの協力を得ていましたし。しかし、科学技術の面で言うと、しっかりとした協定がなかったのです。そこで、サンパウロ大学から日本の政府に打診をし、シンポジウムの開催に至ったのです。

ふじもん=政府への要請もあったのですね。では日本からもかなりの要人の参加もあったのではないでしょうか?

ワタナベ=日本からは30人ほどの要人の方々が参加して下さいました。

ふじもん=本当に素晴らしいですね!必ずや日本とブラジルの架け橋になっていることと思います。では2008年の移民100年祭の時は、どのような内容のシンポジウムだったのですか?

ワタナベ=一言で言えば、日本の移住の歴史を残すためです。日本の移民の歴史を知る人も、かなり少なくなってきました。様々な苦労を経て、私達日系人の祖先はこの地に移り住んできたのです。その歴史を後世に残すため、このシンポジウムを開きました。

ふじもん=日本では、ブラジルへの移住について、それほど詳しく教えられてはいません。同じ日本の血を引く人間として、私も学んでいきたいと思います。

ワタナベ=ぜひ、そうして下さい!

ふじもん=最後に1つ質問です。今日本は様々な面で問題を抱えており、日本という国で生きていくことに不安を抱えている国民が大勢います。日本と、そして特に日本の子ども達に、何かメッセージをお願いします。

ワタナベ=日本の進歩した科学技術は本当に素晴らしい。そして世界トップクラスの経済大国にまでのし上がってきた。資源もない日本という国が、ここまで成長できたことは本当に評価に値します。素晴らしいことです。ブラジルにはたくさんの資源もあるし、もっと発展できる要素がたくさんある。そのために、これからも日本の協力を得たいと思っています。
日本は素晴らしい国ですよ。戦後これだけの発展をしてきたのですから。どの国にだって問題や課題はあります。それは当然です。そんなに不安を抱えているのですか?日本人は、もっと自信を持っていいと思いますよ。

ふじもん=自信と元気が湧いてくる温かいメッセージ、本当にありがとうございます!今日はお忙しい中お時間を取っていただき、本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

ワタナベ=こちらこそ、ありがとうございました。

【第1章 南米編 対談「日本よ、もっと自らを評価せよ!」】

2013-05-11 16:46:58 | 自論
今日はサンパウロの東洋人街へ行ってきました。

サンパウロの目的は「人」です。それも日系の人に触れたいと思い、ここに足を運びました。

ブラジルへの移民が始まったのが1908年。それ以降の100年間で、13万人の日本人が移住したと言われています。今日は運よく、ワタナベシゲオさんというブラジル生まれの日系2世の方とお話しすることができました。もちろんアポなしの、突撃取材です!(笑)

ワタナベさんはご両親がブラジルに移住し、ブラジルで生まれ育ちました。日本での在住経験は全くないとのことですが、日本への愛情の強さをひしひしと感じました。それでは対談を始めたいと思います。


ふじもん=今日はよろしくお願い致します。

ワタナベ=こちらこそ。はるばるブラジルまでようこそいらっしゃいました。

ふじもん=ワタナベさんは、日本とブラジルを繋げる活動をされてきたとお聞きしましたが、どのようなことをされてきたのでしょうか?

ワタナベ=最近では2008年に日本移民100年祭の委員をしまして、多くの日本人との架け橋を担ってきました。これはサンパウロ大学で開かれたのですが、日伯友好シンポジウムも開催してます。そのときの様子をまとめて出版もしております。

ふじもん=なるほど。それ以前には、どのような活動をされてきたのですか?

ワタナベ=私は1979年に初めて日本に行ったのですが、実に進歩した国だなぁと感じたものです。特に科学技術の進歩は素晴らしく、私は驚嘆しました。そこで、この日本の技術をもっとブラジルのために役立てることはできないものかと考えたのです。
そこで、「日伯科学技術シンポジウム」を開催することにしました。これは東京大学とサンパウロ大学が共同して開催したもので、全6回開くことができました。

ふじもん=それは素晴らしいですね!それまではあまり、日本とブラジルの間では協力関係がなかったということなのでしょうか?

