世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第2章 中米編 「俺は日本人」ものづくりの国からやって来た!】

2013-08-21 19:14:33 | 日記
2013年8月21日。

僕は日本人だ。世界に誇れるこの日本という国の、一人の日本人だ。

間違いなく日本人は、世界の中で好かれている。少なくとも嫌われてはいない。僕はこの旅を通して、その思いを改めて強くしている。

でも、それは何故なのか。

それを明確にし、自覚することは大切だ。それは日本人として生きている自分自身の自信であり、強みを自覚することにもなる。自惚れるとか調子に乗るとかではなく、良いものは良いものとして、純粋に受け止めればよい。受け入れればよい。素直に喜び、それをさらに伸ばそうとすればよい。

僕は日本人の強みの1つは、「黙々と淡々と、しかし確実に手を抜かず」にあると思う。先日読んだある本の中には、戦後旧ソ連の捕虜として強制連行され、過酷な環境の中で強制労働をさせられたのにも関わらず、手を抜かず確実な仕事をした日本人が今でも評価されている国があるとあった。

僕は、心を打たれた。ある意味では馬鹿正直なのかもしれない。お人好しなのかもしれない。しかし、どんなに理不尽であっても、どんなに相手が不正を働こうと、日本人は自分の正義を貫く。それができる国民なのではないかと、またそうしてきたのではないかと、僕は心を打たれた。

今で言えば、それはスポーツに現れていると思う。日本人が活躍すると、ことごとく日本人にとって不利なルール改正が行われる。たとえば、長野オリンピックで日本のスキージャンプ勢が活躍すると、これでもかというくらい日本人にとって不利なルールになってしまった。

それに対してクレームを言いつつも、醜いことはしない。黙々と淡々と、その中で再び結果を出す。まさに武士道だ。だからカッコいいんだ。

試合の時もそうだ。どこかの隣国は、勝利のためなら信じられないくらいのラフプレーをかましてくる。審判の買収をしているとしか思えないジャッジも平気でやらかしてくる。でも、そんな状況に叩き込まれても、決してラフプレーで返さない。自分たちはルールに則り、健全にプレーをする。それってマジですげぇことだと思う。

僕たちはきっと、そこで同じことをやっても同じレベルに自分を下げるだけであり、何にも得るものがないと分かっているのだろう。それって本当にマジですげぇんじゃないかな。マジで世界一すげぇと思う。

あえて国名出しますが、YouTubeで「韓国 サッカー」とかで見ていただければ、より鮮明に分かると思う。サッカーに限らず、どんなにファールをもらってもやり返さない日本人。本当に誇りだと思う。


さて、すっごい長い前置きになってしまいましたが、何故今僕がこんなことを言うのか?というと、僕も今日、「日本人」を貫いた(つもり)のだ(笑)。

僕は今、コスタリカ北東部のカリブ海沿いの海岸にいる。海亀の産卵がピークを迎えているこの地で、海亀保護のボランティアにやって来たのだ。

意気揚々と海岸に着き、さぁやるぞ!と思っていた僕。さっそく海岸に繰り出して色々作業するのかと思っていたのだが、僕に最初に与えられた仕事は、なんと看板の字を書くこと!


僕は内心「なにぃ?これを字がメッチャ下手な俺にやらせるというのか~?」と思ってしまった。正直ちょっと嫌だな~と…。

しかし、7秒後に思い直した。

「何を言ってるんだ、俺は!俺は日本人だろうが。こういう細かい仕事でこそ本領を発揮できる国民だろうが!よし、多かが看板作り、されど看板作り。メッチャ丁寧にやってやろうじゃないか!」

と、何故か突然俄然やる気になり、一心不乱に周りには目もくれず1つ1つ丁寧に描き始めた。

何時間かかったのだろう、かなりの時間を費やしたのは間違いない。端っこで黙々と淡々と作業をしていた僕。ようやく終わったところで、ボスに見せにいった。


「オー、ベリーグッド!グッジョブ!」と一言。

よし、やってやったぜ俺(笑)!いや、でも本当にマジで全力を尽くしてやりました!好評をいただけてよかった~(笑)!


とっても大事なことを学んだ。「これが仕事なんだ」と。カネをもらってるかボランティアなのか、得意なことか苦手なことかなんて、そんなの関係ない。今ここにあるやらなければならないことに全力を注ぐ。時にそれが理不尽であったり非効率なことであったりしても、ガタガタ文句を言わずに、まずは全力でやる。それが日本人の良さであり強みであるのだ。

そんな国民性があるから、僕たちは「ものづくり世界一」の国になれたのだ。


ここのところ、色々なご縁やタイミングで「日本人」を考えさせられることが多いが、今日もまた考えさせられた。今僕がここでどのような行動をするかによって、コスタリカでの日本人の評価が変わる。1億2千万人の日本人を背負って、僕はここにいるのだ(笑)。

