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千葉市市原生実探索

2019年11月24日 | 史跡探索

千葉市生実探索

元々千葉生まれではなくこの広い土地はもともと誰が支配していたか常に興味はありました。資料を見ても頼朝、平将門、秀吉、家康、秀忠と複雑

今回は生実の誕生を学んだ。

①      千葉市埋蔵文化財調査センター

②      七廻塚古墳跡

魔除けとして縄文時代から用いられ「万葉集」に
 「釧着く 答志の崎に 今日もかも・・・」柿本人麻呂

発掘された遺骨に釧を付けたままの人もいて女性が多いそうです。

③     5世紀初めの大覚寺山古墳

このお宮は近所7軒で守られているそうです。

④      高室氏碑頌徳碑

⑤      重俊院 

総生実藩の初代藩主で後に老中に昇進した森川重俊一族を弔う菩提寺です。森川氏は関ヶ原合戦では秀忠軍に従って信濃上田城にて真田昌幸と戦い、下野国に3千石の知行を与えられます。その後譜代実力者大久保藩改易で身柄を預けられるが大阪夏の陣で功績をあげ秀忠の近習に復帰その後1万石で初代下総生実藩となる。老中になるが秀忠の死去に殉死する。

長男重政が家督を継ぎ、大坂城警備の役職に任じられる。幕府に願い出て亡父重俊の霊を弔うため重俊院を建立します。

要職を勤めるなか、幕府に願い出て亡父重俊の霊を弔うため重俊院を建立します。

 

⑥      森川家累代の墓標

⑦      北小弓城跡

⑧ 生実藩陣屋跡

森川山重が以後明治4年まで11代使われた昭和44年区画整理で消滅

元城内

⑨      生実神社

戦国時代の北小弓城の守護神御霊神社は明治43年付近の神社10数社を統合して生実神社とと改称

祭礼湯花式は300年の歴史。境内に八幡神社、庚申塔、道路側に三猿庚申塔、道祖伸が置かれている。

 戦国時代千葉市は大百池の西側に子弓城を築き重心原氏に守らせていたが小弓公方足利義明に城を奪われ が1538年の国府台合戦で北条氏の原氏が領地を取り戻し喜多小弓場を築き1590年に徳川の領地となった

⑩      北小弓城大手口跡 出戸の地蔵尊

山田先生のご指導で回ってきました。生実神社は何度も行っているのですが

この統一された神社の説明で少し解ったかなという程度。

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