ワタナベ=そんなことはありませんよ。JICAでは多くの協力を得ていましたし。しかし、科学技術の面で言うと、しっかりとした協定がなかったのです。そこで、サンパウロ大学から日本の政府に打診をし、シンポジウムの開催に至ったのです。

ふじもん=政府への要請もあったのですね。では日本からもかなりの要人の参加もあったのではないでしょうか?

ワタナベ=日本からは30人ほどの要人の方々が参加して下さいました。

ふじもん=本当に素晴らしいですね!必ずや日本とブラジルの架け橋になっていることと思います。では2008年の移民100年祭の時は、どのような内容のシンポジウムだったのですか?

ワタナベ=一言で言えば、日本の移住の歴史を残すためです。日本の移民の歴史を知る人も、かなり少なくなってきました。様々な苦労を経て、私達日系人の祖先はこの地に移り住んできたのです。その歴史を後世に残すため、このシンポジウムを開きました。

ふじもん=日本では、ブラジルへの移住について、それほど詳しく教えられてはいません。同じ日本の血を引く人間として、私も学んでいきたいと思います。

ワタナベ=ぜひ、そうして下さい!

ふじもん=最後に1つ質問です。今日本は様々な面で問題を抱えており、日本という国で生きていくことに不安を抱えている国民が大勢います。日本と、そして特に日本の子ども達に、何かメッセージをお願いします。

ワタナベ=日本の進歩した科学技術は本当に素晴らしい。そして世界トップクラスの経済大国にまでのし上がってきた。資源もない日本という国が、ここまで成長できたことは本当に評価に値します。素晴らしいことです。ブラジルにはたくさんの資源もあるし、もっと発展できる要素がたくさんある。そのために、これからも日本の協力を得たいと思っています。
日本は素晴らしい国ですよ。戦後これだけの発展をしてきたのですから。どの国にだって問題や課題はあります。それは当然です。そんなに不安を抱えているのですか?日本人は、もっと自信を持っていいと思いますよ。

ふじもん=自信と元気が湧いてくる温かいメッセージ、本当にありがとうございます!今日はお忙しい中お時間を取っていただき、本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。

ワタナベ=こちらこそ、ありがとうございました。


2013年5月18日 サンパウロ東洋人街・リベルダージ地区の本屋の片隅にて

【第1章 南米編 英語にゴーマンかまします】

2013-05-10 21:13:55 | 自論
まだ旅を初めて数日。国もブラジルのみ。ですが、とっても苦しんでいることがあります。

それが、言葉の壁。

いや、知ってました。ブラジルってホントに英語が通じないということは。
いや、ブラジルだけじゃなく、南米全体で英語はほとんど通じないんですよね。
それも知ってました。

でも思うんです。なんで英語が世界の共通語なの?
なんで英語なの?
なんでドイツ語でもなくイタリア語でもなく、英語なの?


僕、英語は好きではありません。なぜなら、英語は植民地語だと思うからです。

いや、誤解しないでいただきたいのは、英語そのものを否定しているのではありません。英語が世界中で共通語的に使用されるようになったきっかけは、英語圏の国々が世界中を支配したからに他ならないと思うからです。

帝国主義の時代に、ヨーロッパ列強は世界中を植民地にしていきました。遅れまいと日本もその流れにのったものの、その後の日本は周知の通り。結果的に、世界中を一番支配できたのは英語圏の国であり、第二次世界大戦後も英語を話す国が主導権を取りました。

南米に関して言えば、なぜブラジルはポルトガル語なのか?それは、ポルトガルが植民地支配をしたから。なぜその他の国々はスペイン語なのか?それは、スペインが植民地支配をしたから。

この状況は、アフリカだって同じ。ざっくり言えば西部はフランス語圏だし、東部は英語圏です。

繰り返しますが、英語のこともスペイン語のこともポルトガル語のことも、否定しているのではありません。

でもね、たまに思いますよ。もし日本が第二次世界大戦に勝っていたら、世界中の人がみーんな日本語しゃべってくれたのかなーって。そしたらすげぇ楽だなーって。これはちょっと危険発言ですけど。でも僕、子どもの頃から疑問に思っていたんです。