よし、もう一度決心しよう。今からここから、全てに全力でいこう。それが俺流だと思うし、「日本人流」でもあるのだと思う。

全力で、誠実に、一生懸命に。それが僕ら日本人の一番地味にして最強の武器なのだ。


2013年8月21日。コスタリカ、トルトゥルゲーロ国立公園の近くのビーチにて。

【第2章 中米編 「キーワードは微生物」コスタリカから世界を変える日本人・西川高鶴氏、同行取材報告!】

2013-08-21 09:37:48 | 日記
2013年8月19日。

世界にはすごい人がたくさんいる。すごい日本人もたくさんいる。この旅の中で、何人もの「世界で活躍する日本人」にお会いさせていただいたが、この中米コスタリカで、僕の魂を揺さぶってくれる「すごくて熱い日本人」にお会いすることができた。

その方の名は西川高鶴さん。このコスタリカで起業し、EMと呼ばれている微生物を使って(利用としてと言った方が的確かもしれなません)コスタリカの、中米の、そして世界の環境問題を少しでも解決していこうと尽力されている日本人である。

「EM?微生物を使って環境保護?なんだそりゃ?」

と思われる方も少なくないと思う。EMとは「Effective Microorganisms」の略称で、日本語にすると「共存共栄する有用な微生物の集まり」という意味になる。つまり、自然と共存する安全な微生物の力を借りて、環境浄化推進のための活動をなさっているのが西川さんなのだ。



と言われてもピンと来ないとですよね(笑)。僕はこのブログの中で、EMについての詳しい説明を書く必要はありませんし(笑)、僕がそんなことをしなくてもたくさんの情報がアップされています。ぜひネットで調べていただけたらと思います。以下に少しだけURLを載せておきます。

http://www.emro.co.jp
http://www.ecopure.info/special/2009/001/index.html
http://www.ecopure.info/special/2009/001/report02.html
http://www.ecopure.info/special/2009/001/report03.html

ちなみに西川さんは、日本のテレビ番組でも取り上げられたことがあるんです!読売テレビの「グッと!地球便」という番組で、毎週日曜日の朝10:25~から放送されています。でもこの番組、どうやら関西方面だけのようで、関東から見られるのかな・・・。以下に、西川さんが放映されたときの番組の内容のURLを載せておきます。

http://www.ytv.co.jp/chikyubin/oa/article20130210.html



という西川さんなのだが、西川さんはもともと農林水産省に勤務されていた官僚だったのだ。しかし都合により同省を退職し、その後JICA(現在の国際協力機構)で青年海外協力隊員として中米のホンジュラス共和国に派遣された。そこから中米との出会いが始まったという。

1992年から某日本企業の駐在員といてコスタリカに勤務し、その中でEMとの出会い、そして2005年にコスタリカでエムプロテック社(EMプロダクト&テクノロジー社)を立ち上げ独立し、現在コスタリカを中心に中米各地で活動をされている。



そんな西川さんとご縁があって今回お会いすることができ、またお仕事の現場まで同行させていただけたことは、僕にとって本当に「人生の財産」となった。なぜ僕が「財産」とまで言ってしまうのかというと、僕は西川さんの環境保護への「情熱」と「行動力」、そしてその人柄に心から引き込まれてしまったからだ。本当に素晴らしい方にお会いすることができ、素晴らしい活動を目にすることができた。

ということで、本当はこれまでのようにQ&A方式でブログをまとめようかと思ったのですが、今回はちょっとやり方を変えて、「僕の魂に響いた西川さん語録」としていくつか紹介しつつ、僕の魂が反応したことを勝手に書いてみたいと思います(笑)。



ふじもんの魂に響いた西川さん語録NO,1

「僕は想像を絶するどん底の生活をしている人々をこの目で見てきた。だからその人たちのために、なんとか何かをしたいんだ」

西川さんは青年海外協力隊でホンジュラスに派遣されたとき、たくさんの農村部を訪問した。そのときに目にした貧しい人々の生活は・・・まさに「貧困」だったという。そのとき見た光景が、今の西川さんの行動の原動力となっており、情熱の源であるとお話ししてくれた。

僕は考えた。貧しい生活を見るということでは、僕も世界各地で見ることは見てきた。見ることは見てきたけど・・・僕はそこからどのような「情熱」を学んできたのか?どんな「ミッション」を得てきたのか?

