瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ 思ふ
何故か崇徳天皇に関心があり墓所に何回も行っている。
場所は四国香川の連山五色台の西側、白峰の北側中腹に位置し、四国八十八箇所
第八十一番札所白峯寺に隣接している。
白峰寺には参詣客が多いのに 陵墓への上り道には行く人はいない。誰もいない。
鳥羽天皇、保元の乱、後白河天皇 により排除された悲劇の天皇そして怨霊と
言われる
悔しかったであろう。生前に心寄せていた西行は死後3年後に詣でている。
又昭和天皇は崇徳天皇八百年祭に当たる昭和39年、崇徳天皇陵に勅使を遣わして
式年祭を執り行わせている。
江戸時代から面白、おかしく「怨霊」として扱われている。
上田秋声の『雨月物語』には西行法師が御陵で怨霊と言葉を交わす。
で資料1
資料2