僕、思うんです。

こういう時代です。英語は大切ですよね。できないよりは、絶対にできた方がいい。

日本でも、もっと高度で実践的な英語教育を進めていくべきでしょう。それはそうだと思います。

でももっと大切なのは、その背景を知り、「なぜ英語なのか?」を理解した上で、学ぶことが重要だと思うんです。なーんの考えもなしに、「今の時代は英語くらいは・・・」とか「英語できたらカッコいいじゃん」って学ぶのは、何か1つ足りないと思うんです。

改めて、誤解しないで下さい。別に英語を否定しているのではありません。

でも、英語が世界に広がった背景は、決して平和的ではなかった。それを理解し、そしてまた日本という国も列強と争い植民地を広げていった歴史を理解し、そんな戦争があったことを理解し、なぜアジア諸国の老人の方々が比較的日本語が分かるのかも理解し、そういう世界史全体を俯瞰した上で、時代の趨勢で英語の必要性が大いにましてきたから、学ぶんだということ。

ただ「英語ができればよい」ではいけないと思う。全てにおいて言えることですが、「なぜそれを学ぶのか?」という「そもそも」を考えるべきだと思うんです。


若者よ。

世界に出よう。

英語なんか、共通語じゃねぇから。

全然通じねぇとこ、いっぱいあるから。

言葉そのものに、価値の差なんてない。

英語だって日本語だって、少数民族の中でしか使われていない言語だって、その尊さは変わらない。

旅って、そういうことも語りかけてくれる。

だから旅って面白い。

明日は東洋人街に行ってくるぜ。


2013年5月17日 サンパウロの安宿「鹿児島県人会館」にて

【第1章 南米編 リオのビーチで友達100人プロジェクト決行】

2013-05-10 19:33:39 | 自論
今日は普通にちょっと観光地に行ってみよう。ということで・・・

ベタですが、まずはコルゴバードの丘へ。混雑する前に行きたかったので、朝早く起きて地元の人たちが使っているバスに乗り、キリストさんの像の下へ。ああ綺麗だなぁと景色と青空を堪能するも、周囲の空気を全く読まずに大騒ぎしている某隣国の観光客に内心イライラ。

さて、次はビーチ!リオと言えば、やはりビーチ!ということで、あの有名なコパカバーナのビーチへレッツゴー!

と言っても、ただビーチに行くだけじゃつまらない。なーにかしたいよなーということで、どうせ行くならリオのビーチにいる人と友達になりまくってやろうと決意。そこで・・・


「第1回 リオのビーチで友達100人プロジェクト」を決行!

1、目的
 せっかくビーチに行くんだから、楽しいことやってやろうじゃないか!という思い付き。 

2、アクションプラン
 ①ビーチにいる人に声をかけまくって友達になり、写真を撮らせてもらう。
 ②友達なんだから、写真くらいOKじゃないとダメ。断られるようじゃ、それは友達ではない。
 ③絶対に100人達成する。出来るまで帰ってはダメ。

3、結果
 ①10人目くらいまでは何とか順調だったものの、女の子からはかなりいやーな目で見られ始め、かなり凹み出す。
 ②20人目くらいで警官(らしき人)に呼び止められる。そりゃそうだ、どうみても怪しい東洋人だからな。しかし上手く説明して、なんとかその場を乗り切る。
 ③30人目くらいで可愛い女の子に砂をかけられる。心が4分の3は折れる。
 ④40人目くらいで再び警官(らしき人)が。ちょっとやばいなと感じる。が、止める気なし。
 ⑤50人目に達するあたりで、なんと最初の警官が味方に!そのへんの人を集めてくれて、大型顧客を獲得する。
 ⑥あまりに女の子の反応が冷たいので、男道に走る。
 ⑦ラスト15人くらいで、完全に恐れを知らなくなる。
 ⑧開始から3時間弱、ついに100人達成!おめでとう!
 ⑨ビーチで有名になり、あちこちから「ジャポネ!ジャポネ!」と声をかけられるようになった。

4、戦利品
 ①水とコーラ1本ずつ。
 ②たぶん一生忘れられない思い出。

5、教訓
 くだらないことこそやってみるもんだ!!!