僕は「教育」こそ自分のミッションだと信じている。でも僕は、発展途上国と言われている人々の生活を見ることから、どんな具体的なミッションを教育の中で見出していくのか?「おい、どうなんだよ俺?」自分に問いかけてみる。西川さんのような情熱とミッションを本当に見出せているのか?自分に問いかけている自分が、そこにはいた。

西川さんの目は本当に熱かった。西川さんがなぜ今の活動をされているのか、その根源となる魂はどこから来ているのか、西川さんは僕に語ってくれた。

「このEMは世界を変えられる。発展途上国の農業にも、必ずや大きな力になる」

その言葉からにじみ出てくる情熱は、半端なもんじゃなかった。そこには自問自答と共に、圧倒されている自分もいた。


ふじもんの魂に響いた西川さん語録NO,2

「僕らは蟻んこみたいなもんだけど、いつか誰かがやらなければならないことなんだ」

いつか誰かがやらなければいけないこと・・・僕は考えさせられた。僕は昔から環境問題に関心があると言ってきたが、僕はどれほどまでに環境を意識して行動してきたのだろう。僕に環境を語る資格はあるのだろうか、と。

環境教育の重要性は絶対に間違いないはずだ。しかしそれと同時に「現場」を変えていかなければならない。今の地球は本当に切羽詰まっている。教育も大切だが、今ある「現場」で対策を早急に講じなければ、手遅れになってしまうのだ。

西川さんの活動は、まさに「いつか誰かがやらなければならないこと」だと思う。蟻んこのようなものだけど、それが必ず大きな一歩につながる・・・そうか、そうだよな。尊敬の念と同時に、そこには励まされている自分がいた。

そして僕にとっての「いつか誰かがやらなければならないこと」とは何なのか。僕はもっともっと追及しなければならない。


ふじもんの魂に響いた西川さん語録NO,3

「良い環境を、美しい地球を次の世代に残す。これは人類の責務ですよ」

正直な話、同じような言葉は聞いたことはある。でも、なぜ今この言葉を聞いて、こんなにも心に突き刺さったんだろう。

それは、西川さんが実際に行動されている方だからだ。どっかの政治家が(きっと行動していると信じたいのですが笑)同じようなことを言ったとしても、きっと心には響いてこない。西川さんの発言だからこそ、僕の魂は揺さぶられまくったのだ。

そうだよな、口だけ野郎になったらお終いだ。口先だけで行動の伴っていない奴は、ただのクソッタレだ。怒ってばっかりで自分は何もしていない、そんな先生は嫌われる格好の対象だ。そんな奴にはなっちゃいけねぇ。

僕は本当に有言実行できてきたのか?そしてこれから、口だけ野郎にならずに生きていけるのか?自分に問い質し、そして自分を戒める。そんな自分が、そこにはいた。


ふじもんの魂に響いた西川さん語録NO,4

「一度の人生、思いっ切りやらんと」

何だかすごく勇気付けられた。西川さんは、本当に思いっ切り行動し、全力で生きていらっしゃる。そういう生き方は僕の憧れであり、目標だ。今、僕は思いっ切り生きるための1つの手段として、旅をしている。

僕は思った。「やり切ろう」と。

よし、やり切ってやる。誰に何を言われようと、誇りをもって「やり切った」と言えるような人生にしてやる。


ふじもんの魂に響いた西川さん語録NO,5

「難しいんですけどね」

どうしてこんな単純な言葉が心に刺さったのか・・・。それは、本当に色々なことに挑戦してきた方から出てきた「難しい」という言葉だからこそなのだ。

例えば、何にも行動せずに挑戦もしない人が「いや~難しいわ」と言ったところで、周りは何も反応しないだろう。しかし普段から実践し、挑戦している人が「いや~難しいわ」と言ったら、同じ言葉でもその重みが違う。

色々な説明を僕にして下さっている中で、西川さんは何度か「難しいんですけどね」という言葉をおっしゃっていた。その言葉の奥に含まれる意味が、何だか僕の心に突き刺さったのだ。

「難しいことは分かっている。でも、誰かがやらなきゃならん。」その思いから世界を変えるために行動している方から出てきた「難しい」という言葉。言葉としては単純だけど、その重みが違う。そして「難しい」ことは分かっていても、挑戦を続けている。

よし、俺も挑戦しよう。誰もができることをやったってしょうがねぇ。難しいと分かっていることに挑戦してやり切るから、カッコいいんじゃねぇか。価値があるんじゃねぇか。やる意味があるんじゃねぇか。



今回、僕は西川さんにお会いできたご縁に本当に感謝している。コスタリカという国で実際に行われている環境保護の活動をこの目で見ることができたこともそうだが、何より西川さんというお方にお会いできたことが最高の財産となった。

お忙しい中、突然のお願いにも関わらずお仕事に同行させていただき、また貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。


日本の若者へ。

世界にはすごい日本人がたくさんいる。すごい人との出会いは必ずや人生の糧になる。それどころか、人生を変えてしまうかもしれない。別に海外じゃないといけないわけじゃないけど、日本という枠を飛び出して活躍されている方々にお会いすることは、絶対に価値のあることだと思う。

日本の若者よ。ちょっとだけ勇気を持って、大きな行動をしてみよう。とんでもない収穫がついてくるぞ!大丈夫、人生はまだまだ長い!思いっ切り「放学」するときがあってもいい。日本の外には面白いものが、すごいものが、常識を覆すようなものが、まだまだたくさんある。そこから学び、成長しよう!そして日本を変える原動力になってやろう!


2013年8月19日。サンホセのいつも安宿のリビングにて。

【第2章 中米編 「あ~よかったな、日本人で」(花🌸花的に)】

2013-08-19 13:23:59 | 日記
2013年8月18日。

(本文の○○にはある国名が入るのですが、ご想像にお任せ致します。笑)

出来事をそのまま書きます。とっても「日本人でよかったなぁ」と、思わされました。どこか特定の国を悪く言うとかそういうのではないので、誤解なさらないで下さいね。


僕はメルカド(市場)にちょいちょい行くのですが、こんなことがありました。


中南米ではいつものことですが、「ヘイ、○○!」とお店の人が声をかけてきます。僕は世界一の笑顔で「ノー○○、ソイハポネス!(私は日本人です)」と答えました。


そしたら、その店の店主が、「ハポネス?ベリーグッド!」と親指を立てて、握手を求めてくるではありませか。僕は宇宙一の笑顔で「ムチョグラシアス!(どうもありがとう!)」と答えました。やっぱり嬉しいですよね、自分の国がベリーグッド!と言われるのは。


僕はあえて、「○○、グッド?」(○○人は良い?)と聞いてみました。そしたら、「ノーノーノー」と言い、「ハポネス、オッケー、○○、ノー」と言っていました。そしてなんと、玉ネギを1つオマケしてくれたのです!なんという優しい人・・・!どうもありがとうです!


あえて書きますね。このパターン、中南米ではとっても多いんです。こっちでは圧倒的に○○人が多いので、最初はかなりの確率で「○○!」と言われるのですが、ハポネスだと分かると、急に態度が変わったりします。コスタリカでも然りでした。


自国がほめられるのはとっても嬉しいのでいいのですが、冷静に考えたいですよね。なんでこれほどまでに日本人は嫌われていないんだろう、と。


ちなみに他のお店では、僕は買う気がないのに買うそぶりを見せてしまっていたらしく、おばちゃんがピーマンの袋詰めを僕に渡してきました。僕は「いやいや、買わないよ!」というと、何やらスペイン語でガンガン怒鳴っていました。もちろん分かるはずもないのですが、「○○!」という単語だけは分かりました。卑怯で姑息な僕は、こういう時だけはハポネスだと言わずに、「ぺルドン(ごめんなさい)」と言って、○○ってことにしてその場を立ち去りました。僕はひどい男です。

終戦記念日を終えて数日、なぜか「日本人」を意識させられることが多いんですよね。これも縁なんでしょうか、不思議なものですね。


お隣のパナマでも同じようなことがあったので、在住の日本人の方に、なぜ○○は悪く言われるのか聞いてみました。そしたら、

「彼らはパナマ人の仕事を奪ってしまうんですよ。パナマ人が経営しているお店の隣で店を出して、また○○は商売上手なので、それが上手くいってしまう。それで反感を買っているみたいですよ。」

というお答えをいただいた。なるほど、確かにパナマでも小さな商店は、例によって○○人経営だったなぁ・・・。でもこのご意見はあくまでこの方のご意見ですので、詳しい調査の結果などではないです。でも、現地からの貴重な情報だと思うので、あえてアップ致します。


今日のブログもそうですけど、僕、けっこう微妙な書き方をしているのは自分で分かってます。でも僕は、ここにいるからこそ分かる情報を、そしてここでしか見聞きしたり経験したりするこができないことを、日本に発信したいと思っています。だから、差別的な感じになってしまっていることを承知で、このように書いてます。ご承知おきいただければと思います。


そんなこんなで、小さな話なのですが、今日も「日本人」を感じさせられました。


日本の若者へ。

やっぱりさ、俺ら考えなあかんな、もっと日本ってやつを。こんなにあっちこっちの国から好かれている国、もっと自信持たなあかんべや。それは傲慢になるとか他の国を下げずむとかじゃなくて、純粋に自分に自信を持つって意味で。そしてこの国の良い評判を創り上げてくれた先人たちへの感謝の気持ちを持って。

特にこの時期、隣国との関係を色々騒がれるけど、その度に俺は考えさせられるよ、この日本を。ましてや今は海外にいるから、余計にかな。でもどんなに俺がここで叫んだってハナクソみたいなもんしか伝わらないと思うから、やっぱりぜひ日本を飛び出してほしいな。俺らが本当に俺らの国民としてもっともっと立派にならなきゃならねぇ、単純に。俺も全然まだまだダメダメだけど、一緒に考えて成長していきたいな!

2013年8月18日。雷鳴と豪雨の音が鳴り響く、サンホセの安宿にて。

【第2章 中米編 「終戦記念日」コスタリカからゴーマンかまします。vol.2】

2013-08-18 12:06:32 | 日記
(これは今泊まっている安宿の写真です。ちょっと古ぼけて見えますが、中は清潔でいい感じの宿ですよ!)

2013年8月17日。

終戦記念日から2日目。不思議なことに、またしても「日本」を考えさせられることが僕の周りに起こった。と言っても、今回はハッピーな話であり、韓国人からのいや~な質問などという話ではない。

僕が今泊まっている安宿のオーナーは台湾人なのだが、ものすごく親日的なのだ。外に街を見に行っていた僕が宿に戻ってくると、そのオーナーがフロントにいた。そして、僕の顔を見るなり「Are you Japanese?」と質問してきた。

僕がイエスと答えると、ちょっとカタコトの日本語で「私日本大好きです。少しだけ日本語の勉強もしてました。」と話してきた。やっぱり僕は日本人だから、「日本大好きです」と言われると嬉しいものだ。その後色々と話をしていると、「今夜時間ありますか?一緒にご飯食べに行きましょう!」と誘ってくれたのだ。


バックパッカー貧乏旅行中の僕にとって、正直「メシ」はメッチャ有り難い存在なのだ。卑しくてすいません、俗人なもので・・・。ということで、僕は喜んで尻尾フリフリしてオーナーと一緒にメッチャ美味しい中華料理を食べに行ったのでした。終わり(笑)。


ではなく、不思議なものだぁと僕は感じた。昨日のブログでは、韓国のことについてゴーマンかまさせてもらった。そしてちょうど終戦記念日を迎えるにあたり、色々と日本と周辺諸国のことを考えていた矢先、今度は「親日」の面で僕に新たな刺激が舞い降りてきた。こういうタイミングで親日的な台湾人の方とお会いし、一緒に食事までできるなんて・・・僕に「ちょっと考えてみろや」と、神様が言ってるのかな~とさえ自分勝手に思ってしまった。


というわけで、今日も少しだけゴーマンかましたいと思います。

僕ね、思うんですけど、日本人というか日本兵というかどちらの表現が適切なのか分かりませんが、そんなに悪いことをあの戦争中にやっていたとは思えないんですよ。

というのも、これは僕の経験から感じることなんです。今回の旅ではないのですが、僕はアジア諸国をバックパック担いで周っているときもありました。国で言えば、インドネシアやシンガポール、マレーシア、ミャンマーなど、日本が当時植民地として支配していた国ですよね。

でもね、どこに行っても対日感情がいいんですよ。ついこの前まで日本が植民地として支配していた国なのに、「日本人だから」と言って悪い対応をされた記憶は一度もないんです。いや、本当に一度もないんですよ。もしどこかの国が言うように、日本兵が「悪魔の所業」とでも言ったらいいような行為を繰り返していたのだとしたら、日本や日本人に対してそんな好感を持っているはずがないですよね。

ミャンマーに至っては本当に優しさの爆弾ですよ。本当に涙が出そうなくらい、優しくしてくれるんです。バスが分からないと言えば手を引いて連れて行ってくれて、一緒にバスに乗ってくれたおじさんまでいました。その人は違う方向に行くのに、「時間があるから大丈夫だよ」と、全く別方向のバスに一緒に乗ってくれて案内してくれたんです。本当に泣きそうでした。

さらに別の街では、もっと感動的な出来事がありました。その日僕は早朝のバスに乗らねばならず、朝4時に起きる必要があったのです。しかし旅の疲れからか、うっかり寝坊してしまいました。するとなんと、朝4時30分くらいに、その宿のお母さんが起こしに来てくれたのです!「なかなか出てこないから心配したのよ」と・・・。なんでそんなに早く起きているのだろうと思ったら、なんとなんと・・・!僕のお弁当を作ってくれていたのです!

こんな感動的なこと、ないですよ!ただ一泊しただけの異国の旅人のために、朝4時前に起きてお弁当を作ってくれて・・・。そして追い打ちをかけるように、また感動がありました。なんと、遅れてしまった僕のために、バスが待っていてくれたのです!

田舎町だったので、どうやら次の日の朝に日本人がそのバスに乗るという情報が流れていたようで、まだ来ない僕のことを心配してバスが出発しなかったのです。僕はもう、感動というか申し訳ないというか、どう表現したらよいのか分からない気持ちになったのを今でも覚えています。

ミャンマー、旧ビルマ。かつて日本が支配をしていた地域ですよね。もし日本が非人道的な支配をしていたのだとしたら、日本人に対してそんな優しい対応をするでしょうか。「日本人が困っているなら」と、そんな温かい言葉を投げかけてくれるでしょうか。

どこかの国は日本に対して、アジア諸国への謝罪やら自らの過ちを認めろやら、そんなことばかり言ってきますよね。そりゃ戦争という異常な状況下ですから、全ての日本兵が品行方正に悪事の一切もなく統治していたとは到底思えません。悪いことをした人もいたでしょう。でも、国全体として、日本として、本当にそんなに「悪行の支配」だったのでしょうか。どうも僕には、そうは思えないんです。

小林よしのり氏の「戦争論」、僕は大好きなのですが、特に南京事件の証拠など、曖昧なものもたくさんあるわけですよね。従軍慰安婦に至っては、被害者を主張している方の証言が毎回変わっているらしいし。果たしてそんなのが真実なんでしょうかね?


僕、残念な話ですけど、「歴史は勝者が作る」と思っているんです。日清戦争や日露戦争の時は、日本兵の振る舞いが大いに賞賛されたと聞きました。でもそれからほんの数十年で、ほんの数十年ですよ?日本兵は悪魔に変えられている。突然僕たちは、悪魔になってしまった。

本当にそうなんですかね?そんな簡単に、僕たちは変わってしまったんでしょうか?

日清戦争も日露戦争も、日本は戦勝国でした。だからきっと、日本に都合のよい解釈が生まれた側面もあると僕は思います。それは日本が勝った側ですから、自分たちに都合のよい方に日本を持っていくことができたのでしょう。そういう面はあったはずです。

しかしこと大東亜戦争に関しては、日本は完膚なきまでやられてしまった。しかも欧米諸国の白人至上主義に盾突き、白人社会にとっては「厄介なアジア人」としての存在を知らしめてしまった。だからこれほどまでに、僕たちは勝者の都合によって、「悪魔の日本人」に変えられてしまったんだと思う。

残念なことに、それはかなりの成果をおさめてしまったんでしょう。だから今僕たちは改めて「日本人って何なんだ?」と、考えさせられるに至っているんだと思う。

それってでも裏を返せば、日本人のすごさの証明でもあるわけですよね。零戦にしても兵士の士気にしても、欧米人は日本人にビビッていたわけでしょ?それまで白人が世界一だと思っていたのに、こんなすげぇもん作っちゃったりするアジアのサルがいやがったって。

だから戦争が終わるときに、日本を骨抜きにしようとしたわけだ。そこはアメリカの上手さなんでしょうね。本当に日本は骨を抜かれかけてしまった。国民としてのプライドまでなくしかけていた。でもね、なくしちゃあいませんよ、俺ら日本人は!(笑)あっつい魂持ってますよ、俺ら日本人は!(笑)

ちなみの僕は、「日本はとっても悪い国なのよ」的なイメージを植え付けられるように教育させられてきた世代である。僕には今でも忘れることができない思い出があるのだが、日本の悪の根源は天皇制だと思ってしまっていた僕は、政府専用機で飛び立つ天皇陛下の姿をテレビで見て、当時小学生だった僕は「こんな奴らのために専用機なんて使ってんじゃねぇよ」と、暴言を吐いたことがある。そこには、僕のじいちゃんとばあちゃんがいたのに。

じいちゃんとばあちゃんは、僕の発言を何を思って聞いていたのだろう。もちろん2人とも戦争を生きてきた人だ。2人とも黙っていた。果たして、そんな暴言を吐く孫の姿を見て、どんな思いが過ったのだろう。


っと、話がそれてしまいましたが、僕は今世界各地の空気を実際に吸い、感じ続けているという経験の中で、今僕たちに知らされている「歴史の真実」と、本当に何が起こっていたのかの「事象の真実」に隔たりがある気がしてならないんです。そうでなければ、実際に現地の方々から感じる日本人への感情の良さにしろ、イギリスBBC放送が行った「世界に良い影響を与えている国」アンケートの結果で日本が上位にいるのも、説明がつかないと思うんですよね。

今、日本は色んな意味で岐路に立っているんだと思う。経済の停滞があり、政治への不信があり、震災からの復興問題があり、原発の問題があり、周辺諸国との対立があり・・・。しかしそれは、裏を返せばチャンスなのだ。そう、ピンチはチャンス。ピンチにあるということは、そこを乗り越えれば大いに成長できるというわけだ!

じゃあ誰がそのピンチを乗り越えさせるのか?俺らでしょ!
じゃあいつやるのか?今でしょ?


日本の若者へ。
ちょっとさ、一緒にマジで「日本」のことを考えようよ。間違いなく日本の評判はいい。誇れる国に俺たちは生まれたはずだ。それなのに、海外からの評価とは裏腹に、俺たちは日本のことを愛せていない。ちょっとおかしいよね。マジでさ、一緒に考えていこうぜ。と、今日は訴えたいと思います!終わり!

2013年8月17日。サンホセの中心部、オーナーがとっても優しい安宿にて。

【第2章 中米編 「終戦記念日」コスタリカからゴーマンかまします。】

2013-08-17 14:08:14 | 日記
(この写真は日本とキューバの友好を祈念し、ハバナ市内の日本庭園に掲げられています。全ての国と日本が、このような友好関係になりますように。)

2013年8月16日。

日本のテレビや雑誌などを見ない生活をしているとつい頭から離れてしまいそうになるが、昨日は終戦記念日だったのだ。日本人として、絶対に忘れてはならない日である。

旅をしていると、否が応でも日本人であることを意識させられる。良いやつも悪いやつも、「日本人」を背負って旅をしている。

僕は日本人であることに誇りを持っていると同時に、国という仕組みや意識に疑問を感じてもいる。「世界市民」という言葉が一時期流行ったが、言葉だけを捉えれば、まさに「世界市民」である必要がある時代なのだと思う。

グローバル化が進み、地球という1つの惑星はもはやどこにでも簡単に行き来できる時代になった。情報に限って言えば、小学生だって簡単に瞬時に大量の情報を入手することができる。かつての、これまでに僕たちが学んできた歴史からの常識は覆されつつある。そんな時代に生きているのだからこそ、「国」という枠の見方、捉え方も大きく変わっていく必要があると僕は考える。

しかしそうは言っても、僕たちは「国」の中で生きてきた。言わば国は、「家」である。何十年も何百年も何千年も、その「家」の中で生きてきた。だから突然「これからは家を取っ払いましょう!もう家にこだわっている時代じゃないんですよ、これからの家は世界そのものなんですよ!」と言われても、それは無理がある。これまで何百年何千年と培われてきた歴史や文化、伝統などは、僕たちの心の奥底まで根付いているものであり、そしてそれは誇りでもある。それを取っ払って「さぁ1つですよ」というのは現実的じゃない。

だから僕は、世界市民的な意識を持ちつつも、「国」としての誇りも強く持ちたいと考えている。そして自らの国に誇りを持つことで、他国もまた同様であることを認識し、他国の誇りを知り、尊重する。そしてお互いに「違い」を認め合いながら、「仲の良い隣人」としての世界市民となっていく。それが現実的かつ理想的な在り方ではないかと思っている。


そんな持論を僕は持っているが、この終戦記念日という日に、僕はあえて隣国からの旅人とのエピソードを紹介したいと思う。ちょっと昔の話も交えてになるが、僕はやはり「日本人として」どうあるべきかを、僕と同じか僕よりも若い世代がもっともっと強く考え、実際に思考や態度、発言、行動を変えていかなければならないと強く思うのだ。

南米のある街での出来事だ。とある韓国人の青年と同じ安宿に泊まった。ふとしたことから仲良くなり、色々と話をしていた。そしてあるとき、彼は僕に次の質問をした。

「マサキは竹島のことをどう思っているんだ?」

僕は逆に聞き返した。なぜ今その質問をするのか、その真意を知りたい、と。

彼は返した。

「そんなことはどうでもいいから、マサキはどう思っているのかを知りたいんだ。」

僕は考えた。彼はなぜ今それを聞いてきたのか?彼の目を見て判断しようと思った。平和的な話し合いがしたいのか、それとも好戦的なのか。

僕は判断した。この件についての彼の質問の仕方、態度、目つきは「好戦的」だと。

だから僕は質問には答えずに、次のように言った。

「俺は今それについて話したくない。俺たちは違う国に育ってきたのだから、お互いに見方が違って当然だ。今そんな政治的な話をしても、何も生まれない。俺はジョン(彼のイングリッシュネームです。韓国人の名前は発音が難しいので、たいていイングリッシュネームを持っています。)という人間が好きで、今こうして話をしている。今竹島の話をしても、お互いに憎しみを生むだけだ。ただの感情的な議論になってしまう。それじゃ意味がない。」

彼はさらに返した。

「マサキは自分の過ちを認めないのか。」

僕は一言「とても残念だ」とだけ言って席を立った。本当は「あれ、そう言えばお宅の国の軍隊さんたちは、ベトナム戦争の時にベトナムで現地の女性をレイプしまくって、それによって産まれてしまった子ども達が大量にいるというとんでもない所業をしてしまったらしいけど、それについての過ちにはいかがお考えですか」とでも聞いてやろうかと思ったのだが、止めた。それじゃ同じ土俵に立ってしまう。それは理性的じゃない、ただの感情的な反発になるだけだ。

翌日の朝僕は彼が目覚める前に宿を出たので、もうそれっきりだ。この僕の「残念だ」には、とても多くの僕の複雑な感情が含まれている。それを、そのことを、できれば僕は彼に伝えたかった。


以前オーストラリアのレストランで仕事をしていたとき、職場には多くの韓国人がいた。そのときも、同じような質問をぶつけられたことがある。当時は竹島の問題がニュースで取り上げられていたわけではなかったのだが、次のような質問を僕にしてきた。

「マサキは伊藤博文を知っているか?彼についてどう思っているんだ?」
「マサキは豊臣秀吉を知っているか?彼が何をしたか知っているか?」

今回は否定的に言いたい。
なぜ韓国人はこのような質問を日本人にしてくるのか?
その質問をしたところで、どんな答えを聞きたいのか?
その場で謝ってほしいのか?「すまない、僕たち日本人は、どうしようもないダメな国民なんだ。何度も迷惑をおかけして申し訳ない」とでも言ってほしいのか?

もちろん、出会う韓国人の全てがそのような質問をしてくるわけではない。しかし、少なからずこの類の質問をしてくる。

冷静に考えたい。
なぜその質問を、今出会った日本人の、ただの民間人の僕にしてくるのか?
何が背景にあるのか?国民性なのか?教育なのか?政府の方針か?

結局、そこから何を生み出したいと思っているのか?

以前のブログでも書かせていただいたが、これからを生きる僕たちに最も必要なことは、「共に在る」世界を築くことだ。世界の繋がりがますます深くなっていく中で、国と国もますます近くなっていく。命を懸けて船で海を越えて他国に行っていた時代とは、「外国」に対する意識も実際の距離もまるで異なる。そして世界は否が応でも1つにならざるを得ないくなってきているのであり、「競争」から「共存」の意識なくして、1つの地球・世界として繁栄できなくなっていく時代だと僕は思っている。

旅の中で出会う韓国人を否定したいのではない。素晴らしい韓国人ともたくさん出会ってきた。シェアメイトも仕事の同僚もいたし、かつて(少しだけだけど)韓国人の彼女がいたことだってある。そして僕は、冷静に考えたい。「なぜその質問をしてくるのか?」ということを。そして「その質問をすることで、何を生み出したいのか?」ということを。


メキシコで出会ったアメリカ在住の日本人の方と酒を飲んでいるときにも、この韓国人の質問の話になった。彼も同じく竹島のことについて聞かれたそうなのだが、僕と同じように「今はその話をする場じゃない」と流したそうだ。するとその韓国人は一言、

「だから日本人はダメなんだ」と、鼻で笑ったらしい。

さすがに怒った彼は、その韓国人に盾突いたとのことだ。それは当然だ、そりゃ頭に来る。


歴史は絶対に忘れてはいけない。でも、歴史に囚われてもいけない。
大切なのは未来。過去は変えられないが、未来は自由に創造できる。
僕は常にそう思っている。


少しだけ、ゴーマンかまします。

よく韓国は「事大主義」(悪い言い方をすれば、強い者には従いましょう主義とでも言ったらいいでしょうか)だと言われる。隣国を悪く言いたいわけではないが、そのように考えると説明がつくことがとても多いのもまた事実だと思う。

もっとゴーマンかますと・・・。

「結局さ、日本が上に行くのが気に入らないんでしょ、単純に。韓国はずっと中国に従う歴史を刻んできて、文化的なものは中国→朝鮮半島→日本と流れてきたことになっているから(僕は必ずしも全てがそうだとは到底思っていないのですが)一番最後の日本が上に行くのは許せない。そんな次元の話なんじゃないの?」

さらにゴーマンかますと・・・。

「いじめっ子がいじめをする時の心理って、実は自分に自信がないとか愛情が足りないとかがあげられるけど、それと同じなんじゃないの?結局は自分に自信がないから、どこかをターゲットにしたいんじゃないの?いや、ターゲットにし続けないと、心が安定しないんじゃないの?」

もう少しゴーマンかますと・・・。

「悪いけど、今のあんたらの発言とか行動、異常ですよ?(もちろんニュースなどを見る限りですが)日本のことを批判するのなら、かつて朝鮮半島を支配した左の方の国には文句言わないんですかね?豊臣秀吉について云々言うなら、左の隣国さんにも言った方がいいんじゃないですか?」


ネットが繋がるとき、日本のニュースを簡単にチェックする。するとやはりこの時期、靖国参拝や従軍慰安婦の話題がトップニュースになっている。

世界を1つの家としたら、韓国なんてルームメイトみたいなもんだ。言葉だって文化だって、そのくらい近い距離にいる「お隣さん」だ。顔だって似たようなもんだ。

それなのに、僕たちはいつもケンカばかり。これは兄弟ゲンカなのか?「ケンカするほど仲がいい」のケンカなのか?それとも、ガチの憎しみ合いなのか?ケンカを越えた、もはや抗争なのか?

この文章は、パナマシティのバスターミナルでバスを待ちながら原稿を書いていた。15日は午前中にあのパナマ運河に行ってきたのだが、フリーWi-Fiが繋がったので日本のニュースをチェックしていた。そしたらやはり、日本のニュースは韓国や中国の反応についてばかり。


俺は日本人。俺の祖国は日本。それは俺の誇りだ。

あるべき日本とは?あるべき世界とは?あるべき地球とは?

終戦というこの日、僕は遥かなるパナマで、これからの日本を、世界を、1人考える。

2013年8月16日。コスタリカの首都・サンホセ市内の安宿にて。